第五十四話 柵の向こうで笑う女、やっぱり嫌な予感は当たる
柵の向こうに、女は今日も立っていた。
風が吹く。草が揺れる。
だが、それだけだ。
女の髪は揺れない。衣も、影も、世界から切り離されたみたいに動かない。
ただ笑っている。
その時だった。
遠くから、規則的な音が響く。
ガシャ、ガシャ、と。
鎧の擦れる音。
複数。
女の視線が、ゆっくりとそちらへ向いた。
現れたのは、騎士だった。
数名。整った装備、揃った足並み。
ただの巡回じゃない。目的を持った動き。
その先頭の男が、村を睨む。
「……ここだな」
低く、確信の声。
「指名手配犯・金借りのイベルタ」
空気が、わずかに張り詰めた。
だが、その瞬間。
女が、笑みを深くした。
口角が、不自然なほどに裂ける。
「――ああ」
音にならない声。
それでも、確かに響いた。
やっと使える駒が来た。
女の指が、わずかに動く。
それだけで騎士たちの動きが、止まった。
「……?」
一人が眉をひそめる。
「どうした」
「いや……」
違和感、ほんの一瞬。
だが、それはすぐに――
消えた。騎士の瞳が、濁る。
焦点が、わずかにずれる。
「……行くぞ」
先頭の男が言う。
だがその声には、さっきまでの意志がない。
空っぽの器に、何かが流し込まれたような響き。
「排除対象、確認」
無機質な声。騎士たちは、門へと進む。
そして、何の躊躇もなく、村へ入った。
異変は、一瞬だった。
「きゃあっ!?」
悲鳴。畑の方からだ。
「……っ!?」
俺は反射的に振り向いた。そこにあったのは、騎士が村人を斬りつける光景。
「なっ……!?」
血が飛ぶ。倒れる農夫。
「おい、何やってんだテメェら!!」
叫ぶが、反応はない。騎士の目は、完全に死んでいた。
「排除」
短く、それだけを言って、次の標的へ向かう。
「クソが……!」
「ギャンさん!」
イベルタの声。すでに、動いていた。
滑るように間合いに入り、閃く。
一瞬で三撃。
首、手首、膝。
正確無比。
騎士が、崩れ落ちる。
「遅いですよ」
その手には、短剣・嵐龍の牙。
風を纏う刃が、わずかに唸る。
「数が多いよ!」
コルディも飛び込む。
腕を振るう。
黒い軌跡。
黒鞭がしなり、騎士の足を絡め取る。
「ほら、暴れないでって!」
締め上げる。骨が軋む音。
だが、騎士は止まらない。拘束されたまま、無理やり剣を振ろうとする。
「チッ……!」
「ただの騎士じゃねぇな!」
俺は舌打ちした。
その時――
「……ギャン!」
ユッキーの声に振り向く。
騎士が一人、ユッキーに向かっていた。
「くっ……!」
考えるより先に、身体が動いた。俺はサンダーグラディウスを容赦なく、騎士に振り下ろした。
雷の刃が一直線に走る。
バチィッ!!
焼ける音。騎士が吹き飛び、地面に転がる。
「……はっ……!」
間に合った。だが、違和感。
「……?」
倒れた騎士たち。
ピクリとも動かない。
明らかに、死んでいる。
それなのに、嫌な気配が消えない。
その時。
――パチン。
音がした。
指を鳴らす音。
全員の動きが、止まる。
「……!」
外だ。
あの女。柵の向こうで、こちらを見ている。
そして、笑っている。
「まさか……!」
次の瞬間、倒れていた騎士の指が、動いた。
ギチ、ギチ、と。関節が不自然に鳴る。
「おい……嘘だろ……」
ユッキーの声が、震える。
騎士が起き上がる。首がありえない角度に曲がったまま、目は完全に虚ろ。
それでも立つ。
「……死んでんだろ、それ」
コルディが低く言う。
「ええ」
イベルタが答える。
その目は、鋭く細められている。
「ですが、動いていますね」
騎士たちが、一斉にこちらを向いた。
ギギ、と不気味な音を立てながら。
「第2ラウンドってか」
俺は笑った。乾いた笑い。
「クソゲーにも程があるだろ」
外では女が、楽しそうに笑っていた。
ギチ、ギチ、と。死んだはずの騎士たちが、こちらへ歩いてくる。
足取りは歪だ。だが、止まらない。
「……チッ」
俺は舌打ちした。斬っても、倒しても、終わらねぇ。
答えは一つだ。
「本体だな」
「同感です」
イベルタが即座に返す。
視線は、すでに村の外のあの女へ向いている。
柵の向こう。
変わらず、笑ってやがる。
「アレを潰さねぇ限り、終わらねぇ」
「ですねぇ」
短く頷く。
「コルディ!」
「任せて!」
黒鞭が唸る。迫ってきた騎士の群れをまとめて拘束する。
「時間は稼ぐ!」
「上等だ!」
俺は叫ぶ。
「イベルタ!」
「はい」
「届くか?」
「射線さえ通れば」
即答。いいね、その迷いのなさ。
「なら撃て」
俺は笑った。
「一発で決めろ」
「承知しました」
イベルタの気配が変わる。
短剣をしまい、弓へ。
しなやかな動きで構える。
矢を番える。
「特製、です」
小さく呟く。
風が集まる。
圧縮される。
矢の周囲が、歪む。
弓が引き絞られる。限界まで。
空気が張り詰める。
その瞬間、周囲の音が消えたように感じた。
騎士の唸り声も。
コルディの鞭の音も。
全部、遠い。
「……っ」
イベルタの目が、女を射抜く。
迷いはない。
「放ちます」
次の瞬間。矢が、消えた。
いや、速すぎて見えねぇ。
一直線。
空気を裂き、柵を越え、女へと突き刺さる。
直撃。
「当たっ――」
言いかけたその時、嫌な感覚が背筋を走る。
女の姿が、揺れた。
まるで、水面に映った影みたいに。
「……は?」
次の瞬間。
矢は、女をすり抜けた。
そのまま後方へ飛び、
――ドォンッ!!
大地を吹き飛ばす爆発。
土煙が上がる。
だが、女はそこにいる。
何事もなかったかのように。
同じ場所に、同じ姿で。
同じ、貼り付いた笑みで。
「……当たってない?」
コルディが呟く。
「いや……」
俺は、目を細めた。
「当たってる」
確実に、軌道は捉えてた。
「……接触していませんね」
イベルタが、静かに言う。その表情は崩れていない。だが、わずかに警戒が深まっている。
その時、女がゆっくりと首を傾げた。
まるで面白いものを見たとでも言うように。
そして。口が、さらに裂けた。
ありえない角度まで。
「……クソが」
俺は吐き捨てる。
「面倒くせぇタイプだな」
その直後、背後から風を切る音。
「ギャン!」
ユッキーの叫び。
振り向くと、騎士がすぐそこまで迫っていた。
さっきより速い。明らかに、動きが上がっている。
「強化までしてきやがるかよ……!」
俺は構える。
状況は最悪だ。
だが女は、笑っている。
まるで、まだまだ遊べる、とでも言いたげに。




