第五十三話 それは、ただ立っているだけではない。嫌な予感はだいたい当たるよな…
目が覚めた瞬間、違和感があった。
「……あれ」
身体が、軽い。あれだけボロボロだったはずの痛みが、ほとんど引いている。
ゆっくりと上体を起こす。軋む感覚はあるが、昨日とは比べ物にならねぇ。
イベルタの姿はない。コルディもいない。部屋は静かだ。
俺はマイステータスカードを取り出した。
視線を走らせて、止まる。
「……お?」
レベル欄。そこに表示されている数字。
10。思わず笑った。
「上がってんじゃねぇか」
あの戦闘か。ラザとロブー。
あれだけやりゃ、そりゃ上がるか。
「……悪くねぇ」
身体も動く。痛みもほぼない。
「よし」
俺は立ち上がった。
「外、行くか」
部屋を出て、階段を降りる。
昨日とは違う。足取りが軽い。
宿の外に出ると、朝の空気が広がっていた。村はすでに動き始めている。畑に出る大人、走り回る子ども。
平和な光景。
「お、ギャン」
いた。ユッキーだ。
相変わらず、ヨーヨーを回している。
「元気そうじゃん」
「お前もな」
俺は軽く手を上げた。
「昨日は死にかけてたくせに」
「寝たら治った」
「雑だなぁ」
ケラケラと笑う。
その軽さ、嫌いじゃねぇ。
「……なぁ」
俺は少しだけ、ユッキーを見た。
「お前、ギャンブルとは無縁そうだな」
ポロッと出た言葉だった。
こいつの雰囲気。あの村での暮らし。
血なまぐさい感じが、ねぇ。
ギャンブル絡みのやつ以外も転生してくんだなって思った。だがーー
「ははっ」
ユッキーの手が止まった。そして、眉をひそめる。
「何言ってんの」
「ん?」
「俺、めちゃくちゃ関係あるよ」
「……は?」
予想外だった。
「むしろ、それで死んだようなもんだし」
ヨーヨーを指で止める。
「イジメの原因」
ちらっと、こっちを見る。
「ノミ行為だから」
一瞬、言葉が止まった。
「……詳しく聞こう」
「別に大した話じゃないよ」
ユッキーは肩をすくめる。
「小遣い欲しくてさ」
軽い調子で続ける。
「クラスで賭けやってたの」
「賭け?」
「うん。テストの点数とか、部活の勝敗とか」
ヨーヨーを軽く回す。
「俺、割と当てるの得意でさ」
「……ほぉ」
ちょっと興味が湧く。
「で、調子乗った」
あっさり言う。
「金回し始めて、倍率つけて」
「完全にアウトだな」
「でもさ、儲かるから」
「やめねぇよな」
「やめないね」
即答。
「むしろデカくした」
ヨーヨーの動きが、少し速くなる。
「そしたらバレた」
「まぁ、そうなる」
「で、教師に呼ばれて、親にもバレて、クラスではチクられたってなってさ。そっからだよね」
少しだけ、笑みが薄くなる。
「イジメ」
短く。
「金絡んでるから、陰湿でさ」
「だろうな」
「返せだの、詐欺だの」
肩をすくめる。
「まぁ、俺も悪いけど」
「お前が悪いな」
「やっぱり?でもさ」
少しだけ、空を見る。
「やってる時は楽しかったんだよね」
「……だろうな」
俺は、笑った。
わかる。その感覚は、嫌ってほど。
「当たるとさ、全部どうでもよくなるじゃん」
「なるな」
「で、外すと地獄」
「それもな」
完全に一致した。
「……お前」
俺は呆れたように言う。
「普通にクズだな」
「知ってる」
ユッキーは笑った。悪びれもせず、開き直りでもなく。ただ、事実として。
「まぁでも」
ヨーヨーを、軽く弾く。
「こっち来てからはやってないよ」
「やる相手いねぇしな」
「そうそう」
「平和に暮らしてるわけだ」
「うん」
少しだけ、柔らかく笑う。
「こっちのが合ってるかもね」
「かもな」
俺は頷いた。
こいつも、こっち側か。
方向は違えど、どうしようもねぇ連中。
それでも、生きてる。
俺は笑った。
ヨーヨーの音だけが、静かに響く。
カラ、カラ、と。
「……じゃ、またな」
俺は言った。
「おう」
「今度はもっと技見せてやるよ」
「だからいらねぇって」
その時だった。
視界の端に、違和感が引っかかった。
「……ん?」
反射的に顔を向ける。
村の外、柵の向こう側。
そこに、いた。
女。
いや、女の形をした何か。
遠目でもわかる。人間じゃねぇ。空気が違う。立ってるだけで、周囲の色がわずかに沈んで見える。
そして、笑っていた。口角だけが不自然に吊り上がった、貼り付いたような笑み。
「……」
目が合った気がした。
ゾワッ、と背筋が粟立つ。
なんだ、あれ。
「どうした?」
隣でユッキーが気づく。
「いや……あれ見ろ」
顎で指す、ユッキーは視線を向ける。
「あー」
あっさりした声を出した。
「最近いるやつね」
「最近?」
「うん。ここ何日か、ああやって外に立ってる」
「お前、それでその反応か?」
「いやだってさ、入ってこれないし」
あっさり。
「この村、アマス神の護石で守られてるでしょ」
村の中心にある石――この村も、アマス神の加護を受けており、魔物を寄せ付けない。
だから安全。
だから平和。
……の、はずだ。
「だから大丈夫っしょ」
ユッキーはもう興味を失ったようにヨーヨーを回し始めた。
「ほら、村の人も誰も気にしてないし」
言われて周囲を見る。
確かに。畑を耕す大人も、走り回る子どもも、誰一人として外のアレを気にしていない。
視界に入ってないみたいに、自然に。
「……」
俺はもう一度、外を見る。
女の魔物は、まだそこにいる。
微動だにせず。
ただ、笑っている。
こっちを見て。
「……気に入らねぇな」
ぽつりと漏れる。
「ギャン、疑いすぎじゃない?」
「お前は鈍すぎる」
ケラケラと笑うユッキー。
その軽さに、少しだけ苛立つ。
だが、確証はない。
「……まぁいい」
今は、な。
俺は視線を切った。
だが、背中に残る感覚は消えなかった。
――昼。
日が高くなり、村の空気もゆるんでくる時間。
「おーい」
手を上げながら歩いてくる影。
イベルタと、コルディだ。
「遅いですねぇ、ギャンさん」
イベルタが柔らかく笑う。
「寝起きだ、許せ」
「元気そうだね」
コルディがニヤッとする。
軽く肩を回す、体はほぼ戻っている。
「で?」
俺は本題に入る。
「外、見たか」
「外?」
コルディが首を傾げる。
「村の外にいるやつだよ」
「あー」
イベルタが小さく頷いた。
「女性型の魔物、ですね」
「放置か?」
「ええ……」
イベルタは少しだけ表情を曇らせた。
「護石の加護がありますから、村人の方々はあまり気にしていないようで」
「だよねー」
コルディが笑う。
「入ってこれないなら問題ないっしょ」
「……お前もそっちか?」
「実際、入ってきてないっじゃん」
「……」
俺は黙る。
「ですが」
イベルタが続けた。
「心配ではありますねぇ」
その声は、いつもより少しだけ低い。
「理由は?」
「人型は、あまり単純ではないことが多いので」
「……なるほどな」
感覚が合う。
「ギャンさんは、どう思われます?」
イベルタが俺を見る。
俺は少し考えて吐き出した。
「クソみてぇに嫌な予感がする」
短く。だが、それで十分だ。
「へぇー…」
コルディが笑う。
「大体当たるやつ」
「外れろって祈っとけ」
「無理、こういうのだいたい当たるじゃん」
「お前な……」
ため息が出る。
だが。その空気の裏で。
俺の頭から、あの笑みは離れなかった。
ずっと。
あの女はただ立ってるだけじゃ、ねぇ。




