第九話 里長の出迎え
「……その子も、里へ入れるおつもりですか」
ヴィルツという少年の視線が、ディアルから俺へ戻ってきた。
正確には、俺の腰にある刀へ。
それから顔を見られ、もう一度、刀を見られる。言いたいことは何となく分かった。五歳児が腰に差すには、ずいぶん立派な物を持っていると思われているのだろう。
「そのために来た」
ディアルが答える。
「ですが、ここの稽古は、その年頃の子供が――」
そこまで言ったところで、ヴィルツの口が止まった。
目の前にいるディアルを見て、自分の言葉に何か問題を見つけたらしい。
「……誰でも、殿下と同じようにできるわけではありません」
言い直した。
その意見には、俺も賛成である。
「ついていけるかは、やってみないと分からないんじゃない?」
口を挟むと、ヴィルツがこちらへ向き直った。
「遊びで来る場所ではないんだ」
「刀を教えてもらいに来たんだけど」
「なら、なおさらだ。半端な気持ちでは怪我をする」
真面目な顔だった。
意地悪を言いたいだけというわけでもなさそうだが、着いて早々、心構えの話をされるとは思わなかった。
できれば、荷物を下ろしてからにしてほしい。
俺が肩紐を直していると、門の向こうから笑い声が聞こえた。
「ずいぶんと立派なことを言うようになったな、ヴィルツ」
低く、よく通る声だった。
少年が振り返り、すっと背筋を伸ばす。その向こうから、ゆったりとした服を着た男が歩いてきた。
歳は取っている。目元には皺が刻まれ、髭もきれいに整えられていた。ただ、まくった袖から見える腕は太く、背中もまっすぐだ。歩く姿を見ていると、年寄りという言葉が少し似合わない。
「祖父様」
ディアルが言った。
では、この人が。
「おお。よく来たな、ディアル」
男は顔をほころばせると、ディアルの肩へ大きな手を置いた。
「また少し大きくなったか」
「はい」
「そうか、そうか」
ディアルの返事は相変わらず短い。それでも嬉しいらしく、男は何度も頷いていた。
普通に、孫が来て喜んでいるおじいさんだった。
少なくとも、俺にはそう見える。
「ご無沙汰しております」
アリソンが頭を下げた。イーサックも、それまでの気安い様子を引っ込めて姿勢を正している。
男は二人を見て、片方の眉を上げた。
「お前たちも来たか」
「殿下の供を務めておりますので」
「道中まで、その顔で通したのか、アリソン」
「その顔、と申しますと」
「分からんふりをするな」
アリソンが笑った。
いつもなら俺が返事に困らされる場面なのだが、今日は順番が逆らしい。
男の目が、今度は俺へ向いた。
「お前がフィルか」
「はい。初めまして」
「ハーバードだ。この里を預かっておる」
知っている。ここまで来る間に、その名前は何度も聞いた。
けれど、目の前の本人と、皆の反応がまだうまく結びつかない。確かに大きくて強そうな人だが、今のところはよく笑うおじいさんである。
俺を見る目も、怖くはなかった。
「で、何の話をしておった?」
ハーバードが尋ねると、ヴィルツが口を開いた。
「こちらのフィル殿が、里で刀を学ばれると伺いましたので」
「気になるか」
「年齢を考えれば、基礎を身につけてからの方がよいのではないかと」
気になるらしい。
ハーバードは俺の腰へ目をやり、それからディアルを見た。ディアルは何も言わない。二人の間で何が伝わったのかは分からなかったが、おじいさんの口元が少し上がった。
「なら、確かめてみるか」
嫌な予感がした。
ハーバードが、ヴィルツを指す。
「フィル。そいつを倒してみろ。勝てたら入れてやる」
俺は門の向こうを見た。
家がある。人も歩いている。たぶん、座れる場所も、水を飲める場所もある。
そこまで、あと少しなのだが。
「……ここまで来て、入れてもらえないことってあるの?」
「今、できたな」
ハーバードが楽しそうに笑う。
そういう決まりがあるのではなく、今作ったらしい。
隣のディアルを見ると、俺へ手を差し出していた。
「荷物を」
止めるつもりはないようだ。
「ディアルまで、やる気だね」
「邪魔になる」
それはそうだろうけど。
荷物を下ろして渡すと、肩が軽くなった。ようやく下ろせたと思ったら、次は試合である。
この里、到着したばかりの客に厳しくないだろうか。
◇◇◇
門の脇に、少し開けた場所があった。
地面は踏み固められ、足を取られそうな石もほとんどない。ヴィルツが先に進み、俺から数歩離れたところで振り返った。
「魔法はなしだ。急所は避けろ。わしが止めたら、そこで終わりだ」
ハーバードの言葉に、ヴィルツが頷く。
「はい」
「分かりました」
俺も答え、フードがずれないように襟元を留め直した。
刀の柄へ手をかける。
ここへ来るまで、何度も抜いて、何度も眺めた。素振りもした。それでも、誰かと向かい合って抜くのは初めてだった。
鞘から刃を引き出すと、竹林を抜けてきた風が手の甲を撫でた。
……うん。
いいな、これ。
子供の頃から、刀を使う登場人物が好きだった。腰を落として構える姿も、斬り終えたあとにゆっくり納める仕草も、いちいち格好がよかった。
「準備はよろしいですか」
ヴィルツに声をかけられ、顔を上げた。
彼はすでに剣を抜いていた。構えに隙が少なく、こちらを見る目も真剣だった。
いけない。見惚れている場合ではない。
「うん。お願いします」
俺も両手で柄を握った。
本当は、鞘に収めたまま構えて、一瞬で抜くようなこともやってみたかった。前世のゲームでも、ああいう技はずいぶん使ったものだ。
ただ、自分の手でやったことはない。
最初の一回を人前で試して、抜く途中に引っかかったら、たぶん相当恥ずかしい。
今日は普通に構えておこう。
「無理だと思ったら、すぐに言ってください」
ヴィルツが言った。
「ぼくが?」
「ほかに誰がいるんですか」
「それもそうだね」
真面目な人らしい。
俺は一度、足元を確かめた。右足と左足の位置を直し、握っていた柄から少しだけ力を抜く。
里でずっと修行している人だ。きっと強い。
最初の一撃を、よく見なければ。
「では、始め」
ハーバードの声がした。
ヴィルツが踏み込む。
剣が上がり、肩が動いた。
その瞬間、俺は少し戸惑った。
見える。
どこへ斬り込もうとしているのかも、次に足が着く場所も。
いつもの稽古なら、分かったつもりで避けても、その先に剣が待っている。こちらが動くのを見てから、途中で狙いを変えられることもあった。
けれど、ヴィルツの剣は、最初に見えたところへまっすぐ下りてきた。
俺は半歩だけ横へずれた。
肩のすぐ脇を、剣が通る。
踏み込んだヴィルツの胴が、目の前にあった。
柄を返す。
腕で無理に振ろうとせず、踏み出した足へ体を乗せ、そのまま刀の峰を横腹へ打ち込んだ。
鈍い手応えが伝わった。
ヴィルツの息が詰まり、足が止まる。俺が通り抜けて振り返った時には、彼は片膝を地面についていた。
「そこまで」
ハーバードの声が響く。
もう終わりらしい。
俺は刀を下げ、ヴィルツを見た。彼は打たれた場所へ手を当て、こちらを見上げている。
今だ。
「……峰打ちだ」
少し声を低くして言った。
言いたかったんだよな、これ。
口にしてみると、思っていた以上によかった。できればこのまま格好よく刀を収めたいところだが、まだ鞘へ戻すのには少し気を使う。
最後まで欲張るのはやめておこう。
ともあれ、初めての実戦である。
勝てたうえに、言いたかった台詞まで言えた。
なかなか上出来ではないだろうか。
「見れば分かる」
横からディアルが言った。
そういうことじゃないんだよ。
◇◇◇
刀を鞘へ戻してから、ヴィルツのそばへ寄った。
「大丈夫?」
手を差し出すと、彼はその手を見た。次に俺の顔を見て、しばらく黙る。
差し出すのが早すぎたかもしれない。
引っ込めようか迷っていると、ヴィルツが俺の手を取った。引き起こすと、横腹を押さえながらも、自分の足で立つ。
「……負けました」
絞り出すような声だった。
俺へ言ったのか、ハーバードへ言ったのかは分からない。けれど、剣を握った手は強く締められていた。
「ありがとうございました」
俺も頭を下げる。
ヴィルツは剣を収めたあと、ディアルへ目を向けた。
「殿下に敗れてから、ずっと鍛えてきたのに……」
ああ。
そちらとも、戦ったことがあるのか。
門の前で見せていた硬い表情を思い出す。再会を素直に喜べない理由が、少し分かった気がした。
「ディアルと比べると、分からなくなるよね」
つい口にすると、ヴィルツがこちらを向いた。
「何がですか」
「自分が強くなってるのかどうか。できることが増えても、あの人には負けるし」
「あなたも、負けるんですか」
「そりゃあ、もう」
ほとんど一緒に稽古しているのだ。
負けた回数を数えろと言われたら、途中で嫌になる自信がある。
「昨日より上手くできたと思っても、普通に負けるんだよね。イーサックにも転がされるし」
ヴィルツが、俺とイーサックを交互に見た。
その視線を受けたイーサックが、口の端を上げる。
「稽古だからな」
「もうちょっと、こっちが気持ちよく終われる日があってもいいと思う」
「勝てるようになったらな」
それができれば、苦労はしない。
ヴィルツはまだ納得していないような顔だった。けれど、さっきまでのように地面を見つめてはいない。
「……もう一度」
彼が言いかけたところで、ハーバードが手を上げた。
「そこまでにしておけ。客は今、着いたばかりだ」
始めさせた人が言うと、なかなか説得力がある。
ヴィルツは口を閉じ、改めて頭を下げた。
「失礼いたしました」
「あとでな」
ハーバードが言うと、彼はようやく頷いた。
あとでは、やるらしい。
できれば明日以降にしてほしい。
俺がディアルから荷物を受け取ろうとすると、ハーバードが近づいてきた。間近で見ると、やはり大きな人だった。
「よく見ておったな」
「何をですか?」
「相手をだ。すぐに振り回すかと思ったが、動くのを待った」
「先に動くと、よく叩かれるので」
イーサックの方を見る。
本人は笑っていた。
ハーバードも、喉の奥で笑った。
「峰を使う余裕もあったか」
「怪我をさせたいわけじゃありませんから」
それに、あの台詞を言ってみたかった。
後半は黙っておいた方がよさそうなので、言わない。
ハーバードの視線が、俺の刀へ下りる。鞘を眺め、それから俺の両手へ目を移した。
「足は悪くない。だが、握りには剣の癖が残っておる。途中で手首を固めたな」
「……分かるんですか」
「見ておればな」
俺は自分の手を見た。
言われてみれば、当てる直前に、力を入れた気がする。刀を落とさないようにと思ったのか、それとも慣れていないからか。
そんなところまで見ていたのだろうか。
「その刀の扱いは、これからだ」
「はい。教えてもらえると助かります」
素直に答えると、ハーバードが満足そうに頷いた。
「よかろう。入れ」
そう言って、門の方へ歩き出す。
ようやく、里へ入れるらしい。
俺は荷物を背負い直し、その後を追った。ヴィルツは横へ退いて道を空けたが、すれ違う時、もう一度こちらを見た。
まだ何か言いたそうだった。
たぶん、さっきの勝負では終わらないのだろう。俺としても、里に着いた早々、気まずい相手ができるのは困る。
「また、よろしくね」
声をかけると、ヴィルツは少しだけ目を丸くした。
「……次は、ああはいきません」
「うん。お手柔らかに」
真剣な顔で言われたので、こちらも真剣にお願いしておいた。
門をくぐると、水路を流れる水の音が近くなった。道の先には木造の家が並び、戸口から顔を出した人がハーバードへ挨拶している。
ここで、しばらく刀を教わることになる。
最初の勝負には勝てたが、俺の握り方は、まだおかしいらしい。憧れていた刀を手に入れたからといって、すぐに使いこなせるわけではないのだ。
それでも、一度はちゃんと振れた。
次は、もう少し格好よくできるかもしれない。
「ディアル」
前を歩くハーバードが、振り返った。
「お前も、しばらくこちらにおるのだろう」
「はい」
「なら、二人とも明日の朝からわしが見る」
ディアルが頷く。
俺も頷こうとして、隣のイーサックを見た。
目を逸らされた。
その反応は、できれば見たくなかった。




