第十話 里長の稽古
翌朝、朝食を終えた俺たちは、里の奥にある稽古場へ連れてこられた。
踏み固められた広い地面を低い柵が囲み、その向こうには竹林が続いている。片隅には木剣や槍を立てた棚があり、反対側には、何度も斬りつけられたらしい丸太が並んでいた。
昨日は旅が終わったと思って喜んだのだが、どうやら今日からが本番らしい。
「よく眠れたか、ディアル」
「はい」
「そうか。飯も足りたか」
「十分です」
「足りん時は言えよ。育ち盛りなんだからな」
ハーバードは満足そうに頷くと、その隣にいる俺へ目を向けた。
「フィルも、よく食っておったな」
「朝ご飯、おいしかったです」
「結構。ならば遠慮なく動けるな」
うーん。そこへ繋がるのか。
少し離れた日陰では、ウルスナが水差しや布を用意していた。アリソンはその隣に立ち、いつもの笑顔でこちらを眺めている。
イーサックだけは、なぜか俺たちから少し距離を取っていた。
「さて。まずは二人の動きを見るつもりだったが、その前に手本を見せておくか」
ハーバードが武器棚から木剣を二本取り、片方を放った。
受け取ったのは、離れていたはずのイーサックである。
「……俺ですか」
「ほかに誰がいる」
「アリソンもおりますが」
「お前に言っとる」
逃げ道はなかったらしい。
イーサックは木剣を一度振り、諦めたように息を吐いた。その足が稽古場の中央へ向いた途端、いつもの気安い雰囲気が薄れる。
「魔法は」
「なしだ。好きに来い」
ハーバードは木剣を下げたまま、動こうとしなかった。
対するイーサックは、両手で柄を握って腰を落とす。
その構えを見て、俺も自然と口を閉じた。
いつも俺たちの相手をしている時とは違う。剣の位置も、足の開き方も、見覚えはあるのに、間に入り込める気がしなかった。
隣のディアルも、二人から目を離さない。
先に動いたのはイーサックだった。
地面を蹴る音がしたと思った時には、もうハーバードの目の前にいる。上から振り下ろされた木剣を、ハーバードが斜めに持ち上げた剣で受けた。
乾いた音が響く。
いや、受けたというより、滑らせたのか。
イーサックの剣先が脇へ流れ、その勢いのまま体が回る。すぐに横から次の一撃が来たが、ハーバードは半歩だけ踏み込み、振り切られる前の柄元を押さえていた。
「大きい」
短い声とともに、木剣の先がイーサックの喉元へ止まる。
終わった。
そう思う間もなくイーサックが身を引き、今度は低い位置から斬り上げる。ハーバードの服の裾が揺れ、二本の木剣が続けざまに打ち合わされた。
そこから先は、正直、全部は追えなかった。
ただ、最後にイーサックの肩へ木剣が載っていたことと、ハーバードが最初に立っていた場所から、ほとんど動いていないことだけは分かった。
「前よりはよい」
「それは、どうも」
「途中から腕で取り返そうとしたな。足を使え」
「……はい」
イーサックが木剣を下ろす。
その額には、短い打ち合いだけで汗が浮いていた。
「いつもと全然違うんだけど」
戻ってきたイーサックへ言うと、彼は苦笑した。
「お前らとの稽古で、今の動きをしてどうする」
「まあ、そうなんだけどさ」
いつも十分ひどい目に遭っているのだが、どうやらあれでも大変優しくしていただいていたらしい。
もう少し優しくしてくれてもいいんですよ。
「見えたか、ディアル」
「最初は。途中からは、少し」
「なら、今日はその少しを増やせ」
ハーバードはそう言って、俺にも木剣の先を向けた。
「フィル。お前はまず、立ち方からだ」
◇◇◇
刀というのは、持てばそれらしく見える武器である。
少なくとも、俺はそう思っていた。
「肩に力を入れすぎだ」
「はい」
「抜きすぎだ。落とすぞ」
「ちょうどいいところが難しいんですけど」
「それを覚えるんだ」
なるほど。正論である。
刀を持つ右手、添える左手、足の位置。ハーバードは一つずつ確かめ、少しでも崩れると、その場で止めた。
昨日、ヴィルツを倒せたことについては褒められた。ただし、刀の使い方がよかったわけではないらしい。
「相手を見て動ける。それはいい。だが、今のお前は使い慣れた剣の代わりに、それを振っとるだけだ」
否定できない。
格好のいい刀を手に入れたからといって、急に扱い方まで身につくわけではなかった。
「刃の向きを見ろ。手だけで直すな。足からだ」
言われるままに構え直し、ゆっくりと振り下ろす。
途中で止められ、もう一度。
今度は振り終わったところで姿勢を直され、また最初から。
それを繰り返しているうちに、一度だけ、妙に気持ちよく刀が通った。
腕で引っ張った感じがしない。それなのに、刃はさっきまでより素直に、思った場所へ収まっていた。
「今のだ」
「あ、ちょっと分かったかも」
「なら、もう一度」
次は駄目だった。
分かった気がするのと、できるのは別らしい。魔法の勉強でも似たようなことを言われた気がする。
隣ではディアルが、普段から使っている剣で同じように指導を受けていた。
ハーバードに足の位置を直され、一度振る。
「そうだ」
もう一度振る。
「忘れるなよ」
「はい」
早くない?
こっちは、さっき一回できた動きを探しているところなのだが。
目が合うと、ディアルは俺の足元へ視線を落とした。
「右足が戻ってる」
「……本当だ」
直すと、さっきより振りやすくなった。
教えてもらえるのはありがたい。ありがたいのだが、同じことを習い始めたはずなんだよね。
◇◇◇
何度目かの休憩を挟んだ頃、ハーバードが一本の木剣を手に取った。
「次は魔力付加だ」
思わず、背筋が伸びる。
武器へ魔力を纏わせる。
それができるようになるために、この里まで来たのだ。立ち方の大切さもよく分かったが、やっぱりこちらは気になる。
「先に言っておくが、火も雷もいらん。まずは魔力だけを通せ」
「燃やしたりはしないんですか」
「持っている物を燃やしたいなら、止めはせんが」
「それは困ります」
ハーバードが木剣を横に構えた。
木の表面に、薄い光が行き渡る。強く輝いているわけではない。朝の光の下では見落としそうなほど淡いのに、柄から先端まで、途切れることなく覆っていた。
「片寄らせるな。先ばかりに流せば手元が疎かになる。多ければよいというものでもない」
木剣を軽く動かしてみせたあと、光を消す。
「武器にも限度がある。扱う者にもな」
ディアルが先に試した。
握った柄の周囲が淡く光り、それが少しずつ剣身へ伸びていく。途中で薄くなった箇所をハーバードに指摘されると、しばらくして、そこにも同じ明るさの光が戻った。
「止めてみろ」
光が消える。
「もう一度」
再び、剣が淡く光った。
うん。見ている分には簡単そうだ。
こういう時、大抵は見ている分だけなのだが。
「フィル」
「はい」
俺は刀を握り直した。
柄から刃の先まで、薄く、均等に。
魔法を使う時と同じように意識を集中させ、少しだけ魔力を流す。すると、刀は驚くほど素直にそれを受け入れた。
抵抗らしい抵抗もない。
指先から流れた魔力が柄へ入り、そのまま刃の内側を通っていく。表面へ淡い光が浮かんだところで、俺は少しだけ気が楽になった。
なんだ。意外と――。
「ん?」
流れが強くなった。
増やしたつもりはない。それなのに、刀へ入っていく魔力の量が、勝手に膨らんでいる。
慌てて絞ろうとすると、今度は向こうから引かれるような感覚があった。
「ちょっと待って」
刀身の光が濃くなる。
「おい、待ってって」
「フィル。いったん切れ」
ハーバードの声に、俺は刀へ繋げていた魔力を断った。
腕の内側に残っていた引っ張られる感覚が消える。けれど、刀身にはまだ、薄い光が残っていた。
自分の手と、刀を交互に見る。
「……勝手に持っていかれたんですけど」
「どれほど流した」
「最初は、ほんの少しです。そのあと、こっちが止めようとしても」
ハーバードが刀を覗き込む。その隣へ来たアリソンも、興味深そうに目を細めていた。
「内部に魔力が残っていますね。今は、フィル様からの供給も止まっています」
「それは分かるんだけど。なんで勝手に増えるの?」
「もう一度、先ほどより少なく流せますか」
俺は頷き、今度こそ慎重に魔力を通した。
ほんの少し。
刀はすぐに受け入れた。
そして、もっと寄越せと言わんばかりに、その先まで引っ張った。
「だから、多いんだって」
また繋がりを切る。
隣で、イーサックが小さく笑った。
「ずいぶん食い意地が張ってるな」
「笑い事じゃないんだけど」
使うたびに好きなだけ持っていかれたら、たまったものではない。
しかも、こちらから入れようとした魔力は受け取るくせに、量を減らそうとすると、途端に抵抗するのだ。
武器というのは、もう少し持ち主に協力的なものではないだろうか。
「一度、休むか」
ハーバードに言われ、俺は刀を見下ろした。
刃の奥に、まだ魔力が溜まっている。
そのくせ、試しにほんの少し繋ぎ直すと、またこちらを引いた。
足りない、とでも言いたそうに。
……へえ。
「そんなに欲しいの?」
「フィル?」
アリソンがこちらを見る。
俺は柄を握り直した。
別に、腹が立ったわけではない。
いや、ちょっとは立ったかもしれない。せっかく真面目に練習しているのに、こちらの都合をまるで聞いてくれないのだ。
だったら、一度くらい満足させてやろうじゃないか。
「じゃあ、ちゃんと受け取ってよ」
細く絞っていた魔力を、一気に流した。
刀が、手の中で震えた。
もっと引こうとしていた流れが、こちらから押し込んだ魔力とぶつかる。柄を握る指の間から光が漏れ、刃に沿って走った。
まだ入る。
そう感じたから、さらに流した。
「フィル、そこまでだ」
ハーバードの声は聞こえた。
ほぼ同時に、それまで引っ張り続けていた感覚が、ふっと消えた。
魔力が途切れたわけではない。
刀の中には、さっきよりずっと大きな力がある。それなのに、こちらから奪おうとする動きだけがなくなっていた。
減らそうとすれば、流れが細くなる。
止めれば、止まる。
手に吸いついていた柄が、今は腕の続きみたいに馴染んでいた。
「あ」
思わず声が出た。
「言うこと、聞いた」
目の前には、打ち込み用の丸太があった。
人はいない。
足を整え、刃の向きを確かめる。さっき何度も繰り返した動きなら、今度はうまくできる気がした。
俺は、そのまま刀を振り下ろした。
「伏せろ!」
ハーバードの声と、刀の内側から力が解き放たれる感覚が重なった。
丸太に刃が触れたかどうかも、分からなかった。
視界の先で地面が跳ね、木片が舞い上がる。空気を叩きつけるような音が響き、正面の柵が支柱ごと吹き飛んだ。
その向こうへ、ハーバードが踏み込んでいた。
いつの間にか光を纏った木剣が振られる。
もう一度、重い音がした。
行き場を変えられた力が上へ抜け、竹林の葉が一斉に裏返る。巻き上がった土が降ってきて、俺はようやく、自分が振り終わった姿勢のまま固まっていることに気づいた。
頬に、ぱらぱらと砂が当たる。
誰も、何も言わなかった。
目の前にあった丸太は、なくなっていた。
その先の地面には大きく土が抉れた跡が続き、柵は半分ほど消えている。隣に並んでいた標的も倒れ、稽古場の向こう半分は、ついさっきまでとは別の場所になっていた。
「……え」
俺は刀を見た。
光は、もうほとんど消えている。
こちらの手から勝手に魔力を引くこともなく、静かに収まっていた。
いや。
そんな、何事もなかったみたいにされても。
◇◇◇
「怪我はないか」
戻ってきたハーバードが、まずそう言った。
俺は頷きかけて、慌てて周囲を見た。
ディアルはすぐ横にいる。イーサックは俺たちの前へ出ており、日陰にいたウルスナとアリソンも無事だった。
誰にも、木片は当たっていないらしい。
「……ありません」
「魔力は」
「まだ、大丈夫です」
「なら、刀を納めろ」
言われたとおりに鞘へ戻す。
収まる時の小さな音が、やけに大きく聞こえた。
ハーバードは壊れた稽古場へ一度目を向け、それから俺の前へしゃがんだ。
目の高さが近くなる。
「今、何をした」
「魔力を、たくさん流しました」
「なぜだ」
「少しずつ入れようとしても、勝手に吸い取るので。その……欲しいなら、入れてやろうかと」
口にすると、思っていた以上にしょうもない理由だった。
ハーバードは笑わなかった。
「流したあと、どうなるかは分かっていたか」
「……いえ」
「どこまで届くかは」
「分かりませんでした」
「そうだろうな」
声は大きくなかった。
その分、逃げ道がない。
「誰もおらん方へ向けた。それは分かる。だが、お前が思った場所で止まるとは限らん。あの先に誰かおったら、どうなった」
壊れた柵の先へ目を向ける。
今は竹林しか見えない。けれど、その向こうに道がないか、誰かが歩いていないかまで、俺は確かめていなかった。
「すみません」
ハーバードは少しだけ黙り、俺の刀へ視線を落とした。
「今のやり方は、二度とするな」
俺は顔を上げた。
「力を注げることと、使いこなせることは違う。あれを扱えると、わしが認めるまでは禁止だ」
「……はい」
「魔力付加そのものをやめろとは言わん。少し流し、止める。抜く。それを先に覚えろ」
俺はもう一度、頷いた。
ハーバードは立ち上がると、ようやく大きく息を吐いた。
「それと、わしが止めたら止まれ」
「はい」
「返事だけはよいな」
今度は少しだけ、いつもの顔に戻っていた。
それがかえって申し訳ない。
横から、ディアルが俺の腕に触れた。
「痛むか」
「ううん。平気」
「そうか」
短く答えて手を離す。その視線は一度だけ俺の刀へ向き、すぐに戻った。
「次は止まれ」
「……うん」
今日は、返す言葉がない。
アリソンが近づき、鞘に収まった刀を眺めた。
「振るう直前は、魔力を奪われているようには見えませんでした」
「それは、なくなったよ。こっちが止めたら、ちゃんと止まった」
「なるほど」
「振ったのも、俺だから」
刀が勝手に動いたわけではない。
握りやすくなって、うまく振れそうだと思って、それで振った。
そこは間違えたくなかった。
「ええ」
アリソンは、それ以上何も言わずに頷いた。
ハーバードが、半分になった柵を指差す。
「さて。反省はしたな」
「はい」
「では、片づけるぞ」
俺は散らばった木片を見た。
かなり広い範囲に散っている。
「……これ、全部ですか」
「ほかに誰がやる」
少し前にイーサックが言われていたのと、同じ言葉だった。
◇◇◇
大きな木材は大人たちが運び、俺とディアルは、地面に散った小さな破片を拾うことになった。
「ディアルは、やらなくてもいいんだよ」
「一人だと終わらない」
「それは、そうなんだけど」
否定できないことばかりである。
俺たちが木片を集めている間に、ハーバードはイーサックへ新しい支柱を運ぶよう指示していた。アリソンにも何やら仕事が割り振られ、ウルスナまで散らかった道具を戻している。
修行に来て、初日から全員の仕事を増やしてしまった。
午後に振る予定だった刀は、今は日陰の布の上に置いてある。
さっきまであれほど魔力を欲しがっていたくせに、ずいぶん大人しい。
いや、刀が大人しいという言い方もおかしいか。
それでも、最後に流れが変わった瞬間の感覚だけは、妙にはっきり残っていた。
押し返されなくなったのとは、少し違う。
こちらが流そうとした分を、そのまま通してくれた。まるで、初めて話を聞いてもらえたような――。
「フィル。手が止まってる」
「あ、うん」
考えるのはあとにしよう。
今は、とにかく拾わないと終わらない。
ようやく一か所の木片を集め終えた頃、ウルスナが水を持ってきてくれた。礼を言って飲み、額の汗を拭う。
その向こうでは、新しい支柱を抱えたイーサックが、抉れた地面を見下ろしていた。
「しばらく稽古には困らなさそうだな」
「どういう意味?」
「ここを直すのも、いい足腰の鍛錬になる」
俺は地面を見た。
それから、手元の木片を見た。
「……刀の使い方を習いに来たんだけど」
「まずは足から、って言われただろ」
そういう意味ではなかったと思う。
たぶん。




