第七話 始まりの里へ
「ありえません」
ウルスナの声を聞いて、俺は手の中の刀を見直した。
ゆるやかに反った刃が、部屋の明かりを映している。反対の手にある鞘も、きちんと同じ長さに変わっていた。試しに収めてみると、引っかかることもなく、鍔が小さな音を立てた。
うん。ちゃんと刀になっている。
「……どこか、おかしい?」
ウルスナは答えなかった。鞘に収まった刀へ視線を落としたまま、立ち尽くしている。隣のカリーナも同じだった。
「変わるって言ったよね?」
「……はい」
「じゃあ、成功じゃないの?」
ウルスナが顔を上げる。その唇が一度開き、何も言わないまま閉じられた。
いつもなら、俺の質問くらいすぐに答えてくれる人だ。着替えや勉強を後回しにする言い訳など、最後まで聞いてもらえないことすらある。
今日はずいぶんと返事が遅い。
「刀じゃ、駄目だった?」
「いえ。そのようなことはございません」
今度の返事は早かった。
「ただ、少々……思いがけない形でしたので」
「そう?」
刀以外にも候補はあった。大きな剣とか、槍とか。ただ、どれを使ってみたいかと聞かれれば、やっぱり刀だったのだ。
ウルスナはもう一度、俺の手元へ目を向けた。
「フィル様は、なぜ刀をお望みになったのですか」
「かっこいいからだけど」
さっきも言った気がする。
ほかに立派な理由を求められても困るので、そのまま答えた。ウルスナは俺の顔をしばらく見つめ、それから静かに頷く。
「……左様でございますか」
カリーナが何か言いかけたが、結局、言葉にはならなかった。代わりに両手を前で重ね、いつものように笑ってみせる。
その笑顔も、少しぎこちない。
うーん。二人には何か気になることがあるらしい。
「持っていても、大丈夫なんだよね?」
「もちろんでございます」
ウルスナが答えた。ようやく聞き慣れた調子に戻っていたので、俺も柄を握る手の力を抜く。
刀を選んではいけない決まりでもあったのかと思った。
「神樹の武器がどのような姿になるかは、私どもにも分かりません。驚かせてしまい、申し訳ございませんでした」
「いや、ぼくはいいんだけど」
驚いたのは、そちらの方では。
そう言いかけたところで、アリソンが一歩近づいてきた。
「少々、拝見してもよろしいでしょうか」
鞘に収めた刀を渡すと、彼は机の上の包みを片づけ、その場所へ丁寧に横たえた。柄から鞘へ指を滑らせ、模様を目で追っていく。
笑みは残っているが、もうこちらを見ていない。
今夜の仕事が増えて、嬉しそうである。
「どうだ」
ディアルが尋ねる。
「詳しく調べなければ何とも。ただ、形だけが変わったわけではなさそうですね」
「壊れてない?」
「そのような様子はございません」
それを聞いて安心した。せっかくもらった誕生日の贈り物を、数秒で壊していたら申し訳が立たない。
横からイーサックものぞき込む。
「ずいぶん長くなったな。振れそうか?」
「たぶん。思ったより軽いよ」
「なら、明日持ってこい。周りに何もないところで試そう」
「うん」
言われて、部屋の中を見回した。机も椅子も人もいる。嬉しくなって、ここで振らなくてよかった。
アリソンから刀を返してもらい、ディアルへ向き直る。
「これ、本当にぼくが使っていいんだよね?」
「お前にやった」
「そうだけど。なんだか、すごい物みたいだし」
「なら、大事に使え」
話は終わりだとでも言うように、ディアルが自分の席へ戻った。そのあっさりした背中を見ていると、こちらまで難しく考えるのが馬鹿らしくなってくる。
「うん。ありがとう。大事にする」
俺は刀を布の上へ置いた。
顔を上げた時、ウルスナと目が合った。彼女はいつものように小さく頭を下げ、空になった皿へ手を伸ばす。カリーナも菓子を勧め始め、部屋には少しずつ賑やかさが戻ってきた。
二人が何を気にしたのかは、結局よく分からなかった。
でも、使っていいのなら、まずは使ってみよう。
俺は布からのぞく柄へ、もう一度目を向けた。
明日の稽古が、少し楽しみになった。
◇◇◇
翌朝、中庭へ刀を持っていくと、イーサックがすぐに気づいた。
「さっそくか。気に入ったみたいだな」
「うん。せっかくだし、使ってみようと思って」
「いい心がけだ。じゃあ、まずはゆっくり振ってみろ」
人のいない方へ向き、刀を抜く。明るいところで見ると、刃の反りが昨夜よりはっきり分かった。柄を両手で握り、頭の上から振り下ろしてみる。
刃が空気を切った。
軽い。振った感触も悪くない。ただ、普段の剣と同じつもりで動かすと、刃先が思っていた位置から少しずれる。
足を置き直して、もう一度。
「手首を固めすぎだ」
横からイーサックが声をかける。
「いつもの剣とは形が違う。腕の力で、同じところを通そうとするな」
「うーん。見てる時は、もっと簡単そうだったんだけど」
「何を見たんだ?」
「刀を使うところ」
間違ったことは言っていない。
前世で遊んだゲームには、かっこいい技がいくつもあった。構えた姿勢から一瞬で斬り抜けたり、振った武器から光の刃を飛ばしたり。ああいうものが、この世界の魔法なら本当にできるかもしれない。
問題は、当時の俺が握っていたのは刀ではなく、コントローラーだったことだ。
押すボタンなら覚えているんだけどな。
もう一度振り下ろすと、イーサックが俺の手元へ目を寄せた。しばらく眺めてから、自分の顎を撫でる。
「剣の振り方は教えられるが、刀を専門に扱うなら、詳しい奴に見てもらった方がいいな」
「イーサックでも?」
「俺だって、何でも知ってるわけじゃないぞ」
それはそうだ。
いつも散々に転がされているせいで、武器さえ持たせれば何でもできる人だと思いかけていた。
少し離れた場所では、ディアルが普段使っている武器で稽古をしている。こちらの会話が聞こえたのか、動きを止めて振り向いた。
「祖父に見せればいい」
イーサックの手が、顎に触れたまま止まった。
「……あの方にか?」
「ああ」
返事はいつもどおり短い。その一方で、イーサックは何か言いかけ、やめた。
そこへ、ウルスナとアリソンがやって来る。アリソンは俺の刀を見てから、イーサックの顔へ視線を移した。
「何かございましたか」
「殿下が、前国王陛下に刀を見せたいと」
「なるほど」
アリソンが微笑んだ。
笑ったまま、少し黙った。
何だろう。二人の反応が気になる。
「ディアルのおじいさんって、そんなに刀に詳しいの?」
「詳しい。魔法も教えられる」
ディアルが答える。
刀も魔法も教えてもらえるのなら、俺にとってはありがたい話だ。だが、イーサックとアリソンは、そこまで楽しそうではなかった。
「会いたくない人なの?」
「ご立派な方ですよ」
アリソンは即答した。
質問への答えにはなっていない。
「大変、お元気な方でもございます」
ウルスナまで言い方を選んでいる。
俺はディアルを見た。三人の反応を気にする様子もなく、汗を拭いている。
どうやら、そのおじいさんを恐れていないのは、この中ではディアルだけらしい。
「どこにいるの?」
「アストールだ」
聞き覚えのない名前だった。
アリソンが、俺にも分かるように言い直す。
「始まりの里アストール。アセナル王国が建てられる以前からある、王家ゆかりの里です」
「始まりの里?」
「今の王家のご先祖が築いた場所、とお考えください。現在は前国王ハーバード陛下が、里長を務めておられます」
そんな場所があったのか。
名前だけ聞くと、初めて旅に出る者が立ち寄りそうな里だ。もっとも、俺がこれから会うのは、そこで暮らす元国王のおじいさんらしい。
「そこで刀を教えてもらえるんだね」
「刀に限りません。様々な武器を扱う者が暮らしております。フィル様の刀についても、何か分かるかもしれません」
「行ってみたいな」
口にしてから、ディアルを見る。
彼は一度だけ頷いた。
「父上に話す」
決めるのが早い。
俺としては、これから皆で相談するつもりだったのだが、ディアルの中では、もう話がまとまっていたらしい。
「アリソン。準備を」
「かしこまりました」
アリソンが頭を下げる。その隣でイーサックが、小さく息を吐いた。
ますます気になる。
ハーバードという人は、いったい何をすれば、この二人をこんな顔にさせられるのだろう。
◇◇◇
里行きは、思っていたよりすんなり決まった。
ディアルが父親である国王へ話を通し、許しをもらったらしい。同行するのは、アリソン、イーサック、ウルスナ。俺とディアルを合わせて五人だった。
出発の準備が始まった日の昼食で、それを聞いたアリスが匙を置いた。
「私の名前がありません」
もっともな指摘をする顔だった。
「アリスは留守番だ」
ディアルが答えると、彼女は隣に立つカリーナを見た。カリーナも困ったように眉を下げる。
「アリス様には、決まっているご予定がございますので」
「それなら、お兄様たちが待っていればいいのです」
「そういうわけにもまいりません」
「私は刀を見たいだけです」
「ここにあるよ」
俺が口を挟むと、じろりと睨まれた。
どうやら、今のは欲しい答えではなかったらしい。
「フィルがちゃんと稽古できるか、見ていなければなりません」
「イーサックもいるけど」
「イーサックだけでは心配です」
「信用ないな、俺」
当人が苦笑する。普段なら言い返しそうなものだが、今日はアリスの味方をしてくれるつもりはないようだ。
アリスはディアルを見た。
ディアルは食事を続けていた。
しばらくその横顔を見つめてから、アリスは自分の皿へ視線を落とす。
「……分かりました」
あっさりした返事だった。
もう少し粘ると思っていたので意外だったが、ここで余計なことを言って、話を最初からやり直すのも困る。
俺も食事へ戻ることにした。
その後、アリスがカリーナを呼び寄せ、何か小声で話しているのが見えた。カリーナはこちらをちらりと見て、それから慌ててアリスへ顔を近づける。
聞こえない。
目が合うと、二人は同時に背筋を伸ばした。
うーん。
隠し事が上手になったのか、なっていないのか。
◇◇◇
出発の朝、俺は部屋の鏡の前でフードをかぶった。
額の辺りから白い髪が少しのぞいていたので、指で押し込む。横を向いて確かめていると、背後からウルスナが手を伸ばし、襟元を整えてくれた。
「窮屈ではございませんか」
「大丈夫。ちゃんと前も見えるよ」
「では、参りましょう」
刀を腰へ差そうとして、少し手間取った。
持っているだけなら格好がいいのに、身につけて歩くとなると話が違う。どの位置なら邪魔にならないか確かめながら、帯を締め直す。
ウルスナは急かさずに待っていた。最後に一度だけ刀の位置へ目を留めると、俺の荷物を確かめて扉を開ける。
外では、すでに馬が用意されていた。
イーサックが荷物の固定を確かめ、アリソンが何かを書きつけた紙を畳んでいる。ディアルは俺の姿を見ると、腰の刀へ目をやった。
「歩けるか」
「うん。何とか」
「邪魔なら外せ」
「もう少し、このままでいい」
せっかくなのだ。慣れるまでくらいは頑張りたい。
見送りに来ていたアリスが、俺の正面へ立った。
「フィル。途中で迷子になってはいけませんよ」
「ならないよ。皆と一緒にいるし」
「お兄様に迷惑をかけないように」
「気をつけます」
「それから――」
言いかけて、アリスが口を閉じた。
何か忘れ物でも思い出したのかと思ったが、彼女はカリーナを一度だけ見て、俺へ向き直る。
「いってらっしゃい」
「うん。いってきます」
不満は残っていそうだったが、今朝は同行すると言い出さなかった。カリーナも、その後ろからにこにこと手を振っている。
少し気になったものの、イーサックに呼ばれて馬へ向かった。
鞍へ上がり、足の位置を確かめる。刀が当たらないように直しているうちに、ディアルはもう準備を終えていた。
「忘れ物は?」
「ないと思う」
部屋から持ってきた荷物を見て、腰の刀へ触れる。
よし。たぶん大丈夫だ。
馬が歩き出すと、アリスたちの姿が少しずつ遠ざかっていった。振り返って手を振る俺の横へ、アリソンの馬が並ぶ。
「フィル様。道中、何かあればお申しつけください」
「うん。そういえば、里までどれくらいかかるの?」
「通常、兵士の足で十日ほどです」
「十日」
なかなかの距離だった。教えてもらいに行くのだから仕方がないが、もう少し近くへ住んでくれていてもよかったと思う。
「今回は六日を見込んでおります」
「……急ぐんだ?」
「いえ。フィル様に合わせた日程です」
俺は手綱を握ったまま、アリソンを見た。
いつもの笑顔だった。
「ぼくに合わせて、六日?」
「はい。森の奥へ入ってからは、馬を下りて進みます。無理のないよう、休憩も取りましょう」
気遣われている。それは分かる。
分かるのだが、普通の兵士より四日も短い日程で気遣われると、こちらが何を求められているのか不安になる。
前を行くイーサックに聞こえるよう、少し声を張った。
「五歳児に歩かせる距離じゃなくない?」
「まだ歩いてもいないだろ」
振り返りもせずに返された。
確かに、今歩いているのは馬だった。
「先に言っておこうと思って」
「その元気があれば大丈夫だ」
隣でディアルも頷いている。
この人たちの大丈夫は、あまり信用しない方がいい。毎日の稽古で、そこだけは十分に学んだ。
王都の門を抜けると、道の先が広く見渡せるようになった。建物の間に閉じ込められていた風がフードを揺らし、俺は片手でその縁を押さえる。
始まりの里アストール。
そこには刀を教えてくれる人がいて、イーサックやアリソンが顔を曇らせるおじいさんがいるらしい。
刀の扱いも気になるが、その人にも早く会ってみたくなっていた。
俺は鞘の位置をもう一度直し、前を行くディアルの隣へ馬を進めた。




