第六話 白髪と五歳の贈り物
三歳になったある日、俺の前に五つの物が並べられた。
火の消えた蝋燭、空の器、一枚の羽根、細長い金属棒、そして土の塊。順番に眺めてみたものの、この取り合わせから何をするのかは、さっぱり分からない。
机の向こうでは、アリソンが紙とペンを用意していた。その隣にディアルとアリスが座り、少し離れたところにはウルスナが控えている。見物人まで揃っているあたり、ただの勉強ではなさそうだ。
「本日は、フィル様の魔法適性を確認いたします」
「これ、ぜんぶつかうの?」
「一つずつです。ご安心ください」
なるほど。それなら安心だ。全部を同時に使えと言われたら、三歳児に対する要求ではないと抗議するところだった。
アリソンが蝋燭を俺の前へ滑らせる。
「火が灯る様子を想像してください。大きな炎は必要ありません」
「うん」
蝋燭へ手を向け、前世で何度も見た小さな炎を思い浮かべる。すると、黒くなった芯の先に、ぽっと明かりが灯った。揺れる炎を眺めてから、自分の指先を見直す。
本当に出た。
「できた」
「はい。では、消してください」
もう少し眺めていてもよさそうなものだが、言われたとおりにする。炎が消える様子を思い描くと、明かりはすっと小さくなり、細い煙だけを残した。アリソンのペンが紙の上を走る。
次に差し出されたのは、空の器だった。今度はここへ水をためればいいらしい。
器の底を見つめていると、透明な水がじわりと広がった。お、出てきた。調子に乗って少し強く念じた途端、水面が一気に持ち上がる。
「もう十分です」
「まだはいるよ?」
「机を濡らす必要はございません」
それもそうか。器の半分ほどで止めると、揺れた水面に俺の顔が映った。水を出すより、ちょうどいいところで止める方が難しいかもしれない。
続く風魔法では、羽根が天井近くまで舞い上がった。雷魔法を試すと金属棒の先で青白い光が弾け、最後に触れた土の塊からは、芽に似た小さな突起が伸びる。
五つとも、それらしいことはできた。
どうだったのかとアリソンを見る。いつもの笑顔だったが、ペンの先は紙へ触れたまま動いていなかった。
「ぜんぶ、つかえたね」
「そのようですね」
「びっくりしてる?」
「少々」
そう答えてから、ようやくペンが動き出した。この人の内心が、これだけ分かりやすいのは珍しい。
隣から記録をのぞき込んでいたアリスが、俺と目を合わせるなり胸を張った。
「私も回復魔法が使えます」
「アリスは、けがをなおせるんだよね」
「はい。ですから、フィルが怪我をしても私が治してあげます」
「けがしないように気をつけるよ」
「それでは私の出番がありません」
怪我をしてほしいのか、してほしくないのか。第二王女は、わがままである。
その横で、ディアルは机に並んだ道具を順に見ていた。最後に土の突起へ目を留め、それから俺へ視線を戻す。
「疲れたか」
「ぜんぜん」
「そうか」
それだけだった。驚いたのか、感心したのか、それとも何とも思っていないのか。顔を見ても分からない。
六歳児とは思えない落ち着きである。三歳児の俺に言われたくはないだろうけど。
「主要な五元素については、すべて適性が確認できました」
書き終えた紙を脇へ置き、アリソンが新しい一枚を取り出した。
「もっとも、適性があることと、自在に扱えることは別の話です。今後は一つずつ制御を学んでいただきます」
「いまので、おわりじゃないの?」
「せっかくですから、ほかの適性も調べておきましょう」
新しい紙は、そのためだったらしい。
その後も、操作、分析、召喚、重力と、いくつかの魔法を試した。まったく使えないわけではないらしいが、五元素の時ほどはっきりした反応は起こらない。アリソンの説明を聞き、首をひねり、もう一度やってみる。そんなことを繰り返すうち、机の上の道具はすっかり入れ替わっていた。
ようやく片づけが始まったので、椅子から降りようとする。
その目の前に、木片が置かれた。
「最後に、創造魔法を試します」
「そうぞう?」
「素材を、別の形へ作り替える魔法です。極めて珍しいため、私にも詳しいことは分かりません」
「わからないのに、やらせるの?」
「フィル様なら大丈夫かと」
何を根拠にした信頼なのだろう。アリソンは俺の疑問など気にした様子もなく、木片を指で示した。
「この木から、簡単な物を一つ作る様子を想像してください」
「かんたんなもの……」
木から作れて、形をよく知っている物。少し考えて、皿にすることにした。前世で施設の食卓に並んでいた、飾り気のない丸い皿なら思い出せる。
木片に触れ、四角い角を丸く、真ん中を浅くへこませていく様子を思い描いた。
指先から、何かが抜けていく。
火を灯した時より、ずっと重い感覚だった。形を保とうとする木を、指先の向こうで少しずつ押し広げているような気がする。頭の中の皿を見失わないようにしていると、木片の角がゆっくりと丸まり始めた。
手を離した時には、小さな木の皿ができていた。
ただし、少し傾いている。
「おさら」
ディアルが呟いた。
「お皿ですね」
アリスも頷く。二人の視線を追って皿の縁をつつくと、机の上でかたりと揺れた。
「分かってるよ。ちょっと、かたむいただけ」
初めてにしては悪くないと思う。汁物には向かないかもしれないが、パンくらいなら載るだろう。たぶん。
「体調に変化はありますか」
「ちょっと、だるいかも」
「痛みや吐き気は?」
「ないよ。これくらいなら、へいき」
アリソンは俺の顔を確かめてから、皿を持ち上げた。縁をなぞり、裏返し、明かりにかざす。その念入りな見方からすると、傾いていることは大した問題ではないらしい。
「うーん。これは、あまりつかわなくていいかな」
「希少な魔法なのですが」
「むずかしいし、つかれたよ?」
「それは残念です」
言葉とは裏腹に、アリソンは楽しそうだった。皿を机へ戻した手が、すぐにペンへ伸びる。
たぶん明日から、勉強の予定に創造魔法が追加される。
俺の希望も、ついでに書き留めておいてほしい。
◇◇◇
魔法適性を調べた数日後、アリソンが一冊の本を持ってきた。
表紙には、剣を持つ男が描かれている。足元には倒れた人々、その向こうには燃える建物。あまり楽しそうな話ではない。男の髪だけが塗り残したように白く、妙に目についた。
「これは?」
「ミアル大陸に伝わる、古い神話をまとめた本です」
アリソンが隣へ腰掛ける。ディアルとアリスも席につき、俺が本を開くのを待っていた。
最初の頁にも、同じ男が描かれていた。今度は顔が大きく描かれているので、よく分かる。塗り忘れではない。
白い髪の男だ。
「神話の時代、一人の白髪の男が神を殺したと伝えられています」
「かみさまを?」
「はい。その男は神を殺しただけでなく、世界へ大きな災いをもたらしたとされています」
アリソンは絵の横に並ぶ文字へ指を添えた。
「それ以来、白髪を持って生まれた者は、その男の血を引く不吉な存在だと考えられるようになりました」
俺は自分の髪を指でつまんだ。目の前へ引っ張ってみても、鏡で見るのと同じ、色のない白だった。
「だから、ぼくはフードをかぶるの?」
「そのとおりです」
「ぼくも、かみさまをころすとおもわれてる?」
「そこまで直接的に考える者は少ないでしょう。しかし、白髪を恐れ、嫌悪する者は今も存在します」
アセナル王国では、白髪を理由に捕らえたり、罪人として扱ったりすることはないという。それでも街で髪を見られれば、騒ぎになったり、悪意を向けられたりする可能性はあるらしい。
大陸には、白髪の赤子が生まれただけで、その家族まで罰する国もある。そこまで聞いたところで、つまんでいた髪から手が離れた。
生まれた日の、あの部屋を思い出す。
俺の頭を見て息を呑んだ人たち。こちらを指差す男。俺を抱く腕に力を込め、何かを訴えていた母。
ああ、それでか。
母が俺を逃がしてくれた理由は、もう分かっていた。でも、なぜ生まれたばかりの赤子を殺そうとしたのかは、分からなかった。
髪の色だったのだ。
「フィル」
顔を上げると、ディアルがこちらを見ていた。
「お前は何もしていない」
「うん。そうだね」
「なら、気にするな」
「それで気にしなくて済んだら、苦労しないんだけどね」
ディアルはすぐには答えなかった。少し考えるように黙ってから、もう一度口を開く。
「俺は気にしない」
短い言葉だった。隣ではアリスも、大きく頷いている。
「私も気にしません。髪の色だけでフィルを嫌う者の方が間違っています」
「ありがとう」
「ですから、安心して私の弟でいてください」
「アリスの弟になった覚えはないよ?」
「お兄様の弟なら、私の弟でもあります」
ずいぶんと迷いのない計算だった。助けを求めてディアルを見るが、すでに本へ目を戻している。訂正するつもりはなさそうだ。
どうやら、俺の意思を確認する手続きは省略されているらしい。
まあ、いいんだけどさ。
◇◇◇
それから二年が過ぎ、俺は五歳になった。
相変わらず、毎日が勉強と稽古で埋まっている。五元素魔法は一通り使えるようになったものの、狙った場所へ狙った強さで出すとなると、まだ練習が必要だった。創造魔法も、あの傾いた皿よりはましな物を作れるようになったが、難しいし疲れる。今のところ、訓練以外で使う機会はない。
剣術や体術の稽古では、ディアルや第三騎士団に混ざり、日々、虐められている。
俺じゃなきゃ泣いてるね。いや、泣いてる。毎日泣かされている。
ディアルとは、そんな稽古も勉強も一緒だった。寝室こそ別だが、食事の時まで顔を合わせているので、王族としての仕事へ出かけている間くらいしか離れることがない。
もっとも、その仕事に俺はついていかない。公にはディアルの家臣だが、今のところ仕事より教わることの方が多い五歳児である。街へ出る時には、相変わらずフードも欠かせなかった。
そんな暮らしの中で迎えた誕生日の朝、ウルスナはいつものように俺の服を用意していた。
ただ、なかなか決まらない。
一着を広げては戻し、別の一着を俺に合わせる。その間にも、ときどき扉へ目を向けていた。
「ウルスナ」
「はい」
「さっきから、扉の方ばかり見てない?」
「気のせいです」
「今日、何かある?」
「特には」
返事も表情も普段どおりだった。それなのに、服を選ぶ時間だけは普段の三倍くらいかかっている。
食堂では、アリスが俺を見るなり背筋を伸ばした。目が合うとすぐに逸らし、もう一度こちらを向く。
「おはようございます、フィル。今日は何の日でもありませんが、機嫌はいかがですか」
「自分から言ってるじゃん」
「何のことでしょう」
その後ろで、カリーナが大きな包みを背中へ回した。両脇からはみ出しているので、隠したというより持ち替えただけである。俺の視線に気づくと、今度は包みごと柱の陰へ移動した。
隠す気はあるのだろうか。
ディアルだけは、いつもと変わらず朝食を食べていた。隣へ腰掛け、念のため聞いてみる。
「ディアルは、何か知って――」
「知らない」
まだ最後まで聞いていない。
たぶん、この中で一番嘘が下手である。
午前の勉強まで早めに終わったので、これはもう間違いない。午後になると、今度はイーサックが稽古の合間に何度も空を見上げていた。
「よし。今日はここまでだ」
「もう?」
「たまには早く終わってもいいだろ」
もちろん、俺に異存はない。いつもこのくらいで終わってくれても構わないのだが、それを言うと稽古を再開されそうなので黙っておいた。
全員、分かりやすすぎる。
俺の誕生日は、母が残した紙に書かれている。今日が何の日かくらい、自分でも知っていた。それでも皆が一生懸命に隠そうとしているので、こちらも知らないふりを続ける。
こういう時は、付き合ってあげるのも大人の役目だよね。
五歳児だけど。
夕食の後、ディアルに呼ばれて部屋へ向かった。
扉を開けると、まずカリーナの大きな包みが目に入った。今度は堂々と机の上に置かれている。その周りには菓子や料理が並び、アリス、アリソン、イーサック、ウルスナまで揃っていた。
「フィル。お誕生日、おめでとうございます」
待ちきれなかったようにアリスが言い、皆がそれに続いた。部屋の入口で一通りの祝いの言葉を受け取ってから、俺も笑って頭を下げる。
「ありがとう。うん、ぜんぜん気づかなかったよ」
「本当ですか?」
「本当、本当」
カリーナが嬉しそうに笑った。ウルスナとアリソンは何も言わない。あの二人には、俺の方もばれているのだろう。
勧められるまま席につき、菓子を食べ、贈り物の包みを開けていく。そのたびに顔をのぞき込まれるので、感想を言うまで次の包みには進めない。今日ばかりは、全員の視線が俺へ集まっていた。
ひと息ついたところで、隣のディアルが立ち上がる。
「フィル」
「なに?」
「俺からだ」
細長い布包みを差し出された。両手で受け取って布をほどくと、一本の短刀が現れる。
不思議な材質だった。金属のようにも木のようにも見え、表面には細い木目に似た模様が走っている。明かりへ向けて傾けると、その模様がうっすらと浮かび上がった。
「これ、短刀?」
「そうだ」
「お兄様が五歳の時、ウルスナから贈られた物です」
横からアリスが教えてくれた。顔を上げると、ウルスナが静かに頷く。
「ウルスナが?」
「はい。エルフ族には、五歳になった男子へ短刀を、女子へ杖を贈る風習があります」
なるほど。五歳の誕生日に贈る品としては、ぴったりらしい。
……少し待ってほしい。
「ウルスナ、エルフなの?」
「申し上げておりませんでしたか」
「聞いてないよ。耳も普通だし」
「現在のエルフ族は、本来の力を失っています。普段の姿は人間とほとんど変わりません」
思わず耳を見直してしまった。何年も一緒に暮らしているのだから、見覚えのある耳である。とがってもいなければ、長くもない。
この人、自分の種族すら説明せずに、ずっと俺の世話をしていたらしい。着替えの時間にはあれだけ細かいのに、その辺はずいぶん大ざっぱだ。
「その短刀は、神樹の根から作られた物です」
俺がまだ耳を見ている間に、ウルスナの視線は短刀へ戻っていた。
「魔力を内部へ蓄える性質を持ち、使い手として選ばれた者が魔力を流せば、その者に合った形へ変化すると伝えられています」
「ディアルは、変化させなかったの?」
「変わらなかった」
ディアルの返事はあっさりしていた。俺は布の上にある短刀と、その持ち主だった彼の顔を見比べる。
「俺には変えられなかった。お前にやる」
「本当にいいの?」
「ああ」
大切な贈り物ではないのだろうか。今度はウルスナを見ると、こちらにも頷かれた。
「本来、神樹の武器をエルフ族以外へ渡すことは禁じられています。ですが、ディアル様の弟君であれば問題ないでしょう」
弟君、ときた。
公には家臣なのだが、この部屋でそれを言っても意味はなさそうだ。誰一人として疑問を挟まないので、俺もありがたく受け取ることにした。
布を机へ置き、短刀を鞘から抜く。
軽い。けれど、頼りない感じはしなかった。柄を握り直す必要もないほど、手の中へしっくり収まっている。指を少し緩めて、もう一度握ってみる。やはり持ちやすい。
「魔力を流してみろ」
ディアルに促され、短刀へ目を戻した。
持ち主に合わせて形が変わるらしい。どうせ変わるのなら、使ってみたい武器はある。前世では画面の中で眺めるばかりだったが、今なら自分で振れるのだ。
「変化するなら、刀がいいなあ。かっこいいもん」
深く考えず、柄を握る手から魔力を流した。
手の中で、何かが脈打つ。
指の隙間から淡い光がこぼれ、短かった柄が伸び始めた。刃も滑るように長くなり、反対の手に持っていた鞘が、それを追いかけるように形を変えていく。
思わず両手を離して構えた。その間にも刃はゆるやかな反りを帯び、光が薄れる頃には、見覚えのある輪郭に落ち着いていた。
ほんの数秒だった。
俺の手にあった短刀は、一振りの刀へ姿を変えていた。
「ほう」
「刀、ですか」
イーサックが身を乗り出し、アリソンが目を細める。その向こうから、かすれた声が聞こえた。
「どうして……」
カリーナだった。さっきまで嬉しそうに笑っていた顔から表情が抜け、ただ刀を見つめている。
隣に立つウルスナも、動かなかった。普段ほとんど表情を変えない彼女が、目を見開いていた。
「ありえません」




