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おひとりさま歴33年、異世界で捨て子になって王子に拾われました  作者: 花金男爵


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第五話 母が残したもの

 この世界へ生まれて、一年と半年が過ぎた。

 俺は今、朝から一人の女性と戦っている。

「フィル様。腕を上げてください」

「じぶんで、できる」

「存じております」

「じゃあ、はなして」

「ですが、お待ちしていると朝食が昼食になります」

 正論だった。

 俺の体は、まだ一歳児である。

 前世で三十三年使った記憶があっても、短い腕と上手く動かない指まではどうにもならない。

 ボタン一つ留めるだけで、ちょっとした難題になる。

「はい。右腕を」

「うーん……おねがいします」

「かしこまりました」

 女性――ウルスナは、勝ち誇るでもなく俺へ服を着せていく。

 無表情に近い顔と、ほとんど音を立てない足取り。

 いつの間にか部屋へ入り、気づけば必要な物を揃えている。

 猫みたいな人だ。

 俺がこの城で暮らすと決まった日から、身の回りの世話をしてくれている。

 最初の頃は、若い女性に体を洗われるたび、元成人男性として複雑な気持ちになったものだ。

 半年を過ぎた頃には諦めた。

 尊厳より清潔である。

「できました」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 ウルスナが俺を抱き上げる。

「あるけるよ」

「存じております」

「じゃあ――」

「急ぎますので」

 どうやら、本日二度目の敗北らしい。


 ◇◇◇


 食堂には、すでにディアルが座っていた。

 四歳になったディアルは、相変わらず口数が少ない。

 朝の挨拶も、俺が三言話して一言返ってくれば多い方だ。

「おはよう、ディアル」

「おはよう」

 今日は幸先がいい。


 ウルスナが俺を椅子へ座らせる。

 体の大きさに合わせて作られた椅子には、落ちないよう前に板が付いていた。

 見た目は完全に赤ちゃん用である。

 実際、赤ちゃんなので文句は言えない。

 料理が並び始めたところで、廊下から慌ただしい足音が近づいてきた。

 扉が勢いよく開く。

「お兄様、フィル。おはようございます」

 明るい髪を揺らして入ってきたのは、ディアルの双子の妹で、この国の第二王女アリスだ。

 その後ろから、アリス専属のメイドであるカリーナが追いかけてくる。

「アリス様、お待ちください。廊下を走ってはいけません。それから扉は静かに――あっ」

 カリーナの足が、絨毯の端へ引っかかった。

 手にしていた水差しが傾く。

 けれど、水がこぼれる直前にウルスナが受け止めた。

「ありがとうございます、ウルスナ」

「三日に一度は受け止めています」

「では、次こそは四日を目指します」

「先に転ばないことを目指してください」

 落ち着いたウルスナと、表情がころころ変わるカリーナ。

 二人が並ぶと、猫と犬みたいだなといつも思う。


 アリスは自分の部屋で食事を用意されているはずだが、ほとんど毎朝こちらへやって来る。

 本人に言わせれば、俺が一人で食べられるか見張っているらしい。

 俺より三歳も年上なので、お姉さんとして面倒を見なければならないそうだ。

「フィル。今日は私が食べさせてあげます」

「じぶんで、たべられるよ」

「遠慮しなくていいのです」

「してないよ」

 アリスが俺の隣へ座る。

 カリーナも、その後ろへ立った。

 アリスが得意そうに俺の皿へ手を伸ばしたところで、自分の皿へ緑色の野菜が盛られていることに気づいた。

 動きが止まる。

「アリス。やさい、のこしたらだめだよ」

「残しません」

「じゃあ、たべる?」

「今はフィルのお世話をしています」

「じぶんで、たべられるよ」

「遠慮しなくていいのです」

 どうやら、振り出しに戻ったらしい。

 向かい側でディアルが野菜を口へ運ぶ。

 アリスはそれを見て、しぶしぶ自分の皿へ向き直った。

 小さく切った野菜を口に入れ、ひどく苦そうな顔で飲み込む。

「えらいね」

「わ、私はお姉さんですから、当然です」

 耳まで赤くしながら胸を張った。

 からかったつもりだったのだが、思いのほか喜ばせてしまったらしい。

 まあ、いいか。

 朝食は、だいたいいつもこんな感じである。


 ◇◇◇


 食事を終えると、ディアルは中庭へ向かった。

 剣の稽古があるらしい。

 俺もウルスナに抱かれたまま、見学についていく。

 中庭では、大柄な男が木剣を肩へ乗せて待っていた。

 第三騎士団の団長、イーサックだ。

「おはようございます、殿下。本日もよろしくお願いいたします」

 丁寧に頭を下げたあと、周囲にほかの人間がいないことを確認する。

「今日も右手だけ。こちらからは踏み込みません。それでよろしいですか?」

「昨日より手加減を減らせ」

「四歳児を相手に本気を出したら、俺が陛下に叱られるんだよ」

「稽古にならない」

「はいはい。では、今日は少しだけ減らしましょう」

 王子を相手にしているとは思えない軽さだ。

 けれど、木剣を構えた瞬間、その雰囲気が変わった。

 ディアルが踏み込む。

 四歳児のものとは思えない速さで、木剣を振り下ろした。

 イーサックはその場から動かない。

 片手で剣を受け、手首をわずかに返した。

 乾いた音とともに、ディアルの剣が横へ流される。

 次の瞬間には、イーサックの木剣がディアルの肩へ触れていた。

「一本」

 ディアルは何も言わず、すぐに距離を取る。

 悔しそうな顔もしない。

 ただ今の動きを確かめるように足の位置を変え、もう一度斬り込んだ。

 今度は途中で剣を止め、下から狙う。

 それも、イーサックは片手だけで受け流した。

 やっぱり、勝負にはなっていない。

 とはいえ、四歳児の動きじゃないよね、あれ。

 俺がつかまり立ちを卒業して喜んでいた頃、三歳上の子供は騎士団長に稽古をつけてもらっている。

 比較する相手を間違えている気がするので、見なかったことにしよう。


「フィル様のお時間です」

 背後から声をかけられた。

 振り向かなくても分かる。

 いつも笑顔が柔らかく、その笑顔のまま逃げ道を塞いでくる人だ。

 アリソンが一冊の本を持って立っていた。

「きょうは、おやすみじゃない?」

「昨日がお休みでした」

「一歳児に、べんきょうさせすぎでは?」

「その言葉を口にできる一歳児でしたら、問題ないかと」

 あ、そうですか


 ◇◇◇


 文字の勉強は、思っていたより難しくなかった。

 話し言葉を覚えるのには時間がかかったが、こちらの文字には一定の規則がある。

 前世で読み書きを覚えた経験も役に立った。


 言葉が分かるようになって、俺を拾った一行のことも少しずつ知った。

 俺が今暮らしているのは、アセナル王国という国らしい。

 ディアルの正式な名前は、ディアル・ミケル・アセナル。この国の第三王子だ。

 一緒にいた年上の少年は、第一王子のマルティン・ミケル・アセナル。

 そして、城へ着いた日に俺を睨んでいた男が、二人の父親であり、この国を治めるバスク・ミケル・アセナル国王だった。


 一方の俺は、ディアルの家臣として迎えられた。

 一歳児の家臣に何ができるのかと尋ねたところ、アリソンには笑顔で「まずは一人で着替えられるようになりましょう」と返された。

 ごもっともである。

 ただ、ディアル本人は俺を家臣と呼ばない。

 国王に認められなかっただけで、自分は最初から俺を弟として連れ帰ったのだと、短い言葉で教えられた。

 勝手な人だと思が、別に嫌ではなかった。

 アリソンは、俺が教えたことをすぐに覚えても驚かない。

 驚かないふりをして、次の日から課題を倍にする。

 非常に困った先生である。


「本日は、こちらを使いましょう」

 机の上へ、一枚の紙が置かれた。

 端には折れた跡があり、何度も丁寧に広げられた形跡がある。

 見覚えがあった。

 生まれた日の夜、胸元へ入れられた紙だ。

「これ、ぼくの?」

「はい。フィル様と共に、籠の中へ残されていたものです」

 アリソンが紙を開く。

 書かれていたのは、二つだけだった。

 フィルという名前。

 そして、俺が生まれた日。

 母親の名前も、家名も、俺がどこで生まれたのかも書かれていない。

「これだけ?」

「これだけです」

「ほかには?」

「何も」

 アリソンは余計な推測を口にせず、紙を俺の前へ置いた。

 俺は、そこに書かれた自分の名前を見る。

 初めて見るはずなのに、ずっと前から知っていたような気がした。

 その文字を指でなぞったとき、生まれた日の声が頭の中で蘇った。


 当時は意味の分からなかった音。

 今なら、その一部が言葉として分かる。

『この子には、何も持たせないでください』

 俺を抱いていた女性の声だ。

『名前と、生まれた日だけでございますか』

『それだけでいいのです』

 フードをかぶった女性が、苦しそうな声で尋ねていた。

『ですが、いつかご自身の出生を知ろうとなされたときに――』

『知らなくていいのです』

 俺を抱く腕へ、力が込められた。

『私たちのことも、自身の出生も、すべて知らず生きていけるようにしてください』

 あの頃の俺には、ただの音にしか聞こえなかった。

『この子が生きていると知られれば、必ず命を狙われます』

 女性は俺の額へ口づけた。

『どうか、フィルを生かしてください』

 記憶の中で、扉が閉まる。

 あの人は、俺を手放したくなかった。

 何度も抱く腕を止め、それでも最後には自分から差し出した。

 母は、俺を捨てたのではなかった。

 紙の上へ、小さな水滴が落ちた。

 アリソンは何も言わなかった

 ただ紙が濡れないよう、俺の手元へ布を差し出した。

 俺はそれを受け取り、もう一度、自分の名前を見る。

 フィル。

 それだけが、母が俺へ残したものだった。

最低でも週2話、出来次第あげていく予定です。

時間が遅いのはご容赦ください…

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