第四話 王の判断
高い城壁と王城に挟まれた、綺麗に整えられた裏庭。
その中央に、一人の女性が立っていた。
腰まで伸びた金色の髪は、一つにまとめられている。
背筋を伸ばした凛とした立ち姿からは、出産を終えて間もないとは思えない。
女性の前で、何かが燃えていた。
人の形をした何か。
いや、生まれたばかりの赤子を思わせる、小さな何かだ。
炎がその全身を包み、黒い煙が空へ昇っていく。
形を残していた小さな手足が、炎の中で少しずつ崩れていく。
女性は顔から表情を消し、燃え続ける炎を見ている。
風が吹き、束ねた金色の髪を揺らす。
煙が流れ、炎の熱が頬を撫でても、女性は動かなかった。
炎の中で、小さな何かが完全に形を失っていく。
大勢の視線を背中に感じながら、彼女は最後まで火を見続けた。
ただ、遠く離れた我が子の無事を祈りながら。
◇◇◇
広い部屋の奥で、男が俺を見ている。
俺を抱えている黒服の男も、年上の少年も、何も言わない。
ディアルだけは、いつもと変わらない顔で立っていた。
できれば、もう少し赤子に優しい空気にしてほしい
ただでさえ俺は、さっきから眠いのとお腹が減ったのとで忙しいのだ。
部屋の奥にいた男が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
近くで見ると、やはりディアルたちによく似ていた。
年上の少年と同じ色の髪。鋭い目元。立っているだけなのに、周囲の人間が勝手に背筋を伸ばしてしまいそうな雰囲気まである。
男が何かを尋ねた。
年上の少年が前へ出て答える。
落ち着いた声だった。
ときどきディアルや俺へ視線を向けながら、長い説明を続けている。
おそらく、俺を拾うまでの経緯を話しているのだろう。
男は一度も口を挟まなかった。
最後まで聞き終えてから、今度は黒服の男を見る。
黒服の男――たぶん執事は、俺の胸元から小さな紙を取り出した。
生まれた直後、母親らしい女性が入れてくれたものだ。
男は紙を受け取り、広げる。
そこには短い文字しか書かれていないらしい。
男が紙と俺を交互に見た。
「フィル」
聞き覚えのある音だった。
俺の名前だ。
その後にも何かを口にしたが、そちらは分からない。
執事が胸へ手を当て、頭を下げた。
それから男の許可を待ち、俺へ手をかざす。
また、あの淡い光が胸へ触れた。
体の中を温かいものが通り抜ける。
馬車の中よりも念入りに調べているようだった。
その間、男は執事の指先と俺の顔をじっと見ていた。
やがて光が消える。
執事が何かを報告した。
男の眉がわずかに動く。
年上の少年は難しい顔をしている。
ディアルは、やっぱり驚かなかった。
男がディアルの名を呼んだ。
「ディアル」
ディアルが前へ出る。
二人の視線がぶつかった。
男は俺を指し、短く何かを尋ねる。
ディアルが答えた。
それだけで話が終わるかと思ったが、男はもう一度尋ねた。
今度は、さっきより声が低い。
ディアルの返事は変わらなかった。
三度目も同じだった。
内容は分からない。
ただ、同じことを何度聞かれても、ディアルが同じ答えを返しているのは分かった。
男が片手を上げる。
壁際に控えていた使用人が、俺を受け取ろうと近づいてきた。
その人に罪はないと思う。
たぶん、言われたとおりに動いただけだ。
けれど、伸ばされた手が俺へ届く前に、ディアルが籠との間へ入った。
小さな背中が、俺の視界を塞ぐ。
使用人が困ったように足を止めた。
部屋の空気が、また重くなる。
ディアルは男を見上げた。
何かを言う。
男も言い返す。
ディアルが首を横へ振った。
今度は、自分の胸へ手を置いてから、俺を指す。
そして、もう一度同じ言葉を口にした。
それが何を意味するのかは分からない。
それでも、この子が俺を手放すつもりはないらしいことだけは伝わってきた。
昨日会ったばかりの赤子に、そこまでしなくてもいいと思う。
というか、俺はまだ何も返せていない。
泣いて、ミルクを飲んで、寝ただけだ。
我ながら、驚くほど役に立っていない。
年上の少年が、ディアルの隣へ進み出た。
男へ向かって何かを話し始める。
ディアルをかばっているようにも、説得しているようにも見えた。
執事は口を挟まず、静かに頭を下げている。
ただ、その立ち位置はわずかにディアル寄りだった。
この人、笑顔は怪しいけど、味方ではあるのかもしれない。
長い話し合いが続いた。
俺には何一つ理解できない。
声の調子と表情だけを頼りに眺めているうち、眠気が限界へ近づいてくる。
人生を決める会議らしきものが目の前で開かれているのに、当事者が寝そうだ。
赤子というのは、ずいぶん自由な立場である。
やがて、男が深く息を吐いた。
ディアルへ何かを告げる。
ディアルはすぐには頷かなかった。
もう一度、俺を指して何かを確かめる。
男が厳しい顔のまま答えた。
そこでようやく、ディアルが頷く。
年上の少年の肩から、わずかに力が抜けた。
執事も、いつもの柔らかな笑顔へ戻っている。
どうやら、いきなり城から放り出される事態は避けられたらしい。
よかった。
二度目の人生まで、捨てられる回数を競うつもりはない。
男は壁際の使用人を呼び、いくつか命令を出した。
一人が俺の頭を布で覆う。
その途中で、髪が一房だけ額へ落ちてきた。
なるほど。
ようやく自分の髪の色が分かった。
白か。
生まれたばかりで白髪とは、なかなか個性的じゃない?
似合っているかは、鏡を見ないことには判断できないけど。
けれど、周囲の反応を考えると、珍しいだけでは済まないのだろう。
男は布からこぼれた髪を見て、何かを付け加えた。
使用人たちが揃って頭を下げる。
たぶん、外では隠しておけという話だ。
そこまで危ないものなのだろうか、白い髪は。
少し不安になっていると、男がこちらへ手を伸ばした。
頬に触れるのかと思ったが、指先は途中で止まる。
男はその手を下ろし、代わりにディアルの頭へ置いた。
短い言葉を告げる。
ディアルがまっすぐに頷いた。
たぶん、俺を連れてきた責任を取れとでも言われたのだろう。
ずいぶん重たい責任を、三歳児へ背負わせるものである。
でも、ディアルは嫌そうな顔をしなかった。
◇◇◇
話し合いが終わると、俺は別の部屋へ運ばれた。
先ほどまでの場所よりずっと小さい。それでも、前世の俺が暮らしていた部屋よりは広かった。
中央には大きな寝台があり、その近くに新しい籠が置かれる。
使用人が籠を隣の部屋へ運ぼうとした。
ディアルが止めた。
寝台のすぐそばを指し、そこへ置くように伝える。
使用人は一瞬迷ったものの、結局は言われた場所へ籠を置いた。
どうやら、ここはディアルの部屋らしい。
俺も一緒に寝るということだろうか。
王子様らしき子供の寝室へ、拾ったばかりの赤子を置いて大丈夫なのか。
衛生面とか、防犯面とか、いろいろあると思うのだけど。
まあ、追い出されるよりはいい。
ディアルが籠のそばへ来る。
布の中から出ていた俺の手へ、人差し指を差し出した。
触れると、また勝手に握ってしまう。
「フィル」
ディアルが俺の名を呼ぶ。
続けて、まだ意味の分からない言葉を一つ口にした。
声は小さかった。
けれど、今まで聞いたどの言葉よりも、柔らかく聞こえた。
俺は返事の代わりに、その指を少し強く握る。
何を言われたのかは分からない。
それでも、不思議と意味は伝わった気がした。
ここにいていい。
たぶん、そんな言葉だった。
前の人生では、一度も聞いた覚えのない言葉だった。
今度こそ眠気に逆らえず、目を閉じる。
指を握ったままでも、ディアルは離そうとしなかった。
二度目の人生で初めて、自分のために用意された眠る場所は、黒髪の王子の隣だった。
フィル、無事に保護されるの回でした。




