第三話 王宮への帰還
どうやら、俺の願いは誰かに届いたらしい。
次に目を覚ましたとき、俺はまた馬車の中にいた。
ただし、前の馬車とは少し違う。
座席は柔らかく、車輪が石を踏んでも体に伝わる揺れは小さい。籠にかけられた布も、いつの間にか厚くて温かいものへ替わっている。
少なくとも、拾った俺をそのまま荷物扱いする人たちではないようだ。
そこは安心した。
問題があるとすれば、さっきから黒髪の子供が俺を見続けていることだろうか。
年齢は三歳くらいだと思う。
向かいの座席へきちんと腰かけ、膝の上に両手を置いている。顔立ちは整っているけど、ほとんど表情が動かない。
その目だけが、ずっと俺を追っていた。
うーん。
拾った珍しい生き物を観察している感じかな。
気持ちは分からなくもない。
俺だって道端で珍獣を拾ったら、しばらく眺めると思う。
「――ディアル」
隣に座っていた年上の少年が、黒髪の子供へ声をかけた。
子供がそちらを見る。
しばらくして、また同じ音が聞こえた。
「ディアル」
どうやら、それがこの子の名前らしい。
ディアル。
俺より少なくとも三歳は年上だろうから、二度目の人生では先輩にあたる。
よろしくお願いします、先輩。
今の俺には声に出して挨拶することもできないけど、試しに口を動かしてみる。
「あぅ」
ですよね。
ディアルが少しだけ身を乗り出した。
年上の少年が何かを言うと、素直に座り直す。
二人はよく似ていた。
同じ色の髪というだけではない。目元や、笑っていなくても不機嫌には見えない顔つきが似ている。
兄弟だろうか。
今度は、黒い服を着た男が籠のそばへ移動してきた。
髪をきれいに整え、背筋を伸ばしている。服装と立ち振る舞いからすると、執事のように見える。
彼は俺を見下ろし、柔らかく笑う。
人当たりのよさそうな笑顔だ。
なのに、なぜだろう。
ものすごく信用できない気がする。
男は俺へ一言断るように何かを口にし、胸元へ手をかざした。
指先に淡い光が集まる。
ああ、これなら知っている。
俺を運んでいた三人のうち、一人が使っていたものと似ている。
光が胸へ触れた。
温かいものが体の中へ入ってくる。
痛くはない。
ただ、皮膚の上から触られているのではなく、体の内側を直接なぞられているような妙な感覚があった。
健康診断みたいなものだろうか。
前世の病院では機械へ入れられたり、血を抜かれたりした。それに比べれば、光を当てるだけなのはずいぶん楽だ。
せっかくなので、好きなだけ調べてもらおう。
そう思っていると、今まで意識したことのないものを感じた。
胸の奥に、小さな熱がある。
心臓とは違う。
一定の速さで全身へ流れ、また同じ場所へ戻ってくる。
男の光がその流れへ触れているのが、なぜか分かった。
流れは乱れなかった。
俺が驚いても、呼吸が変わっても、静かなまま体の中を巡っている。
男の笑顔が消えた。
目を細め、もう一度同じ場所へ光を当てる。
うーん。
何か見つかりましたか。
深刻な病気でなければいいのだけど。
男は年上の少年へ向き直り、声を潜めて何かを伝えた。
少年の表情が険しくなる。
ディアルだけは驚いた様子を見せなかった。
短く何かを言い、俺の顔を見ている。
会話の内容は一つも分からない。
でも、三人の視線が俺へ集まっていることだけは分かる。
できれば、本人にも分かる言葉でお願いしたい
俺は赤子なだけで、意識はありますから。
そう訴える代わりに手を動かす。
籠の縁へ置かれていたディアルの指に、俺の手が触れた。
握るつもりはなかった。
けれど、赤子の手は勝手に指をつかんだ。
ディアルは手を引かなかった。
それどころか、先ほどより籠の近くへ座り直す。
まあ、いいか。
知らない場所へ運ばれている最中なのだ。
つかめるものがあるなら、つかんでおこう。
◇◇◇
馬車が止まったのは、空が赤く染まり始めた頃だった。
途中で一度、近くの町らしい場所へ立ち寄った。
そこで用意してもらったミルクを飲み、体を拭かれ、布も新しいものに替えられた。
成人男性として思うところがないわけではない。
ただ、空腹には勝てなかった。
今は尊厳より栄養である。
馬車の扉が開く。
外から冷たい風と、大勢の人間が動く音が入り込んできた。
黒い服の男が、俺を籠ごと抱え上げる。
ディアルも続いて馬車を降りた。
布の隙間から外を覗く。
まず目に入ったのは、高い石壁だった。
左右へ目を動かしても終わりが見えない。壁の向こうには、いくつもの尖った屋根と、大きな建物が並んでいる。
入口には鎧を着た兵士が立ち、こちらへ一斉に頭を下げた。
なるほど。
俺を拾った一行は、かなり身分が高いらしい。
いいところの子供かもしれないとは思っていたけど、予想より何段階か上な気がする。
ディアルが歩くと、兵士も使用人も道を空ける。
何度も同じ言葉をかけられていた。
意味は分からない。
ただ、三歳の子供へ向ける態度ではなかった。
もしかして、本当に王子様だったりするのだろうか。
いやいや。
さすがに、それは出来すぎじゃない?
捨てられたところを王子様に拾われるなんて、おとぎ話でも少し都合がいい。
そんなことを考えていると、籠を運ぶ男の足が止まった。
廊下にいた者たちが、俺を見ている。
正確には、布の隙間から見えている俺の頭を見ていた。
目を見開く者。
口元を手で覆う者。
一歩だけ後ろへ下がる者。
生まれた直後と同じ反応だ。
やっぱり、俺の髪には何かあるらしい。
できれば鏡を一枚貸してほしい。
ディアルが振り返った。
廊下にいた者たちを、何も言わずに見回す。
それだけで、囁き声が消えた。
三歳児の眼力ではない。
この子、いったい何者なんだろう。
年上の少年が短く指示を出すと、一人の兵士が奥へ走っていった。
その後、俺たちは長い廊下を進んだ。
高い天井。
壁に並ぶ大きな絵。
磨かれた床には、窓から入る夕日が反射している。
これはもう、大きな屋敷という言い訳には無理がある。
城だ。
たぶん、かなり立派な城だ。
俺はどうやら、とんでもない場所へ連れてこられてしまったらしい。
やがて、一行は大きな扉の前で止まった。
扉の両側に立つ兵士が、年上の少年から何かを告げられる。
二人は緊張した様子で頷き、同時に扉へ手をかけた。
重い音を立てて、扉が左右へ開いていく。
広い部屋の奥に、一人の男が立っていた。
ディアルたちと、どこか似た顔をしている。
その男の目が、俺の髪へ止まった。
笑ってはいなかった。
部屋から音が消える。
うーん。
どうやら、拾われたからといって一件落着ではないらしい。
早くフィルに言語を覚えてもらいましょう




