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おひとりさま歴33年、異世界で捨て子になって王子に拾われました  作者: 花金男爵


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第四十四話 最初の仕事


 内務卿のベルガンは、机の端を占領していた書類を抱え、別の山の上へ移した。


 今日からディアルの教育が始まる。


 だからといって、普段の仕事が減るわけではない。王子へ仕事を教える時間だけ、一日が長くなってくれれば助かるのだが、今のところその予定もなかった。


 書類を一枚読むたびに説明し、王子への言い方にいちいち気を遣うことになれば、自分の仕事は夜へ押し出される。才のある王子だという評判は聞いていたが、評判は書類を片づけてくれない。


 空けた場所へ椅子を一つ置かせたところで、扉が叩かれた。


「ディアル殿下がお見えです」


 入ってきたディアルは、机の前で足を止めた。


「今日から世話になる」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 ベルガンは立って礼を返し、先ほど空けた席を示した。


 王子を迎えたからといって、心得を並べるつもりはない。本物の仕事を一つ進めた方が、互いに分かることは多い。


「午前は、市場に隣接する広場を見に参ります」


 広場では最近、盤を使った遊びが人気になり、人が集まっていた。近くの店は客が増えたと喜ぶ一方、荷車が通りにくくなったという訴えも来ている。


「遊びをやめさせるかどうかではなく、広場の使い方を確かめる仕事です」


「分かった」


 ディアルは渡された書類へ目を通した。


 評判どおりに覚えが早いかより、書面の外にいる相手をどう見るか。ベルガンが知りたいのは、そちらだった。


 ◇◇◇


 市場へ近づくと、広場の方から笑い声が聞こえた。


 盤を囲む子供たち。その後ろから口を出す大人。順番を待ちながら、近くの店で飲み物を買う者もいる。


 そして、輪の真ん中には、フードを目深にかぶった小さな姿があった。


「そこへ置いたら、次に取られるよ」


「言ったら駄目だって!」


「俺、今は相手じゃないから」


「さっきまで相手だっただろ!」


 フィルが笑うと、盤を囲んでいた者たちも笑った。


 注意された子供は石を置きかけた手を戻し、フィルから盤を隠すように体を寄せる。


 近くの店から「器は返してね」と声が飛ぶと、フィルは盤を見たまま片手を上げた。足元には飲み終えた器が置かれている。


 返事が遅いと、今度は子供がフィルの代わりに「忘れないよ」と答えた。


 何度か遊びに来ただけの客には見えなかった。


 ディアルに気づいた者が、慌てて頭を下げる。笑い声が引き、盤へ伸びていた手も止まった。


 その中でフィルだけは、置かれた石を覗き込んでから顔を上げた。


「ディアル。仕事?」


「ああ。広場を見に来た」


「俺は遊びに来た」


「見れば分かる」


「まだ一回しか勝ってないけどね」


「それは見ても分からない」


 フィルが少し不満そうな顔をする。


 王子と家臣の会話というより、普段から続いている話の途中を聞いたようだった。


「フィルが広めた遊びだと伺いました」


 ベルガンが声をかけると、フィルはこちらへ向き直って礼をした。


「はい。こんなに集まるようになるとは思ってませんでした」


 礼を終えると、すぐ隣の子供から「次はフィルの番」と袖を引かれる。


「ディアルは仕事だから、邪魔しないよ」


 そう言いながら、フィルの目は盤へ戻っていた。


 ディアルが小さく息を吐く。


 叱るでも、帰すでもない。今は別のことをしに来たと互いに分かっているらしい。


 ベルガンは、二人が近いとは聞いていた。


 これだけ馴染んだ遊びをどう扱うのか、一瞬だけ気に留める。


 その時、広場の入口で車輪が止まった。


 荷を積んだ車の前に、見物人が広がっている。


 運び手が声を上げても、勝負の行方を見ていた者たちはすぐには動かなかった。ようやく気づいた者から振り返り、慌てて脇へ寄る。


「盤、持って」


 フィルが子供たちへ声をかけた。


 子供が石を崩さないよう盤を両手で持つ。フィルが見物人へ声をかけながら端へ寄ると、人の輪もそちらへ動いた。空いたところを、荷車がゆっくり通った。


 フィルは通り過ぎるまで待つと、子供たちと一緒に盤を置き直した。


 手慣れている。


 ただ、それで問題がなくなったわけではない。次の荷車が来れば、また同じように声をかける必要がある。


 ディアルはフィルへ近づいた。


「いつも、こうして動かしているのか」


「荷車が来た時はね。でも、見てる人が増えると、気づくのが遅くなることもあるよ」


 フィルは、今空けた道を指した。


「この辺を空ければ通れると思う」


 ディアルは指された先を見た。


 それからフィルへ答える前に、荷車を店先へ寄せた運び手の方へ歩いていく。


「一番困るのは、今のように人が広がることか。それとも、卓があることか」


 運び手は荷台へ手をかけたまま、広場を振り返った。


「人ですね。卓だけなら避けられます。ただ、荷が続く時にこの道を塞がれると、次の車が入れません」


「荷が続くのは、一日中ではない?」


「はい。集中する時があります」


 ディアルが頷く。


 ベルガンが気に留めたことは、それで必要なくなった。


 ディアルは広場を歩き、運び手が指した道を目で追った。卓を壁際へ寄せられそうな場所で一度足を止める。


 しかし、その先には別の店の荷を入れる口がある。


 店の者がそこを示すと、ディアルはすぐに向きを変えた。


 遊んでいた子供たちは、盤を抱えたまま空いている場所を指し合っている。店の者は客が減らない場所を望み、運び手は車が続けて入れる道を示した。


 話は長くなかった。


 ディアルは指された場所を一つずつ見て、時々ベルガンへ確かめるように顔を向けた。最初に立ち止まった壁際へ戻ろうとはしなかった。


 フィルも盤を抱えた子供と一緒に場所を移り、そこで本当に遊べるか確かめている。


「ここなら、後ろから見ても道へ出ないよ」


「店の入口は塞いでいないか」


 ディアルに聞かれ、フィルは振り返った。


「少し近いかも」


「では、もう一つ下げる」


「そうすると、こっちの盤とぶつかるよ」


 子供が言う。


「置ける数を減らすしかないな」


「順番で使えばいいよ」


 子供たちは、誰が先に座るかで早くも話し始めた。


 ベルガンは広場の中央に立ち、皆の動きを見直した。


 荷車の通る筋を残す。卓と見物人は店の出入りを塞がない側へ寄せる。荷が集中する間だけ、通路に近い場所をさらに空ける。


 決めるべきことは、その程度まで絞れていた。


「まず、この形で短い期間試しましょう」


 ベルガンが告げる。


「運ぶ方と店の方には、広場を使う方へ荷が増える時を伝えていただきます。こちらからも最初の説明を手配します。使いにくいところが残れば、また直しましょう」


 運び手と店の者が、それぞれ広場を見てから頷いた。


 大きな歓声は上がらない。


 子供たちは移した盤の続きを始め、運び手は荷を下ろしに戻る。店の者は、入口までの道に物が出ていないか確かめていた。


 試すなら、それぞれにすることがある。


「公務って、遊ぶ場所も見るんだね」


 フィルが石を持ったまま言った。


「遊びだけを見に来たわけではない」


「でも、俺より広場を見てた」


「お前は盤しか見ていなかっただろう」


「荷車も見てたよ」


「来てからだ」


 フィルは言い返そうとして、近くの子供に「早く置いて」と急かされた。


「続きは帰ってからね」


「負けた言い訳を考えるな」


 ディアルはそう返し、ベルガンの隣へ戻った。


 ベルガンは笑いそうになる口元を、咳払いで隠した。


 ◇◇◇


 役所へ戻った後の手配は、長くかからなかった。


 ベルガンが最終的な内容と担当を決め、部下へ伝える。ディアルには、試している間にもう一度広場を見て、運ぶ側と遊ぶ側の両方から様子を聞くよう頼んだ。


「分かった。明日、伝達が届いたかも確かめる」


「お願いいたします」


 ディアルは広場で見たことを短く書き留め、最初の日の仕事を終えた。


「明日も世話になる」


「お待ちしております」


 扉が閉じる。


 ベルガンは息を吐き、肩を少しだけ下げた。


 机の上には、朝に移した書類がそのまま残っている。外へ出ていた間に増えた分まであった。


 王子の教育が始まっても、やはり仕事は減らない。


 ただ、付ききりで答えを教え続ける必要もなさそうだった。


 今日だけで安心しきるほど楽観はしていない。それでも、書類の山が一つ増えたという朝の気分よりは、少しだけましだった。


 ベルガンは、明日渡す予定だった一枚を山へ戻した。


 代わりに選んだのは、書面だけでは決められず、相手へ話を聞く必要のある仕事だった。


 今日より少しだけ、任せてみてもよい。


 そう思いながら、明日の書類を机の端へ置いた。

フィルはディアルとアリスの仕事が増えて、暇な時間が増えました。

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