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おひとりさま歴33年、異世界で捨て子になって王子に拾われました  作者: 花金男爵


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第四十一話 一人にしない


 ぽたり、と水が落ちた。


 少し間を置いて、また一滴。


 小さな火は、さっきと同じ場所に浮かんでいる。薄い光の中で、ディアルは静かに座っていた。


 俺も動けなかった。


 何かを言わなければと思う。


 でも、急いで選んだ言葉で返してはいけない気がした。


 膝の上で手を組み、火を見る。


 母親を殺した者を見つけて、自分の手で討つ。


 それが生きる意味だと、ディアルは言った。


 目の前にいるのは、いつもの兄だ。


 空腹で疲れ切っていても、先に立ち上がって俺へ手を差し出す。帰ればまた稽古をして、食事をして、俺のくだらない話にも付き合ってくれる。


 そのディアルが、俺の知らないところでずっと一人で抱えていた。


「あのさ」


 ようやく声を出すと、ディアルがこちらを見た。


「復讐しないっていうのは、駄目なの?」


 ディアルの表情は変わらなかった。


「今の暮らしを続けるのも、俺はいいと思う。皆と一緒にいて、これからも普通に暮らしていくの」


 言ってから、少し違う気がした。


 普通に暮らしているように見えた今までにも、ディアルは復讐のことを考えていたのだ。


「やめるつもりはない」


 返ってきた声は静かだった。


 怒ってもいないし、俺を責めてもいない。


 ただ、動かない。


「母上を殺した者がいる。それを知りながら、何もせずに生きていくつもりはない」


「……そっか」


 それ以上、やめた方がいいとは言えなかった。


 復讐してもシーナ様が帰ってくるわけではない。そんなことは、ディアルだって分かっているはずだ。


 それでもやると決めている。


 俺が何か正しいことを一つ言えば変わるような、軽い決意ではなかった。


 では、俺に何ができるのか。


 復讐はよくないから、忘れて皆と幸せに暮らそう。


 そう言って終われたら簡単だ。でも、ディアルだけを置いて、俺が先にいつもの暮らしへ戻るような気がした。


 ディアルは、相手が誰であっても届くように強くなると言った。


 誰にも気づかれないように調べて、一人で見つけて、一人で討とうとしている。


 それが終わるまで、この人はきっと先へ進めない。


 なら、俺も手を貸して、少しでも早く終わらせたい。


 帰ってからの話をする時、ディアルにも、やりたいことを考えてほしい。仇を見つけるための準備だけじゃなく、その次の日のことも。


 終わらせれば全部うまくいくとも思えない。相手が簡単に見つかる保証も、ディアルの望む通りになる保証もない。


 それでも、独りで抱えたまま歩かせたくはなかった。


「じゃあ、俺も手伝うよ」


 ディアルの眉が、わずかに動いた。


「まずは調べるところから。誰がシーナ様を殺したのか、何があったのか。一緒に探そう」


「駄目だ」


 断られるとは思っていた。


 でも、思っていたよりずっと早かった。


「まだ最後まで言ってないよ」


「聞かなくても分かる」


「分からないかもしれないでしょ」


「お前は手伝うと言った」


「そこは合ってる」


 ディアルは小さく息を吐いた。


 怒っているのではなさそうだ。困っている時の顔に近い。


「お前を巻き込むつもりはない」


「もう聞いたけど」


「聞くことと、関わることは違う」


「ディアルのことなら、俺にだって少しくらい関係あるよ」


「これは俺の問題だ」


「兄の問題は、弟には関係ないの?」


「そうは言っていない」


「じゃあ、どういうこと?」


 ディアルはすぐには答えなかった。


「俺一人なら、何があっても自分で選んだ結果だ。だが、お前に何かあれば、そうは思えない」


「俺も自分で選ぶよ」


「危険を分かっていない」


「相手も分からないんだから、どのくらい危険かは分からないよ。でも、安全じゃないことくらいは分かる」


 怖くないとは言えなかった。


 ディアルが届くために強さを求める相手だ。何も知らない今でも、簡単ではないことだけは想像できる。


 だからこそ、一人で行かせたくなかった。


「聞いたのに、何も知らない顔をして待ってるのは難しいよ」


 ディアルは返事をしなかった。


 火の明かりが揺れ、目元の影が少し動く。


「話せば、お前は手伝うと言うと思っていた」


「俺のこと、よく分かってるね」


「だから話さなかった」


 軽く返した言葉が、そこで止まった。


 ディアルは俺を遠ざけたかったわけではない。


 自分がしようとしていることへ、俺を近づけたくなかったのだ。


「それも、隠していた理由の一つだ」


 母親を殺した相手を探す。


 その先で、討つ。


 何が起きるのか分からない。相手さえ分かっていないのだから、安全だと言えるはずもなかった。


 俺に黙っていれば、ディアルは全部を一人で背負うことになる。


 俺を守ろうとしているのは分かる。


 でも、それで頷くつもりはなかった。


 さっき、拾ってくれた礼を言うと、ディアルは自分でそうすると決めたのだと答えた。


 なら、今度は俺が決める番だ。


 助けてもらったから返さなければならない、という話でもない。貸し借りを数え始めたら、俺の方がずっと多く借りている。


 それを全部返せるとも思っていない。


 ただ、俺はディアルの弟でいたい。


 守られる時だけ弟になって、大変なことは兄一人へ任せる。それでは、あまりにも都合がいい。


「俺は、聞いたから手伝うんじゃないよ」


「何?」


「聞いて、自分で手伝いたいって決めたの」


 ディアルが黙る。


 俺は一度息を吸った。


 空腹のせいか、胸の辺りまで重い。それでも、今は目を逸らしたくなかった。


「調べるところから俺も手伝う。一人で探すより、二人で探した方が早いかもしれないでしょ」


「見つけるまでの話ではない」


「分かってる。仇を討つんだよね」


 口にすると、重かった。


 犯人を見つけて、よかったねと終わる話ではない。ディアルはその先まで話した。そのうえで、俺を関わらせたくないと言っている。


「それも含めて、手伝うよ」


 ディアルが俺を見た。


「お前まで背負う必要はない」


「必要かどうかじゃなくて、俺がそうしたいの」


 手伝えば、もうディアルだけのしたことではなくなる。


 何も知らなかった頃と同じ顔では、いられないだろう。終わった後に何が残るのかも、今の俺には分からない。


 それでも、調べるところだけ付き合って、後は兄に任せるつもりはなかった。


「ディアルが一人で終わらせるのを待ってるより、一緒に終わらせたい。その後も、俺は隣にいるよ」


 ディアルの指が、膝の上でわずかに動いた。


 まだ何か言おうとしている。


「半分持てるかは分からないけど、端っこくらいは俺にも持たせてよ」


 ディアルは何も言わなかった。


 断る言葉を探しているのかもしれない。


 俺は待った。


 水が落ちる。


 一滴。


 また一滴。


 やがて、ディアルの肩がわずかに下がった。


 大きく変わったわけではない。


 張ったままだった糸が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。


「危険だ」


「うん」


「何が起きても、お前を守れるとは限らない」


「それも分かってる」


「お前は、自分のことを後回しにする」


「ディアルにだけは言われたくないなあ」


 今度は、すぐに返事が来なかった。


 ディアルの口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。


「……そうだな」


 声も、さっきよりわずかに柔らかい。


 それだけで、断るための話ではなくなったと分かった。


「フィル」


「うん」


「手を貸してくれ」


「もちろん」


 ようやく、頼んでくれた。


 俺も肩の力が抜けた。


 火の向こうで、ディアルが長く息を吐いた。


 少しだけ顔を上げ、暗い天井を見る。


 俺には、その横顔が先ほどまでより楽になったように見えた。


 これから考えることは、きっと増える。


 けれど、ディアルが次に何かを見つけた時、俺には話してくれる。


 そう思うと、少し嬉しかった。


 また水が落ちた。


 俺たちはしばらく何も言わず、その音を聞いていた。


 話し終えたからといって、すぐに立ち上がる気にはなれなかった。


 腹は空いたままだし、脚の重さも消えていない。


「まずは、ここから帰らないとね」


「分かっている」


「戻ったら、まず食事だよ。調べ物はその後」


「お前に言われなくても食べる」


「二人分の仕事を一人で始めそうだから、念のため」


「まだ何もしていないだろ」


「だから、先に言ってるの」


 いつもの答えだった。


 俺は岩へ手をつき、立ち上がろうとした。


 腕に力を入れて、途中で止まる。


「今のは?」


「立つ準備」


 昨日から使っている言い訳を返すと、ディアルが手を差し出した。


「準備が長い」


「慎重なんだよ」


 その手を掴み、互いの動きに合わせて立ち上がる。


 今度は、俺から手を離さなかった。


 ディアルが不思議そうにこちらを見る。


「端っこを持つ練習」


「歩きにくい」


「それは困るね」


 手を離し、小さな火を前へ送った。


 薄暗い通路を、また二人で歩き始める。


 ◇◇◇


 しばらく進むと、細かった通路が左右へ広がった。


 火を先へ送る。


 光が届いた場所で、低い岩山のようなものが動いた。


 最初は、壁から崩れた岩の塊に見えた。


 けれど、その下から太い脚が一本、ゆっくり前へ出た。


 岩と鉱物の板を重ねたような外殻。大きな四足の体は、俺たちが二人並んだ幅より広い。頭を低くしたまま、こちらへ向き直る。


 通路の両側には隙間がある。けれど、あの前脚が一度横へ動けば届きそうな幅しかなかった。


 気づかれずに端を抜けるには、もう近すぎる。


 脚の付け根には、厚い殻が途切れる細い継ぎ目があった。体の下側も、背中ほど硬そうには見えない。


 硬い前脚が床を擦り、耳に障る音が響く。


「ガルドロックだ」


 ディアルが声を落とした。


「知ってるの?」


「岩鎧獣だ。重くて、頑丈だ」


 見れば分かる、とは言わなかった。


 普段なら、突っ込んでくるところを避け、横へ回ればいい。


 今の脚で、いつもと同じように動けるなら。


 ガルドロックの向こうにも、空間は続いていた。引き返すことはできる。だが、前へ進むなら、あの巨体のそばを抜けなければならない。


「食べられそうにはないね」


「見れば分かる」


「言うと思った」


 ガルドロックが、重い体を沈めた。


 前脚が床を踏むたび、細かな石が震えた。


 持ち上がった頭の外殻が、火を鈍く反射する。


 分厚い殻を正面から砕こうとすれば、魔力をかなり使いそうだ。


 倒せればそれで終わりではない。その後も、俺たちは歩いて帰らなければならない。


 俺は腰の刀へ手をかけ、ゆっくり抜いた。


 隣で、ディアルも剣を抜く。


 刀を持つ手に、いつもより力が要った。


 ディアルも足元を確かめ、一歩ずつ構えを整えている。


「行ける?」


「誰に聞いている」


「俺の兄に」


 ディアルはガルドロックから目を離さなかった。


「行くぞ、フィル」


「うん」


 俺たちは並んで武器を構えた。

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