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おひとりさま歴33年、異世界で捨て子になって王子に拾われました  作者: 花金男爵


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第四十話 同じ日々の中で


 十日目になっても、元の通路には戻れていなかった。


 五日目に見つけた上向きの道は、確かに俺たちを少しずつ上へ運んだ。


 ただし、まっすぐではない。


 斜めに上った先で下り坂へ変わり、広い空洞を抜けたら、三つの行き止まりが待っていた。戻って別の穴へ入り、また風の向きを確かめる。


 つけた印は増えた。


 上へ進んだ距離も、たぶん増えている。


 外までの距離は、まだ分からない。


 崩落してから、一度も食べ物を口にできていなかった。


 水は飲める。けれど、それだけで歩き続けるのは、思っていたよりずっとつらい。


 脚が重かった。


 道が上り坂へ変わるたびに、またか、と思う。上へ進みたいのに、足を持ち上げることが億劫だった。


 休めば少しは楽になる。


 それでも、立ち上がった時には、さっきまでの疲れがまだ体に残っていた。硬い岩に寄りかかって眠っても、すっきり目が覚めることはない。


「少し休もうか」


 俺が言うと、ディアルはすぐに頷いた。


 以前なら、あと少し進んでからと言ったかもしれない。


 壁際へ腰を下ろす。


 岩へ背を預け、膝を伸ばした。もう少し楽な姿勢を探したかったが、座り直すのも面倒だった。


 先を照らしていた火を引き寄せる。


 明かりは、魔法で出したこの火だけだ。


 洞窟へ入った時より、ずっと小さくしていた。まだ魔法は使える。けれど、あと何日ここにいるのか分からない以上、照明にも余計な魔力を使いたくなかった。


 移動する時は足元と、その少し先が見えるだけ。


 座っている今は、俺たちの膝と、すぐそばの岩がぼんやり浮かんでいる。その外側は、暗く沈んでいた。


 水を作り、二人で飲む。


 喉は潤った。


 空腹も、体のだるさも、そのままだった。


「次は、俺が先を見るよ」


「さっきも、お前だった」


「そうだっけ」


「俺が行く」


 ディアルは立とうとして、一度膝へ手をついた。


 そのまま、少し待つ。


「大丈夫?」


「問題ない」


「今の間は?」


「立つ準備だ」


「それなら、俺も毎回してる」


 少し笑うと、ディアルの口元もわずかに緩んだ。


 ディアルがゆっくり立ち上がり、こちらへ手を差し出した。


 差し出された手を掴み、俺も立ち上がる。


 ディアルは足を踏ん張り、俺が体を起こすのに合わせて引いてくれた。立ってからも、手を離すまでに少し時間がかかった。


 冗談を言ったところで、脚は重いままだ。


 それでも、黙って立ち上がるよりはよかった。


 火を前へ送り、照らされた足元を確かめる。


 歩く速さは落ちた。休む回数も増えた。


 分かれ道では二人で相談し、不安定な足場は確かめてから進む。先を急ぎたい気持ちはあったが、道を間違えて引き返す方が、今はこたえる。


 そうして十日目も、少しずつ進んだ。


 ◇◇◇


 十一日目。


 上へ続く細い道を抜けた先で、俺たちは足を止めた。


 天井は高くないが、二人で並んで座れるくらいには広い。壁際の岩も乾いている。


 今日はここへ来るまでに、何度も休んでいた。


 ディアルは何も言わず、壁へ背を預けた。


 俺も隣へ座る。


 防具が岩に擦れる音がやむと、洞窟は静かになった。


 ぽたり、と水の落ちる音がした。


 少し間を置いて、また一滴。


 火の届かない奥のどこかで、水が滴っている。俺たちが動かずにいると、その音だけが暗がりに響いた。


 小さな火を、二人の前へ浮かべる。


 ディアルの横顔が薄く照らされた。目元には影が落ちていて、目を閉じているのか、俯いているだけなのかは分からなかった。


 俺も頭を岩へ預けた。


 疲れた。


 口にするのも今さらなくらい、疲れていた。


 腹は空いているし、肩も背中も痛い。座っただけでは楽にならず、かといって、また歩き出す気にもなれなかった。


 しばらくは、二人とも何も言わなかった。


 水音を聞きながら、ぼんやり火を見ていた。


 王宮の食卓なら、こんなに長く誰も喋らないことはない。


 そう思うと、あそこに集まる顔が一人ずつ浮かんできた。


「今頃、みんな何してるかな」


 しばらくしてから尋ねた。


「俺たちを待っている」


「だよね」


 アリスは、入口まで来ているかもしれない。


 五日で戻ると言った覚えはないけれど、普通ならそれくらいだとは知っている。きっと、初めのうちは大人しく王宮で待とうとしていただろう。


 今も大人しく待っているかは、ちょっと怪しい。


「アリス、怒ってるかな」


「怒るより先に治療しようとする」


「怪我はないって言っても?」


「確認するまで信じない」


 その姿が簡単に浮かんだ。


 フィルは平気だと言って無理をするから駄目です。そんなことを言いながら、頭から足まで確かめるのだろう。


「カリーナは、泣きそうだね」


「先に抱きつく」


「俺にも?」


「たぶん」


「それは覚悟しておこう」


 ウルスナは、表情をあまり変えない。


 でも今頃は、洞窟の入口を何度も見ているかもしれない。


 イーサックは、俺が寄り道をしていると言うかもしれない。アリソンは笑顔で予定を組み直しながら、帰った後の報告を増やしそうだ。


 ヴィルツは、俺たちが出てくるまで姿勢を崩さず待っていそうである。


「ハリエット様も、来てるかな」


「話を聞いていれば」


「また抱きつかれるね」


「お前もだ」


「俺、誕生日じゃないんだけどなあ」


 誕生日の夜にも、同じことを言った。


 あの時は、翌日にこんなに長く洞窟へいるとは思っていなかった。


 それでも、帰った後の光景は変わらず思い浮かぶ。


 食卓ではアリスが俺たちを叱る。ウルスナとカリーナが食事を運び、アリソンが次の予定を持ってくる。


 イーサックには、どうして予定より遅くなったのか聞かれる。


 稽古も、勉強も、仕事も待っている。


 何もしないで寝転がる時間は、あまり長くなさそうだ。


「帰ったら、忙しいね」


「嫌なのか」


「全然」


 すぐに答えた。


「寝転がる時間はほしいけど、皆がいる方がいいよ」


 朝になれば、同じ食卓へ集まる。


 予定が違えば別々の場所へ行き、終わればまた顔を合わせる。街へ出れば話しかけてくれる人がいて、帰れば自分の部屋がある。


 遠くへ行っても、最後には王宮へ戻る。


 今まで、わざわざ一つずつ数えたことはなかった。


 どれも、もうそこにあって当然のものだったからだ。


「帰ったら、アリスに叱られて、皆に質問されて。それが終わったら、また次の日が来るでしょ」


「そうだな」


「俺、そういうのがいい」


 ディアルは火の向こうを見たまま、黙っている。


 話していると、帰りたい気持ちが強くなった。


 同時に、言っておきたいことが浮かんだ。


 今でなければ言えない、という話ではない。


 ただ、帰った後のことを並べたら、その全部の始まりにディアルがいたことを思い出した。


「ディアル」


「何だ」


「俺を拾ってくれて、ありがとう」


 ディアルがこちらを見た。


「急にどうした」


「帰った後のことを考えてたら、言いたくなった」


 俺がこの国で暮らしているのは、ディアルが街道の脇で見つけてくれたからだ。


 言葉の分からなかった俺を連れて帰り、国王陛下に頼み、家臣としてそばへ置いた。


 いつの間にか、それが普段の暮らしになっていた。


「礼を言われることではない」


「どうして?」


「俺がそうすると決めた」


「だからだよ」


 ディアルが決めてくれなければ、今の暮らしはなかった。


 本人にとって当然の選択だったとしても、俺にとっては感謝する理由になる。


「俺が言いたいから、受け取っておいて」


「分かった」


 ディアルは少しだけ視線を外した。


「王宮で暮らして、皆と食事して、街にも行って。稽古は、もう少し優しくてもいいと思うけど」


「嫌なら減らすか」


「それは、それで困るかな」


「どっちだ」


「痛くないくらいに強くなれたら、一番いい」


「無理だな」


「やっぱり?」


 少し笑った。


 笑った後で、続ける。


「俺、この国での暮らしが好きだよ。今、すごく幸せだと思ってる」


 声にすると、思っていたより簡単だった。


 感謝を伝えたかっただけで、最後の別れをするつもりはない。


 俺たちは帰る。その後も、同じ食卓で食事をする。


 その前に、今まで言っていなかったことを言っただけだ。


 ディアルは膝へ置いていた手を見た。


 指が一度、ゆっくり開く。


「そうか」


 返ってきたのは、短い言葉だった。


 けれど、聞き流した声ではなかった。


「うん」


「不満があるとしたら、ディアルが何か隠してることくらいかな」


 俺は続けて、隣を見た。


「……俺が?」


「うん。弟にくらい、教えてくれてもいいんじゃない?」


 少し笑って言った。


 ディアルは笑わなかった。


「何の話だ」


「それが分からないから、気になるんだよ」


 レアリードにいた時から、時々感じていた。


 倒れた魔物へ、いつまでも風を送り続けていたこと。帰ってから、稽古が前より厳しくなったこと。


 強くなりたいのは、俺も同じだ。


 けれど、ディアルが何を見ているのかは、隣にいても分からない時があった。


「何かあるんでしょ?」


 ディアルは膝の上へ目を落とした。


 俺は水を少し飲んで、返事を待った。


 いつもなら、とっくに何か返ってきている。


 器代わりにしていた氷を足元へ置いた頃、ディアルがこちらを見た。


「フィル」


「うん?」


「母上は、殺された」


 手を引くのが止まった。


「……シーナ様が?」


「ああ」


 ディアルは俺を見ていた。


 聞き間違いではなかった。


 俺は手を膝へ戻した。


「誰に?」


「まだ分からない」


「何があったの?」


「そこまでは、分かっていない」


 母親が亡くなっていることは知っていた。


 けれど、誰かに殺されたのだとは思っていなかった。


「自分で気づいたんだ。母上は、ただ亡くなったのではないと」


 ディアルは正面へ目を戻した。


「父上なら、何か知っているかもしれない」


「陛下には、聞いてないの?」


「聞いていない」


「どうして?」


 ディアルの視線が、火の向こうで止まった。


「俺が気づいたことを、悟られたくない」


 声は低かった。


 けれど、言葉に詰まる様子はなかった。


「何を調べるつもりなのかも、その先で何をするつもりなのかも、知られずにいたい」


「その先……?」


「母上を殺した者を見つける」


 ディアルは、膝の上で手を重ねた。


「そして、俺の手で討つ」


 火が揺れ、壁に映った影も動いた。


 俺はディアルの横顔を見ていた。


「そのために、強くなろうとしてたの?」


「ああ」


 短い返事だった。


「相手が誰であっても、届くように」


 倒れた魔物へ吹き続けた風を思い出した。


 あの時、俺はもう倒したのだと思っていた。なのに、ディアルは止めなかった。


「試練を終えたら、本格的に調べ始めるつもりだ」


「帰ってから?」


「ああ。十歳になれば、任されることも増える。今までより、自分で動けるようになる」


 誕生日の夜、皆が二人を祝っていた。


 ディアルは礼を言い、次々に声をかけてくる人たちへ応じていた。


 あの日を、俺とは違う意味でも待っていたのだ。


「誰にも気づかれないように?」


「そのつもりだ」


 知っているかもしれない相手にも尋ねず、自分で探すと決めている。


 その先で何をするのかまで、隠したまま。


 ディアルがこちらを向いた。


「母上を殺した者を見つけて、討つ。それが、今の俺が生きる意味だ」


 何か言おうとして、言葉が出なかった。


 膝へ置いた自分の手を見る。


 昨日、立ち上がる時には引っ張ってもらった。こんな場所でも、俺のことは気にかけてくれる。


 その手を借りながら、俺は兄が誰にも頼らずにしようとしていることを、何も知らなかった。


 俺は顔を上げた。


 ディアルはもう話し終えたように、静かに座っていた。

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