第三十八話 上へ続く風
どんどん更新していきます。
暗い空洞の先へ、魔力を伸ばす。
右の道は、少し進んだところで細く途切れていた。
正面は長く続いているが、空気がほとんど動いていない。
左からは、ごく弱い風が来ていた。
「左かな」
「理由は」
「向こうから空気が来てる。どこかにはつながってると思う」
ディアルも左の空洞へ魔力を伸ばした。
「奥で上っているな」
「じゃあ、決まり?」
「正面も途中までは確かめる」
「慎重だね」
「戻る道を間違えたくない」
それはそうだ。
正面の道を調べると、奥は崩れた石で塞がっていた。動かそうとすれば、その上にある岩まで落ちてきそうだ。
右は、俺でも肩を入れられないほど狭くなっている。
残った左の道へ、二人で入った。
調べた分岐を見分けられるよう、入口の壁へ印を残す。
「これで、迷って戻ってきても分かるね」
「戻ってこない方がいい」
「そうなんだけどさ」
火を先へ浮かべ、足元を照らす。
今のところ、怪我はない。魔法もいつもどおり使える。
元の道がなくなっただけだ。
言葉にすると簡単だけど、その一つがかなり困る。
◇◇◇
左の道は、しばらく緩やかに上っていた。
ところどころで天井が低くなり、身を屈めて進む。刀も剣も抜ける広さではない。
魔物の気配はなかった。
そのことに安心したのは、最初だけだった。
昼を過ぎても、食用になる小型の魔獣が一頭も見つからない。
足跡も、岩へ爪を立てた跡もなかった。
「こっちには、いないのかな」
「まだ分からない」
ディアルの返事に頷き、先へ進む。
食べ物はないけれど、水なら作れる。
休憩の時に手のひらへ水を集め、ゆっくり飲んだ。喉は潤う。空っぽの腹が満ちるわけではない。
「今日の昼ご飯、水だけになっちゃったね」
「夕方までには何か見つけたいな」
「せめて味がついてれば、もう少し楽しいんだけど」
腹の中で水が揺れる。
飲みすぎた。立ち上がる前から、少し後悔した。
「進めるか」
「うん。まだ平気」
立ち上がり、防具の留め具を確かめる。
空腹ではある。でも、足が動かないほどではないし、考える邪魔になるほどでもない。
今は食べ物のない場所で立ち止まるより、道を探す方が先だった。
◇◇◇
やがて、先へ送った火が壁を照らさなくなった。
その周りだけ、暗い空間が広がっている。
広い空間へ出たわけではない。足場そのものが途中で切れ、その先には深い割れ目が開いている。
火を下へ落としてみる。
かなり先まで沈んだところで、ようやく小さな光が岩へ届いた。
「また下は嫌だなあ」
「向こうへ渡る」
ディアルが対岸を示した。
こちらより少し高い位置に、細い足場が続いている。空洞の幅は、俺たちが風で越えられるくらいだった。
「俺が先に行こうか」
「着く場所が崩れないか確かめる」
ディアルが小石を浮かべ、対岸へ飛ばした。
石が足場へ当たり、乾いた音を立てる。表面の砂が少し落ちたが、大きく崩れる様子はない。
「右側の方が厚そうだね」
「ああ。そこへ行け」
足元へ風を集める。
短く踏み込み、体を前へ運ぶ。落ちる速さを抑えながら、対岸の右側へ足をついた。
岩が小さく鳴る。
俺はすぐに体重を戻し、風で姿勢を支えた。
ひびは広がらない。
「大丈夫そう」
向こうへ声をかけ、足元の砂を風で払う。
「もう少し右。そっちは薄い」
ディアルが頷いた。
こちらへ飛ぶ直前、背後から小さな石が落ちた。
踏み切った足場の端が欠ける。
ディアルは慌てず、風で体を前へ押した。
飛んでくる位置が少し低い。
俺も下から風を重ねる。
浮き上がった体が、指定した場所へ着いた。
ディアルは片膝をつき、すぐに立ち上がる。
「助かった」
「どういたしまして」
俺たちが離れた後、元いた足場の端がもう一度崩れた。
「戻る時は、着く場所を探し直さないとね」
「先に進んでから考える」
「そればっかりになってきたなあ」
今の俺たちにできることも、それだった。
対岸の道は、すぐに上向きの縦穴へ変わった。
高さは、俺たち三人分くらい。壁は斜めになっているが、手をかけられそうな出っ張りは少ない。
風だけでも上がれる高さだった。
ただ、上の足場がどれだけ安定しているか、下からでは見えない。
「俺が見てくるよ」
壁へ水を這わせ、小さな窪みの中で凍らせる。
できた氷を足掛かりにして、体を持ち上げた。全体重を預けず、風で軽く支える。
一つ上の窪みに、また氷を作る。
「左は避けろ」
下からディアルの声がした。
顔を上げると、左上の岩に細い亀裂が走っている。
「分かった」
右へ体を寄せ、風で一気に縦穴を抜けた。
上の空間へ手をつき、すぐには立ち上がらない。足元へ魔力を通し、岩の奥を確かめる。
中央には細いひびがあったが、右の壁際はしっかりしている。手で押し、少しずつ体重をかけても、砂は落ちなかった。
「右側なら大丈夫。上がってきて」
俺は壁際へ移り、下へ風を送った。
ディアルが作った風と重なり、その体が縦穴を上がってくる。
「そのまま右。真ん中にひびがある」
ディアルは縦穴の縁で一度止まり、俺が空けた場所へ足をついた。
着地を見届けてから、二人とも風を弱める。
「上はどうだ」
「立てるよ。頭には気をつけて」
屈んでいたディアルが、低い天井を見た。
「お前が立てても、俺が立てるとは限らない」
「そうだった。俺に合わせて作られてるね、ここ」
「なら、出口も用意してくれ」
「それができたら、真っ先に作るよ」
少なくとも、元の空洞より一段上へ来られた。
進めたことに変わりはない。
◇◇◇
足場を越えた先は、しばらく上り坂になっていた。
けれど、期待したほど長くは続かない。
曲がった先で道が二つに分かれ、片方は下へ戻り、もう片方は行き止まりだった。
印をつけて引き返す。
別の細い穴を見つけ、身を屈めて進み、その先でも崩れた壁にぶつかった。
広い場所へ出るたび、食べられる魔獣がいないか探した。
しばらく足を止めて物音を待ち、風を送って匂いも確かめる。
返ってくるのは、水気を含んだ岩の匂いと、自分たちの足音ばかりだった。
崩落前には何度も見つけた爪跡や糞も、こちらの空洞にはない。
「食べ物の方から、逃げてるわけじゃないよね?」
「道を選んでいるのは俺たちだ」
「それなら、次は食べ物のいる道を選びたいな」
「風で分かるなら選べ」
「分かったら最初からやってるよ」
行き止まりを調べ、戻る。
風の向きを確かめ、上へ続く道を選ぶ。
少し進んでは、また別の空洞へ出る。
同じことを繰り返しているうちに、三日目の夜になった。
乾いた岩の窪みを選び、背中を預ける。
火を小さくすると、空腹の方が目立った。
「帰ったら、何が食べたい?」
俺が尋ねると、ディアルは目を閉じたまま答えた。
「今、考えることか」
「今だから考えるんだよ。何かない?」
少し間が空く。
「温かいもの」
「ざっくりしてるなあ」
「お前は」
「肉。味のついてるやつ」
「それも同じだろ」
「温かいものよりは決まってるよ」
暗い中で、ディアルが小さく息を吐いた。
笑ったのか、呆れたのかは分からない。
食事の話をしても、腹は満たされなかった。
それでも、少しだけ眠りやすくなった。
◇◇◇
四日目も、食用になる魔獣は見つからなかった。
水を飲み、短く休み、また歩く。
空腹で腹が鳴る回数は増えたが、魔力は使える。足元も見えている。
それまでの印を、分かれ道の向きだけでなく、空気の流れも分かる形に変えた。
岩の表面を土の魔法で浅く削る。上へ続く道には線を一本、下る道には二本。行き止まりには大きく斜めの傷を入れた。
「最初から、こうすればよかったね」
「必要になったのは、落ちてからだ」
「前の道は、ほとんど一本道だったしね」
線の脇には、風が流れる向きも添えた。
少し離れた分岐から戻ってきたディアルが、俺のつけた印を見て、まだ調べていない穴を指す。
「次はあちらだな」
「うん。そっちは、まだ」
一つずつ口で説明しなくても伝わった。俺は火をそちらへ動かし、ディアルの後へ続いた。
ディアルが先を調べている間に、俺は少し戻って横穴へ風を通した。そちらが塞がっていると分かれば、余計に歩かずに済む。
何度も行き止まりへ当たった。
そのたびに相談し、印を残し、別の道を選んだ。
進んだ距離のわりに、上へ近づいている感じはしない。
それでも、同じ場所を回ってはいなかった。
眠る場所は相変わらず硬かった。
交代で休み、どちらかが火と周囲を見た。
目を閉じても、岩に当たる肩が気になって何度も座り直した。ようやく眠れたと思ったら、今度は首が痛い。
起きて首を回していると、ディアルも同じことをしていた。
「寝台って、偉大だね」
「ああ」
珍しく、すぐに同意が返ってきた。
五日目の朝。
俺たちは、また三つに分かれた道の前に立っていた。
右は下り、正面はほとんど空気が動かない。
左の細い裂け目から、冷たい風が来ている。
俺は手を差し入れ、その流れを確かめた。
「上から来てる」
「どのくらい続いている」
「奥で少し広がってる。そこから、斜め上かな」
ディアルも隣へ立ち、裂け目の先を調べた。
「通れそうだ」
岩の間は狭い。
それでも、これまで見つけた中では一番はっきりと上へ続いている。
風の向こうには、少し広い空間もあった。
「今頃は、入口へ戻ってる予定だったんだよね」
「普通ならな」
「イーサック、俺が寄り道してると思ってそう」
「否定できるのか」
「今回は違うよ」
「今回は、か」
ディアルが裂け目へ体を向ける。
「進むぞ」
「うん」
この道が、元の通路へつながっているとは限らない。
外へ出られる日も、まだ分からない。
それでも、昨日までより上へ進んでいる。
俺たちは一人ずつ、冷たい風の来る細い道へ入った。




