第三十七話 崩れた道
第3章、よろしくお願いします。
「忘れ物はありませんね」
王宮の裏口を出る前に、アリスから三度目の確認を受けた。
「刀はあるよ」
「防具も着けていますね」
「見えてるよね?」
胸元を軽く叩くと、硬い音が返る。
持っていける物は武器と防具だけだ。荷物がないので、忘れようもない気がする。
「お兄様も」
「確認した」
ディアルはいつもどおりだった。
試練だからと肩へ力が入っている様子もない。俺も同じである。
洞窟の奥まで行って、鉱石を持って帰る。期限は二週間もあるし、普通なら五日ほどで終わるらしい。
難しい稽古が、少し長くなったようなものだと思っていた。
「では、行ってくる」
ディアルが言う。
「はい。お気をつけて」
「帰ったら、お茶の続きね」
見送りに来ていたハリエット様が手を振った。
俺も振り返し、ディアルと並んで歩き出した。
◇◇◇
王宮から洞窟までは、歩いておよそ二時間だった。
イーサックたちも一緒なので、道中が静かになることはない。
「今なら、まだ俺と代われるぞ」
イーサックが何度目か分からないことを言った。
「同行する家臣は一人だけですよ」
「だから、お前の代わりに俺が行ってやるって話だ」
「俺も、昨日から楽しみにしてたんですけど」
「楽しみにしてたのか」
「洞窟の中って、あまり入ったことないし」
俺が答えると、イーサックはディアルを見た。
「途中で置いてくるなよ」
「努力する」
「そこは断言してくれない?」
「自分でついてくればいい」
そのとおりだった。
道は王宮の裏から続く森へ入り、緩やかな坂を上っていく。
誕生日の翌朝でも、鳥の声も木々の匂いも普段と変わらない。俺たちも、いつもの稽古へ向かう時とあまり変わらなかった。
洞窟の入口は、岩肌の大きな裂け目のように開いていた。
前には、待機に使う天幕や水場が用意されている。ここから先へ入るのは、ディアルと俺だけだ。
アリソンが、入口の脇で足を止めた。
「期限は二週間。最奥にある鉱石を持ち帰れば、試練は終了です。中で魔法を使うことに制限はございません」
「分かっている」
「内部から皆様の様子を確認する手段もありません。私どもは、こちらでお待ちしております」
笑顔で言われると、最後のところだけ少し怖い。
隣にいたヴィルツが、一歩前へ出た。
「ディアル様、フィル様。ご武運を」
「ありがとう」
「行ってくる」
ウルスナは俺たちの留め具や足元へ目を走らせてから、静かに頭を下げた。
「お帰りをお待ちしております」
イーサックは最後まで何か言いたそうだったが、腕を組んだまま顎を上げただけだった。
「じゃあ、行こうか」
「ああ」
俺たちは二人で、洞窟の中へ入った。
◇◇◇
外の光は、少し進むだけで届かなくなった。
俺が小さな火を浮かべる。岩の壁と、二人分の影が橙色に照らされた。
通路は、横に二人並べるかどうかという幅しかない。天井も低く、刀を振れば壁へ当たりそうだった。
「しばらく、これは使えないね」
腰の刀へ触れる。
柄から返ってきた魔力は、少し不満そうだった。
「広い場所へ出るまで待っててよ」
「返事をしたのか」
「たぶん。今、嫌だって言われた気がする」
「気のせいじゃないのか」
ディアルが先へ進む。
刀から、もう一度ちくりと魔力が返った。
「ほら。気のせいじゃないって」
「なら、広い場所まで我慢させろ」
「難しいことを言うなあ」
狭い道は、緩やかに下っていた。
分かれ道では、ディアルが壁や地面へ魔力を伸ばし、空気の流れも確かめる。俺も反対側を調べ、行き止まりや戻ってくる風の違いを伝えた。
迷うほど複雑ではない。
半日ほど進んだところで、前方から石を引っ掻く音がした。
火を少し弱める。
曲がり角の向こうから、小型の魔獣が一頭、低い姿勢で現れた。その後ろにも、いくつか影が重なっている。
「四頭」
ディアルが言った。
「食べられる種類だね」
「まず倒すぞ」
ディアルは前へ出ず、通路の右側へ寄った。
俺が水を広げる場所を空けたのだと分かる。
こちらも、ディアルの風が通る中央を塞がないよう左手を上げた。狭い場所で二人とも好きに魔法を放てば、魔物より先に俺たちが邪魔をし合う。
「一度、止めるよ」
「抜けてきたら任せろ」
一頭目が地面を蹴った。
俺は通路を塞ぐように水を広げ、一息で凍らせる。
生まれた氷の壁へ、魔獣が正面からぶつかった。
ひびが走る。
二頭目まで体当たりし、壁が砕けた。
白い欠片が、通路いっぱいに散る。
そのまま落とさず、一つずつへ魔力を通した。
「裂氷・返花」
飛び散った氷片が空中で向きを変える。
壁を壊して飛び込んできた二頭の横を抜け、その後ろへ返った。細い花びらのような欠片が、残る二頭の脚と首元へ刺さる。
前へ出た二頭には、ディアルが片手を向けていた。
通路を吹き抜けかけた風が細く絞られる。
「風葬・一縷」
風の刃が広がらず、一筋の線となって重なった。
先頭の魔獣を貫き、そのすぐ後ろにいた一頭まで届く。
四頭が、ほとんど同時に地面へ倒れた。
洞窟へ、静けさが戻る。
氷片を落とし、壁や天井を確かめる。
傷はついていない。
ディアルの風も通路いっぱいには広がらず、選んだ線だけを抜けていた。広く切り刻む風を、二頭が重なる場所へ集めている。力を弱めたのではなく、使う場所を細くしたのだ。
「二頭ずつだったね」
「数えていたのか」
「昼ご飯には十分かなって」
ディアルは魔獣が動かないことを確かめた。
「食べることしか考えていないのか」
「食料を持ってきちゃ駄目なんだから、考えないと困るでしょ」
「全部は食べない」
「それは分かってるよ」
風で必要な分を切り分け、水で洗い、火を通した。
調味料はない。
味は、うん。食べられる。それで十分ということにした。
食事はその場で済ませ、先へ進む。
夕方、もう一度食事を済ませてから、少し横へ窪んだ乾いた場所を見つけた。
持ち込んだ寝具はない。外した防具を壁際へ置き、岩へ背を預ける。
「本当に、何も持ってきてないね」
「規則だからな」
「分かってたけど、座ってから実感した」
俺は手のひらへ水を集め、先に飲んだ。次にディアルが同じように水を作る。
飲み水に困らないだけでも、かなりありがたい。
「先に休んでいいよ」
「お前が先でいい」
「じゃあ、一緒に寝る?」
「火はどうする」
浮かべていた小さな火を見る。
「交代にしようか」
結局、最初は俺が火と周囲を見て、ディアルが目を閉じた。
特別なことはない。
そう思えるくらい、初日の試練は順調だった。
◇◇◇
二日目も、大きな問題はなかった。
水が必要になれば魔法で確保し、休めそうな乾いた場所を見つければ足を止める。
狭い道では剣も刀も抜かなかった。魔物が出れば、進路を塞ぎ、分け、一頭ずつ倒す。天井の高い空間では武器も使えたが、長く戦う相手はいなかった。
食用になる小型魔獣を見つけ、必要な時に討つ。分かれ道を調べ、行き止まりには印を残す。
普通なら、往復で五日ほど。今の調子なら、明日には鉱石を見つけて折り返せそうだった。
「帰ったら、何て言う?」
二日目の休憩中、俺は岩へ背中を預けて尋ねた。
「何をだ」
「試練の感想」
「まだ終わっていない」
「今のところだよ」
ディアルは少し考えた。
「狭い」
「それだけ?」
「暗い」
「増えたけど、そういうことじゃないんだよなあ」
話している間にも、小さな火が岩壁を照らしている。
確かに、狭くて暗い。
ほかには、魔物の味が薄い。
俺の感想も、あまり立派ではなかった。
◇◇◇
三日目。
通路はさらに深く下り、途中から岩の色が変わった。
壁に混じる細かな鉱石が、火を受けて微かに光っている。
「最奥が近いのかな」
「可能性はある」
ディアルが足を止め、先へ魔力を伸ばした。
俺も周囲を確かめる。
前方には広い空間がある。横へ続く細い空洞もいくつか感じた。
魔物の気配はない。
「行こう」
一歩、踏み出した。
足の下で、低い音がした。
石が割れる音ではない。
もっと遠く、下の方から響いてくる。
「止まれ」
ディアルの声と同時に、地面が沈んだ。
足元だけではない。
前の通路も、後ろの通路も、岩の継ぎ目に沿って亀裂が走る。
俺は反射的に風を集めた。
体を包み、落ちる速さを抑える。
ディアルも同じように風をまとっている。
大きな岩盤が斜めに崩れ、その上へ別の層が落ちてきた。
「右へ!」
ディアルが指した空間へ風を放つ。
体が横へ押され、落ちてくる岩の脇を抜けた。
すぐ下の足場へ着こうとしたが、それも割れた。
一段。
さらに、その下。
洞窟そのものが、何枚にも分かれて崩れていく。
俺は落ちてきた石を風で逸らし、足元へ空気を集めた。
強い衝撃と一緒に、靴が岩へ触れる。
膝を曲げ、転がるように勢いを逃がした。
すぐ近くで、ディアルも着地する。
「フィル」
「大丈夫。ディアルは?」
「問題ない」
頭上から、まだ石が落ちてくる。
二人で壁際へ寄り、風の面を作って小さな瓦礫を外へ流した。
やがて、音が遠くなる。
俺は消えていた火を、もう一度浮かべた。
光の中へ現れたのは、崩れた岩の山だった。
上を見ても、落ちてきた穴の形は残っていない。斜めに折れた岩盤と、その上から流れ込んだ石で塞がれている。
「かなり落ちたね」
「ああ」
ディアルが岩山へ手をついた。
土の魔力が広がり、塞いでいる石の一部がゆっくり横へ動く。
道になるほどの隙間は、すぐにはできない。
さらに上の岩を支えながら動かそうとした時、奥から細かな砂が落ちてきた。
次いで、頭上で重い音が鳴る。
「待って」
俺が声をかけた時には、ディアルも魔力を止めていた。
動かしかけた石の上へ、別の岩がずり落ちる。
さっきより小さい。それでも、掘り進めれば上の層までまた崩れることは分かった。
「土で上へ戻るのは難しそうだね」
「今はやめた方がいい」
ディアルは岩から手を離し、周囲を見た。
俺も火を高く上げる。
落ちた先は広い空洞になっていた。
背後には岩の山。反対側には、暗い道がいくつか続いている。
来た道は、もう道の形をしていなかった。
「どれかは、上へ続いてるかな」
「確かめる」
ディアルが短く答えた。
慌てて掘れば、また崩れる。
なら、残っている道を探せばいい。
俺たちはまず、互いに怪我がないことをもう一度確かめた。
それから並んで、暗い空洞の先へ魔力を伸ばした。
難なくいかないのが物語ですよね




