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おひとりさま歴33年、異世界で捨て子になって王子に拾われました  作者: 花金男爵


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第三十五話 帰る朝に


「帰ったら、まず何をしますか」


 出発の日の朝。


 食卓につくなり、アリスがそんなことを尋ねてきた。


「荷物を片づける」


 ディアルが答える。


「そうではなくて。お城へ戻ってから、楽しみにしていることです」


「報告がある」


「お兄様」


 アリスの眉が下がった。


 帰った直後から仕事の予定を立てるとは、さすがである。俺なら馬車を降りる前から休むことを考える。長い旅の後には、何もしないという大切な用事が待っているのだ。


「フィルは?」


「んー。自分の部屋で寝転がりたいかな」


「それは、馬車の中でもできるのではありませんか」


「揺れないところで寝転がるのがいいんだよ」


 もっとも、戻れば戻ったで、稽古も勉強も待っている。俺が何もしないで済む時間は、考えているほど長くないかもしれない。


「アリスは?」


 聞き返すと、彼女は少し考えた。


「セシリアたちへ、こちらで教わったことをお話ししたいです。それから、医療施設の皆さんにも」


「結局、アリスも仕事じゃん」


「仕事だけではありません。皆さんにも、お会いしたいですから」


 それなら、ディアルの報告ともちょっと違うらしい。


 アリスはパンをちぎりながら、ここ三日間で聞いた話を並べ始めた。


 回復部隊には、あの日から毎日通った。


 最初は寝台から起きられなかった戦士も、昨日には自分で椅子まで歩いていた。腕を吊ったままの者や、まだ包帯を替え続けている者もいる。毒が消えたからといって、傷まで一緒になくなったわけではない。


 アリスはクリティアと一緒に負傷者を診て、話を聞いた。家族の話も、初めて魔物を見て逃げた話も、次はもっと上手く動くと言い合う声も。


 俺はその間、箱や桶や寝台を運んだ。


 どうやら俺は、回復部隊で荷物を運ぶ人として立派に認められたらしい。行くたびに頼まれるものが増えた。最終日には、俺が入口へ立っただけで木箱の置き場所を指された。


 何も言ってないんだけどな。


 刀の扱いを見せる約束は、結局まだ果たしていない。


 剣を振れるようになったと言い張る戦士はいたけれど、クリティアに一睨みされて大人しく寝台へ戻っていた。あの様子なら、次に会う頃には本当に元気になっていそうだ。


 ウルスナとカリーナも、昨日からは俺たちの支度を手伝っている。


 ただし、重いものを持とうとするたび、アリスがどこからともなく現れる。そのせいで二人とも、今朝は妙に慎重だった。


「フィル様。お飲み物をお持ちいたしましょうか」


 壁際に控えていたカリーナが声をかけてきた。


 一歩踏み出しかけて、アリスを見る。


 アリスは何も言わなかった。


「……お持ちしてもよろしいでしょうか」


「はい。それくらいでしたら」


 許可が必要になっている。


 隣のウルスナが、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 その三日の間、ディアルも普段と変わらなかった。


 食事をして、俺と話し、短い稽古では新しく覚えた魔法の使い方を確かめた。戦士団から被害と復旧の報告を受け、出発前にはフェリックス王とも話している。


 いつものディアルだった。


 だからこそ、時々思い出した。


 倒れたヴェノフロールへ、風の刃が降り続けていたことを。


 もう立てないのに。何がどこの部分だったのか分からなくなるまで、ディアルは止めなかった。


 あの後、理由を聞く機会は何度もあった。


 でも、今まで聞かなかったことを急に尋ねるのも違う気がして、結局そのままになっている。


 ディアルがこちらを見た。


「何だ」


「え?」


「さっきから見ている」


 気づかれていたらしい。


「帰ったら何するのかなって」


「もう言った」


「報告の後」


 ディアルはすぐには答えなかった。


「お前が寝ていなければ、稽古をする」


「それ、楽しみにしてること?」


「嫌なら一人でやる」


「やるよ。寝転がる時間も残してくれるなら」


「フィル」


 アリスに呼ばれ、顔を向けた。


「先ほどから、手が止まっています」


 皿には、ちぎりかけのパンが残っている。


「考え事しながら食べるの、難しくない?」


「難しくありません。ほら、お兄様はもう召し上がっています」


 見れば、ディアルの皿はほとんど空だった。


 食べるのが速すぎるのではないだろうか。


 俺は残っていたパンを口へ運んだ。


 ◇◇◇


 荷物を載せ終えた馬車が、建物の前に並んでいた。


 イーサックが御者と道順を確かめ、アリソンは積み込まれた荷物を一つずつ見ている。忘れ物があったとしても、あの二人の目を抜けたのなら、もう諦めるしかない。


 ウルスナとカリーナも、今日は旅支度を整えていた。


 カリーナは自分の荷物を持っている。アリスは横から何度も見ていたが、今のところ取り上げてはいない。


「そんなに見られると、緊張します」


「無理をされないか、見ているのです」


「もう大丈夫ですよ」


「昨日も、同じことを仰っていました」


 カリーナが困ったように笑う。


 これについては、たぶん王都へ着くまで続く。


 玄関の前には、ヴァルベルドや副団長たち、クリティアの姿があった。戦士たち全員が見送りに来たわけではない。復旧の仕事も、負傷者の治療も、まだ続いているのだ。


 フェリックス王は、そこから少し離れた木陰で俺たちを待っていた。


「ずいぶん賑やかに帰るんだな」


 フェリックス王は並んだ馬車を見て言った。


「来た時と人数は変わっていませんよ」


「荷物が増えてる」


「いただいた物もありますから」


 アリスが答えると、王は小さく笑った。


 回復部隊や戦士たちから渡された物が、いくつか積まれている。保存の利く食べ物や、森で採れた薬草。アリス宛てのものが多いけれど、俺たち皆で食べるようにと言われた菓子もあった。


 味見はまだしていない。


 荷造りされた後で見つけたのである。とても残念だ。


「お祖父様」


 アリスが、フェリックス王の前へ進んだ。


「お話ししたいことがあります」


 フェリックス王は見送りの者たちへ一度目を向け、顎で建物の裏手を示した。俺とディアルもアリスに続く。声が玄関前まで届かないところで、王が足を止める。


「何だ」


 王は腕を組み、続きを待った。


 アリスは一度、後ろを振り返った。


 建物の向こうから、木を打つ音が聞こえる。壊された壁はもう大きな穴ではなくなったが、以前と同じになるまでには、まだかかるらしい。


「私は、お祖父様が壁を壊されたことを、よかったとは思えません」


 フェリックス王は表情を変えなかった。


「そうか」


「皆さんは、痛い思いをされました。今も、治療が必要な方がいらっしゃいます」


「ああ」


「ですが、次にお祖父様がいない場所で戦う時にも、皆さんが帰ってこられるようにするためだったことは、分かりました」


 アリスの指が、杖の柄へ触れた。


 球体の奥で、淡い光が揺れる。


「助けられる方がいても、いつでもその方に頼れるわけではありません。できなかったことをできるようになれば、次は誰かを連れて帰ることができます」


 若い戦士の話を思い出しているのだろう。


 最初は先輩についていくだけだった人が、今度は仲間を引っ張って帰った。


 アリスは杖を握り直した。


「それでも私は、いつか、争いや魔物のために苦しむ方がいない世界になってほしいです」


 難しい方法を説明する声ではなかった。


 ただ、そうなってほしいのだと願う声だった。


「皆さんが強くなることも大切です。でも、強くならなければ帰れないことが、当たり前のままでは嫌です」


 フェリックス王は、しばらくアリスを見ていた。


 風が抜け、淡い緑色の髪を揺らす。


「欲張りだな」


「いけませんか」


「いいや」


 王の口元が、わずかに上がった。


「忘れるなよ。今、自分で言ったことを」


「はい」


 アリスはまっすぐ頷いた。


 フェリックス王の視線が、隣にいたディアルへ移る。


「お前は」


「学ぶものは多くありました」


「それだけか?」


「必要であれば、次に来た時にお話しします」


 王が喉の奥で笑った。


「言うようになったな」


 ディアルは何も返さなかった。


 けれど、目は逸らさない。


 二人の間に何があるのか、俺にはよく分からなかった。


 ただ、喧嘩をしているわけではなさそうだ。


「フィル」


「はい」


 急に呼ばれ、背筋を伸ばす。


 フェリックス王は、腰の刀へ目を向けた。


「そいつとは、少しはまともにやれるようになったか」


「少しどころか、だいぶ仲良くなりましたよ」


 そう答えながら、柄へ手を置く。


 刀から、掌へ細い魔力が返ってきた。


 なんだろう。言い方が気に入らなかったのだろうか。


「たぶん」


「今、下げただろ」


「本人から違うって言われた気がして」


「本人、ね」


 王の大曲剣が、鞘の中で微かに魔力を揺らした。


 こちらの刀も反応しかける。


「今日はやめてよ。もう帰るんだから」


 柄を軽く押さえると、魔力は渋々引っ込んだ。


 フェリックス王が笑う。


「次に来るまでには、主人らしくなっておけ」


「俺じゃなくて、刀に言ってくれません?」


 また指先がちくりとした。


 今のは俺が悪い気もする。


 ◇◇◇


 馬車へ向かう前に、アリスはクリティアのところへ駆け寄った。


「皆さんへ、よろしくお伝えください」


「はい。姫様も、どうかお元気で」


「次に参りましたら、またお手伝いさせてください」


「その時には、お仕事が残っていない方がよいですね」


 クリティアが笑う。


 アリスも笑い、頷いた。


 ヴァルベルドはディアルへ頭を下げ、ベリンガルとエムバエルは俺たちの旅の無事を祈ってくれた。


「刀の件を気にしている者がいます」


 エムバエルが言う。


「やっぱり覚えてる?」


「昨日も、いつ見せていただけるのかと聞かれました」


「まず治すように言っておいてください」


 アリスが先に答えた。


 エムバエルは真面目な顔で頷いた。


「そのように」


 俺が言うより効きそうである。


 馬車へ乗り込み、窓から顔を出す。


 フェリックス王は同じ場所に立っていた。


 その後ろでは、戦士たちがもう持ち場へ戻り始めている。見送りが終わっても、集落の一日は止まらない。


「また来ます」


 アリスが大きな声で言った。


「今度は、もう少し静かな時に来ます」


 俺も続ける。


「それは魔物に言え」


「王様からも言っておいてよ」


 返事の代わりに、王が片手を上げた。


 馬車が動き出す。


 車輪が土を踏み、ゆっくりと集落を離れていく。


 アリスは見えなくなるまで窓の外へ手を振っていた。


「帰ったら、皆さんへお手紙を書きます」


「何人分?」


「回復部隊の皆さんと、戦士の皆さんへ」


「それ、かなり多くない?」


「フィルも書きますか」


「俺は一枚にまとめようかな」


「駄目です。きちんと分けてください」


「もう手伝うことになってるの?」


 向かいでは、ディアルが外を見ている。


「ディアルも書くよね」


「必要な相手には書く」


「では、三人で書けますね」


 アリスは満足そうだった。


 どうやら王都へ帰った後の用事が、さっそく一つ増えたらしい。


「ところで、いただいたお菓子はどの馬車にあるのかな」


「出発してすぐに食べるおつもりですか」


「すぐじゃないよ。もう少し進んでから」


「同じことです」


 アリスが呆れた顔をする。


「保存が利くと仰っていました。皆さんにも持って帰りましょう」


「一つくらいなら分からなくない?」


「分かります」


「まだ何個あるかも知らないのに」


「フィルが食べた顔をしますから」


 どんな顔だろう。


 ディアルを見ると、こちらへ視線を向けないまま口を開いた。


「諦めろ」


 味方はいなかった。


 揺れる馬車の中で、俺は座席へ背中を預けた。


 窓の向こうを、レアリードの森がゆっくり流れていく。


 ◇◇◇


 連なる馬車が、木々の間へ消えていく。


 フェリックスは、その姿が見えなくなってからも、しばらく道の先を眺めていた。


 壁を直す音が戻ってくる。


 誰かが材木を運び、別の誰かが指示を飛ばす。いつものエスティアの音だった。


「アリスは、お前にそっくりだな、シーナ」


 返事はない。


 フェリックスは、誰もいない隣へ話しかけるように続けた。


「ディアルは、少し危ういところがある」


 一度、目を細める。


 それから、口元を上げた。


「まあ、フィルがどうにかするだろ」

エルフの国編 完

ありがとうございました。

シーナという女性については次章以降わかってきます。

みなさんお楽しみにください

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