↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おひとりさま歴33年、異世界で捨て子になって王子に拾われました  作者: 花金男爵


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/47

第二十九話 届かない場所


「ヴェノフロールだ。下がれ!」


 エムバエルの声に、戦士たちが動いた。

 盾を持つ者が前へ残り、その間を縫って負傷者が運ばれていく。壁の穴から顔を出したヴェノハウンドへ矢が飛び、追ってきた一頭を槍が押し返した。


 さっきまで前へ進んでいた隊列が、崩れることなく後ろへ下がる。

 俺も足を引きかけた。


 その時、手の中の刀が、ぐっと魔力を引いた。


 痛くはない。けれど、無視できるほど控えめでもなかった。

 刃へ光が沿い、大鎌を持つ魔物の姿が、白く映り込む。


「……君、こういう時はやる気なんだね」


 返事の代わりに、柄を握る手へ熱が伝わってきた。


 大鎌が動く。

 魔物は足元の死骸を踏み越え、引いていく盾の列へ刃を向けた。


 大きいが、速すぎるわけではない。肩が動き、柄が傾き、その後から刃がついてくる。

 俺はその動きを見ながら、刀を構え直した。


 戻れとは、言われた。

 聞こえなかったことにするには、あまりにしっかり覚えている。


 でも、あれなら。


 南東側で、金属のぶつかる音がした。

 ディアルが前へ出ていた。振り下ろされた槍斧を剣で逸らし、長い柄の内側へ踏み込んでいる。


 迷った様子は、少しもなかった。


「フィル殿、戻ってください!」


 エムバエルの声を背中に受けながら、俺は大鎌の下へ走った。


 ◇◇◇


 横から迫る刃へ、刀を合わせる。


 受け流そうとした手に、魔力が集まった。

 刃の根元が、いつもより重く感じる。


 そっちね。


 腰を落とし、短く受け止めた。

 大鎌の先端が地面へ落ちる前に柄の内側へ入り、刀を返す。


 魔物の脇腹から、木片のようなものが飛び散った。


 踏み込みすぎず、一歩離れる。

 さっきまで俺の頭があった場所を、肘から突き出た枝が通った。


 なるほど。武器だけ見てちゃ駄目なやつだ。


 傷口から暗い液が落ちる。

 魔物はそれを気にした様子もなく、大鎌を引き戻した。


 足元が、ぬるりと光った。


 嫌な予感がして跳ぶと、さっき立っていた場所へ、濁った水のようなものが広がっていく。

 直径は二メートルほど。倒れていたヴェノハウンドの脚が、その中へ沈んだ。


 着地する前に、今度は魔物の肩口へ紫色の棒が生まれた。

 先端が尖る。


 槍だ。


「風断(ふうだん)」


 空中で振った刀から風を飛ばす。

 毒の槍が途中で裂け、飛び散った雫が地面へ落ちた。


 避けた先へ、もう一本。

 俺は着地と同時に横へ走り、追ってきた槍をやり過ごした。


 さっきまで立っていた土に、深い穴ができる。


 うーん。遠くにいても駄目か。

 ずいぶん、付き合い方の難しい相手だね。


「毒沼には入らないでください!」


 後ろからエムバエルの声がした。


「うん。見えてる」


 答えたところへ、大鎌が地面すれすれを走ってきた。

 俺は後ろではなく、前へ跳ぶ。


 柄を越え、刀を振り下ろす。

 肩から胸へ刃が通った。


 近くで、花のような顔が開く。


 まずい。


 体を捻ると、紫色の液が頬の横を抜けた。

 地面で跳ねたそれを避け、さらに一歩退く。


 今のは、ちょっと近かった。


「顔にまで仕掛けがあるの、ずるくない?」


 もちろん答えはない。

 代わりに、大鎌がもう一度振り上げられた。


 けれど、最初より遅い。


 切り裂いた肩がうまく動かないらしく、柄を持ち上げる途中で傾いている。

 俺はその下へ刀を差し込み、腕を狙った。


 ◇◇◇


 向こうでは、槍斧の先が大きく跳ねた。


 ディアルが柄を蹴り上げていた。

 反った魔物の胴へ、風を帯びた剣が横から入る。


「風断」


 裂けた表皮が飛び、太い根のようなものが覗いた。


 魔物が一歩退く。

 ディアルは、その一歩を詰めた。


 槍斧を突き出されても、剣を引かない。刃の側面で軌道をずらし、突き出された腕へ斬り込む。

 柄を握る指が、何本か落ちた。


 あちらも、押している。


 ただ、いつもより追う。

 敵が体勢を崩しても、整え直す前に次の剣が届く。


 あんなに急がなくても、逃げられはしないと思うけど。


「右、抜けます!」


 エムバエルの声に視線を戻した。

 ヴェノハウンドが、俺と大鎌の魔物の間へ入ろうとしている。


 地面へ手を向ける。


「地牙(ちが)」


 突き出した土の刃が、その腹を貫いた。

 足を止めずに横へ回り、大鎌を持つ腕へ刀を入れる。


 硬い手応えの後、刃が抜けた。

 魔物の片腕が、肘から先で垂れ下がる。


 その後ろでは、エムバエルたちが残るヴェノハウンドを抑えていた。

 二体の周囲へ人を近づけず、後ろへ続く道を空けている。


 俺は一度だけ、刀を握り直した。


 いける。

 もう、大鎌はまともに振れない。


 魔物が、花のような顔をこちらへ向けた。

 俺は口からの毒を警戒し、斜めから踏み込む。


 傷口が、膨らんだ。


 ◇◇◇


 煙に見えた。


 脇腹の裂け目から、紫色のものが溢れる。

 血のように下へ落ちず、薄く広がりながら宙へ浮いた。


 口元からも、肩からも。

 木の皮に似た体の隙間が開き、そこから次々と噴き出してくる。


「下がれ! 霧が出る!」


 エムバエルが叫んだ。


 俺は踏み込んだ足を止めた。

 頬に、ちりっとした痛みが走る。


 吸っちゃ駄目だ。


 息を止め、反射的に水を集めた。

 毒を通さぬよう自身の半径1メートルを水で満たす。

 視界が揺れる。

 目の前を、小さな泡が上がっていった。


 ……待って。

 これ、息できないじゃん。


 慌てて顔の前の水を押し退ける。

 頭の周りに、どうにか空間を残した。さっき一緒に閉じ込めた、ほんの少しの空気があるだけだ。


 考えてから使えばよかった。

 今さらだけど、本当に。


 水越しに南東を見る。

 あちらからも、同じ色の霧が広がっていた。


 二体分の霧が重なり、退いていく戦士たちを追いかける。

 一人が咳き込み、盾を落とした。


 隣の者が肩を支える。

 だが、その足も途中で止まった。膝をつき、立とうとしているのに立てない。


 俺は、そちらへ向きかけた。


 すぐにイーサックが来た。

 二人をまとめて抱え、霧の薄い方へ走っていく。その後ろで、アリソンが別の戦士へ腕を伸ばしていた。


 さっきまで空いていた道に、人が倒れている。


 まずい。

 俺たちが無事でも、これじゃ。


 ディアルがこちらを見た。

 その周囲だけ、霧が円く避けている。服の裾が、外から吹く風とは違う方向へ揺れていた。


 空気ごと、囲っているのか。


 そっちの方がよかったな。

 でも、あれも新しい空気を入れたら毒まで入る。


 ディアルが敵へ目を戻す。

 俺も、目の前の魔物を見た。


 片腕は垂れ、体には深い傷がある。

 それなのに、そこから溢れる霧は少しも弱まらない。


 後ろでは、まだ人が運ばれていた。


 なら、先にこっちを止める。

 俺は刀を構え、揺れる水の向こうへ足を踏み出した。


 ◇◇◇


「窓を閉めてください。入口から離れて!」


 クリティアの声に、荷物を運んでいた戦士が窓へ走った。

 アリスは手元の布を置き、戸口を振り返る。


 一人の戦士が、両脇を抱えられて運び込まれてきた。

 足が床を擦っている。寝台へ下ろされても手は動かず、薄く開いた口から、途切れた息が漏れていた。


「霧を吸った。急に動けなくなって……」


 付き添ってきた戦士も、言い終える前に咳き込んだ。


 アリスが杖を持って近づこうとした時、ウルスナが間へ入った。


「アリス様、下がってください」

「ですが、私も――」

「今は、動いてはいけません」


 大きな声ではなかった。

 けれど、いつもよりわずかに強い語調に、アリスの足が止まった。


 ウルスナはすぐに入口へ向き直り、手を伸ばす。

 その脇をクリティアが通り、運ばれてきた戦士の襟元を緩めた。


「聞こえますか。目を開けてください」


 頬へ触れながら、もう片方の手を胸へ置く。

 寝台の横では、付き添ってきた戦士が壁へ手をついていた。肩が大きく上下している。


 カリーナが戸口へ走った。

 床を這っていた紫色が、その足元へまとわりつく。


「アリス様」


 振り返った顔に、笑みはなかった。


「お願いします。そこにいてください」


 アリスは頷いた。

 カリーナはそれを確かめると、すぐにウルスナの隣へ並んだ。


 二人の手から光が広がった。


 寝台の間を渡り、床へ座り込んだ戦士の体を包む。

 苦しそうに胸を動かしていた者が、一度、深く息を吸った。


 アリスは、その光を目で追った。


 傷口へ集まるものではない。

 触れてもいない人々を、同時に包んでいる。


 知らない魔法だった。


 けれど、尋ねることはできなかった。

 ウルスナもカリーナも、患者たちから目を離さない。伸ばした手を下ろすことさえせず、その場に立っている。


「少し呼吸が戻りました。今のうちに、奥の建物へ」


 クリティアが言い、付き添いの戦士を呼んだ。

 寝台から患者を移すと、すぐ次の者が運ばれてくる。


 入口は閉められなかった。


 戸口を人が通るたび、霧が入ってくる。

 カリーナの肩が震えた。咳を堪えるように唇を結び、両手を前へ伸ばし直す。


 アリスは杖を胸元へ引き寄せた。


 助けたいと言いかけた言葉が、喉に残っていた。


 ◇◇◇


 寝台が足りなくなり、床へ布が敷かれた。


 イーサックが運んできた戦士をそこへ寝かせる。

 片脚が不自然な方向へ曲がっていた。クリティアが駆け寄り、服を裂いて傷を確かめる。


「倒れたところを踏まれたらしい。まだ外に二人いる」

「連れてきてください。歩ける方は内側へ。ここには残らないように」


 イーサックが頷き、外へ戻る。

 クリティアは脚へ手を添え、戦士の顔を見た。


「動かします。少しだけ、耐えてください」


 低い呻き声が漏れた。


 アリスは思わず足へ力を入れた。

 あの傷なら、自分にも治せる。


 その先に、ウルスナの背中が見えた。


 足は動かなかった。


 先ほど、自分を止めるために向けられた声を思い出す。

 二人は今も、手を伸ばしたままだ。光が届いている戦士たちは、呼吸を整えようと胸を動かしている。


 ここで動いたら、また自分を止めなければならない。


 杖を持つ手を、ゆっくり下ろした。


「こちらの方も、お願いします」


 別の寝台のそばから声が上がった。


 クリティアは脚の治療を終えると、立ち上がった。額へ張りついた髪を手の甲で払い、呼ばれた方へ向かう。

 その途中で、床に座っていた戦士が横へ倒れた。


 膝をつき、その体を支える。


「大丈夫です。横になりましょう」


 次の寝台では、苦しそうな息が続いていた。

 クリティアはそちらを一度見て、目の前の戦士へ手をかざした。


 一人しかいなかった。


 傷を確かめるのも、息が詰まりそうな人へ声をかけるのも、次に誰を治すか決めるのも。

 呼ばれるたびにクリティアは顔を上げ、そのたびに、誰かを待たせていた。


 アリスは立っていた。


 杖を持っている。

 回復魔法も使える。


 それなのに、誰の名前を呼ぶこともできなかった。


 ◇◇◇


 ウルスナが、一度だけ大きく息を吐いた。


 肩が下がり、光が薄くなる。

 近くの寝台で、戦士が胸元を掴んだ。


 すぐにカリーナが手を伸ばし、そこへ光を重ねた。

 その口から短い咳が漏れる。


「カリーナ、大丈夫ですか」

「はい。そちらをお願いします」


 二人とも、こちらは見なかった。


 アリスは唇を噛んだ。

 普段、自分を安心させてくれる時の声とは違っていた。


 入口から入る霧は、消えていない。

 床へ落ちた布が、薄紫色の中に沈んでいる。二人はそのそばで、人々を覆う光を絶やさずにいた。


 カリーナの指が曲がった。

 伸ばそうとしているのに、戻らない。


 反対の手で手首を支えた瞬間、膝が折れた。


「カリーナ……」


 アリスの声は、外から響いた音にかき消された。


 何かが砕け、風が窓を叩く。

 兄とフィルは、まだ戦っている。


 ウルスナが片足を引き、カリーナの前へ出た。

 その手が寝台の縁を掴む。白くなった指を何度も掛け直し、ようやく体を支えた。


「そちらを、お願いします」


 カリーナは床に膝をついたまま頷いた。

 二人の間で、光がつながり直す。


 クリティアは患者の胸へ手を当てたまま、その様子を見た。

 立ち上がりかけ、手元へ視線を落とす。


 離れられないのだと、アリスにも分かった。


 自分だけが、何もしていなかった。


 カリーナを呼んだところで、どうするのだろう。

 また大丈夫と言わせるのだろうか。指も動かせなくなった人に、こちらを振り返らせて。


 アリスは俯いた。


 来る前には、できることがあると思っていた。

 医療機関では、名前を呼ばれるたびに嬉しかった。治療した人が笑ってくれると、次も頑張ろうと思えた。


 今は、誰からも呼ばれない。


 呼ばないようにしてくれている。

 危ない場所へ近づかなくて済むように。毒を吸わずにいられるように。


 守ってもらっているのだ。


 杖を握る指が痛かった。

 少し緩めても、胸の苦しさは変わらなかった。


「……姫様」


 すぐ近くから、かすれた声がした。


 壁際に座っていた戦士だった。

 肩には布が巻かれている。その下から血が滲み、膝の上へ置いた手は、小刻みに震えていた。


「大丈夫、ですか」


 アリスは口を開いた。


 はい、と答えればよかった。

 怪我はしていない。立っていられる。息もできる。


 この人より、ずっと大丈夫だった。


 それなのに、声が出なかった。


 戦士が顔を上げようとする。

 首を動かしただけで眉が寄り、浅い息が漏れた。


 そんなことまで、させてしまった。


 アリスは首を横に振りかけて、止めた。

 違う。そう答えたら、もっと心配をさせる。


 何も言えないまま、杖を胸へ抱いた。


 助けに来たはずだった。


 ウルスナにも、カリーナにも。

 苦しんでいる、この人にまで。


 自分は、守ってもらうことしかできない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。