第二十八話 森を這うもの
閉じた門の向こうから、何かがぶつかる音がした。
一度ではない。重い音が続き、壁の上にいた戦士が、下へ向かって声を張る。
「南東側にも取りついた!」
ヴァルベルドが腕を上げ、集まった戦士たちを振り分けた。盾を持つ者が前へ走り、その後ろへ槍や弓を持つ者が続く。
俺たちのそばを、最後の荷車が内側へ抜けていった。
「フィル。ディアル」
フェリックス王に呼ばれ、振り向く。
「お前たちも出ろ。あの群れを片づけてこい」
「分かりました」
ディアルの返事は早かった。
俺も頷きかけて、壁へ目を戻す。向こうが見えないのに、音だけは増えていた。
「結構、いるみたいですけど」
「いるな」
「ですよね」
できれば、音の大きな数頭が頑張っているだけであってほしかった。
でも、目の前の人は、少しも困っていないらしい。
ヴァルベルドに呼ばれ、二人の戦士が来た。
一人は髪を短くまとめ、もう一人は、長い髪を襟の中へ収めている。どちらも、走ってきた息を整える前に壁へ目を向けた。
「副団長のベリンガルと、エムバエルです」
短い髪の方が、ディアルへ礼を取る。もう一人が俺の前へ立った。
「フィル殿は、私の隊と。東門側を受け持ちます」
「よろしくお願いします」
ヴァルベルドがディアルへ向き直る。
「殿下はベリンガルと、南東をお願いします。両隊の間は空けません」
彼が示したのは、防壁の内側にある広い作業場だった。荷車を止める場所らしく、今は荷も人も退かされている。
その向こうに、二人の部隊が並び始めていた。
フェリックス王が俺たちへ目を戻す。
「人の形をした奴が出たら戻れ。そいつは、お前たちの相手じゃない」
「人の形、ですか?」
「見れば分かる。出たら戻れ。いいな」
俺とディアルが頷く。
王はそれを確かめ、回復部隊の入口へ顔を向けた。
「アリス。お前はそっちだ。指示をよく聞けよ」
「はい」
アリスが杖を持ち直す。カリーナとウルスナも、そのそばへ残った。
「こちらは、内側へ抜けたものに対処いたします」
アリソンの声に続き、イーサックが俺の肩へ軽く手を置く。
「後ろは気にするな。前をよく見とけ」
「うん」
壁の方で、木の裂ける音がした。
振り返った先で、太い蔓が弾けた。組まれた木材が内側へ倒れ、その隙間から、何かが転がり込んでくる。
それはすぐに起き上がった。
四つ足だった。
だが、俺の知っている犬とも、狼とも違う。
背中は木の皮のようなもので覆われ、節のある脚が地面を掻いている。肩からは細い枝が伸び、顎を開くと、根を尖らせたような歯が並んでいた。
その後ろから、二頭、三頭。
倒れた木材を踏み越え、次々と入り込む。
「構えろ!」
エムバエルの声で、盾が並んだ。
俺は刀を抜き、彼の隣へ走った。
◇◇◇
最初の一頭は、盾へぶつかる直前に跳んだ。
高い。
並んだ戦士の肩を越え、後ろへ抜けようとしている。
俺は進路へ一歩入り、刀を横へ振った。
「風断」
刃から走った風が、魔物の胸を斜めに裂く。その体が宙で折れ、勢いのまま横へ飛んだ。
倒せた。
けれど、倒れた先がまずかった。
死骸は地面を転がり、戦士たちが通る場所へ滑り込んだ。近くにいた一人が足を止め、別の者が腕を引く。
「触るな!」
エムバエルの声が飛ぶ。
あ。
これは駄目だ。
「ごめんなさい。そっち、空けます」
地面へ手を向け、死骸の下の土を沈めた。体が窪みへ収まったところで、脇の土を被せる。
通り道を確かめた戦士が、俺を見た。俺は短く頷き、すぐ前へ向き直った。
倒したら終わりじゃなかったね。
触るなって、さっき教えてもらったばかりなのに。
木みたいな体なら、火はよく効きそうだ。けれど、周りは木でできた壁や建物ばかりで、その向こうには森がある。
魔物を片づけた後に消火を始めるのは、さすがにまずい。
燃やさない。飛ばさない。
うーん。倒すだけなら、もう少し簡単なんだけど。
次の魔物が、盾の下へ頭を潜らせた。
エムバエルが槍を突き出し、その口へ穂先を入れる。引き抜くと同時に、後ろの戦士が別の個体を押し返した。
「一頭ずつ止めろ。追うな!」
命令に合わせ、隊列が半歩下がる。
俺も、無理に前へ出るのをやめた。盾の間から、魔物の脚が見える。
「地牙」
地面から突き出した土の刃が、踏み込んだ前脚を貫いた。
魔物が姿勢を崩す。すぐ横から槍が伸び、頭を貫いて止めを刺した。
「今のように、足を止めていただけますか」
エムバエルが、前を見たまま言った。
「うん。どの辺り?」
「右から来るものを。左はこちらで抑えます」
「分かった」
できることが決まると、少しやりやすい。
右へ回り込む個体へ手を向ける。集めた水を細長く伸ばし、先端を絞って一直線に放った。
「水槍」
胸を穿たれた魔物が、走ってきた勢いを失う。その後ろの一頭が死骸を避けたところへ、エムバエルの槍が伸びた。
俺は、そのさらに後ろを見る。
倒れた仲間へ脚をかけ、飛び越えようとする影があった。
今度は、飛ばさない。
跳ぶ前に距離を詰め、首の付け根へ刀を入れた。硬い表皮の下で刃が通り、体が沈む。
横へ退き、倒れる場所を空けてから、次へ向き直った。
まだ来る。
でも、一頭ずつの動きは見えていた。
問題は、倒した後の方かもしれない。
足元の死骸を避けながら、俺は刀を構え直した。
◇◇◇
南東の壁も、ほぼ同じ頃に破られていた。
そちらはディアルたちが抑えている。視界の端を、短い風の刃が走った。
前に出た魔物が崩れ、その脇から抜けようとした個体を、ベリンガルが斬る。
「殿下、左に二頭」
「見えている」
ディアルが答え、戦士の前へ出た。
剣を大きく振らない。
一頭目の首へ刃を通すと、その動きのまま体をずらし、二頭目の顎を下から斬り上げた。
返した剣へ、風が沿う。
さらに踏み込んできた個体を切り裂き、ディアルは隊列の前へ戻った。
その間に、ベリンガルたちが足元を確かめる。前へ出られる場所を選び、盾を持つ戦士が一歩進んだ。
お互い、相手がどこにいるのか分かっているらしい。
初めて一緒に戦う人たちなのに、よく合わせられるものだ。
「フィル殿、前です」
慌てて正面を見る。
見物している場合じゃなかった。
低く走ってきた魔物へ刀を向け、刃先へ雷を集める。
「雷穿」
突き出した刀が、開いた口へ入った。
内側で光が弾け、体が強張る。俺は刃を引いて横へ避けた。
倒れた体へ、隣の戦士が槍を構える。動かないことを確かめると、前へ目を戻した。
「次、右へ寄せます」
「うん。お願い」
盾の縁が、飛びかかった一頭の向きを変えた。
俺はその先へ入り、足を止めずに斬る。
後ろにいた戦士が、短く息を吐いた。
「速いな」
「足元、気をつけてね。こっちにも倒れてるから」
「分かりました」
今度は、俺が注意する側だった。
エムバエルが槍を引き、隊列の向きを少し変える。言われなくても、戦士たちは同じ方へ動いた。俺もそれに合わせて場所を移す。
壁の穴だけを見ていればいいわけではない。
死骸を越えてくるもの、端へ回るもの、仲間の影に隠れて走るもの。
その一つ一つへ、誰かの声が飛ぶ。
俺は呼ばれた方へ刃を向け、見つけたものを声に出した。
◇◇◇
回復部隊の詰所には、負傷した戦士が次々と運ばれてきた。
「こちらは傷の手当てを。毒への処置は済んでいます」
「はい」
クルティアの指示を受け、アリスが寝台へ近づく。
腕を押さえていた戦士が、顔を上げた。
「姫様が?」
「手を離していただけますか」
戦士は一瞬ためらい、それから腕を差し出した。
杖から柔らかな光が広がり、裂けた皮膚を覆う。
アリスは顔色を見ながら、治療を続けた。痛みに寄っていた眉が、少しずつ緩んでいく。
「……ありがとうございます」
「まだ立たないでください。もう一度、確認していただきます」
そばの治療師へ声をかけ、次の寝台へ向かう。
入口では、カリーナが戦士の肩を支え、ウルスナが汚れた装備を受け取っていた。
物を置く場所、患者が歩く場所。どちらも塞がないように、声をかけ合って動いている。
「姫様、こちらもお願いできますか」
呼ばれるたび、アリスは頷いた。
杖は手の中で静かだったが、傷へ向けた魔力は滞りなく流れていく。
窓の外で、金属のぶつかる音がした。
アリスは一度だけ顔を上げた。
そこから兄たちの姿は見えなかった。広い道の向こうを、避難する人々が歩いている。
その中に、小さな子供を抱えた女性がいた。
腕の中からこちらを見ていた子へ、アリスは小さく頷き、寝台へ向き直った。
「次は、どちらですか?」
◇◇◇
少しずつ、押し寄せる魔物の間に隙間ができてきた。
いなくなったわけではない。
ただ、壁の穴から次々と流れ込んでいた勢いが、弱まっている。
「前へ出すぎるな。間を詰めろ」
エムバエルの声で、戦士たちが並び直す。俺も刀を下げずに、一度、息を吐いた。
後ろを振り返ると、離れた道でイーサックが剣を振っていた。
こちらの端を抜けたらしい一頭が崩れ、そのさらに奥では、アリソンが住民を別の道へ誘導している。
ちゃんと、見ていてくれている。
俺は前へ向き直りかけ、上で何かが動くのに気づいた。
フェリックス王だった。
壁の上よりも高い場所に、浮いている。
隣にはヴァルベルドもいた。足元に台があるわけでも、枝に立っているわけでもない。
あれ、どうなってるの?
ちょっと羨ましい。上からなら、ずっと遠くまで見えそうだ。
でも、今聞きに行く方法はない。
そもそも、行けない。
「そちらも、落ち着いてきましたか」
ベリンガルの声が聞こえた。
両隊の間で、エムバエルが短く答える。
「まだ来るが、減っている。こちらの負傷者は下げた」
「こちらもです。抜けたものは後方が対処しています」
ディアルが、その横へ来た。
剣は下ろしていない。俺の方を見て、短く尋ねる。
「大丈夫か」
「うん。倒した後が邪魔なくらい」
「踏むなよ」
「気をつけてる」
ディアルの視線が、地面にできた不自然な盛り上がりへ向いた。最初に俺が飛ばした魔物を埋めた場所だ。
「何だ、あれは」
「ちょっと、片づけた」
「そうか」
詳しく聞かれずに済んだ。
エムバエルが、残っている魔物の位置を指した。
両隊で、少しずつ前を揃えていく。
死骸のない場所を選び、盾を置き直す。弓を持つ戦士が場所を変え、後ろから矢を放った。
低い姿勢で走っていた一頭が足を止め、そこへ槍が届く。
俺も刀へ魔力を通した。
次に跳んできた一頭を斬り落とし、横へ抜けようとしたものには水槍を放つ。
前に出る時、隣の戦士が盾を少し開いてくれた。
戻ると、その隙間が閉じる。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。今のが後ろへ行くと、面倒だったから」
短く返し、次を見る。
やれそうだ。
このまま数を減らせば、破られたところも押さえられる。
そう思った時、隣で槍を引いたエムバエルが、動きを止めた。
彼の視線を追う。
倒れた木材の奥で、葉が揺れていた。
最初は、大きな枝が動いたのかと思った。
だが、それは地面から離れ、二本の脚で木材を越えてきた。
人だ。
いや、違う。
細長い胴に、二本の腕。肩のあたりには、重なった葉のようなものが広がっている。
肌に見えた部分は木の皮に似ていて、肘が曲がると、その隙間から暗い色の筋が覗いた。
顔のあるはずの場所には、裂けた花のようなものがついていた。
片手に握っているのは、大鎌だった。
長い柄の先で、内側へ湾曲した刃が鈍く光る。
俺は、刀を握ったまま息を止めた。
南東側でも、声が上がる。
もう一体いた。
そちらは、槍の先に斧を取りつけたような武器を持っている。人の背丈を越える柄を、片手で地面から持ち上げていた。
周囲には、まだ四つ足の魔物がいる。
その間から伸びる二つの姿だけが、やけに高く見えた。
人の形をした奴が出たら戻れ。
フェリックス王の声が、頭へ戻ってきた。
「ヴェノフロールだ。下がれ!」
エムバエルの声が、戦場へ響いた。風断
花金は技を使わせるを覚えた!




