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おひとりさま歴33年、異世界で捨て子になって王子に拾われました  作者: 花金男爵


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第二十五話 返事のない杖


 夕食の席でも、アリスの話は続いていた。


 治療院で教わったこと。名前を覚えてくれた人のこと。帰る時に、また明日と言ってもらえたこと。

 昼間の話を聞いているうちに、俺の方まで、まだ会ったことのない人を知っている気になってくる。


 回復魔法の使い方を説明するアリスが、杖を持つ時のように右手を動かした。

 それを見て、ふと思い出す。


「そういえば、アリスの杖は形が変わったの?」


 スプーンを持つ手が止まった。

 ほんの少しの間だったが、さっきまで楽しそうに話していた口も閉じている。


「いえ、その、アリス様の杖は、もともと大変よいものでして」


 なぜか、カリーナの方が慌てていた。


「魔力も十分に蓄えられますし、扱いやすく、回復魔法にも向いております。変化しなくても、何も問題は――」

「カリーナ」


 アリスに呼ばれ、説明が止まる。

 アリスはスプーンを置き、俺へ顔を向けた。


「私も、お兄様と同じで、変化させられませんでした」

「そうだったんだ」

「でも、カリーナからいただいた大切なものですから。これからも使いたいんです」


 隣に立つカリーナが、口を開いた。

 何か言いかけたようだったが、結局、少し照れたように笑う。


「……ありがとうございます、アリス様」

「お礼を言うのは、私の方です」


 アリスはそう言って、台に置かれた杖へ目を向けた。


 五歳の誕生日にもらった物だと、前に聞いた。

 俺がディアルから短刀をもらうより、ずっと前から一緒にいるわけだ。


「そっか。大切にしてるんだね」

「はい」


 今度は、すぐに返事が来た。気に入っている物を使うのが、一番なのだろう。


「それで、さっきの人は?」

「ああ、そうでした」


 アリスが話を再開する。

 カリーナはその横で、杖の位置をもう一度だけ直した。倒れる心配などない場所だったのに、向きを確かめ、静かに手を離す。


 その口元は、しばらく緩んだままだった。


 ◇◇◇


 寝支度を終えた後、アリスはカリーナを見送ってから、杖を手に取った。


 部屋には、小さな灯りが一つ残されている。

 椅子へ座り、膝の上に杖を置く。滑らかな表面へ指を添えると、いつもの手触りがした。


 贈られた時には、両手で持って眺めた。

 今では片手でも扱える。治療院へ行く時も、誰かの怪我を治す時も、自然に手を伸ばす場所にあった。


 目を閉じ、魔力を流す。


 慣れた感覚だった。

 力は滞りなく入っていき、杖の先へ集めることも、途中で止めることもできる。


 目を開けた。

 姿は、何も変わっていなかった。


 もう少し流そうとして、やめる。

 これまでにも、何度か試したことはあった。その時と同じ感触だった。


「……やっぱり、変わりませんね」


 声は、自分にしか聞こえなかった。


 アリスは杖を持ち上げ、灯りの下で眺めた。

 違う形をしていたら、どうなっていたのだろう。考えても、フィルの刀のような変化は、うまく思い浮かばない。


 指で表面を撫で、それから寝台のそばへ戻した。

 いつもと同じ、朝になったらすぐ手に取れる場所だった。


 ◇◇◇


 翌朝は、フェリックス王と一緒の朝食だった。


 席へ着いた時から、アリスは何か言いたそうにしていた。

 料理が運ばれてくる間も、王の方を見ては、手元へ視線を戻している。


「どうした。食べたい物でも足りないか?」


 先に口を開いたのは、王だった。


「いえ。お伺いしたいことがあるのですが」

「言ってみろ」

「私の杖も、いつか形を変えるのでしょうか」


 フェリックス王が杯を置いた。


「何言ってんだ。そいつ、もう意思を持ってるぞ」


 俺まで、パンをちぎる手が止まった。


「……私の杖が、ですか?」

「ああ」

「でも、変わっていません」

「形が変わるのと、意思が宿るのは、必ず一緒ってわけじゃない」


 アリスが、そばに控えるカリーナを見上げた。

 カリーナも驚いた顔で、抱えていた杖へ目を落としている。


「私も、存じませんでした」

「お前もか」


 王は少しだけ眉を上げた。


「随分うまく使ってるからな。分かってるもんだと思ってた。ハーバードは何も言わなかったのか?」

「里では、お兄様たちが剣の修行をしていらしたので……私も杖の扱いを教わるとは、考えていませんでした」


 フェリックス王は、アリスの返事を聞いてから、俺とディアルへ順に目を向けた。


「あいつも、使うところを見て、教えることはないと思ったんだろうな」

「私が、できていると思っていたのでしょうか」

「実際、扱えてる。だから、知ってるかどうかを聞かなかったんだろ」


 アリスが小さく頷く。

 俺は自分の刀へ目を向けた。


 こいつみたいに、勝手に力を吸ったり、頼んでも断ったりしなければ、分からないこともあるのか。

 いや、もう少し大人しくても、気づかせる方法はある気がするけど。


「お前たちといると、俺も調子が狂うな」


 王が椅子の背へ体を預けた。


「孫がよくできてれば、それでいいかと思っちまう」

「では、私にも教えていただけますか」


 アリスは、すぐに顔を上げた。

 フェリックス王の口元が緩む。


「今日から午前は、フィルと一緒に来い。まず、そいつを使うところを見せてもらおう」

「はい」


 嬉しそうな返事の後、アリスがカリーナを振り返った。


「治療院へ、午後から伺うとお伝えしていただけますか」

「承知いたしました」


 話がまとまったところで、王が俺を見る。


「お前は、食べすぎるなよ」

「どうして、ぼくだけ注意なんですか?」

「この前、転がってたのはお前だろ」

「転がした人に言われましても」


 王は楽しそうに笑った。

 アリスまでつられて笑っている。


 まあ、修行する前に、緊張がほぐれたならいいか。

 俺は残りのパンを見てから、少しだけちぎって口へ入れた。


 ◇◇◇


 朝の庭には、まだ日陰が多かった。


 アリスはカリーナとともに、広場の端に立っている。

 まずは俺が剣を交えることになり、ディアルは少し離れた場所で、アリソンとその様子を見ていた。


 この前の稽古と同じように、刀から返ってくる力を使う。

 一度受けて、返す。今度は足元にも気をつけた。


 その結果、足払いは避けられた。

 代わりに、大曲剣で刀を押さえられ、握りを崩された。


「手ばかり気にするな」

「今、足を気にしてたんですけど」

「そうか。忙しいな、お前」


 俺は刀を下げ、手を開いた。

 握っていたところが赤くなっている。ひりひりするほどではないが、何度も打ち合えば、それなりに響くらしい。


「フィル、手を」


 アリスがそばへ来て、俺の手を取った。

 杖を近づけると、柔らかな光が手のひらを包む。残っていた痛みが、すぐに薄れた。


「ありがとう。助かったよ」

「また強く握りすぎないようにしてください」

「できれば、そうしたいね」


 原因の半分くらいは、目の前で剣を担いでいる人だと思う。


 フェリックス王は、アリスの手元を見ていた。

 光が消えてから、短く頷く。


「使う方は、問題ないな」

「はい」

「自分へ、何か返ってくる感覚は?」

「魔力を戻す時でしょうか」

「お前が戻した分じゃない。そいつの方からだ」


 アリスが杖を見下ろす。

 少し考え、それから首を横へ振った。


「分かりません。そういうものだと思って、使っていました」

「なら、今は何もさせずに持ってみろ」


 杖を握り直し、アリスが待つ。

 回復魔法を使う時とは違って、どこへ向けるのか少し迷っているようだった。


「……聞こえていますか?」


 控えめな声がした。


 俺も、つい杖を見てしまう。

 何も変わらない。光も出ず、アリスの表情にも変化はなかった。


「私に、教えていただけませんか」


 もう少し待ってから、アリスが王を見上げる。


「何も、分かりません」

「そうか」


 フェリックス王は、杖を奪って確かめたりはしなかった。

 アリスの手元へ目を向けたまま、少し黙る。


「扱えるのと、話が通じるのは別だ。今のは、それが分かっただけだな」


 アリスが唇を結んだ。

 朝食の時には嬉しそうだったが、今は、どう持っていればいいのか考えているように見える。


「もっと魔力を流せば、分かりますか?」

「返ってこないものを、力で引き出そうとするなよ」


 なぜか最後に、俺の方を見られた。

 はい。身に覚えはあります。


「午後も使うんだろ。その時も、少し気にしてみろ」

「……はい」


 アリスは杖を胸元へ寄せた。

 カリーナがそばへ来ると、治療院へ行く時刻を確かめ、いつもの声で返事をする。


 俺は治してもらった手を、一度握った。


 さっきは、あんなに素直に力を貸していたのに。

 何も考えていないわけではないと知っている分、今の静かさは、少し不思議だった。


 ◇◇◇


 午後、治療院の入口で、アリスは一度立ち止まった。


 杖は手の中にある。

 朝から何度か意識を向けてみたが、何かが返ってくることはなかった。


「アリス様?」


 カリーナに呼ばれ、顔を上げる。


「何でもありません。参りましょう」


 中へ入ると、受付の女性がすぐに気づいた。


「姫様。お待ちしておりました」

「遅くなってしまい、申し訳ありません」

「午後からと伺っておりますよ。でも、皆さん、何度も入口をご覧になっていました」


 女性が笑いながら、待合の方へ目を向けた。


「姫様がいらしたの?」


 長椅子から声が上がる。

 顔を出したのは、先日、膝の傷を治した少女だった。隣には母親が座っている。


「こんにちは。今日は、どうしたのですか?」

「今日はね、お母さん」


 少女が隣を指した。

 母親は片手に巻いた布を持ち上げ、少し困ったように笑う。


「家で手を切ってしまって。娘に、姫様に診てもらおうと言われまして」

「私、ここで待ってたの」


 少女の言葉に、アリスはそばへ屈んだ。


「待っていてくださったのですね。ありがとうございます」

「明日は、朝から来る?」

「午前中は、お勉強があるのです。これからは、午後に来ますね」


 少女が残念そうに口を尖らせる。

 母親が何か言おうとしたが、その前に、少女は頷いた。


「じゃあ、午後ね」


 アリスも笑って頷き返した。


 奥から、いつも教えてくれる治療師が歩いてくる。


「姫様、よろしければ、さっそくお願いできますか」

「はい」


 立ち上がり、杖を持ち直す。

 治療師はその様子を見てから、母子を診察室へ案内した。


 ◇◇◇


 母親の手の傷は深くなかったが、物を握る時に開いてしまう場所にあった。

 治療師の確認を受け、アリスは椅子を寄せた。


「こちらへ、手をお願いします」


 差し出された手へ、杖を近づける。


 魔力が通る。

 いつものように、少しも引っかからない。細かく扱おうとしても、力を増やそうとしても、杖はそのまま応えた。


 朝は、何も返ってこなかった。

 今も、アリスへ何かを伝えている感覚はない。


 それでも、傷へ向かう光は柔らかく、滞ることなく広がっていく。


 アリスは患者の顔へ目を戻した。


「痛くありませんか?」

「ええ。もう、ずいぶん楽です」


 傷が閉じた後も、教わったとおりに確かめる。

 指を動かしてもらい、握った時の様子を見る。治療師へ目を向けると、静かに頷いてもらえた。


「これで大丈夫です」

「ありがとうございます、姫様」


 母親が頭を下げる。

 その膝の横から、少女が手を伸ばした。


「もう、さわっていい?」

「はい。優しく、ですよ」


 小さな指が、治った手へ触れる。

 母親がその手を握ると、少女は嬉しそうに、腕を揺らしかけた。


「こら。優しくと言われたでしょう」

「あ」


 少女が慌てて止まる。

 アリスは口元を緩め、椅子から立ち上がった。


「無理はなさらないでくださいね」

「はい。家でも、この子が見張ってくれそうです」


 母子を見送ると、治療師が次の患者の様子を確かめに出た。

 アリスは椅子へ戻って杖を見下ろし、握っていた場所へ親指を滑らせる。


 使うことには、何も困らない。

 むしろ、こうして意識すると、随分と助けてもらっていたのだと思う。


「ありがとう」


 小さく声をかけた。


 返事はなかった。

 手のひらへ何かが触れることも、杖から力が戻ることもない。


 アリスは少し待った後、膝から杖を持ち上げた。


 廊下で、自分を呼ぶ声がする。

 今度は、いつも畑の話を聞かせてくれる人だった。


「姫様。今日は来てくださらないのかと思いましたよ」

「お待たせしました」


 戸口へ向かうと、その人が嬉しそうに笑った。

 アリスも笑い返し、椅子を勧める。


 杖を、いつもの位置へ構えた。


「今日は、どこが痛みますか?」

今アリスは愛されてます。あいつだけを除いて…

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