第二十三話 受け止めた先
大曲剣が、頭の上から落ちてきた。
速い。
そう思った時には、もう刀を斜めに立てていた。まともに受けるのはまずい。刃を滑らせ、横へ逃がす。
そのつもりだった。
刀から魔力が返ってくる。手の内で急に膨らんだ力を抑え、体を横へ動かした瞬間、フェリックス王の剣がぴたりと止まった。
そこから、手首だけで軌道が変わる。
「うわっ」
足がもつれた。
なんとか転ばずに済んだものの、首の横には大曲剣の刃があった。
「一回」
「何を数えてるんですか?」
「お前が斬られた回数」
朝から、聞きたくない数字が増え始めた。
フェリックス王は剣を引き、同じ場所へ戻った。肩へ担ぐように持っているだけなのに、こちらが近づけそうな隙はない。
さっきの一撃も、途中で止められる程度には手加減されていたわけだ。
それでこれか。
お茶を飲むだけで帰ればよかった。まだ一口も飲んでないけど。
「次、いいか?」
「もう少し、ゆっくりでもいいですよ?」
「よく見える方がいいだろ?」
「そういう意味じゃ――」
踏み込まれた。
今度は下から。
刀を合わせ、外へ払おうとすると、また柄から力が返ってくる。
今じゃないって。
正面から張り合ったら、俺ごと飛ばされるじゃん。
刀へ送る力を絞り、刃の角度を変えた。大曲剣は狙いどおり外へ滑ったが、それを追いかけるように俺の腕も流れる。
空いた胸元へ、王の手が伸びた。
軽く押されただけなのに、数歩も後ろへ下がってしまう。
「今のは斬ってませんよね?」
「そうだな」
何も増えなかった。
いや、喜んでる場合ではない。
刀を握り直すと、戻りかけていた魔力が静かに引いた。相変わらず、力を貸す気はあるらしい。
「……そんなに張り合わなくてもいいんだけどな」
小声で言ってみる。
返事はない。さっきまで手のひらに触れていた力も、もう感じなかった。
広場の端にはウルスナがいる。
助けを求めるつもりで目を向けたら、こちらへ深く一礼された。
うん。見守ってくれているね。
できれば、止めてくれてもいいんだけど。
「余所を見る余裕はあるんだな」
慌てて正面へ向き直る。
フェリックス王は笑っていた。剣を下ろして待ってくれているのに、それが少しも安心につながらない。
まずは、次の一撃だ。
俺は刀を構え、王の足元へ視線を落とした。
◇◇◇
同じ頃、ディアルはアリソンとともに、マドリーの街を歩いていた。
大きな木を避けて曲がる道の先に、市場が広がっている。屋根の下には果実や布、木の器が並び、荷車を引く者と買い物客が、声をかけ合いながらすれ違っていた。
干した肉を売る店の前で、子供が母親の袖を引いている。
その横を通り過ぎたディアルは、広場の向こうへ目を向けた。
店の裏手に、いくつもの木箱が積まれていた。箱を抱えた男が列の端へ運び、別の者が蓋に印をつけている。
荷車は二台。片方には、まだ何も載っていなかった。
「何を運んでいる?」
作業の邪魔にならないところまで近づいてから、ディアルが尋ねる。
男は箱を下ろし、小さな来訪者と、その後ろに立つアリソンを見た。
「境界へ送る品ですよ。こちらは乾燥させた食料で、あちらは薬と包帯です」
「魔物への備えか」
「ええ。今の季節は多めに送ります」
答えてから、男はディアルの服装を見直した。
「あの、失礼ですが……」
アリソンが身分を伝えると、男は慌てて姿勢を正した。
ディアルは片手を上げ、箱へ目を戻す。
「作業を続けてくれ。見ていてもいいか」
「もちろんでございます」
再び箱が運ばれ始める。
しばらく見ていたディアルは、荷のない方の車を指した。
「あちらには積まないのか?」
「先に道を空けないと、出せませんので」
男が示したのは、広場から続く細い道だった。
やがて、そこから車輪の音が聞こえてきた。戻ってきた荷車には空の籠が積まれ、その隙間に、腕を布で吊った男が腰掛けている。
「向こうから戻る便を待ってたんです。荷を下ろせば、そちらも次に使えますから」
行きの荷車が脇へ寄せられ、帰りの車がゆっくり広場へ入る。
待っていた女性が駆け寄ると、腕を吊った男は無事な方の手を振った。笑って何かを言ったが、女性の顔はすぐには緩まなかった。
ディアルはその様子を見た後、木箱の山へ向き直った。
「薬は、どれだ?」
「青い印の箱でございます」
「着いたら、先に下ろせる場所に積むのか」
男が少し驚き、それから頷いた。
「はい。もっとも、今日は布の方を急いでほしいと言われてます。薬だけでは間に合わない仕事も多いようで」
蓋の開いた箱には、畳まれた布が隙間なく詰められていた。
ディアルは、男がそれを最後に載せるところまで見ていた。
荷を積み終えると、男は額の汗を拭い、次の箱へ手を伸ばした。荷車の御者が、少し休めと声をかける。
「あと二つだ」
「それは俺がやる。さっきも水を飲んでないだろ」
押し返すように水筒を渡され、男は苦笑した。
ディアルの視線に気づくと、気まずそうに背筋を伸ばす。
「お見苦しいところを」
「休んでくれ。俺は急がせに来たわけじゃない」
男は一瞬きょとんとしてから、礼を言って水筒を傾けた。
荷車が出ていくのを見届け、ディアルたちは広場を離れた。
しばらく歩いてから、ディアルが口を開く。
「国の外側ほど、強い戦士がいるのだったな」
「はい。昨日、伺ったとおりです」
「帰ってきた男も、戦士だろうか」
「装備からすると、そのようでしたね」
ディアルは一度、広場の方を振り返った。
道はもう、買い物客で埋まり始めている。
「強くても、怪我はする」
「ええ」
「次の便まで待つ物もあるのだろうな」
アリソンはすぐに答えず、ディアルの隣へ並んだ。
「先ほどは積みきれず、残った箱もございました」
「アセナルでは、どうしている?」
「地域や時期によります。王都へ戻りましたら、お調べになりますか」
「ああ。必要な時に届かなければ、あるだけでは役に立たない」
ディアルは前を向いた。
その先では、別の荷車が道を塞いでいた。布の束が崩れたらしく、店主と通行人が拾い集めている。
アリソンが声をかけるより先に、ディアルは足元へ転がってきた一束を拾った。
「これは、どこへ置けばいい?」
◇◇◇
何回目かの打ち合いで、俺はようやく、刀の妙な癖に気づいた。
ずっと力を押しつけてくるわけではない。
王が構えている間は静かだし、俺が体勢を立て直している時も、余計なことはしない。
刃を合わせる、その直前。
俺が受け流そうとすると、決まって力が返ってくる。
今度もそうだった。
斜めに落ちてくる大曲剣へ刀を向けると、柄から手のひらへ魔力が触れる。
抑えようとして、やめた。
毎回、ここなのか。
何か、やりたいことがある?
考えている時間はなかった。
逃がすつもりだった刃を、その場へ残す。刀が返してきた力に合わせて握りを定め、後ろの足で地面を踏んだ。
金属のぶつかる音が、庭へ響いた。
腕に衝撃が走る。
けれど、押し潰されない。肩も、腰も、思ったほど崩れていなかった。
受け止めた。
驚くより先に、重なった刃がわずかに外へずれる。
大曲剣を追いかけていたはずの俺の刀が、まだ体の前にある。引き戻す必要がない。
ここからなら、返せる。
手首を返し、そのまま踏み込んだ。
刀が描いた短い弧の先で、フェリックス王の服が揺れる。
当たる、と思った時には、王は半歩だけ横へ移っていた。
空を切った刃を止めると、すぐ隣から声がする。
「危ないな。俺を斬る気か?」
「そっちから始めましたよね?」
反射的に言い返してから、刀を見た。
刃に沿っていた光が、ゆっくり薄れていく。手のひらに残る感触は、さっきまでと変わらない。
でも、今は攻撃できた。
受け流すだけで精いっぱいだと思っていたのに。
こいつが返してきた力を使ったら、剣を受け止めた後、そのまま打ち返せたのだ。
「……ああ。そういうこと?」
刀は静かだった。
俺は先ほどの動きを、小さく手元でなぞってみる。
受け流そうとすると、どうしても刀が外へ動く。
だけど、一度ここで受ければ、戻さずに次へつなげられる。
なるほど。
君は、そう考えてたんだね。
うん。そっちの方がいい。
ずっと逃げ続けるより、反撃もできるじゃん。
柄を握る指を、少し緩めた。
そういえば、こちらが求めていない時に力を返されたのは、今日が初めてではなかった。
もしかして、あれも何か教えてくれていたのかな。
そのやり方より、こっちの方がいいって。
全部がそうだとは限らない。
こいつは実際、気に入らない相手に威嚇するし、使いたい時に力を貸してくれないこともある。
でも俺も、理由を確かめる前に、また言うことを聞かないと思っていた。
今日だって、そうだ。
力を抑えれば、それ以上は強く返してこなかったから、そこで終わりにしていた。
少し、怖がっている。
朝、フェリックス王に言われた言葉が頭へ戻ってきた。
文句がないから引っ込めた、とは限らないんだよな。
「ごめん。次は、ちゃんと聞くよ」
小さく声をかけ、刀を構える。
返事らしいものはなかった。まあ、今すぐ何か言いたいわけでもないのだろう。
フェリックス王が、大曲剣を持ち直した。
「もういいか?」
「はい」
踏み込みに合わせ、こちらも動く。
今度は上から来ると決めつけず、剣の向きと、手の中の感触を確かめた。
刃が触れる直前、力が返る。
その分を押し込めず、自分の動きへ重ねた。
受けて、返す。
今度は驚いて止まらず、踏み込むところまでつなげる。
王の剣がこちらの刃へ触れ、反撃を外へ逸らした。直後、足元へ靴先が差し込まれる。
視界が傾いた。
「うわっ」
背中から草の上へ転がる。
空は明るく、枝の隙間から差す日差しが、やけに眩しかった。
「そっちも、ありなんですか」
「なしにした覚えはないな」
見下ろしてくる王へ文句を言いかけ、やめた。
確かに、聞いていなかった。
刀を持った手を横へ下ろす。
さっきの反撃までは、悪くなかったと思う。少なくとも、二人で同じところを狙えた気がした。
その後の足払いは、まあ。
俺が気をつけるしかないよね。
◇◇◇
ディアルが戻ってきた時、俺は庭の椅子で、ようやくお茶を飲んでいた。
冷めている。
でも、今はこれくらいがありがたかった。
「終わったか」
「一応ね。地面とも仲良くなったよ」
「背中に草がついている」
「その証拠だね」
ディアルは俺の後ろへ回り、服についた草を払った。自分では取ったつもりだったが、まだ残っていたらしい。
隣へ座るのを待ってから、俺は尋ねた。
「街はどうだった?」
「境界へ送る荷を見てきた」
「へえ。何を送るの?」
「食料と薬。布も多かった」
「布?」
「ああ。薬と同じくらい必要らしい」
包帯とか、着替えとかだろうか。
言われてみれば、戦う人に必要なのは剣だけではない。
「ぼくらも、服はよく駄目にしてるしね」
ディアルの視線が俺の背中へ向いた。
破れてはいない。たぶん。
「王都へ戻ったら、こちらでも調べる」
「また勉強することが増えたね」
「お前も来るか?」
「荷物を運ぶ方じゃないよね?」
ディアルは答えず、運ばれてきた杯を受け取った。
そこは否定してほしかった。
俺は刀を膝へ載せ、冷めたお茶をもう一口飲む。
今日の稽古について、ディアルにも少し話してみようと思った。
◇◇◇
その日の夕刻、ディアルとアリスは、フェリックスに呼ばれて宮殿の一室を訪れた。
昼間の賑わいから離れた、小さな部屋だった。窓際に椅子が三つ置かれ、机には飲み物が用意されている。
案内した侍女は二人を通すと、静かに扉を閉めた。
部屋に残ったのは、祖父と孫二人だけだった。
「座れよ」
フェリックスは窓辺に立っていた。
アリスが先に腰掛け、ディアルもその隣へ座る。
「お祖父様、今日は治療院で――」
「ああ。聞いてる。随分、熱心だったらしいな」
アリスが嬉しそうに頷く。
フェリックスはその顔を少し眺めてから、二人の向かいへ腰を下ろした。
「だが、今からするのは別の話だ」
ディアルが姿勢を正す。
アリスも口を閉じ、祖父を見た。
フェリックスは二人へ順に目を向けた。
「お前たちの母親の話だ」
ディアルとアリスの母。気になりますね




