第二十一話 王の前で、峰打ち
魂の乱闘です。
「はい。フィルと申します。このたびは、お招きいただき――」
「堅苦しいのはいい。よく来たな」
挨拶を最後まで言う前に、フェリックス王は片手をひらりと振った。
肘掛けに頬杖をついた姿勢も、そのままだ。こちらが頭を下げたままでいると、指先で軽く上を示される。顔を上げろということらしい。
練習してきた挨拶だったんだけどな。
まあ、長いのがお嫌いなら、俺としても助かる。
「アリソン、道中はどうだった?」
「問題なく到着いたしました」
「ならいい。お前ら、しばらく見ないうちに大きくなったな」
俺の後ろへ目を向けた王に、アリスが一歩進み出た。
「お久しぶりです、お祖父様」
「ああ。少しは落ち着いたか?」
「私は、いつも落ち着いております」
「へえ。じゃあ、俺が覚えてるあの賑やかな子は、誰だったんだろうな」
フェリックス王が、わざと部屋を見回した。
アリスの頬が少し膨らむ。すぐに澄ました顔へ戻ったが、間に合っていない。
「もう、子供扱いしないでください」
「悪かったな。で、何ができるようになった?」
「回復魔法です。医療施設で、治療のお手伝いもしています」
「立派なもんだ。じゃあ、野菜くらい食えるようになったんだろ?」
「……それは、別の話です」
俺は咳払いで笑いを隠した。
アリスがちらりとこちらを見る。助けを求められても、野菜に関しては俺も庇えない。
「ディアル。お前は?」
「変わりありません」
「便利な返事だな。背は伸びてるぞ。ほかは?」
「稽古と勉強をしています」
「何の勉強だ?」
「最近は街道の補修について。道を直す間にも、人や荷物を通さなければならないので」
王が頬杖を解いた。
ディアルは姿勢を変えず、祖父の目を見ている。
「なるほどな。道だけ直しても、終わらないか」
「はい。まだ、知らないことばかりです」
「なら、こっちも見ていけ。バスクのところとは、やり方も違うだろ」
ディアルが頷くと、王はウルスナとカリーナへ視線を移した。
「こいつら、手間をかけてないか?」
「お変わりなくお過ごしです」
「毎日、とても賑やかです」
違う返答をする二人を見て、フェリックス王は小さく笑った。
そのまま俺へ手を差し出す。
「フィル、そいつをこっちへ持ってこい。もう少し近くで見たい」
「はい」
腰の刀を鞘ごと押さえ、前へ進む。
俺を呼んだ理由は、やはりこれらしい。見せるだけなら、抜かなくてもいいだろう。
ところが、数歩進んだところで、腰に熱を感じた。
柄の端から細い光がこぼれ、鞘の表面へ流れていく。肌へ触れる魔力が、ぴりぴりと尖っていた。
ちょっと待って。
俺は何もしていない。
顔を上げると、王の隣に置かれた大曲剣も、薄い光をまとっていた。こちらより静かだが、鞘の輪郭が揺らいで見えるほど、魔力が集まっている。
それを見た途端、腰の刀がさらに熱くなった。
「あの、これ」
「ああ。互いに気に入らないらしい」
フェリックス王は面倒そうに息を吐き、大曲剣の柄へ指を添えた。
「おい、もういい。抑えろ」
光が、触れた指の下へ吸い込まれていく。
王は柄を一度撫で、手を離した。大曲剣は、すっかり静かになっている。
うちの刀は、まだ落ち着かない。
いや、相手はもうやめたんだから、こっちもやめようよ。
「こら、めっ」
鞘の横を、平手でぺしりと叩いた。
「何してるの。今、見せてって言われただけでしょ」
光が止まった。
続いて、外へ漏れていた魔力が、するすると鞘へ戻っていく。腰に残った熱も、ゆっくり薄れていった。
「そう。それでいいんだよ」
叩いたところを軽く撫でる。
初対面から喧嘩を売るのはやめてほしい。俺だって、知らない剣に謝る方法までは習っていない。
「ははっ。お前、そいつにも容赦ないな」
顔を上げると、フェリックス王が笑っていた。
俺の手と刀を交互に眺め、それから椅子へ背を預ける。
「すみません、勝手に」
「分かってる。お前がやらせたわけじゃない」
叱られずに済んで、ひとまず安心した。
できれば、刀にも今の言葉を聞いておいてほしい。
「陛下」
左の柱のそばから、硬い声がした。
宮殿騎士の一人が、俺の進む先へ半歩出ている。その目が刀を離れ、俺の髪へ移った。
「御前で武器を抑えられぬ者を、それ以上お近くへ進ませるべきではありません」
「もう収まりましたが」
アリソンが穏やかに言った。
騎士はそちらを見たものの、すぐ俺へ向き直る。
「そもそも、白髪の者へ神樹の武器を持たせること自体が――」
「で? その先も言ってみろよ」
フェリックス王は、騎士の顔を見ていた。
笑みは残っている。けれど、騎士は一度口を閉じてから、言葉を選び直した。
「その者に、扱う資格があるとは思えません」
「何を見て、そう思った?」
「先ほどの振る舞いを見れば」
俺は鞘を押さえたまま、二人を交互に見た。
こちらだけが騒いだわけではないし、もう止めてもいる。そう言いたかったが、白髪という言葉が出たあたりで、何を説明すれば済むのか分からなくなっていた。
「そこまで言うなら、お前が倒してみろ」
王が、椅子から立ち上がった。
「俺も見ててやるよ」
「……ぼくをですか?」
「他に誰がいるんだよ」
「刀を見せるだけだったような」
フェリックス王は、俺の肩を軽く叩いて通り過ぎた。
「少し付き合え。すぐ済む」
そのまま扉へ向かう背中を見る。
用事を増やした人の言う『少し』は、あまり信用できないと思う。
◇◇◇
宮殿の裏手には、石造りの回廊に囲まれた稽古場があった。
踏み固められた土の中央で、宮殿騎士たちが木剣を打ち合わせている。
フェリックス王が姿を見せると、次々に稽古が止まった。
彼は空けられた道を進み、回廊の縁へ腰を下ろす。隣へ大曲剣が置かれ、従者がお茶を差し出した。
王はそれを受け取り、俺たちへ顎を向ける。
「殺すなよ。それ以外は好きにやれ」
随分、大まかな決まりだった。
アリソンが隣で手を差し出したので、上着を脱いで渡す。
「急にこういうことになるの、よくあるの?」
「陛下のお考えですので」
「便利な言葉だね、それ」
イーサックは地面を見ていた。
「足元は悪くないな。石もない」
「感想、そこなんだ」
「他に何かあるか?」
特にないらしい。
ディアルたちは日陰へ移動し、アリスはカリーナから受け取った布で、座る場所を拭いている。
もう少しくらい心配してくれてもいいと思うのだが。
先ほどの騎士が中央で剣を抜いた。
俺も刀を抜き、手に収まる重みを確かめる。今度は熱くなったり、勝手に魔力をまとったりしない。
この相手には、静かなものである。
騎士の刃先はぶれず、足の置き方もきれいだった。ちゃんと稽古をしている人なのだろう。
ただ、俺の手元を見すぎている気がする。刀が珍しいのかもしれないけど、顔も足も見ておいた方がいい。
「準備はいいか?」
王の声に、騎士が頷いた。
俺も頷き、少しだけ膝を緩める。
「じゃあ、始めろ」
相手の踵が浮く。
踏み込みと同時に肩が動き、剣が斜めに振り下ろされた。
半歩、横へずれる。
目の前を刃が抜けたところで、その内側へ踏み込んだ。刀を返し、峰を相手の脇腹へ打ち込む。
鈍い音がした。
騎士の体が傾き、剣先が地面を擦る。膝をついたあと、そのまま横向きに倒れた。
俺は刀を引き、少しだけ間を置く。
「峰打ちだ……」
うん。
やっぱり、一度言ったくらいでは飽きないね。
刀を鞘へ戻し、相手の様子を確認した。
脇腹を押さえて体を丸めているが、目は開いている。少し痛いだろうけど、命に関わるような打ち方はしていない。
「終わりで、いいですか?」
顔を上げると、周囲の宮殿騎士たちが固まっていた。
木剣を握ったまま、俺と倒れた相手を交互に見る者もいる。さっきまで聞こえていた小声は、すっかり消えていた。
「はい、フィル様。お見事です」
アリソンが、いつもの笑顔で上着を差し出す。
イーサックは騎士のそばへしゃがみ、背中へ手を添えた。
「息を吐け。ゆっくりでいい」
その隣で、ウルスナが脇腹へ手をかざす。
普段の稽古が終わった後と、大して変わらない光景だった。
「フィル、土がついています」
アリスに言われて膝を見る。
払おうとすると、先にカリーナが布を寄越してくれた。
こちら側は、いつもどおりである。
「ディアル。お前もやってみるか?」
フェリックス王が茶器を置いた。
ディアルは返事の代わりに上着を脱ぎ、アリソンへ渡す。
「話が早いね」
「呼ばれたからな」
それだけ答えて、稽古場へ出ていった。
俺なら、今のはお誘いですか、それとも命令ですか、と一度くらい確認するところだ。
◇◇◇
王に指名されたのは、回廊の近くに立っていた別の騎士だった。
彼はすぐに前へ進み、ディアルへ一礼する。
「お相手を務めます」
「よろしく頼む」
ディアルも礼を返し、普段使っている剣を抜いた。
今度の相手は慎重だった。
剣を低めに構え、ディアルの全身を見ている。先ほどの勝負を見て、子供だからと油断してはいけないと分かったのだろう。
「始めろ」
騎士が小さく踏み込んだ。
突き出された剣を、ディアルは自分の剣で外へ流す。同時に相手の前足の外側へ入り、体を寄せた。
相手の肩が回る。
後ろ足で立て直そうとするより早く、ディアルの剣の腹が肩口を打った。
騎士が片膝をつき、その手から剣が落ちる。
ディアルはすでに、一歩離れたところにいた。
短い。
俺が言うのも何だけど、見学する側としては、もう少し見ていたかった。
「よし、そこまでだ」
ディアルが剣を収める。
騎士は肩を押さえて立ち上がり、頭を下げた。ディアルも応じ、こちらへ戻ってくる。
「いいじゃないか。二人とも、よく鍛えてる」
フェリックス王は立ち上がり、上衣の裾を払った。
王のそばにいた騎士は、まだ稽古場へ目を向けている。それを待つこともなく、王はこちらへ歩いてきた。
「分かってたんですか?」
尋ねると、俺の足元へ視線が落ちた。
「ああ。入ってきた時にな」
「歩いてただけなんですけど」
「そうだよ。その歩き方を見たんだ」
俺は自分の靴を見下ろした。
変な歩き方をしていたつもりはない。ないのだが、この人には、それだけで分かるらしい。
「じゃあ、戦わなくてもよかったんじゃ」
「俺にはな」
王が、周囲の騎士へ目を向ける。
目の合った一人が姿勢を正し、もう一人は、倒れた騎士が起き上がる方へ顔を向けた。
なるほど。
見せる相手は、王様だけではなかったらしい。
ウルスナに治療された騎士が、脇腹から手を離した。
フェリックス王がそちらへ歩くと、彼は急いで背筋を伸ばす。
「お前は、見習いからやり直せ」
「陛下、私は――」
「俺の客だぞ。髪ばかり見て、何ができるかも確かめなかったな」
王は声を荒らげなかった。
騎士が何か言いかけても、その顔を見たまま、続きを待っている。
結局、言葉は出てこなかった。
「剣だけ振ってても駄目だ。見るところから覚え直してこい」
「……承知いたしました」
騎士の頭が深く下がる。
フェリックス王はもう一人へ振り返った。
「お前は肩を治してもらえ。さっきの足運び、覚えとけよ」
「はい」
そちらには、それだけだった。
騎士はディアルへ一度目を向け、ウルスナのところへ歩いていく。
俺は上着へ袖を通した。
負けたら全員見習いへ戻される、という話ではないらしい。それなら、俺はイーサックと稽古するたびに、職を失うところだった。
◇◇◇
「さて、お前の刀だったな」
フェリックス王が、俺の腰へ視線を戻した。
大曲剣は従者が持ち、少し離れたところにある。俺はそちらを確かめてから、柄へ触れた。
「また怒らないでね」
小声で言うと、手のひらへ、ぬるい魔力が触れた。
外へ漏れたり、肌を刺したりはしない。どうやら、分かってくれたようだ。
「で、今のは何だった?」
「え?」
王が、俺の手元を見ていた。
「そいつが返したものだよ。お前には、どう伝わった?」
「……もう騒がない、ですかね」
「そう受け取ったのか?」
「静かになったので」
言ってから、少し考える。
静かだったのは、その前からだ。手に触れた魔力は、怒っている時とは違った。でも、それ以上を聞かれると困る。
「喜んでるとか、嫌がってるとかは、何となく分かるんですけど」
「その先は?」
「まだ、よく分からないです」
王は俺の顔を見たあと、刀へ目を落とした。
「こんだけ気に入られてるのに、もったいないな」
「気に入られては、いるんですね」
「おい、今さらそこを疑うのかよ」
笑われたが、言うことを聞かない時もあるのだ。
そこまで自信を持って言われると、俺もちょっと安心する。
毎日手にしている。
稽古でも一緒だし、腰にないと何か忘れた気がするくらいには、馴染んでいる。
それでも、今返ってきたものが何だったのか、俺には答えられなかった。
もう一度、柄へ触れる。
さっきより少しはっきりと、魔力が指先をなぞった。
「何て言ってるか、分かるんですか?」
「俺に返してるわけじゃないからな。お前が受け取れよ」
手の中の柄を見る。
答えを聞けば済むと思っていたが、そういう話ではないらしい。
「……教えてもらえますか」
フェリックス王が、口の端を持ち上げた。
「ああ、いいぞ。明日、俺が見てやる」
「ありがとうございます」
「ただし、分かったふりはするなよ。そいつが困る」
刀を軽く握り直すと、手のひらへ、また温かさが触れた。
どうやら、見せて帰るだけでは済まないらしい。
ただ、増えた予定がこれなら、俺の方にも文句はなかった。
フィルがまた強くなりそうですね。
ただ、この章の主役はアリスです




