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おひとりさま歴33年、異世界で捨て子になって王子に拾われました  作者: 花金男爵


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第十七話 王都の一日

 刀の里から王都へ戻って、二か月が過ぎた。


 朝の稽古を終えた俺は、いつもの席でパンをちぎっていた。皿には焼いた肉と野菜が盛られ、湯気の立つスープからは香草の匂いがする。

 隣ではディアルが食事を進め、その向かいではアリスが、豆を皿の端へ寄せていた。


「アリス様。それも召し上がってくださいね」


 カリーナに声をかけられ、アリスの手が止まる。


「後で食べるつもりです」

「昨日も、そうおっしゃっていました」

「今日は食べます」


 なかなか立派な決意である。

 俺は空になった杯をウルスナへ渡し、注ぎ足してもらった水を飲んだ。


「ありがとう。……アリス、それ、肉の下に入れてもなくならないよ」

「分かっています。少し味をつけているだけです」

「なるほど。その手があったか」


 感心していると、カリーナが困った顔をした。余計なことを言うのはやめておこう。


「フィル様、本日の予定ですが」


 食卓の脇で、アリソンが手帳を開く。


「午前はアリス様に同行していただきます。午後は殿下のお仕事の見学を」

「剣の稽古は?」

「夕刻にございます」

「そこは、なくならないんだね」


 朝から魔力の鍛錬と剣の稽古を済ませたのだ。午後の予定が埋まったのであれば、夕方くらい休んでもいいと思う。


「昨日、帰ってから確かめたいことがあると言っていただろう」


 ディアルが、パンへ手を伸ばしながら言った。


「言ったけど、それとこれとは別じゃない?」

「では、やめておくか」


 昨夜、刀へ魔力を流していて、一つ試したいことを思いついたのだ。部屋でやると、ウルスナが嫌な顔をする。実際、危ないので気持ちは分かる。


「……少しだけなら、やろうかな」

「ああ」


 どうして予定を減らす相談をして、結局やることになるのだろう。


 アリスは最後の豆を口へ運ぶと、水で流し込んでから姿勢を正した。


「フィル。今日は、私の仕事を見せてあげます」

「うん。よろしく」

「勝手に歩き回ってはいけませんよ」

「迷子になる前提なの?」


 返事の代わりに、アリスは少し得意そうに笑った。


 食事を終えて席を立つと、ウルスナが外出用のマントを持ってきた。腕を通し、フードを頭へ引き上げる。

 髪が出ていないか確かめてもらい、腰の刀の位置を直した。


「では、行ってきます」

「お気をつけて」


 ディアルはまだ食卓にいたが、皿はすでに下げられ、代わりに書類を受け取っていた。

 声をかけると、紙から目を上げて短く頷いた。


 ◇◇◇


 馬車を降りて最初に見えたのは、建物をつなぐ長い回廊だった。


 石造りの棟が中庭を囲み、その向こうにも別の屋根が見える。入口には人が並んでいたが、誰もが同じ場所へ案内されるわけではない。歩けない人を載せた台車が通ると、職員らしい女性がさっと道を空けた。


「ここ、全部なの?」

「はい。奥には、入院なさっている方のお部屋もあります」


 アリスについて進むと、開いた扉の向こうで、白い上着を着た若者たちが年配の男性の話を聞いていた。机には草や小瓶が並び、一人が何かを尋ねている。


 治療を受けるだけでなく、医師や治療者を育てる場所でもあるらしい。

 前世の大学病院を思い出した。もっとも、ここにあるのは消毒液の匂いや機械の音ではなく、煮出した草の匂いと、人の足音だった。


「おはようございます、殿下」


 回廊の先で、一人の女性が足を止めた。

 後ろでまとめた髪に、飾り気のない服。腕には数枚の書類を抱えている。


「おはようございます、セシリア」

「フィル様も。今日はご一緒でしたね」

「うん。邪魔しないようにするよ」

「分からないことがあれば、お尋ねください。ただし、通路では立ち止まらないように」


 ちょうど後ろから台車が来たので、俺は慌ててアリスの隣へ寄った。


 セシリアとは、王宮でも何度か顔を合わせている。アリスに注意できる、数少ない人だ。

 元は王立医師団の副団長で、今はここを任されたアリスに代わり、日々の運営を取りまとめている。アリソンより二歳下だと聞いたことがあるが、二人を並べて年齢を当てる自信はない。


「昨日お渡しした報告は、お読みになりましたか」

「はい。治療の後に休んでいただく部屋が、足りないというお話ですね」

「そちらから確認しましょう」


 案内された部屋には、寝台が並んでいた。横になっている人もいれば、上着を着て帰り支度をしている人もいる。

 扉の近くでは、職員が二人で寝具を取り替えていた。


 部屋を出たところで、担当の女性がアリスへ説明した。


「午前の診療が重なる時間だけなのですが、皆様をご案内するまでに、お待たせしてしまいます」

「隣のお部屋を使うことはできませんか。先ほど見た時には、誰もいませんでしたが」


 アリスの言葉に、セシリアが隣の扉を開いた。

 人はいない。けれど、空でもなかった。棚には畳まれた布が積まれ、壁際には桶や衝立が置かれている。


「これらを、どこへ移しましょうか」

「……別の物置は、ありませんか」

「あります。ただ、ここから離れています。替えの寝具を取りに行く間、誰が患者のそばにつくかも考えなければなりません」


 アリスは棚へ目を向け、それから先ほどの部屋を振り返った。


「寝台を増やすだけでは、駄目なのですね」

「部屋が広くなるのは助かります。殿下のお考えが間違っているわけではありません。使える形にするために、もう少し確かめましょう」


 セシリアが、抱えていた書類を一枚差し出す。

 アリスは受け取ると、担当の女性へ向き直った。


「一番人手が足りなくなるのは、いつですか」


 そこからは、診療の時間や患者の帰る時間について話が続いた。

 別の家臣が、午前に働く者の配置を書き出す。寝具の置き場所を変えずに、棚の向きを変える案も出たが、台車が通れるかを測ってから判断することになった。


 俺は開いた扉の横で、黙って話を聞いていた。

 空いている部屋を使う。俺も、それで済むと思ったんだけどな。


「では、部屋を使う案と、今のままで人の配置を変える案を、両方確かめていただけますか」


 アリスが言うと、セシリアは頷いた。


「はい。それなら、比べて決められますね」


 声は穏やかだった。アリスの肩から、少しだけ力が抜ける。


 その後は、診察を行う部屋へ向かった。


 椅子に座っていたのは、腕に布を巻いた男性だった。担当の医師とセシリアが状態を確認し、アリスへ説明する。

 アリスは男性の前へ座り、まず顔を見て挨拶した。


「腕を見せていただいても、よろしいですか」


 差し出された腕へ、両手を添える。淡い光が指の間から広がった。

 俺の擦り傷を治してくれる時と同じ光だが、今日は少し長い。アリスの目は、ずっと患部へ向けられていた。


 隣では、家臣の女性が男性の腕を支えている。別の一人は医師へ必要な物を渡し、処置の内容を書き留めていた。誰かが大きな声で指示を出すこともなく、作業が進む。


 光が消えると、セシリアがそばへ寄った。


「痛むところは、まだありますか」


 男性の返事を聞き、医師と確認を終えてから、アリスへ目を向ける。


「落ち着いてできましたね」

「はい」


 アリスは口元を少し緩めたが、すぐに男性へ向き直り、担当の医師の説明を一緒に聞いていた。


 部屋を出てから、俺は声をかけた。


「アリスって、ここだと忙しいんだね」

「ここでも、です」

「そっか。それは失礼しました」


 朝、豆を肉の下へ隠していた相手とは思えない。

 そんなことを口にすれば怒られるので、そこは黙っておいた。


「フィル。ほかにも、見せたい場所があります」

「殿下。その前に休憩です」


 セシリアが、すぐに言った。


「私は、まだ平気です」

「承知しています。ですが、お茶を飲む時間は取れますね」

「……はい」


 返事を聞くと、セシリアは近くの職員に声をかけた。俺の分の席も頼んでくれている。

 アリスは少し不満そうにしていたが、歩きながら、さっきの部屋について新たな質問を始めた。


 セシリアは足を緩め、その話を最後まで聞いていた。


 ◇◇◇


 午後、王宮へ戻った俺は、アリソンに連れられてディアルの仕事を見学していた。


 机に広げられているのは、王都の地図だ。

 道の一部に線が引かれ、その横には日付や数字の並んだ書類が置かれている。


「この区間の石畳を、順に補修する予定です。作業中は荷車をこちらへ回します」


 担当の男性が、地図の上で指を動かした。

 ディアルはその指を追い、別の道との合流地点へ目を止める。


「ここには、朝、市場への荷が集まるはずだ」

「はい。ただ、補修は市場の入口より手前ですので」

「回した荷車も、同じところを通るだろう。重なっても通れるか」


 男性の指が止まった。


「……そちらの通行量までは、確認できておりません」

「時間ごとに確かめてほしい。通れないなら、作業の時間か、回す道を変える必要がある」


 男性が手元へ書き込む。

 俺も地図をのぞき込んだが、線で描かれた道を見ても、どのくらいの荷車が通れるかまでは分からなかった。


「道幅は、こっちの紙ですか」


 小声で尋ねると、アリソンが書類の一つを示してくれた。

 数字の横には、ところどころ印がある。


「これは?」

「荷の積み下ろしを行う場所です」

「止まってる荷車もあるんだ」

「ええ。道幅が同じでも、常に同じように通れるとは限りません」


 なるほど。

 車がないからといって、渋滞までないわけではないらしい。


 話を聞きながら書類を見ていると、補修が必要な箇所は一つではなかった。全部を一度に直せば早そうだが、それでは周りの道が使いにくくなる。

 かといって、少しずつでは人や道具を何度も移さなければならない。


 石を並べ直すだけの話なのに、考えることが多い。


「通り沿いの店には、いつ知らせる」


 ディアルの問いに、男性が答えた。


「日程が決まり次第、順に」

「荷が来る日を変えられるか、先に聞いておいてほしい。こちらだけで決めてからでは、合わせられないかもしれない」

「承知しました。聞き取りの結果も、併せてお持ちします」


 確認する項目を揃え、次に報告する日を決める。

 男性が退室すると、ディアルは書類をまとめず、地図の端へ小さな印を書き加えた。


「今日、決めちゃうわけじゃないんだね」

「分からないことが残ったからな」


 俺の問いに答えながら、ディアルが顔を上げる。


「でも、工事は必要なんでしょ?」

「ああ。だから、通れるようにして直す」


 それはそうなのだが。

 困っているなら直そう、というところから、実際に直し始めるまでにも仕事があるらしい。


「さっき、市場の荷が集まるって言ってたけど、よく覚えてるね」

「前に、通れなかった」


 思っていたより、普通の理由だった。


「馬車で?」

「ああ。時間をずらして通った」

「なるほど。経験者だったか」


 ディアルは地図へ目を戻した。


「今も同じとは限らない。だから聞いた」


 知っていることだけで決めつけるわけでもないらしい。

 俺は書類へ視線を落とした。最初は数字ばかりに見えていたが、さっきより少しだけ、何が書いてあるのか分かる。


「ところで、こういう仕事って、毎日あるの?」

「毎日、同じ話ではない」

「そういう意味じゃなくてね」


 横でアリソンが笑った。


「フィル様にも、少しずつ覚えていただきましょう」

「見学だけのつもりだったんだけど」

「本日も、お勉強の一環でございますよ」


 ごもっともである。

 俺は忘れる前に、教わった印の意味を書き留めておいた。


 ◇◇◇


 見学を終えて廊下へ出ると、思わず肩を回した。


 体を動かした時間は短いのに、妙に疲れている。朝から、部屋や人をどう動かすかという話ばかり聞いていた気がする。

 少しくらい、何も考えずに座っていたい。


 そう思ったところで、廊下の向こうからトレンがやって来た。


「殿下。イーサック団長から、お知らせがございます」


 その後ろに、もう一人いる。


 暗い赤色の髪。肩に掛けた荷物。旅の埃が残る靴。

 こちらを見つけた彼が、足を止めて背筋を伸ばした。


「ヴィルツ?」

「お久しぶりです、殿下。フィルも」


 声を聞いて、ようやく実感が湧いた。

 刀の里で別れてから、二か月。いつ来るのかとは思っていたが、今日だとは聞いていない。


「着いたばかり?」

「ああ。まず、イーサック団長にお取り次ぎをお願いした」

「ずっと、その荷物を持ったまま?」

「まだ、ご挨拶が済んでいないからな」


 相変わらずだ。

 もっとも、荷物を下ろせる場所も教わっていないのかもしれない。


 トレンの案内で部屋へ入ると、イーサックが一通の書状を読んでいた。

 俺たちに気づいて顔を上げ、それからヴィルツを見る。


「ハーバード様からの書状は確かめた。課題は、自分の力で果たしたそうだな」

「はい」


 ヴィルツの返事は、はっきりしていた。


 イーサックは書状を畳み、机へ置いた。


「約束どおり、第三騎士団の見習いとして預かる。ここへ来てからの指示には、従ってもらうぞ」

「よろしくお願いいたします」


 深く頭を下げるヴィルツを、ディアルは黙って見ていた。

 顔が上がるのを待ってから、短く声をかける。


「倒せたんだな」

「はい。……一度では、うまくいきませんでしたが」

「ああ」


 ディアルが頷く。

 ヴィルツも、ようやく少しだけ表情を緩めた。


「まずは荷物を置いて、今日は休め。明朝、訓練場へ来るように」


 イーサックに言われ、ヴィルツはまた姿勢を正す。


「はい」


 今度は、休むことに異論を挟まなかった。

 トレンが部屋へ案内すると言うと、彼は荷物を持ち直し、扉へ向かう。その途中で、俺たちへ振り返った。


「これから、よろしく頼む」

「うん。こちらこそ」


 そう答えると、ヴィルツは頷いて出ていった。


 明日の朝、訓練場にはあの赤い髪がある。

 そう思いながら、俺は二人分の足音が遠ざかるのを聞いていた。

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