第十六話 それぞれの帰り道
祠から戻ると、宿の前に荷物が並び始めていた。
レオがまとめた荷を持ち上げ、トレンが紐の緩みを確かめている。俺も部屋へ戻ろうとしたところで、ハーバードに呼び止められた。
「フィル。その刀のことだがな」
「はい」
「変化させたと知れば、エルフの国王がお前に会いたがるかもしれん」
思わず、腰へ手が伸びた。
「……持ってると、まずいんですか」
「そうではない。神樹の武器を変えた者が、どんな相手か気になるだろう、という話だ」
それならよかった。
ウルスナにも許してもらっているし、何よりディアルからの贈り物である。返せと言われても、できれば遠慮したい。
「ただ、あれと話す時は、曖昧に頷くなよ」
「どうしてですか」
「承知したと思えば、そのつもりで話を進める。あとから愛想笑いでしたと言っても、困るのはお前だ」
少し、心当たりがあった。
よく分からない話を聞きながら、ひとまず笑っておくことくらい、誰にでもあると思うのだが。
「嫌なら、嫌と言えばよい。それだけで怒る男ではない」
「じゃあ、安心ですね」
「言えるならな」
ハーバードが笑った。
俺は隣のディアルを見た。助言を期待したのだが、彼もハーバードへ目を向けている。
「怖い方なのですか」
「話せば分かる。あれは、自分が声を荒らげる必要などないと知っとる男だ」
ずいぶんと、安心できない紹介だった。
「人間だからと、命を軽く扱うことはない。短い一生でも、その者にとっては全てだとな。だが、気安く話すことと、甘く見ることは別だぞ」
「……できれば、会わずに済ませたいです」
「まあ、知られたらの話だ」
それを先に言ってほしかった。
知られなければ、呼ばれもしない。刀を変化させたと、わざわざ言いふらすつもりもないのだ。
俺が柄から手を離すと、ハーバードは、まだ少し面白そうにしていた。
◇◇◇
「殿下。お願いがあります」
宿へ入る前に、今度はヴィルツが近づいてきた。
さっき別れてから、ずっと考えていたのだろうか。握った手を一度開き、こちらへまっすぐ顔を向ける。
「王都へ、同行させていただけないでしょうか」
「何のために」
「お二人のそばで、学びたいのです」
ディアルだけでなく、俺にも目が向いた。
俺から学べることがあるだろうか。
稽古場を壊したあとの片づけ方なら、多少は詳しくなったけど。
「稽古を見せていただいて、自分に足りないものが分かりました。今日のお話も、自分では考えていなかったことばかりです。もっと近くで学べば――」
「それは認められない」
声をかけたのは、荷物を確かめていたイーサックだった。
いつもの笑みはない。
ヴィルツが向き直ると、彼はその目を見て続けた。
「殿下についていくには、今のお前では弱すぎる」
「……承知しています。ですから、学ばせていただきたいのです」
「学ぶことと、殿下のおそばにつくことは別だ。こちらが、お前を守らなければならない状況を増やすわけにはいかない」
ヴィルツの口が閉じた。
イーサックは返事を待たず、荷の紐へ手を戻す。厳しいが、言い直せば通る話でもなさそうだった。
「雑用でも構いません。私にできることを――」
「今の願いを、そのまま認めるつもりはない」
もう一度、はっきりと言った。
俺は口を挟まずにいた。
普段は気安く話してくれるが、こういう時のイーサックは、第三騎士団を預かる人の顔になる。
「なら、願いの方を変えてみるか」
横からハーバードが言った。
ヴィルツが顔を上げる。
「殿下の供ではなく、お前のところの見習いとしてなら、どうだ」
イーサックは、すぐには頷かなかった。
「王都へ来たからといって、殿下と同じ稽古を受けられるわけではありません」
「ああ。お前の指示で、お前が必要と思うことをさせればよい」
「殿下について回ることも、認めません」
「それで構わん。どうだ、ヴィルツ」
問われた本人は、少しだけ視線を落とした。
やがて、イーサックへ向き直る。
「第三騎士団で、学ばせていただきたいです」
イーサックは腕を組んだ。
「気持ちだけでは、預かれませんよ」
「分かっとる。その前に、一つやらせよう」
ハーバードがヴィルツを見る。
「エレファントボアの成獣を一頭。自分の力で倒してみろ」
ヴィルツの顔が強張った。
昨日、俺たちが倒してきた魔物である。こちらを一度だけ見たが、すぐにハーバードへ視線を戻した。
「場所も相手も、わしが選ぶ。勝手に探しに行くな。見届けも、わしがする」
「……倒せば、王都へ行ってもよろしいのですか」
「もう一つある」
ヴィルツが姿勢を正す。
「王都へ行ったら、休みの日まで剣を振るな。誰かと街へ出て、稽古以外に楽しめるものを見つけてこい」
少しの間、誰も喋らなかった。
「それが、何の役に立つのでしょうか」
「役に立つかどうかは、あとで考えろ。王都まで行って、この里と同じことだけして戻るつもりか」
「ですが、稽古を休んでは――」
「休みの日の話だ」
イーサックが口を挟んだ。
「休めと言われた時は休む。それもできないなら、預かるのは難しいな」
ヴィルツが黙る。
魔物を倒せと言われた時よりも、困っているように見えた。
気持ちは分からなくもない。強くなるために頼んでいるのに、遊んでこいと言われたのだから。
ただ、俺だったら喜んで引き受けると思う。
「……分かりました」
ヴィルツが頷いた。
イーサックはハーバードと目を合わせ、それからディアルへ顔を向ける。
「殿下。条件を満たせた場合、私のもとで見習いとして預かりたいと思いますが」
「構わない」
ディアルの返事に、ヴィルツが深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「合格したら、王都へ来い。ただし、入ってからも、お前に合った稽古から始める。二人の真似ばかりするなよ」
「はい」
明日の荷物を用意する人たちの横で、ヴィルツは、ようやく握っていた手を緩めた。
◇◇◇
翌朝、俺たちは里の入口に集まった。
借りていた帰路針を返し、荷物を背負う。腰の刀は、来た時より自然に収まっている気がした。歩くたびに直さなくても、脚にぶつからなくなっている。
「フィル。言われたことは覚えとるな」
「たくさんあるんですけど」
「なら、全部覚えておけ」
なかなか厳しい。
とりあえず、全力で魔力を流して振らないことだけは、最優先で覚えている。
「お世話になりました」
頭を下げると、大きな手が載った。
「よく学んだ。帰ってからも続けろよ」
「はい」
ハーバードの後ろには、ヴィルツが立っていた。
旅の荷物はない。俺たちを見送り、ここで課題を受けるのだ。
「殿下は、王都でも同じ鍛錬を続けられるのですか」
「ああ。魔力の鍛錬は、朝の稽古の前に済ませる」
「……そのあとに、剣の稽古をするのですか」
「勉強もある」
ヴィルツの背筋が伸びた。
いや、俺も初めて聞いたんだけど。
里へ来る前の予定に、そのまま足すつもりだったのか。この人、一日の長さが変わらないことは分かっているのだろうか。
「じゃあ、またね」
俺が声をかけると、ヴィルツは真面目な顔で頷いた。
「ああ。次に会うまでに、俺も鍛えておく」
休む方の条件も、忘れないでほしい。
俺たちは見送りの人たちへ手を振り、竹林へ続く道を歩き始めた。
◇◇◇
しばらく進むと、薄い霧が道へ流れてきた。
前を歩くイーサックたちに迷う様子はない。俺もそのあとに続きながら、少しずれた肩紐を掛け直した。
「フィル。刀は邪魔になりませんか」
隣のアリスが、腰へ目を向ける。
「うん。来る時よりは、慣れたよ」
「振り回してはいけませんよ」
「歩いてる時には、振らないって」
そう答えて柄へ触れたところで、昨日の忠告を思い出した。
「そういえば、この武器を変化させたって知られたら、エルフの国王に呼ばれるかもしれないんだって」
「陛下にですか?」
少し後ろから、カリーナが顔を出した。
「うん。ハーバード様に、会ったら返事に気をつけろって言われた」
「そうなのですね」
「できれば、知られずに済むと助かるんだけどな」
「それでしたら、実家への手紙に書きました」
足が止まりかけた。
「……いつ?」
「フィル様たちをお見送りしたあとです。私たちが出発するまで、少し時間がありましたので」
カリーナは、嬉しそうに続けた。
「お誕生日のことも書いたのです。神樹の武器が変化するなんて、なかなかないことですから。きっと驚くと思います」
そうでしょうね。
俺も、今、驚いている。
「まだ王都に置いてある、とかではないんだよね」
「はい。ちゃんと、お届けをお願いしました」
仕事が丁寧だった。
カリーナは、実家への手紙に嬉しかったことを書いただけだ。責められるような話ではないし、口止めを頼んだ覚えもない。
ただ、その出来事の当人が、あとから少し困っている。
「……そっか」
隣のディアルを見る。
彼は少し考えてから、落ち着いた声で言った。
「まだ、国王に伝わると決まったわけではない」
「そうだよね」
書いた相手はカリーナの家族で、国王ではない。
そのくらい珍しい話でも、王様のところへ届くとは限らないではないか。
「珍しい話ですし、家でも話題になるでしょうね」
カリーナが言った。
俺は前を向いた。
竹林の道は、まだ先まで続いている。
知られなければ、呼ばれもしない。
昨日は、それで安心したはずだったのだが。
どうやら、俺が安心した頃には、手紙はとっくに出発していたらしい。




