第十五話 始まりの里に残るもの
王都へ戻るのは、翌朝に決まった。
朝食の席でそう聞かされ、俺は手に持っていたパンを置いた。もう少し先の話だと思っていたのだが、ハーバードにしてみれば、教えることは教えた、ということらしい。
「圧縮できる量を増やす鍛錬は、帰ってからも続けろよ。今の量を、確実に扱えるようになってから増やせ」
「はい」
「二人ともだ。競って増やすなよ」
隣のディアルも頷く。
別に、そんなつもりはなかった。
ただ、ディアルが昨日より多く扱えるようになっていたら、俺も少しくらい試したくなる気はする。黙ってパンへ手を戻すと、ハーバードが小さく笑った。
稽古場の柵は、昨日のうちに直った。捕まえてきた幼獣たちも、今朝、森に詳しい人が引き受けてくれている。人が作業する場所から離れたところへ戻すそうだ。
帰る前に仕事を増やさずに済んで、何よりである。
増やした仕事を片づけてもらっただけ、とも言うけど。
「刀の稽古は、王都でも同じことをすればいいんですか」
「まずはな。妙な癖がつく前に、イーサックに見てもらえ。自分では直したつもりになっとることもある」
「よく言われます」
「なら、よく覚えておけ」
ハーバードはそう言って、食事へ戻った。
刀を持って、格好よく振る。
里へ来る前は、もう少し簡単な話だと思っていた。今は刀を握るだけで、肩や足や腰について言われたことまで、一緒についてくる。
忘れ物は少ない方がいいが、この辺りは持って帰らないといけないらしい。
◇◇◇
食事のあと、ディアルと外へ出ると、ヴィルツが待っていた。
こちらへ気づくなり背筋を伸ばし、ディアルへ頭を下げる。その姿を見ると、なぜか俺まで襟元を確かめたくなる。
「殿下。昨日の討伐について、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「エレファントボアの動きは、何を見て判断されたのですか」
「足と肩だ。踏み込む前に、動く」
ディアルの答えに、ヴィルツは自分の足元へ目を落とした。
「牙の向きではなく?」
「そっちばかり見てると、途中で曲がった時に遅れるんだよね」
俺が口を挟むと、ヴィルツの顔が上がる。
「お前も、同じところを見ていたのか」
「うん。いつもの稽古で、よくやられるから」
「魔物が相手でも、同じなのか」
「全部が同じかは知らないけど。今回のは、分かりやすかったよ」
牙が近づいてから慌てるより、その前に足を動かした方が楽だった。そこまで話すと、ヴィルツは少し考え、片足を引いて姿勢を変えた。
今の話を、体でも確かめているらしい。
「では、子供を連れて帰ったのは」
「戻す場所を、里の人に聞きたかった」
今度はディアルが答えた。
「元の場所では駄目なのですか」
「また、人の近くへ来るかもしれない。俺は、あの森に詳しくないから」
ヴィルツが頷く。そこで終わればよかったのだが、視線が律儀にこちらへ回ってきた。
「お前もか」
「いや。育てれば、おいしい肉に困らないかなって」
眉が寄った。
「育て方を知っていたのか」
「知らないけど」
「では、誰が世話をするつもりだったんだ」
「そこは昨日、ちゃんと怒られました」
できれば、二度目は勘弁してほしい。
ヴィルツは何か言いたそうに口を開き、それから閉じた。言わずにおいてくれたことには、感謝したい。
「……お前は、考えているのか、いないのか分からない」
「一応、考えてはいるんだよ」
結果が伴わないこともあるだけだ。
とはいえ、その説明を始めると、なぜ伴わなかったのかまで聞かれそうなのでやめておく。やっぱり、少し苦手な人だった。
「ディアル、フィル。少し来い」
道の向こうからハーバードに呼ばれた。
「帰る前に、見せておきたいものがある」
ヴィルツはすぐに一歩下がり、ディアルへ頭を下げる。俺にも軽く目を向けたので、小さく手を振っておいた。
次に話す時は、できれば俺が怒られたこと以外の話題がいい。
◇◇◇
ハーバードが向かったのは、里の奥へ続く道だった。
家の脇を抜ける途中、戸口にいた女性が声をかけてくる。ハーバードは立ち止まって少し話し、塀の向こうで薪を割っていた男にも手を上げた。
誰も、王宮の人たちのように姿勢を正したりはしない。
「ハーバード様って、ここでは普通に里長なんですね」
「普通でない里長とは、なんだ」
「いや。前の王様だから、もっとこう……皆が道を空けたりするのかなって」
「そんなことをしておったら、互いに歩きにくかろう」
それもそうか。
前を行く背中を眺めていると、ハーバードが肩越しに振り返った。
「そもそも、王になる前から、うちはここの族長の家系だ」
「アリソンから聞きました。王国より、里の方が先なんですよね」
「ああ。周りの国々が大きくなっていく中で、近隣の土地や人をまとめ、国を起こした。里だけで済んどった頃とは、事情が変わったんだろう」
俺は、通り過ぎた家々へ目を向けた。
ここを大きくしたのではなく、別に王都を作ったわけだ。それなら、王様を辞めて戻ってきたハーバードは、家業を継ぎ直したようなものなのだろうか。
「どうして、こっちを王都にしなかったんですか」
「お前、来る途中の道を見て、何も思わんかったか」
「歩きにくかったです」
「大勢の人や荷物を通すにも、向かん場所だな」
なるほど。
俺の足より先に、荷車が困るらしい。
「でも、里は移さなかったんですね」
「ここで暮らす者がおるからな。国を作るから明日から引っ越せでは、困るだろう」
「それは、まあ」
俺だったら、荷造りの前に文句を言うと思う。
道の脇に積まれた薪を避け、少し先を行くディアルに並ぶ。ハーバードは振り返らずに続けた。
「王になれば何でも好きにできる、というわけではない。特に、ここはな」
「父上も、祖父様に相談されるのですか」
ディアルが尋ねた。
「里に関わることならな。逆に、こちらにも王都へ相談せねばならんことはある」
ディアルは頷いた。
俺としては、国王とハーバードが向かい合って話しているところを、少し見てみたかった。あの国王でも、父親の前では説教されたりするのだろうか。
聞くのはやめておいた。
隣のディアルの耳に入るには、少し失礼な疑問だった気がする。
◇◇◇
家が途切れると、道の両側に木々が増えた。
地面には根が張り出している。踏み越えた拍子に鞘が脚へ当たり、位置を直すと、ハーバードが俺の手元を見た。
「刀は、昨日から変わりないか」
「はい。今朝も、ちゃんと魔力を受け取ってくれました」
「そうか。あまり機嫌を損ねんようにな」
「ぼくが気を遣う方なんですか」
「振るのは、お前だろう」
ごもっともなのだが、もう少し持ち主の味方をしてくれてもいいと思う。
ハーバードは足を緩め、俺が並ぶのを待った。
「神樹の武器と、里で教えとる技は、よく合う。以前から、そこは気になっとった」
「魔力を溜められるからですか」
「それもある。普通の武器なら、力を込める者より先に、武器の方が音を上げることもある。神樹の武器なら、その先まで試せるかもしれん」
俺は柄へ目を落とした。
こいつの場合、先に持ち主の方が振り回されるのだが。
「昔、神樹の武器を使っとった者が、こうした稽古を工夫したのではないか。儂は、そんなことを考えとる」
「この里で?」
「そこまでは知らん。エルフが来て教えたのかもしれんし、こちらから習いに行った者がおったのかもしれん」
ハーバードは、俺の刀へもう一度目を向けた。
「丈夫な武器を持てば、それだけ試したくもなるだろうからな」
「……何か、心当たりがありそうな言い方ですね」
「お前には、ないのか」
「あります」
つい先日、稽古場で。
それについては、十分に反省している。
昔の人も、新しい武器を手に入れて浮かれたりしたのだろうか。そうだとしたら、使い方と一緒に、壊した物の記録も残しておいてほしかった。俺が読むべきなのは、たぶんそちらだ。
「俺の剣も、使い続ければ傷みますか」
ディアルが腰の剣へ触れた。
「傷む。魔力を通したから、何をしてもよいわけではない。今の稽古を続けるなら、刃だけでなく、柄元も見てもらえ」
「分かりました」
「お前たちは、力の加減も覚えろ。技を使えることと、毎回使うことは別だぞ」
俺は、昨日の刀の態度を思い出した。
使わなくても倒せる相手だから、魔力を受け取らなかった。
本当にそうだったのなら、今の話はこいつにとって都合がよすぎる。
あとで断られる理由が増えなければいいのだが。
刀は何も言わず、腰で静かに揺れていた。
◇◇◇
木々の間に、小さな祠が見えた。
低い屋根の下に石が収められ、台座の角は丸く削れている。古いものらしいが、前には落ち葉もなく、脇の草も短く刈られていた。
その先にも、細い道が続いている。
「今日は、ここまでだ」
ハーバードが足を止めた。
「奥にも、何かあるんですか」
「入れん場所がある。そちらへは行かんでよい」
「入ると怒られる方ですか。それとも、本当に入れない方?」
「後者だ。儂も奥まで辿り着いたことはない」
俺は道の先を覗いた。
木が重なっていて、ここからではよく見えない。
「ハーバード様でも?」
「ああ。王家の者なら入れる、というわけでもない」
「危険はないのですか」
ディアルが尋ねた。
「少なくとも、里へ何か出てきたことはない。だが、無理に確かめに行くなよ」
俺も頷いた。
昔の人にも、他人を入れたくない場所くらいあったのだろう。ただ、子孫まで入れなくなるとは思わなかったのかもしれない。
鍵をなくした倉庫みたいなものだったら、少し気の毒だ。
もっとも、ここまで戻ってきて開けてあげるほど、俺も親切ではない。
まずは帰り道を、無事に歩きたい。
祠へ目を戻したところで、台座の文字に気づいた。
表面の浅いところは読みづらい。それでも、目を近づけて辿っていくと、何が書かれているかは分かった。
――白き髪を憎むな。
――たとえ再び、刃を向ける日が来ようとも。
「……昔、この里にも白髪の人がいたんですかね」
思わず口にすると、ハーバードが隣へ来た。
「そう思うか」
「わざわざ書いてあるので。その人と、何かあったのかなって」
揉め事でも起きたのだろうか。
髪の色を理由に喧嘩が増え、そのたびに困った里長が書かせたとか。
それなら、もう少し分かりやすく書いてくれてもよさそうだが。
「誰が残した言葉なんですか」
「そこまでは伝わっとらん。昔からここにある」
「では、この祠は」
ディアルが、屋根の下に収められた石を見た。
「何を祀っているのですか」
「それも、今でははっきりせん」
「分からなくても、手入れを続けるのですね」
「ああ。里の者が、大事にしとるからな」
ハーバードは、台座に落ちていた細い葉を払い落とした。
「誰を祀ったか分からんからといって、壊す理由にもならんだろう」
ディアルは、掃かれた地面へ目を向けてから頷いた。
俺も石の台を見直す。
確かに、今日明日で片づけられそうな場所には見えなかった。これだけ長く置いてあれば、ある日なくなっただけで、落ち着かない人もいるのかもしれない。
「白い髪については、お前たちも色々聞いとるだろう」
ハーバードに言われ、自分の髪へ触れた。
白髪の男が神を殺し、災いをもたらした。
そのせいで、同じ髪の色をしているだけの俺まで、不吉だと思われることがある。
だが、この石には、憎むなと書いてある。
「髪ではなく、何をしたかで決めろということですか」
ディアルが尋ねると、ハーバードは頷いた。
「儂は、そう受け取っとる」
それなら、分かりやすい。
この里で髪について何も言われなかったのも、そういう考えの人が多いからなのだろうか。入り口では、年齢の方をずいぶん気にされたけれど。
「お前はどう思う、フィル」
「こう書いてもらえる方が、ありがたいです」
正直に答えた。
昔の誰かが何をしたとしても、こちらは会ったことすらないのだ。髪の色まで責任を持てと言われても、困る。
「ただ、何をしたかで決まるなら、ぼくは稽古場を壊した方ですね」
「そうなるな」
「帰るまでには、忘れてもらえませんか」
「まだ、新しい柵の色が違うぞ」
しばらくは無理らしい。
隣で、ディアルが小さく息を漏らした。こちらを見る前に口元が戻ったが、今のは笑ったと思う。
ハーバードも笑い、道へ足を向けた。
「戻るぞ。帰り支度もあるだろう」
「はい」
俺は二人のあとへ続きかけて、もう一度だけ台座を見た。
刻まれた文字は、端の方が少し欠けている。
誰が書いたのかは分からなくても、ここを掃除した人は、今も里にいるのだろう。
白髪を憎むな。
これなら、わざわざ消すこともない。そう思って残してくれているのなら、俺としては助かる。
「フィル。置いていくぞ」
「待って。今行く」
声のした方へ駆け寄ると、ハーバードが俺の足元を指した。
「根がある」
「見えてます」
跨いだつもりの爪先が、少し引っかかった。
何も言われなかったので、そのまま歩くことにする。
隣へ並んだディアルも、前を向いていた。
帰り道は、来た時より少し下りになっている。
木々の向こうから人の声が聞こえ始め、俺は荷物をどこまで片づけたか思い出しながら、二人について里へ戻った。




