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おひとりさま歴33年、異世界で捨て子になって王子に拾われました  作者: 花金男爵


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第十四話 竹林の初仕事

 いた。


 竹の間に、丸く大きな背中が見える。


 エレファントボア。


 名前を聞いた時は、鼻の長い猪でも出てくるのかと思ったが、見た目はだいたい猪だった。ただし、俺の知っているものよりも、ずっと大きい。


 灰色がかった皮膚には深い皺が刻まれ、短い毛がまばらに生えている。地面を掘り返す鼻の横には、太い牙が二本突き出していた。


 近くに、もう一頭。


 少し離れたところにも二頭いる。


 成獣は四頭。その奥に、ずっと小さな個体が二匹いた。


 子供もいるのか。


 俺はひとまず頭数を確かめ、手前にいる一頭へ目を戻した。


 二メートルというのは、思っていたよりも大きい。


 俺が隣に立ったら、背中の方が高いのではないだろうか。


 まあ、五歳だからね。


 その五歳へ任せる仕事なのだから、そこまで強い相手ではないのだろうけど。


 柄を握り、ゆっくりと刀を抜く。


 その音を拾ったのか、地面を掘っていた一頭が顔を上げた。


 小さな目が、こちらへ向く。


 低い鼻息。


 次の瞬間、地面を蹴った。


「おっと」


 速い。


 あの体で、よくそんな急に動けるものだ。


 俺は横へ踏み出し、突き出された牙を避けた。重い体がすぐ脇を通り抜け、風が服を揺らす。


 しかし、そのまま遠くへ走っていったりはしなかった。


 前脚で地面を踏みしめ、体を強引に回す。土が跳ねたと思うと、もうこちらを向いていた。


 なるほど。


 まっすぐ来るだけではない、というのは本当らしい。


 周囲の三頭も、こちらへ顔を向けている。


 仲間が一度失敗したくらいでは、逃げる気にならないようだ。


 俺は刀を構え、柄から魔力を流そうとした。


 ――通らない。


「……ん?」


 もう一度、少しだけ流す。


 やはり入らない。


 今朝はあれほど素直だったのに、刀の手前で魔力が止められる。流し方を間違えた時の、散ってしまう感覚とは違った。


 受け取る気がない。


 そんな感じだった。


「ちょっと。今、それやる?」


 一頭目が、再び飛び込んでくる。


 俺は斜め前へ踏み込み、牙の届く位置から外れた。すぐ後ろで別の一頭が動くのを見て、そのまま足を止めずに位置を変える。


 突進してきた二頭が互いを避け、短く唸った。


 刀は相変わらず、静かなままだ。


「これ、稽古なんだけど」


 小声で言う。


 柄を握り直し、もう一度だけ魔力を差し出す。


「使わせてくれなきゃ、稽古にならないじゃん」


 少し腹が立った。


 せっかく教わったことを試す機会なのに、肝心の武器に断られては困る。


 今度は、大量に流して黙らせようとは思わなかった。


 そんなことをしたら、ハーバードに何を言われるか分からない。


 ただ、魔力を細く保ったまま待った。


 ほんの一瞬。


 それまで塞がれていたところが、ふっと開く。


 魔力が刀へ通った。


「……はい。ありがとう」


 最初から、そうしてくれればいいのに。


 刀全体へ行き渡らせ、内側の範囲を定める。


 今朝、何度も繰り返したとおりに圧縮すると、刃に沿って淡い光が収まった。


 入れた量は、練習した時より少ない。


 維持することに、ほとんど意識を取られなかった。


 先頭の一頭が、低く頭を下げる。


 鼻先ではなく、肩と前脚を見る。


 地面を蹴る瞬間に横へ動き、すれ違いざま、首筋へ刀を通した。


 硬い。


 刃が触れた最初の一瞬は、そう感じた。


 けれど、止まらない。


 腕で押し切ろうとしなくても、刀は思ったところを通り抜けた。


 俺が振り終えるのと、巨体が崩れるのは、ほとんど同時だった。


「……うん」


 斬れる。


 それも、思っていたより、ずっと。


 確かめる間もなく、左から次の一頭が迫った。


 俺は刀を引き戻しながら半歩下がる。目の前を牙が横切り、追いかけるように首が動いた。


 正面から、全部受ける必要はない。


 足を動かし、刃を向ける。


 二頭目も、同じように倒れた。


 残る二頭が、一瞬だけ動きを止める。


 逃げるだろうか。


 そう思ったが、そんなことはなかった。


 一頭が低く唸り、もう一頭が横へ回り込んだ。倒れた仲間を避け、別々の方向から間合いを詰めてくる。


 気が強いなあ。


 俺なら、二頭倒れた時点で帰ることを考える。


 先に来た方へ踏み込み、突進の軸から体を外す。


 刀を斜めに通し、振り抜いた勢いを足で受け止めた。


 もう一頭が来る。


 引き戻した刃を、そのまま反対側へ返した。


 続けて二度、重い音が響く。


 俺は一歩だけ離れ、刀を構えたまま周囲を見た。


 動く成獣はいない。


 荒い鼻息も、土を蹴る音も、止まっていた。


 ◇◇◇


 ……終わった、よね。


 倒れた四頭を順番に確かめてから、刀へ目を落とす。


 圧縮は崩れていなかった。


 少しずつ解き、魔力を抜く。


 今回も、戻す時には何の抵抗もなかった。


「使わなくても倒せるから、断ったの?」


 小さく尋ねる。


 もちろん、答えは返ってこない。


 ただ、あの動きなら、魔力圧縮がなくても対応できた気はする。硬い皮膚を避けて狙えば、普通に斬ることもできただろう。


 だからといって、断らなくてもいいと思うのだが。


「プライド高いと、持ち主が困るんだけどね」


 刀を軽く傾けてみても、反応らしいものはなかった。


 はいはい。


 とりあえず、付き合ってくれたことには感謝しておこう。


 刀を拭って鞘へ納め、顔を上げる。


 竹の方は?


 周囲をぐるりと見回した。


 倒れたものはない。切り落とされた枝も、見当たらなかった。


 うん。問題ないね。


 これなら、ハーバードを悲しませずに済む。


 そこで、奥から小さな唸り声が聞こえた。


 子供たちだった。


 成獣よりずっと小さい二匹が身を寄せ、一匹は鼻先をこちらへ向けている。もう一匹は、その後ろから逃げ道を探すように顔を動かしていた。


 小さくても、顔つきはなかなか強そうだ。


 俺が一歩近づくと、前の一匹が短く鳴いた。


「いや、斬らないよ」


 両手を見せてみる。


 伝わるはずもなく、今度は後ろの一匹が飛び出した。


 俺は進む先へ回り込み、慌てて足を止めた体を抱き上げた。思ったより重いが、持てないほどではない。


 短い脚が、勢いよく動く。


「ちょっと待って。暴れないで」


 待つはずもなかった。


 もう一匹も逃げ出そうとしたので、抱えている方を落とさないようにしながら追いかける。


 成獣を倒すより、こちらの方がよほど忙しい。


 ようやく二匹とも捕まえた頃には、服の前が泥だらけになっていた。


「……よし」


 右に一匹。


 左に一匹。


 両脇へ抱えると、二匹は不満そうに鼻を鳴らした。


 さっき、肉がおいしいと聞いたばかりだ。


 だったら、育てられないだろうか。


 里には大人もたくさんいるし、場所だってありそうだ。うまく増やせたら、わざわざ森まで探しに来なくても済む。


 うん。


 いい考えな気がする。


 あとは、連れて帰って相談しよう。


 俺は討伐した場所を確かめてから、帰り道へ足を向けた。


 ◇◇◇


 北側の竹林では、五頭目のエレファントボアが地面へ倒れた。


 ディアルは剣を下げず、周囲を見渡した。


 成獣の気配は、もうない。


 少し離れた場所にいる二匹の幼獣だけが、低い声を上げていた。


 剣身に留めていた魔力を緩め、抜く。


 いつもの剣は、どこも欠けていなかった。


 エレファントボアの動きは速かった。体の大きさから想像するよりも、踏み込みは鋭い。


 ただ、攻撃に移る前の動きは分かりやすかった。


 前脚へ体重が乗る。頭が下がる。肩が動く。


 そこを見ていれば、剣を通す場所は選べた。


 竹を背にしないよう位置を変え、突進を正面から受けず、必要な分だけ斬る。


 習ったことを使うには、確かに適した相手だった。


 ディアルは剣を納め、幼獣へ目を向けた。


 二匹は鼻先を低くし、彼を警戒している。


 里へ戻れば、討伐した成獣は回収される。


 だが、こちらまで殺す必要はない。


 この魔物が森で何を食べ、何に食べられているのか、ディアルは詳しく知らなかった。里で暮らす者に確かめず、一帯の群れを根絶してよいとも思えない。


 里の者が安全に仕事へ戻れること。


 今回、求められていたのは、それだった。


 ディアルは幼獣へ近づいた。


 一匹が逃げようとする。


 先へ回り込むと、もう一匹も向きを変えた。


 ディアルはしばらく二匹の動きを眺め、少しだけ息を吐いた。


 剣を使わない方が、手間はかかるらしい。


 ◇◇◇


 帰り道では、何度か休むことになった。


 俺が疲れたからではない。


 二匹が、たびたび抱えられることへの不満を表明するからだ。


「歩いてくれるなら下ろすんだけどね」


 右脇の一匹へ話しかける。


 鼻を鳴らされた。


 そうですか。


 とりあえず、一緒に帰る気がないことは分かった。


 途中で帰路針を確かめたい時には、一匹ずつ持ち直す必要があった。便利な道具をもらっても、両手が塞がっていては便利さを十分に使えない。


 今度から、何か捕まえるかもしれない時は、袋でも用意しておこう。


 そんなことを考えながら歩いていると、里の屋根が見えた。


 入口の近くには、すでにディアルがいた。


 その両脇にも、小さなエレファントボアが一匹ずついる。


 俺は足を止めた。


 ディアルも、こちらを見た。


「……そっちも?」


「ああ」


「おいしいって聞いたもんね」


 ディアルが、わずかに首を傾げる。


「何がだ」


「いや。何でもない」


 理由は違ったらしい。


 ともあれ、討伐は無事に終わった。


 二人で里へ入ると、俺たちより先に、抱えているものへ視線が集まった。


 まあ、そうなるよね。


 ◇◇◇


「……なぜ、連れて帰ってきた」


 ハーバードの第一声は、それだった。


 俺たちの足元では、幼獣たちが急ごしらえの囲いへ入れられていた。丈夫な板で囲まれているが、すでに鼻先で押し合い、外へ出ようとしている。


 レオが板を押さえ、トレンが隙間のないことを確かめてくれていた。


 助かる。


 ここまで抱えてきた甲斐があった。


「里で育てられないかなと思って」


 俺が答えると、ハーバードは幼獣を見た。


「育てる」


「はい。肉がおいしいんですよね。大きくなったら、また子供も生まれるかもしれないし」


「世話は誰がする」


「それは、里の方に……」


 ハーバードが、俺を見る。


 俺も、ハーバードを見る。


 何か、答えを間違えた気がした。


「大きくなれば、あれになるんだぞ」


 討伐へ出る前に広げた地図を、指で叩く。


「人を追い回し、縄張りへ入れば襲ってくる。逃げ出さん囲いを作り、餌を用意し、毎日世話をする者も要る」


「……なるほど」


「なるほど、ではない。森へ返してこい」


 即決だった。


 いい考えだと思ったんだけどな。


 確かに、そのいい考えを実行するのは、ほとんど俺以外の人だった。


「ディアルも、同じ理由か」


 ハーバードが尋ねる。


「いえ」


 ディアルは幼獣へ目を向けた。


「里の被害を止めるために、子供まで殺す必要はないと思いました。ただ、元の場所へ残すと、また人の近くへ来るかもしれません」


「ふむ」


「森のどこへ戻すのがよいか、詳しい人に聞きたいです。数を減らしすぎた時に、ほかへ影響が出ないかも」


 ハーバードは少し黙り、それから頷いた。


「分かった。そちらは里の者と相談しよう。こいつらなら、自分で餌を取れる。戻す場所を選べばよいだろう」


 対応が違う。


 いや、理由が違うので、当然なのだが。


「では、討伐の方は」


 改めて聞かれ、俺たちは成獣の数と、倒した場所を伝えた。ハーバードは地図へ印をつけ、回収へ向かう者を手配する。


 その横で、ウルスナから渡された布で手の泥を拭いていると、アリスが俺の手首を指した。


「フィル。そこ、切れていますよ」


「ああ、これ。行く途中で、草に引っかけたんだよね」


「手を出してください」


 言われるままに差し出す。


 アリスは俺の手首を取り、浅い傷へ指先を添えた。


「手こずったところはあったか」


 ハーバードに聞かれ、俺は顔を戻した。


「子供を捕まえるところですかね」


「その前だ」


 その前。


 少し考えている間に、手首が淡く光った。


「竹を斬らないようにする方が、大変でした」


 ハーバードの指が止まる。


「魔物よりもか」


「はい。そっちは、動きが見えたので」


 ディアルも頷いた。


「突進したあとに向きを変えるので、位置は気にしました。ですが、剣を通すところは選べました」


「……そうか」


 ハーバードが地図へ目を戻したところで、アリスが俺の手を離した。


「はい、終わりました。お兄様は?」


「問題ない」


「そうですか」


 ディアルの返事に頷くアリスの横で、俺は治った手首を眺めた。


「俺も、問題なかったはずなんだけどね」


「傷がありました」


「まあ、そうなんだけど。ありがと」


「どういたしまして」


 アリスはそう答えると、今度は囲いの中を覗き込んだ。


 後ろでは、いつの間にか戻ってきたイーサックが、ハーバードと話していた。その隣にはアリソンも立っている。


 目が合うと、いつもの笑顔で小さく頭を下げられた。


 俺も、少しだけ頷いておいた。


 付き添い、お疲れさまでした。


 そう伝わっていればいいのだが。


 足元で、幼獣が大きく鼻を鳴らした。


 囲いを押さえていたレオが笑う。


「元気ですね。これは、もう少し丈夫なものが必要でしょうか」


「戻すまでの間だけだ。頼む」


 ハーバードが答えたあと、俺へ目を向けた。


「フィル。手伝ってこい」


「はい」


 俺は素直に、板を押さえる方へ回った。


 捕まえて帰るところまでは考えた。


 その先の仕事は、また少し増えたらしい。


 ◇◇◇


 フィルたちが幼獣の囲いへ向かったあと、ハーバードはイーサックとアリソンを呼び止めた。


「どうだった」


「危なげなく」


 先に答えたのはイーサックだった。


「ディアル殿下は、必要なところだけに剣を通しておられました。魔力圧縮も、扱える量を守っています。こちらが手を出す場面はありませんでした」


 ハーバードがアリソンを見る。


「フィル様も同様です。刀へ魔力を流すまでに、少々やり取りがございましたが」


「やり取り?」


「刀と、です」


 イーサックが笑った。


 ハーバードは一度だけ目を細め、続きを促した。


「そのあとは、四頭とも手早く。圧縮した魔力を大きく放つこともなく、刃の届く範囲だけで仕留めておられます」


「竹は」


「無事です」


 アリソンが答えると、ハーバードは腕を組んだ。


 少量の魔力を圧縮できることは、確かめていた。


 だが、稽古場でできることと、襲ってくる魔物を相手に同じことができるかは、別の話だった。


 複数の相手を見て、動きを選び、周囲への被害まで抑える。


 そのうえで、二人はそれぞれの判断から、幼獣を捕らえて帰ってきた。


「手応えがなさすぎましたかね」


 イーサックが言う。


 ハーバードはすぐには答えなかった。


 少し離れた場所で、フィルが囲いの板を押さえている。鼻先で押され、何か言い返していた。


 ディアルは里の者と、幼獣を戻す場所について話していた。


「……任せられる仕事の見積もりを、改めねばならんな」


 やがて、ハーバードが呟いた。


 その声が届かないところで、フィルはようやく落ち着いた幼獣を覗き込み、満足そうに頷いていた。


 初めての仕事としては、うまくできた。


 きっと、その程度に思っているのだろう。


 ハーバードは短く息を吐き、口元を緩めた。


「五歳に任せる仕事、か」


 その言葉に、イーサックもアリソンも、否定はしなかった。

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