第十三話 五歳に任せる仕事
「もう少しだ」
ハーバードが言った。
俺は刀へ意識を向けたまま、ほんの少しだけ魔力を足す。
刀身の内側に収まっていた魔力が濃くなり、外へ広がろうとする感覚が強まった。決めた範囲を動かさないように保つと、光は揺れずに留まる。
「よし。そのまま」
言われたとおりに待つ。
そろそろいいだろうか。
そう思った頃に、また声がした。
「では、もう少し」
うーん。
この人の「もう少し」は、何回続くのだろう。
昨日までの魔力圧縮は、少量の魔力を一定の範囲へ集め、保ち、解く練習だった。
今日は、その量を増やしている。
やっていること自体は同じだ。けれど、中へ収める量が増えるほど、押さえておく難しさも増していく。
昨日は軽く蓋をしておけばよかったものが、今は内側からぐいぐい押されている感じだった。
力を入れているのは腕ではない。
分かっていても、つい柄を強く握りたくなる。
「肩」
「はい」
「息」
言われて、止めていた息を吐く。
隣ではディアルも、普段使っている剣へ魔力を圧縮していた。表情はいつもと変わらないが、目は剣身から離れていない。
あちらも、さすがに余裕たっぷりというわけではなさそうだ。
「一度戻せ」
ハーバードの声に合わせ、俺は魔力を少しずつ抜いた。
圧縮する範囲は、そのまま。
中にある量だけを減らしていくと、押し広がろうとする感覚が弱くなる。
「……ふう」
「全部解くなよ。そこから、また増やす」
「休憩じゃなかったんですね」
「まだ始めたばかりだろう」
それは、そうなのだが。
俺は刀を見下ろした。
最初に流した分より、ずいぶん多く入っている気がする。そのくせ、刀はいつもどおり、こちらが流した分だけを静かに受け入れていた。
今日は、お前も少しくらい文句を言っていいと思うんだけど。
返事の代わりになるような抵抗すらなく、魔力は素直に刀へ通った。
◇◇◇
最初は、少しずつ量を増やす。
次は、増やした状態を保つ。
そのあと、圧縮を崩さずに量を減らし、また増やす。
途中で範囲が乱れたら、一度少ない量へ戻ってやり直す。うまくいったからといって、勢いで増やしてはいけない。
やることは分かりやすい。
分かりやすいことと、簡単なことは違うだけである。
「先から崩れる」
隣でディアルが言った。
俺も刀の先端へ目を向ける。こちらは柄に近い部分の方が、少し落ち着かなかった。
「俺は手元かな。魔力を入れる時に、そこだけ広げちゃってる気がする」
「入れる量に、意識を取られるのか」
「たぶん。中へ足すことを考えると、入り口まで動かしそうになるんだよね」
ディアルは剣へ目を戻した。
「量を増やす時だけ、先を押さえ直そうとしていた。それで、ほかとずれたのかもしれない」
「全部まとめて、だね」
「ああ」
昨日も、似たようなことを話した気がする。
できるようになったつもりでも、量が変わると、また同じところで引っかかるらしい。
俺は一度魔力を減らし、刀全体を捉え直した。
ここから、ここまで。
内側にある量が変わっても、その形は変えない。
少しずつ足していくと、さっきよりも安定した。柄元へ意識を張りつけていなくても、魔力が外へ逃げようとする前に、その動きが分かる。
「今の量を覚えておけ」
ハーバードが言った。
「無理に押さえ込まなくても保てるだろう」
「はい」
「ディアルも、それ以上は足さんでよい」
ディアルが頷く。
ようやく終わりかと思ったが、そこから、同じ量での繰り返しが始まった。
流して、圧縮して、保つ。
量を減らし、また同じところまで増やす。
最後は安全に解き、魔力を抜いて、初めから。
地味だ。
剣を振っているわけでも、派手な魔法を放っているわけでもない。二人で並び、武器を眺めているだけに見えるだろう。
しかし、中でやっていることは、なかなか忙しい。
柵の前では、今日もヴィルツが見学していた。
ハーバードに指摘された箇所だけでなく、俺たちが魔力を増やす前や、減らしたあとにも目を向けている。
見ている方は、退屈ではないのだろうか。
そんなことを考えた途端、刀の先で光がわずかに膨らんだ。
「フィル」
「はい。今、戻します」
人のことを気にしている場合ではなかった。
◇◇◇
「よし。今日はそこまでだ」
ようやく、その言葉が出た。
俺は圧縮をゆっくりと解き、刀から魔力を抜いた。刃がいつもの色へ戻ったことを確かめてから、肩を回す。
動き回っていたわけではないのに、妙に肩が凝った気がする。
「これを、毎日やるんですか」
「そうだ。今日の量を基準にしておけ。安定して扱えるようになったら、少しずつ増やせばよい」
「どこまで?」
「自分で解けなくなるところまでは、絶対にやるな」
ハーバードの声が、少しだけ低くなった。
「集めるより、解く方が難しくなったら、無理をしとると思え。武器にも限度はある。増やせるからといって、増やしてよいとは限らん」
「はい」
俺とディアルが頷くのを見て、ハーバードも頷き返した。
「これからは、普段の鍛錬に組み込め。素振りと同じだ。一日で終わらせるものではない」
なるほど。
魔力圧縮にも、毎日の宿題ができたらしい。
「里で教えておく基礎は、ひとまずここまでだ」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「終わりですか?」
「教わるのはな。使いこなすのは、これからだ」
ハーバードが俺の刀を指す。
「それを持ったから強くなるわけでも、技を覚えたから勝てるわけでもない。どう使うかは、自分で考えろ」
「分かりました」
刀を鞘へ納める。
魔力付加に、属性付与、魔力圧縮。
里へ来る前より、できることは確かに増えた。
とりあえず、これで刀を光らせるだけでは終わらずに済みそうだ。
「腹は減っとるか」
急に聞かれ、俺は少し考えた。
「減ってます」
「なら、先に着替えてこい。飯のあとに、頼みたいことがある」
ディアルも剣を納め、頷く。
「何でしょうか」
「戻ってから話す」
ハーバードはそう言って、俺たちを送り出した。
◇◇◇
フィルとディアルが稽古場を離れると、イーサックは二人の背中を見送りながら、首の後ろへ手をやった。
「……最初から、あのやり方ですか」
ハーバードは木剣を棚へ戻した。
「何か問題があったか」
「問題はありませんでしたが。普通は、同じ量を保つところだけでも、もう少し日をかけるでしょう」
「昨日、それはできた」
「ええ。ですが、増やす方の段階まで、ずいぶん飛ばされたように見えました」
ハーバードは振り返り、二人が立っていた場所へ目を向けた。
「余裕のある量を、余裕のあるまま扱わせても、あの二人の鍛錬にはならん」
イーサックは否定しなかった。
フィルが最後に維持していた魔力量も、ディアルが崩さず収めていた量も、基礎を覚えた翌日に扱わせるようなものではない。
しかも、一度できたところで終わらせず、何度も繰り返していた。
「覚えがよいことは、分かっておった」
ハーバードが続ける。
「問題は、そのあとだ。あれだけ魔力を使って、二人とも、まだ普通に次の用事を考えとる」
「腹が減った、と言っていましたね」
「ああ。魔力を使い果たした者の顔ではない」
イーサックが、小さく笑った。
「王都でも同じです。剣の稽古をして、魔法を使って、そのあと何をするか相談しています。止めなければ、別のことを試し始める時もあります」
「昔からか」
「できることが増えるほど、使う量も増えています。それでようやく底が見えるかと思えば、まだ先がある」
イーサックは、フィルたちが去った方へ目を向けた。
「五歳と八歳にしては、という話ではありません。あの二人の魔力総量は、少しおかしいですよ」
「だから、同じ物差しでは測れん」
ハーバードは短く答えた。
「普通の順番を守らせるために、必要のないところへ留めておくつもりはない。扱えるなら、その先を教える。扱えんところまで急がせるつもりもないがな」
「承知しています」
イーサックが頷く。
ハーバードは、途中まで直った柵を見た。
「力を増やすことだけ覚えてもらっては困る。今度は、増やさずに済むところを覚えてもらうか」
「例の群れですか」
「ああ。お前はディアルを見ておけ」
「かしこまりました」
「手を出すのは、必要な時だけだ」
イーサックはいつもの笑みを浮かべた。
「では、こちらは見学で済むことを祈っております」
◇◇◇
昼食のあと、ハーバードに呼ばれて戻ると、机の上に簡単な地図が広げられていた。
里と、その周囲の道。
さらに外側には、森や竹林らしい印が描かれている。
「二人に、魔物を討伐してきてほしい」
ずいぶん急な頼み事だった。
俺は地図から顔を上げた。
「魔物ですか」
「エレファントボアだ。二つの群れが、それぞれ別の場所へ入り込んでおる」
ハーバードの指が、竹林の中にある二か所を示した。
「この辺りでは、里の者が竹を採る。昨日も近づいた者が追われてな。しばらく作業を止めておる」
「怪我人は?」
ディアルが尋ねた。
「今のところはおらん。だが、そのままにはしておけん」
俺も地図を覗き込む。
魔物の討伐。
いよいよ、それらしい仕事である。
「エレファントボアって、どんな魔物なんですか」
「大きな猪だ。成獣で二メートルほどになる」
大きな猪。
二メートル。
前世なら、見かけた時点で距離を取りたい相手だ。
「皮が硬く、体に似合わず素早い。まっすぐ突っ込んでくるだけと思うなよ。向きを変えるのも速い」
「逃げたら、追ってきますか」
「縄張りに入ったと思えばな。一度追い払った程度では、また向かってくることもある」
思っていたより、気が強いらしい。
とはいえ、俺はまだ五歳である。
その五歳に任せようという仕事なのだから、少なくとも、今の俺にとって無理な相手ではないはずだ。
里に来てからというもの、周りが強すぎて、そこがいまいち分からない。
ハーバードにしてみれば、初めての討伐にちょうどいい魔物なのだろう。
そう考えると、少し気が楽になった。
「俺とフィルで、一つずつですか」
ディアルが確認する。
「そうだ。ディアルは北寄り、フィルは東寄りの群れを頼む」
ハーバードはそれぞれの場所までの道筋を説明した。
竹を運ぶために使っていた道を辿れば、群れが目撃された辺りまで行けるらしい。そこから先は、足跡や荒らされた場所を見て探すことになる。
「倒した魔物は、どうしますか?」
俺が聞くと、ハーバードは当然のように答えた。
「あとで里の者を向かわせる。場所が分かるようにしておけ。肉は食えるからな」
「おいしいんですか」
「うむ。よい肉だぞ」
なるほど。
それは、大事な情報である。
討伐がうまくいけば、夕食にも期待できるかもしれない。
隣のディアルは、食事よりも地図が気になるらしく、群れのいる場所と里の位置をもう一度確かめていた。
ハーバードは地図を畳む前に、竹林の印へ指を置いた。
「この辺りの竹は、よいものが育つ」
「はい」
「里でも長く使っておる場所でな。これからも、大切にしていきたいと思っとる」
俺を見る。
なぜか、ディアルではなく、俺を見る。
「傷められたら、悲しいのう」
「……気をつけます」
昨日までの地面を、思い出してしまった。
これはお願いではない。
周囲ごと吹き飛ばすな、という話である。
分かります。今の俺でも、そのくらいは分かります。
◇◇◇
出発前に渡されたのは、掌に収まる小さな丸い道具だった。
蓋を開くと、細い針が一本、中央で揺れている。
「帰路針だ」
ハーバードが言った。
「里にある目印の方向を指す。竹林は似たような景色が続くからな。向きを見失ったら、これで確かめろ」
試しに体の向きを変えてみる。
針は少し揺れたあと、先ほどと同じ方角を指した。
方位磁針に似ている。
ただし、北ではなく、この里へ帰る方向を教えてくれるらしい。
「便利ですね」
「道までは教えてくれんぞ。針の先へまっすぐ歩けば帰れる、と思うなよ」
「はい」
「戻ったら返せ。それから、なくすな」
念を押され、俺は蓋を閉じて、落ちないようにしまった。
ディアルも同じ物を受け取り、動きを確かめている。
水と、少しの食べ物。
刀の具合を確認し、紐を締め直す。
支度を手伝ってくれたウルスナが、最後に俺の服の裾を整えた。
「お気をつけて」
「うん。行ってくる」
「無理はなさらないでください」
「分かってるよ」
今日は、朝からずいぶん慎重に扱われている気がする。
いや、昨日までの俺が原因なのだが。
アリスは少し離れたところで、ディアルにも同じようなことを言っていた。こちらを見ると、すぐに歩いてくる。
「フィルも、怪我をしないで帰ってきてください」
「うん。気をつける」
「お兄様とは別々なのですから」
「大丈夫。ちゃんと帰る道具ももらったし」
しまった場所を軽く叩いて見せる。
アリスはまだ何か言いたそうだったが、最後には頷いた。
「では、待っています」
俺も頷き返し、ディアルと並んで里を出た。
◇◇◇
竹林へ入ると、里の声が少しずつ遠くなった。
風が吹くたび、頭上で葉が擦れる。細長い影が道へ落ち、歩くにつれて、足元を横切っていった。
この道を通るのは、里へ来た時以来だ。
あの時は大人たちについて歩いていたが、今日は俺たちが前を進む。
少しだけ、任された感じがする。
少しだけ、なのは――。
「……いるよね」
小さく言うと、ディアルが頷いた。
「ああ」
里を出たあと、一度だけ、道から外れたところに気配があった。
顔は見えていない。
ただ、あの感じには覚えがある。
イーサックと、アリソン。
正確にどこを歩いているかは、もう分からなかった。確かめようとして振り向くのも、何となく悪い気がする。
内緒でついてきてくれているなら、そのままにしておこう。
考えてみれば、五歳と八歳を魔物の群れへ向かわせるのだ。
俺たちだけで行ってこいと言われても、本当に放っておくわけではなかったらしい。
そういうところは、ちゃんとしている。
「先に終わったら、里へ戻る?」
俺が尋ねると、ディアルは道の先を見たまま答えた。
「ああ。待っている」
「俺が先かもしれないじゃん」
「では、待っていてくれ」
さらりと言い直された。
別に、勝負をしているわけではない。
そのはずなのだが、こうも落ち着いて返されると、こちらだけ少し張り合ったみたいになる。
「……まあ、無事に終わればいいんだけどね」
「ああ」
やがて、道が二つに分かれた。
ここから先は、別々である。
ディアルは北へ向かう道を確かめ、俺へ顔を向けた。
「竹を斬るなよ」
「分かってるって。ディアルもね」
返事の代わりに、小さく頷く。
俺も手を上げ、東側の道へ入った。
足元を確かめながら進むと、しばらくして、土が大きく掘り返された場所が見つかった。
落ち葉が散り、地面には幾つもの足跡が重なっている。
道の先では、竹の根元に泥が擦りつけられていた。硬いものが当たったのか、表面が削れている場所もある。
俺は立ち止まり、音を聞いた。
葉の擦れる音。
その下に、土を蹴るような音が混じる。
さらに奥から、低く、荒い鼻息が聞こえた。
柄へ手を添える。
刀は、いつもどおり静かに腰へ収まっていた。
二メートルの、硬くて素早い猪。
まずは、どれくらいいるのかを確かめよう。
俺は竹の間を覗き込み、足音を抑えて道を外れた。




