第七章 勇者ではない勇者
アルディスは北へ向かう間、何度も花を渡された。
村。
宿場町。
城塞都市。
どこへ行っても人々は彼を勇者と呼び、魔王を倒してください、息子をお願いします、王国を救ってくださいと頭を下げた。
アルディスは、そのたびに笑顔を返した。
自分が嘘をついていると知りながら。
最初の戦いは容易だった。
ゴブリン。
オーク。
大型魔獣。
アルディス自身が強かった。
幼い頃から王国一流の教師に剣を学び、魔法も身につけている。
普通の魔物であれば十分に戦える。
兵士たちは勝利のたびに歓声を上げ、さすが勇者だと口々に称えた。
その言葉を聞くたびに、アルディスは地下牢にいたノアを思い出した。
二戦目では魔族の斥候と遭遇した。
少し苦戦したものの勝利した。
そして三戦目。
アレシュ平原。
そこで遠征軍は、本格的な魔族部隊と初めて衝突した。
異様だった。
人間より速い。
強い。
何より傷が塞がる。
騎士が胸を貫いても、魔族はその剣を掴んで自ら引き抜き、開いた傷口を短時間で塞いでしまう。
歴代勇者の記録には書かれている。
《勇者の剣は魔の加護を破る》
だが、アルディスの剣にはその力がない。
どれほど名工が作ろうと、どれほど神官が祈ろうと、本物ではなかった。
兵士が死んだ。
次々と。
騎士団長ガルドが撤退を進言する。
後方には小さな村があった。
逃げ遅れた住人が百人ほど残っている。
アルディスが、避難には何分必要かと尋ねると、二十分以上かかると返された。
彼は馬を反転させた。
第二隊を残し、自分も残ると命じる。
ガルドは止めた。
勇者を失えば王国が危うい。
その言葉を聞いた瞬間、アルディスの中で張りつめていたものが切れた。
「私は勇者ではない」
自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。
周囲の騎士たちが動きを止めた。
アルディスは一度だけ目を伏せ、それから剣を握り直した。
「それでも、村人を置いて逃げる理由にはならない」
遠征軍は二十七分持ちこたえた。
死者四百十二名。
重傷者二百余。
アルディスは左肩を深く裂かれた。
村人九十三名は逃げ切った。
七人は間に合わなかった。
夜。
敗走する遠征軍。
負傷者のうめき声。
死者名簿。
アルディスは一人ずつ名前を見ていた。
ガルドが隣へ座った。
昼の発言について尋ねられ、アルディスは聞かなかったことにしてほしいと頼んだ。
ガルドはできないと答えた。
本当なのかと問われ、アルディスはしばらく黙った後、聞かない方がいいとだけ言った。
「なら、聞きません」
ガルドはそれ以上踏み込まなかった。
ただし、今日アルディスが勇者かどうかは自分にはどうでもよくなったと続けた。
なぜかと問うと、逃げることができたのに残ったからだと答えた。
アルディスは苦笑した。
「四百十二人死にました。九十三人のために」
「はい」
「間違いだったかもしれない」
「そうかもしれません」
慰めてほしかった。
英雄だったと。
正しかったと。
しかしガルドはそう言わなかった。
「殿下は、その決断を一生背負われるのでしょう」
アルディスは死者名簿へ目を落とした。
「……そうですね」
「ならば、それでよいのではありませんか」
夜明け前。
丘の上に魔族の将が現れた。
黒い角。
長い剣。
遠征軍は疲弊している。
アルディスが前へ出た。
敵将は彼を見て笑った。
「お前ではないな」
勇者のことだと、すぐに分かった。
アルディスは剣を抜いた。
「知っている」
魔族の笑みが少し消えた。
本物を知っているのかとアルディスが尋ねると、魔王は神の剣の存在を感じているのだと答えた。
そして魔族は、勇者でもないのになぜ人を助けるのかと尋ねた。
地下牢のノア。
同じ問い。
アルディスは少し考えた後、勇者でなければ人を助けてはいけないのかと問い返した。
魔族は、それでは答えになっていないと言う。
「助けたい人がいる」
アルディスはそれだけ答えた。
魔族はしばらく彼を見た後、何もせず丘の向こうへ姿を消した。
偵察だったのだろう。
アルディスはその背中を見送りながら、ノアの名を小さく呟いた。
本物の勇者。
今、何をしているのだろう。
少なくとも、自分よりは正直に生きているような気がした。




