第89話 空白の三十日
蟻の巣ダンジョンの設計が仕上がった。
あとは、実行に移すだけだ。
ダミーコアは手元にある。
レイゼルが勇者を騙した時に使ったダミーコアと、物としては同じもの。
ただし、今回は偽装ではなく、代替コアとして使う。
その機能が、元々備えられていた。
コア部屋に、主要メンバーを集めた。
シルヴァさん、アニ、オト、イモ、セラ、レイゼル。
ぽんこは俺の横。
「これから、ダミーコアの代替コア機能を起動する。その前に、全員で段取りを確認したい」
俺はUIを展開して、全員に見えるようにした。
「ぽんこ」
「はい。説明します」
ぽんこが一歩前に出た。
真面目な話の時の顔だ。
「ダミーコアの代替コア機能を起動すると、このダンジョンはダミーコアで維持される状態に切り替わります。ダンジョンコアは、このダンジョンから切り離されます」
「切り離されたコアを、新しい場所に持っていく」
「はい。ただし、制限があります」
ぽんこがUIに赤い文字で表示した。
「代替コア機能の起動から三十日以内に、新しいダンジョンへダンジョンコアを設置しなければなりません。三十日を過ぎると、代替コア機能は無効になります。無効になると現ダンジョンの管理も不可能になり、私達は帰る家がなくなります」
部屋の空気が、少しだけ変わった。
アニが腕を組む。
オトは表情を変えないが、わずかに姿勢が前に出た。
レイゼルが椅子の上で足を組み替えた。
「さらに」
ぽんこが続ける。
「ダンジョンコアを新しいダンジョンに設置するまでの間、現ダンジョンは既存構造の自動維持だけになります」
「自動維持だけ、というと」
アニが聞いた。
「構造、モンスターの自動生成、今ある罠は、そのまま動きます。でも、新しいモンスターの生成、構造の変更、マスターの転移、そういった操作は全部できなくなります」
「指示も出せないのか」
「出せます。ただしUIを通じた全体指示は出来ません、直接指示を出すしかなくなります」
「新ダンジョンの方は」
「まだ正式稼働していないので、何もできません。コアを設置して初めて起動します」
つまり、空白期間が生まれる。
ダミーコアを起動してから、俺が新ダンジョンにコアを設置するまでの間。
現ダンジョンは自動運転。
新ダンジョンは起動前。
俺はコアを抱えて外を歩いている。
誰もが、その意味を理解した。
「候補地までの距離は」
アニが地図を見ながら聞いた。
「護衛部隊の行軍速度で、二十日前後です」
「余裕は十日」
「はい」
「移動中に何かあった場合の対応は」
「アニさんの護衛部隊と、同行メンバーだけで対処するしかありません」
アニは何も言わずに、頷いた。
代わりに、頭の中で護衛の編成を組み始めている様子だった。
左手の指が、規則的に動いている。
「同行メンバーを決めたい」
俺が言った。
「セラ。コアを任せる。絶対に守ってくれ」
「了解しました」
セラの返事は短い。
だが、コア防衛と聞いた瞬間、立ち姿がわずかに変わった。
重心が低くなる。
戦闘形態ではないが、臨戦に近い姿勢。
セラにとって、コア防衛は存在理由だ。
「アニ。護衛部隊の編成と指揮を頼む」
「了解。精鋭で組む。数はどれくらい出す」
「多すぎても目立つ、隠密に動ける最大数で」
「わかった。……百、だな」
「オトは先行偵察、オト隊は全部連れてっていい」
「うん」
「チュウタ。連絡網」
『了解』
チュウタの念話が、部屋の隅から飛んできた。
分体が、机の端にちょこんと座っている。
「ぽんこ、今回はお前もついてきてくれ」
「はい!マスターのナビ、ぽんこにお任せです!」
「レイゼルは、このダンジョンに残れ」
「了解。ま、危ない時に私にまで構ってられないよね」
「いや、なんとも不本意だが、お前にも仕事を頼む。このダンジョンに何か問題が起きた時、シルヴァさんと連携して対応してくれ」
「あれ?ちょっとは信頼してくれた?」
レイゼルの軽口に、俺は返さなかった。
「イモは」
「はいはい、どっちでもいいですけど」
「残れ、レイゼルの監視を頼む」
「じゃあ残ります」
編成が決まった。
移動組。俺、ぽんこ、セラ、アニ隊護衛部隊百、オト、チュウタ連絡網。
残留組。シルヴァさん、レイゼル、イモ、残りのゴブリン。
ぽんこがメンバーをUIに書き込んでいく。
「ところで」
シルヴァさんの声。
穏やかな声。
だが、少しだけ、いつもと違う響きがある。
「マスター」
「はい」
「改めて。……私は、新しいダンジョンへは行きません」
行かない。
引っ越しも佳境になり、判明した事実。
分かっていたが、こうして言われると、重さが違う。
「私は、この森そのものです。人の形で歩ける範囲はありますけれど、この森から大きく離れることは、できません」
その声は、いつも通り穏やかだった。
「森を離れるということは、体の大部分を捨てるということです。エンプレスに進化してから、私と森は、もう切り離せません」
「……分かってます」
「寂しさはありますが、このダンジョンには愛着もあります。私はこのダンジョンに残ります」
シルヴァさんの声が、ふっと、柔らかくなった。
「私は、このダンジョンを守りますわ。マスターが初めて作った、このダンジョンを」
「シルヴァさん」
「低層の探索者のお世話も、深部の管理も、私にお任せください。私ひとりで何もかも、という訳にはいかないでしょうが、私には森も、ゴブリンさん達もついています。みんなの力で、守ってみせます」
「……ありがとうございます」
「いいえ。ここは私の家ですもの」
家。
シルヴァさんが「家」と言う時、それはダンジョンそのものを指している。
ここで暮らす全員の居場所。
その家を、シルヴァさんに託す。
俺は家を出て、新しい場所を作りに行く。
シルヴァさんは家に残る。
「シルヴァさん」
「はい」
「戻ってきます」
「ええ。お茶を淹れて、待っていますわ」
部屋に静寂が戻る。
俺はUIに目を戻した。
三十日。
その間に、コアを抱えて大陸を横断する。
護衛はアニが選んだ百のゴブリンとセラとオト。
このダンジョンはシルヴァさんが守る。
「ぽんこ」
「はい」
「代替コア機能、起動しろ」
「了解です」
ぽんこがUIに手を伸ばした。
ダミーコアが、淡い光を帯びた。
ダンジョンコアの脈動が揺れる。
青白い光が、ほんの一瞬、強く明滅する。
それから、元のリズムに戻った。
だが、UIの表示が変わっていた。
【代替コア機能:起動】
【ダンジョンコア:切り離し可能】
【制限時間:三十日】
「起動しました」
ぽんこの声が、静かに響いた。
「カウントダウン、始まります」
三十日の空白が、始まった。




