第85話 天の邪鬼
【side:ラセツ隊ゴブリン】
兄貴の背中は、でかい。
あっしみたいなゴブリンからすれば、何もかもがでかい。
薄紅色の背中。
肩に担いだ珍妙な形の金棒。
足音。
息づかい。
兄貴の後ろを歩くのが、あっしの仕事だ。
いや、仕事というのは正確じゃない。
誰にも頼まれてない。
兄貴にも言われてない。
アニから振られた仕事は無視している。
勝手に歩いてるだけだ。
森を抜けて、三日。
割り当てられた区画の端まで来た。
この辺りは人間の集落から離れていて、街道も通っていない。
木が太く、藪が深く、日が差さない。
兄貴が足を止めた。
「いるな」
前方の茂みの奥、でかい気配が二つ。
野良モンスター。
この森に棲みついた獣型。
熊みたいなモンスターだ。
聞いた話では、中型の肉食獣タイプ。
ゴブリン小隊なら苦戦する相手。
兄貴が金棒を担ぎ直した。
「待ってろ」
言い終わる前に、兄貴は消えた。
消えた、と言うのは比喩じゃない。
あっしの目には、一歩目の踏み込みしか見えなかった。
次に見えたのは、藪の向こうで何かが吹き飛ぶ影と、地面を揺らす衝撃。
二秒。
藪が割れて、兄貴が戻ってきた。
金棒の先に、血がわずかについている。
息ひとつ乱れていない。
「終わった」
「お疲れさまです」
「疲れてねぇ」
そうだろう。
兄貴が強いのは、あっしが一番よく知っている。
ラセツ隊が出来た頃から、兄貴の戦いを一番近くで見てきた。
最古参。
兄貴が生まれた日、あの宴の晩に、勝負を挑んでぶっ飛ばされた。
その頃からの付き合いだ。
だから分かる。
兄貴の顔が、晴れてない。
金棒を肩に戻して、次の地点に向かって歩き出す。
背中は大きい。
足取りに迷いはない。
でも、楽しそうじゃない。
外に出られたら変わると思っていた。
ダンジョンの中で、護衛だの運搬だの後始末だのをやらされていた時、兄貴はいつも退屈そうだった。
退屈で、苛々していた。
外に出た。
広い空。
森。
風。
知らない土地。
それでも、兄貴の顔は変わらなかった。
二時間後、また野良モンスターに出くわした。
今度は三体。
さっきよりでかい。
牙が太く、熊のくせに背中に硬い甲殻がある。
兄貴が、金棒を下ろした。
「来い」
三体が同時に飛びかかる。
兄貴は一体目を正面から叩き潰し、二体目を横薙ぎで吹き飛ばし、三体目の突進を片手で受け止めて、そのまま地面に叩きつけた。
五秒。
地面に三つの影が転がっている。
兄貴は金棒を振って血を払い、肩に担ぎ直した。
「……チッ」
舌打ち。
あっしは、兄貴の後ろに立ったまま、口を開いた。
「楽そうでよかったですね」
兄貴が振り返った。
目つきが悪い。
もともと悪いが、さらに悪い。
「つまんねぇ面してる相手に言うことか、それ」
「楽そうに見えたんで」
「楽に見えたか」
「はい。兄貴が本気出すまでもない相手ばっかりで、くだらねぇなぁと」
兄貴が、あっしをしばらく見ていた。
殴られるかと思った。
殴られても別にいい。
兄貴に殴られるのは、もう慣れた。
兄貴は、ため息をついて、歩き出した。
「ついてくんな」
「ついてってませんよ。あっしの進みたい道に兄貴がいるんでさ」
「いつもそれだな」
あっしは兄貴の後ろを歩く。
あっしは、ゴブリンだ。
ラセツ隊は鬼種で固められている。
最初はゴブリンで編成されたラセツ隊だが、段々鬼種に入れ替わっていった。
兄貴みたいな「悪鬼」じゃねえ、下位種のただの「鬼」。
それでも鬼種、ゴブリンなんかとは比べものにならない存在感。
赤い肌の鬼がずらりと並ぶ中に、あっしみたいな小さくて緑色のゴブリンが一匹。
場違いにもほどがある。
でも、あっしはここにいる。
アニから何か言われているのも知っている。
それでも兄貴は、あっしを追い出さなかった。
それだけで十分だ。
日が傾いてきた。
野営の準備をする。
あっしが火を起こして、兄貴が丸太を引っ張ってくる。
兄貴は丸太に座って、金棒を横に置いた。
火の前で、兄貴がぼんやりと空を見ていた。
空の向こうに、対岸の大地が見える。
こちらが暗くなる代わりに、太陽が向こうの大地を照らしている。
「兄貴」
「なんだ」
「つまんないですか」
「……ああ」
「外に出たかったんじゃないんですか」
「出たかった」
「出たのに、つまんねぇと」
「……ああ」
兄貴が、火を見た。
「雑魚ばっかりだ」
「ですね」
「候補地を見て、雑魚を潰して、報告して、次の区画に行って、同じことの繰り返しだ」
「お仕事ですからね」
「知らねえよ。俺は仕事がしたくて外に出たんじゃねぇ」
兄貴の声が、少し低くなった。
「俺は」
兄貴が、金棒を見た。
火の光が、金棒の鋲に反射する。
「強い奴とやり合いてぇんだ」
あっしは黙った。
「自分を削るような喧嘩がしてぇ。自分も相手も削りあって、最後にどっちが立ってるか。そういう喧嘩が」
「はい」
「候補地探しじゃねぇ。雑魚掃除じゃねぇ。地図を埋める作業じゃねぇ」
「分かってます」
「分かってんなら黙って聞いてろ」
「聞いてますよ。兄貴が珍しく喋ってるんで、黙って聞いてます」
「全然黙ってねぇだろ」
兄貴が、ちょっとだけ笑った。
ほんの一瞬だ。
すぐに消えた。
「……帰ったら、主に言うか」
「言うんですか」
「言わなきゃ変わんねぇだろ」
「そうですね」
あっしは、火に枝を足した。
兄貴は、空を見ている。
あっしには、兄貴の気持ちが全部は分からない。
鬼の誇りだとか、戦いへの飢えだとか、あっしはゴブリンだから、鬼の気持ちは分からない。
だけどゴブリンだから、兄貴のでかさだけはあっしが一番わかっている。
兄貴の後を追うことが、あっしの仕事。
仕事、というのは正確じゃない。
誰にも頼まれてない。
あっしの生き様。
ついてくんなと言われたら、ついていく。
黙ってろと言われたら、相槌を打つ。
最弱に生まれたからには、最強に憧れる。
あっしは昔から、そういう性分だ。




