第83話 レイゼルとアニ
広域捜索が始まって、十日が経った。
アニがまとめた報告が、毎朝コア部屋に届く。
俺はそれに目を通して、気になる区画にチェックを入れて返す。
その朝、アニは報告を渡した後、すぐには帰らなかった。
椅子に座り直して、机の縁に手を置いた。
何か言いたいことがあるようだ。
「マスター」
「ん」
「レイゼルを、捜索に連れていきたい」
俺は、報告に落としていた目を上げた。
冗談で言っている顔ではなかった。
「……なんでだ」
「候補地を見る時に、俺たちには判断できない部分がある」
「どの辺が」
「人間の街道からの見え方とか、探索者が踏み込みやすい地形か避ける地形かとか、表向きの不自然さをどう消すかとか。そういうのは、俺たちゴブリンには難しい」
アニの言うことは、筋が通っている。
ゴブリン達がどれだけ成長しても、生まれてからずっとこのダンジョンの中で育った連中だ。
人間社会との距離感は、肌では分からない。
レイゼルなら、それが見える。
あいつはこの世界で生まれ育った人間だ。
それに勇者をダミーコアで騙した判断力。
他のダンジョンマスターに同盟を持ちかけた交渉力。
あいつの頭は、認めたくないが、使える。
そしてその勘は、実のところ俺にもない。
俺はこの世界の人間じゃない。
この大陸の地理や常識は、チュウタの偵察と住人掲示板から組み上げた継ぎはぎでしかない。
レイゼルを確保している利点を生かすなら、確かに今は使いどころだ。
「アニ。お前、レイゼルとどれくらい話してる」
アニが、わずかに目を逸らした。
「前から、何度か。食堂であいつが仕事の話を振ってきて、返してたら、何度か」
「あいつ、相変わらず食堂にいるのか」
レイゼルはダンジョンマスターだ。
俺と同じように食事の必要はない。
ただの娯楽だ。
「いる」
俺は息を吐いた。
レイゼルは、捕虜だ。
奴のコアは握っているから、コアさえ守っていれば問題ない。
ただ、最近のあいつは、捕虜らしくない。
食堂に自然に座って、ゴブリン達と軽口を叩いて、情報を集めて、アニの相談に乗っている。
いつの間にか、住人のように振る舞っている。
悪いことかと言われると、悪いとは言いきれない。
だが、警戒は別の話だ。
「マスター」
アニが、まっすぐこちらを見た。
「俺が責任を持つ。連れて行かせてくれ」
責任を持つ、とアニは言った。
こいつがそう言うからには、考えた上で言っているのだろう。
「……分かった。任せる」
アニが立ち上がった。
出ていく前に、一度だけ振り返り、言う。
「あいつが何かしたら、俺が止める」
「分かってる」
アニが部屋を出ていった。
扉が閉まる。
俺は、机の上のコアを見下ろした。
「ぽんこ」
「はい」
「オト呼べ」
オトはすぐに来た。
扉が開いた音は、しなかった。
気づいた時には、部屋の中にいる。
「来た」
「頼みがある」
「うん」
俺は、声を少し落とした。
「明日からアニの隊にレイゼルが同行する。隊の周辺にいて、レイゼルを監視してくれ」
「うん」
「アニには気づかれるな」
オトが、一拍だけこちらを見た。
黒い目に、感情の揺らぎは見えない。
「兄、知らないほうがいい?」
「ああ、アニが責任持つって言ってるからな。オトはあくまで保険だ」
「分かった」
それだけ言って、消えた。
出る時も、扉が開いた音はしなかった。
部屋に静寂が戻る。
アニを疑っているわけではない。
あいつは慎重で、責任感が強い。
だが、強すぎる。
もしなにか被害が出たら、アニは自分の判断のせいだと思うだろう。
それに、アニ自身に何かあるのも困る。
「マスター」
「なんだ」
「それ、任せたって言わないんじゃないですか」
俺は、ぽんこの方を見なかった。
「アニを心配してるだけだ」
「心配」
「あいつは責任を背負いすぎる。レイゼルが何かやらかしたら、アニが自分のせいだと思う。それを避けたい」
「ふーん。まるでマスターみたいですね」
「おい」
「事実です!」
ぽんこが、にっと笑った。
お団子が一回、機嫌よく回る。
俺はぽんこから目を離して、UIを開いた。
オトの位置情報が表示されている。
十三階層の通路を離れて、移動を始めていた。
開いた後で、自分が何をしているかに気づいた。
閉じた。
「マスター?」
「分かってる」
「何が分かってるんですか」
「分かってる」
ぽんこは、それ以上は突っ込まなかった。
お団子だけが、もう一回、ゆっくり回った。




