↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

81/88

第81話 コアを移す

コア部屋の床に、拳の跡があった。


石が砕け、わずかに陥没している。

前室の扉の前で、セラが振り下ろした一撃の名残。

あの拳がゼルヴェンを捉えていれば、人間が一人潰れて終わっていた。


捉えられなかった。


一カ月が経った今でも、その跡を消す気にはなれない。


「マスター、お茶冷めますよ」


ぽんこの声が後ろから飛んでくる。

振り返ると、机の上のカップを指差していた。

シルヴァさんが朝に淹れてくれたものだ。

半分残っている。


「いい」

「ぬるくないですか」

「ぬるい」

「淹れ直しますか」

「いい」


ぽんこが、はい、と短く返事をして黙った。

今日のぽんこは妙に空気を読む。

俺が考え事をしているのが伝わっているのだろう。


戦後、ダンジョンの整備は粛々と進んでいた。


アニ隊の負傷者は順次戦線に戻り、ゴブリン部屋では新しい個体が増えている。

シルヴァさんは森の補修に専念していて、地形は表面上、討伐前と変わらない姿に戻りつつある。

床ごと落とした十五階層だけは、まだ手付かずだ。

あれは後回しでいい。


手のかかることは全部、後回しにしてある。


なぜなら、もっと先に決めなければならないことがある。


ゼルヴェンは追い返した。

査定はBランクになり、本人は左遷された。

チュウタの分体経由で街の動きも追っているが、本部から再編された討伐隊が来る気配はない。

当面、本気で踏み込んでくる戦力はない。


ぽんこは「これで一段落ですね」と言った。


そう言いたい気持ちは分かる。だが、俺の中ではそうなっていない。


報告があがった。

残った書類は、いつか誰かが読み返す。

読み返す人間が「あの男の言っていたことは事実だった」と気づく時が来るかもしれない。

あるいは、ゼルヴェン自身が何かを掴んで戻ってくるかもしれない。


ゼルヴェンの中で、今この部屋は「最奥にある人工的な空間の、扉の向こう」として記録されている。


一度来られた場所だ、二度目はもっと簡単に来られる。


「ぽんこ」

「はい」


「移す」


ぽんこがこちらを見た。お団子が止まる。


俺は机の上に並んだ二つのコアを見下ろした。

青白い脈動と紫の明滅。

一年以上、同じ場所で同じリズムで光り続けているコア。


「ダンジョンコアを、移す」


ぽんこは、しばらく俺を見ていた。


「……それを考えてたんですか」


ぽんこが、ふう、と息を吐いた。

お団子がゆっくり回り出す。


「私にも相談してくださいよ。一人で抱えるの、よくないです」

「悪い」

「マスター暗すぎ問題です!マスターのメンタル管理はぽんこの仕事ですからね!」


ぽんこが机に近づいてきて、二つのコアの間に立った。


「で、どう移しますか。持って外に逃げますか」

「それ勝算あるのか?」

「無くはないですよ、強化したマスターとモンスターの少数精鋭で動きまわってコアを守るのは割と常套手段です」

「俺がやると思うか」

「分かってますよ。マスターお外嫌いですもんね」

「言い方」


「じゃあ、答えは出てるんですよね」


ぽんこが、にやっと笑った。

先回りされている。


「分割ですね」


ぽんこがUIを開いて、見慣れない項目を表面に上げた。


ダンジョン分割。

ダミーコア。


管理権限レベル5で解放された、戦争支援パック2の機能。

あの時はコア破壊で一気にいろんなものが解放されて、住人掲示板の方に目を奪われていた。

分割の仕様だけ目を通して、使う場面がなかったから放置していた。

そして何より、条件が厳しく手が出せなかったからだ。


俺はここ数日で整理した仕様を、思い出しながら言う。


「新しいダンジョンに本物。元のダンジョンにはダミーコアが必要だ」


ダミーコアはただの偽装用のコアではない。

使い方によっては分割したダンジョンのコアとして使用できる。


「このダンジョンにダミーコアを置く。本物は新しい場所に移す」

「はい」

「ゼルヴェンがここに帰ってきても、ここにあるのはダミーの方だ。割られても俺は死なない」

「はい」


ぽんこは短く相槌を打つだけで、何も付け足さない。


「このダンジョンはこのまま残す。このダンジョンには稼いでもらわないとならない。新しいダンジョンはなるべく人は入れない、稼ぐのはこっち、新しいダンジョンは防衛用だ」

「そうですね!前線は支社に任せて、我々は本社でぬくぬく過ごしましょう!」

「言い方」


「で、新しい場所ですけど」

「ああ」

「なにか条件決まってます?整理しましょうか」

「頼む」


ぽんこがUIに、新しいウィンドウを開いた。

空白のメモ欄。


俺は条件を、口に出していく。


「人間に見つかりづらい場所」

「はい」


「ただし、街道や街から完全に切れていてもダメだ」

「人間の動きが見えなくなりますもんね」

「そうだ」


「次は」


次の条件を出す前に、俺は少し考えた。


第三大陸は広い。

ざっと面接を計算すると日本の十倍。

大陸を端から端まで歩けば何ヶ月もかかる。


俺の周りの大陸北西部は、戦争の結果、十日ほどの範囲にはもうダンジョンマスターがいない。

完全に空白だ。


「ここは大陸の端だ。北も西も海で、守るにはいいが、反対側を攻めるには遠すぎる」

「そうですね」

「最後の一人まで潰し合う戦争中。いずれは攻める必要も出てくる、それを考えると……」

「中央、ですか」

「ああ。徒歩で何ヶ月もかかる距離だ。すぐに動ける話じゃない。だが、置くならそっちだ」

「距離、大丈夫ですか」

「分割してもダンジョン内転移が可能だ。設置さえ終われば、行き来は問題ない。問題は設置するまでだ」

「あ、そうでしたね。失礼しました。ただマスター、ダンジョンをまたいでの転移はコアはもちろん、モンスターも連れていけません。マスターの身一つでの移動となります、ご注意ください」


ぽんこが書き加えた。


「次は」

「人間が普通は避けるような地形」

「深い森、断崖、険しい山、湿地、その辺ですね」


ぽんこが、にっと笑った。

お団子が、機嫌よさそうに回っている。


俺は息を吐いて、ぬるいお茶を飲んだ。


「以上だ。たぶん、これで絞れる」

「絞れますね。ただ、それでも範囲が広すぎます」

「分かってる」


「チュウタさんに偵察頼みますか?」

「いや。それだとどれだけ時間がかかるか分からん」


ゼルヴェンが帰ってきてからでは遅い。


今いる場所が安全な間に、新しい場所を決めて、移して、立ち上げる。


時間との勝負だ。


「明日、アニを呼べ」

「アニさんですか」

「ああ」

「アニさんに、何を頼むんです」


俺は床の傷を見た。

セラの拳が砕いた石の跡。


「広域捜索の話だ」

「広域、ですか」

「やり方はあいつに考えさせる。俺は条件を渡すだけだ」


ぽんこが頷いた。

お団子が一回、回転する。


「了解です。明日の朝、コア部屋に集合ですね。手配しときます」

「頼む」


ぽんこが軽く頭を下げて、UIを閉じた。

部屋に静寂が戻る。


二つのコアの脈動だけが、机の上で続いている。


近いうちに、これを抱えて外に出ることになる。


ぬるいお茶の残りを飲み干して、俺はもう一度床の傷を見た。

あの拳の跡は、しばらく消さない。


俺がここを出るまで、ずっと残しておく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。