第79話 査問
【side:ゼルヴェン】
第一大陸、ギルド本部。
査問室は地下二階にあった。
窓のない石造りの部屋で、正面に長い机が据えられている。
そこに五人の幹部が並んで座り、その前に一脚だけ置かれた椅子に、ゼルヴェンが座っていた。
船で二十日。
第三大陸から第一大陸へ戻り、そのまま本部に呼び出された。
着替える暇はあったが、顔色は悪い。
頬がこけ、目の下に隈がある。
だが背筋は伸びていて、眼鏡の奥の目は暗いが、濁ってはいなかった。
中央の幹部——査問委員長が、書類に目を落としたまま口を開いた。
「迷宮査定官ゼルヴェン。イース北ダンジョン査定任務における経緯と結果について、報告を求める」
「はい」
「まず確認する。今回の任務で動員された戦力と、その損害を述べよ」
「第三大陸常駐中級討伐隊、七十名。本部所属上級討伐隊五十名。合計百二十名。うち死者百二十名。全滅です」
幹部達の間に、微かなざわめきが走った。
「中級と上級を合わせて百二十名の死者。生き残ったのは探索者と、査定官であるお前だけか」
「百二十名だぞ。第三大陸の部隊だけならともかく、本部の討伐隊を五十名失った。君はその損害を、どう説明する」
「イース北ダンジョンの実態が、事前査定を大きく超えていたためです」
「その報告書は読んだ」
討伐局長の声が低くなった。
「そのうえで聞いている。君は、イース北ダンジョンをAランク、場合によってはSランク相当として扱い、教会へ勇者の派遣を打診すべきだと報告している」
「馬鹿げている」
別の幹部が吐き捨てるように言った。
査定局長だった。
細い指で報告書をめくり、ゼルヴェンを見ずに続ける。
「イース北は、一年以上Eランクとして運用されてきた迷宮だ。今回の被害を踏まえても、危険度はB相当と見るのが妥当だ。AやSなど、論外だ」
「通常危険度であれば、B相当です」
「ならば、なぜAやSなどと言い出す」
「通常のダンジョンではないためです」
沈黙。
ゼルヴェンは表情を変えなかった。
「イース北ダンジョンには、意思がある」
その一言で、幹部たちの視線が集まった。
監査局長が眼鏡を外し、机の上に置いた。
「続けなさい」
ゼルヴェンが姿勢を正した。
「イース北ダンジョン。現行ランクE。書類が手元に届いた時点で、違和感が二つあった」
「一つ目。このダンジョンは安定しすぎている。開設から一年以上、成長の兆候がなく、衰退の兆候もない。死亡率は一定で、急増も急減もない。通常の迷宮には波がある。イース北にはその波がない」
「二つ目。ダンジョンとギルド、双方にとって都合がよすぎる。地方支部は再査定の手間が省け、探索者は安定した稼ぎ場を維持できる。現状維持が全員の最適解になっている。データの偏りのなさは、それ自体が偏りだ」
「現地到着後、調査隊十二名を投入した。結果、低層はEランク相当。罠の配置は規則的で、出現パターンに法則性がある。調査隊から『作為的』という所感が上がるほどだ。探索者を殺さないように最適化された構造、普通の迷宮にある理不尽さがない。危険が均一に分散されている。まるで設計者がいるかのように」
「確認のために自分で入った。街で最もこのダンジョンに通い詰めている探索者を案内役に雇い、同行した」
ゼルヴェンの目が、査問室の壁を見ていた。
幹部達を見ていない。
「その探索者は、低層で完全にリラックスしていた。罠の位置を自然に避け、ゴブリンの出現に驚かない。慣れ、と言えばそれまでだが——適応の痕跡がなかった。変化に対応し続けた結果の慣れではなく、最初からそこにあるものを知っていたかのような歩き方だった。つまり迷宮が変化していない。一年以上、低層の構造がほぼ同一のまま維持されている」
「実際に歩いてみると違和感だけが目立った。モンスターの配置、ダンジョンの構造、全てが何者かの意思が感じられる」
「この時点で殲滅を含めて検討しはじめた。しかし、状況証拠だけでは弱い。そこで実験を行った」
ゼルヴェンの声の調子は変わらない。
百二十名が死んだ作戦を「実験」と呼ぶことに、何の躊躇もない。
「まずは第三大陸の中級討伐隊七十名と地元探索者を投入した」
「結果。探索者側の死者はゼロ。討伐隊の死者は三十名。十階層以降ではゴブリンに明確な指揮系統が発生し、討伐隊だけが集中的に殺された。しかし下級相当の探索者は全員無事だった。このダンジョンは、殺す相手を選んでいる」
「次に問題なのは、これがダンジョンとしてのシステムなのか、誰かの意思なのかだ」
「そこで本部の上級討伐隊を使った」
「上級五十名を含む三百名規模で侵入した。結果を述べる」
ゼルヴェンが指を折り始めた。
一本ずつ、事実を積み上げていく。
「一。十階層までの構造が前回と完全に同じだった。一方、十一階層以降は完全に我々に適応していた。理由は明白で、十一階層以下は『誰にも見られていないから』だ」
「二。ゴブリンに指示を出している存在が、一度も前線に現れなかった。ゴブリンの動きは明らかに統率されている。だが指揮者本人は最後まで姿を見せなかった」
「三。上級討伐隊が次々と死んでいく中で、案内役の探索者は死ななかった。ゴブリンが探索者の横を素通りして討伐隊を襲う場面が複数あった。探索者は、ダンジョンに保護されている」
「これらがきっかけになり、ダンジョンの意思を確信した。そこで偽装された最下層で罠にかかった時点で、目的を強行偵察に切り替えた」
ゼルヴェンの声が、ほんの少しだけ変わった。
事実の羅列から、自分が見たものの描写に移ったからかもしれない。
「偽最下層は、全面が植物で構成されていた。壁も床も植物の偽装で、下層の森の上に作られた偽の階層だった。床が消え、森に落ちた。討伐隊は壊滅した。その中を進み、最奥で——部屋を見つけた」
「ダンジョンの他のどこにもない空間だった。継ぎ目のない壁。規格化された床。均一な素材。自然発生では有り得ない。設計され、建造された部屋だ。ダンジョンの中に、ダンジョンではない場所があった」
「その扉の前に、自律型の機械兵器が立っていた。人型。百七十センチの通常形態から四メートルの戦闘形態に変形した。戦闘能力は私では突破できない水準だった。この種の機械兵は通常のダンジョンには存在しない。そしてあの機械兵は、明らかに何かを守っていた。扉の前に立ち、通路を塞ぎ、侵入者を排除する。そのためだけに配置されていた」
ゼルヴェンが指を下ろした。
「以上だ」
短い間を置いて、結論を述べた。
「イース北ダンジョンには意思がある。設計者がいる。ダンジョンと特定の探索者の間には癒着すら疑われる。危険度はBランク相当だが、問題の本質は危険度ではない。背後にいる知性だ」
「勇者を動員しての即時殲滅を進言する。ランクはSとして扱うべきだ」
沈黙が落ちた。
委員長が書類を閉じた。
「ゼルヴェン。ランクの判定はBとする。Sランクの認定には複数の査定官による合議が必要だ。勇者の動員は却下する」
短かった。
長い報告に対して、回答はそれだけだった。
しばし、虚を突かれたように黙ったゼルヴェンが口を開く。
「理由を聞いても?」
「ゼルヴェン。お前は今回、初めて失敗した」
ゼルヴェンの表情が、わずかに動く。
「上級討伐隊五十名を含む百二十名の死者。これはお前のキャリアで初めての大規模な損害だ。今まで一度も失敗しなかった男が、初めて壁にぶつかった。その衝撃は——自分が思っている以上に、大きいものだ」
「委員長。私の報告は事実に基づいています」
「そうだろう。お前が嘘をつく人間でないことは知っている。だが、事実の解釈には、精神状態が影響する」
別の幹部が口を開いた。
「ゼルヴェン。Eランクだと思っていた迷宮が実際にはB相当だった。そこに討伐隊を投入して壊滅した。これは端的に言えば、査定の失敗だ。お前が見たものの多くは——その失敗を説明するために、無意識に構築した仮説ではないか」
「違います」
「迷宮に意思がある。設計者がいる。探索者が保護されている。機械兵器が守っている。まるで寝物語だ」
ゼルヴェンの唇が、一瞬だけ引き結ばれた。
「委員といえど所詮この程度か……」
自分にしか聞こえない声でゼルヴェンが呟く、そして幹部達の顔を順に見た。
五人。
全員がゼルヴェンの目を避けた。
「——了解した」
それだけだった。
立ち上がりかけたゼルヴェンに、委員長が言い足した。
「次の任務が出ている。第五大陸の辺境地区だ」
「いつからで?」
「来月だ」
「分かった」
ゼルヴェンは一礼もせずに、査問室を出た。
廊下を歩きながら、眼鏡を外して拭いた。
レンズを光にかざし、埃がないことを確認し、かけ直す。
指は震えていない。
無能を相手に時間を使うだけ無駄だ。
正しいことを進言し、間違って却下された。
よくある話だ、組織とはそういうものだ。
第五大陸の辺境。
世界の端。
迷宮の数も少なく、査定の必要がほとんどない地域。
そこで何年か過ごすことになるだろう。
だが——世界の端にも、迷宮はある。
迷宮があれば、データがある。
データがあれば、仮説が組める。
それに、辺境には時間がある。
ゼルヴェンは本部の玄関を出た、乾いた風が眼鏡のレンズを撫でる。
頭の中の地図は消えない。
イース北ダンジョンの構造。
偽の最下層。
植物の床。
人工的な部屋。
機械兵器。
そしてあの男——リオンという探索者の、嘘をつく目。
全てが記録されている。
いつか必要になる日が来る。
その頃、査問室では、ゼルヴェンが出ていった後、幹部達が顔を見合わせていた。
沈黙を破ったのは、末席の幹部だった。
「……よかったのですか?」
委員長は書類を開き直し、ゼルヴェンの報告書にもう一度目を落とした。
「奴は優秀だ。今まで一度も間違えなかった。だからこそ、初めての失敗が重い」
別の幹部が腕を組んだ。
「第五大陸か。少し遠すぎないか」
「遠いくらいがいい。あの男は頭を冷やす必要がある。今は何を見ても裏を読もうとする。時間が必要だ」
「……戻ってきますかね」
委員長がペンを置いた。
「失敗を知った人間は強くなる。あいつはまだ若い」
委員長達は気付いていない。
ゼルヴェンの報告が、言い逃れでも欺瞞でもなく、ただの事実だと言うことを。
それ以上は誰も何も言わなかった。
ゼルヴェンの報告書が、書類の山に挟まれて閉じられた。




