第78話 最後の部屋
討伐隊が落ちていく。
悲鳴。
腕を振り回し、何かを掴もうとして何も掴めない。
十数名の体が暗い森の中に吸い込まれていく。
しかし、一人だけが落ちなかった。
ゼルヴェンが、床が消える寸前にワイヤーのフックを天井に投げていた。
体が落下の途中で止まる。
片手でワイヤーを握り、もう片方の手でリオンのベルトを掴んでいた。
リオンが宙にぶら下がっている。
ズボンのベルトを掴まれ、荷物のように片手でぶら下げられている。
『——っ!!』
リオンの悲鳴。
ゼルヴェンは下を見た。森。
落ちた討伐隊が蔦に絡め取られ、根に引きずり込まれていく。
上を見た。
コア部屋の開口部。
さっきまで床と同じ高さにあった開口部が、床が消えたことで天井付近に取り残されている。
ワイヤーにぶら下がったまま、ゼルヴェンがリオンに言った。
『お前たちは、迷宮に生かされている』
唐突な言葉だった。
『何を——』
『何故ここまで生きてついてこれた?死ぬべきタイミングはいくらでもあった』
リオンが黙った。
『迷宮がお前たちを殺さないなら、お前は盾になる。だから連れていく。お前がいれば、この先も殺されにくいだろう』
バレた。
俺がリオン達を殺す気がないこと。
確かにそうだ、リオン達は攻撃しないよう皆に言い含めてあった。
しかし、あの攻撃の中でそれに気付くか、普通。
『ひどい話だな』
しかし、リオンの声は震えていなかった。
『俺らは狙われないような立ち回りを心がけていただけだ。あんたらみたいに強くないんでな』
『ひどいかどうかは問題ではない。事実かどうかだけだ』
ゼルヴェンがワイヤーを切った。
落ちる、リオンを片手にぶら下げたまま、森の中に落下した。
十五階層。
シルヴァさんの森。
暗く、深い。
木々が密集していて十メートル先が見えない。
落下した討伐隊の生き残りが、森に呑まれていた。
蔦が腕に絡み、根が足を掴み、枝が通路を塞ぐ。
カークとエルノも落ちていた。
エルノが火球で蔦を焼き、カークが短剣で根を切って足場を確保している。
ゼルヴェンは討伐隊を見なかった。
リオンをぶら下げたまま、走っている。
蔦を杖で斬り、根を飛び越え、倒木を踏み台にして先へ進む。
シルヴァさんの森が四方から攻撃してくるが、ゼルヴェンはものともしない。
すべてを足場に変えていく。
蔦が行く手を塞いだ。
掴んで登った。
ゼルヴェンは枝へ飛び移り、枝から幹へ、ロープのフックを上の枝にかけて振り子のように飛ぶ。
シルヴァさんが枝を振り下ろした。
ゼルヴェンは枝の上面に着地し、反動で跳ねた。
攻撃すればするほど、足場を与えている。
「あいつ、登っている」
「蔦を足場にしてます!シルヴァさんの攻撃を利用して!」
シルヴァさんが森を引いた。
蔦を引っ込め、枝を畳み、根を退かせた。
足場を与えないためだろう。
ゼルヴェンの周囲から一切の足場が消えた。
「よし、これで……」
そう思った矢先、奴は空中でポーチから鋼鉄製の杭を取り出し、壁面に投げた。
突き刺さる。
ワイヤーが伸び、体が振り子のように壁に飛んだ。
壁にとりつき、杭を足場に体を上げ、次の杭を打つ。
ナイフを壁に突き立て、手がかりを作る。
「まてまてまて、空中のコア部屋だぞ。そんなのありか」
杭とナイフとワイヤーだけで、垂直の壁を登っていく。
そのスピードは地面を走るのと大差ない。
「マスター!あと数メートルです!」
「ぽんこ。幹部を集めろ。コア部屋の内室に転移する。セラが抜かれたら、入ってきた瞬間に全員で叩く」
「了解です!」
呼びかけに答え、アニ、オト、イモが俺の下へ来る。
「ラセツ」
返事がない。
「ラセツ、来い」
「俺はいい」
声だけが返ってきた。
「は?」
「俺はいい。行かねえ」
何を言ってる。
「防衛はシルヴァの姉御とセラの仕事だ。俺が出るのは違ぇ」
鬼種はダンジョンの中では本気を出さない。
それが制約であり、美学だ。
守りの場に立つことは、ラセツの仕事ではない。
「守りは守りの連中に任せろ。それが礼儀だ」
「クソっ……」
それ以上は言わなかった。
ラセツを残して、俺らは転移した。
ゼルヴェンが、コア部屋の開口部に手をかけた。
体を引き上げ、前室に入ってくる。
リオンを引き上げ、床に降ろした。
ゼルヴェンが、前室を見渡した。
そして——足が止まった。
コア部屋前室。
天井が高く、壁面は滑らかで均一な素材で出来ている。
蔦も苔も生えていない。
ダンジョンの他のどの場所とも違う、明らかに人工的な空間。
継ぎ目のない壁。
規格化された床。
奥に、箱型の構造物。
ゼルヴェンの眼鏡の奥の目が、見開かれた。
自然にできた洞窟でも、魔力で生成された迷宮でもない。
誰かが設計し、誰かが作った、明確な意図を持つ空間だ。
ゼルヴェンが壁に手を触れた。
指先が壁面を滑る。
ゆっくりと。
彼がこれまでのダンジョン中で壁を触れていた時と同じ仕草。
だが今、その指先が震えている。
『——やはり』
低い声だった。
その声の先に、セラが立っていた。
百七十センチの女性型。
継ぎ目のある肌。
光のない透明な目。
箱型構造物の扉の前に、微動だにせず立っている。
「侵入者二名。進路を遮断し排除します」
機械音とともに、セラの首筋の継ぎ目が開く。
肩口が展開し、背部から重装がせり出す。
身体中の継ぎ目が開き、内部から組み換えられていく。
腕が太く延び、脚は無限軌道に換装され、全身を機械式の戦闘機構が覆った。
百七十センチから四メートルへ。
中央に女性型の核が残り、その外側に頑強な機械の鎧が形成される。
前室が狭くなった。
四メートルの戦闘形態が扉への道を完全に塞ぐ。
ゼルヴェンは杖を構えた。
その時、リオンが動いた。
ゼルヴェンの前に回り込み、両手を広げる。
『何をしている』
『帰してもらう。ここから先には行かせない』
ゼルヴェンがリオンを見た。
冷たい目だ。
『お前には関係ない。退け』
『関係ある。俺は案内役だ。案内役として言う、ここは引き返すべきだ』
『必要ない』
ゼルヴェンがリオンを振り払おうとした。
リオンがゼルヴェンの腕をつかむ。
『離せ』
『断る』
リオンの声が低い。
怯えていない。あの夜、俺の前に立った時と同じ目だ。
覚悟を決めた人間の目。
ゼルヴェンの目が細くなった。
『……お前、何者だ。命がけでダンジョンを守る理由がない』
『守ってるんじゃない。あんたを止めてるんだ。ここで無茶をすれば、あんたが死ぬ。死んだら——』
リオンが言葉を切った。
本当の理由は言えない。
『——街が困る。本部の切り札が死んだら、後始末が大変だ』
苦しい言い訳だった。
だがリオンは目を逸らさなかった。
ゼルヴェンはリオンを見つめた。
三秒。
それからリオンの手を、今度は力で振り払った。
リオンが弾かれるように後ろに下がる。
その数秒で——セラが動いた。
四メートルの腕が二人の間に割り込み、引き離した。
リオンが壁に叩きつけられ、ゼルヴェンが数メートル後退する。
セラとゼルヴェン。正面から向き合った。
狭い前室。
四メートルの機械体と、痩せた眼鏡の男。
数合。
杖が装甲を叩いた。
火花が散る。
傷がつかない。
セラの腕が振り下ろされる。
ゼルヴェンが横に飛ぶ。
セラの腕が爆発する。
ゼルヴェンが何かしたようだ。
しかし、セラは微動だにしない。
セラの脚の間を抜けようとする。
膝で押し戻される。
セラの拳が振り下ろされた。
床に拳がめり込む。
石が砕ける。
ここまで、数秒。
『——撤退する』
ゼルヴェンが開口部に向かって走りだした。
リオンの横を通り過ぎる。
立ち止まらない。
見もしない。
開口部から身を投げた。
ワイヤーが飛び、天井に鉤が刺さり、振り子のような軌道で闇の中に消えていった。
前室に、沈黙が落ちた。
セラが戦闘形態を解除し、扉の前に静かに立った。
リオンが壁にもたれて、荒い息をしていた。
UIの画面で、ゼルヴェンがゴブリン達を素通りするかのように倒し、移動していくのが見えた。
手が震えていた。
「勝ったのか」
「コアは無事です。幹部も全員、無事です」
勝った。
いや……生き残っただけか。
ゼルヴェンはこの部屋を見た。
セラを見た。
人工的な空間と、自律思考の機械兵器。
ただの迷宮ではないという確信を、持ち帰られた。
「……リオンを回収してくれ。カークとエルノも」
見られてはいけないものを、全部見られた。
勝ったどころじゃない。
惨敗だ。
「マスター」
ぽんこがこちらを見る。
「よかったですね!」
「よくない、これは……負けだ」
「いいえ、マスター。今日は生きてるだけで百点の日です」
その笑顔に、気持ちがほぐれていくのを感じた。




