第72話 殺意の階層
残りは討伐隊七十名、案内役三名、ゼルヴェンの七十四名。
UIで見ていると、討伐隊の先頭が十階層に足を踏み入れた瞬間、足が止まるのが分かった。
空気の変化を感じ取ったのだろう。
だが、止まったのは一瞬だけだった。
隊長格の男が声を上げ、隊列を引き締めて前進を再開する。
最初のゴブリンが飛び出した。
三体。
だが九階層までとは動きが違う。
一体が正面から引きつけ、残り二体が盾の隙間から側面へ回り込む。
前衛の盾が反応する前に、側面の兵士が一人、脇腹を抉られた。
最初の負傷者。
前衛が立て直す間に、別の方向から五体。
今度は天井近くの壁の出っ張りから飛び降りてきた。
頭上からの奇襲に後衛が混乱し、魔術師が一人転倒する。
まだ最初の部屋だ。
「……速いな」
討伐隊は対応している。
負傷者を後ろに下げ、盾を組み直し、魔術師の詠唱で通路を照らして死角を潰す。
さすがに正規の訓練を受けた部隊だ。
すぐに立て直す。
だが、立て直すたびに削られていく。
十階層の通路は、九階層までとは設計が違う。
分岐が多く、天井が高く、壁に凹凸がある。
ゴブリンが隠れる場所がいくらでもある。
そしてアニの指揮が入ったゴブリンは、その地形を完全に使いこなしている。
待ち伏せ。
分断。
挟撃。
退路封鎖。
一つ一つは小さな被害だ。
一人負傷し、一人脱落し、一人が行軍から遅れる。
だがそれが積み重なる。
三十分で五人が戦闘不能になった。
一時間で十人。
そして、最初の死者が出た。
分断された小隊の一つが、ゴブリンの群れに囲まれた。
救援が来る前に、前衛の盾持ちが倒れた。
盾を失った小隊は為す術なく崩れ、三人がその場で死んだ。
UIに、三つの赤い点が消えるのが見えた。
DPが流れ込んでくる。
15000。
一人5000DP。
——ここから先は、もう探索者用の迷宮じゃない。
オトが動き始めた。
気配を消し、討伐隊の隊列に紛れ、孤立した兵士を一人ずつ消していく。
討伐隊の側から見れば、仲間が一人、また一人と音もなくいなくなる。
気づいた時には死体だけが残っている。
何に殺されたのか分からない。
恐怖が広がり始めた。
隊列が崩れ、声が飛び交い、指揮系統に乱れが出る。
冷静な兵士ほど後退を主張し、血気盛んな兵士ほど前に出ようとする。
足並みが揃わなくなる。
その隙間を、アニのゴブリンが突く。
二時間で、死者は十五を超えた。
UIの端に、ゼルヴェンの姿が映っている。
後方で、壁にもたれかかるようにして立っている。
自分では戦っていない。
前線の崩壊を、ただ見ている。
何を考えているのか、表情からは読み取れない。
三時間。
死者二十三。
負傷者多数。
討伐隊の半数近くが戦闘不能になっていた。
隊長格の男が声を張り上げた。
『撤退!これ以上は持たん!全隊、後退しろ!ゼルヴェン様、構いませんな』
『許可する』
その声に、誰も異議を唱えなかった。
兵士たちが後ろを向き、警戒しつつ十階層側へ戻っていく。
負傷者を担ぎ、死体を引きずり、崩れた隊列のまま進む。
その間にも一人、また一人と死んでいく。
ゼルヴェンは、黙って隊列に従った。
撤退の最後尾について、通路の奥を一度だけ振り返り、何も言わずに歩いていく。
九階層まで戻った討伐隊を、それ以上追わせるつもりはない。
九階層から上は安全区域だ。ここで血を見れば、地元との関係が壊れる。
『マスター、撤退始まった。追う?』
チュウタの声。
「追わない。十階層から上では殺すな。帰らせろ」
討伐隊の残存部隊がダンジョンを出ていくのを、UIで見送った。
最後にゼルヴェンの背中が入口から消える。
途中で死んだ兵士の死体は、ゴブリンたちが回収している。
装備を剥ぎ、通路を清掃し、次の侵入に備える。
アニの指示だろう。無駄がない。
俺はコア部屋の椅子に座り直した。
「結果報告」
「討伐隊の死者、三十名。負傷による戦闘不能が十五名前後。探索者側の死者はゼロです」
「探索者側はゼロか」
「はい。九階層で引き返した探索者は全員無事です。死者が出たのは十階層以降に進んだ討伐隊だけです」
三十名。一人5000DPで、十五万DP。
金額としては大きい。
セラに使い切った後の空っぽの残高が、一日で十五万に跳ね上がった。
だが、素直に喜べない。
三十人死んだ。
三十人の命がDPに変わった。
今までも探索者は死んでいる。
月に一人、年に十人以上。
ダンジョンが危険だと分かって入ってきた人間が、自分の判断で死んだ。
いつも通りだ。
「……ぽんこ」
「はい」
「嫌な仕事だな」
「嫌ですね」
ぽんこが短く答えた。
それ以上は何も言わなかった。
イモが足元で丸まっていた。
模擬戦の時のように嬉しそうではなく、静かに目を閉じている。
前回のような解説を期待したが、そういう気分ではないようだ。
「ゼルヴェンは、撤退を要請されて帰った。自分から止めたんじゃない」
独り言のつもりで言ったが、ぽんこが拾った。
「部下の判断に従った形ですね。本人が危険だと感じて帰ったわけではない」
「つまり、まだ足りない」
「足りない?」
「十階層程度の攻め方じゃ、あいつを止められない。あの男は、自分が危険だから帰ったんじゃなくて、部下の損耗を見て引き際を判断しただけだ」
あの最後の一瞥。通路の奥を振り返った、あの目。
あれは恐怖の目ではなかった。
「次は、もっと来るだろうな」
呟いて、UIのDP残高を見た。
十五万。
これを何に使うか。
答えは一つしかない。
「ぽんこ」
「はい」
「十一階層以降を作り直す。次に来た時は——もっと奥で、もっと確実に殺す」
「……はい」
ぽんこの声が小さかった。
やらなければならない。
やらなければ、死ぬのは俺だ。




