第70話 これは恋かもしれませんね
ゼルヴェン達が帰った。
椅子の背にもたれる。
天井を見る。
「ぽんこ」
「はい」
「あいつ、結局何を見てたんだ」
「……正直、分かりませんでした」
ぽんこにも分からない。
俺にも分からない。
壁の傷を見ていた。
リオン達の歩き方を見ていた。
行き止まりの通路にゴブリンが出るかどうかを聞いた。
月に一人死ぬダンジョンが安全かどうかを聞いた。
十階層の奥を一目見て帰った。
全部がバラバラに見える。
何を組み立てようとしているのか、完成図が見えない。
だが一つだけ分かることがある。
あいつは、危険だ。
分析の精度がどうとか、意図がどうとか、そういう話じゃない。
あの男がダンジョンの中を歩いているだけで、俺の腹の底が冷える。
敵と戦っている時とは違う種類の恐怖だ。
何をされているのか分からないまま、何かを抜き取られているような感覚。
「次、何をするつもりだ……」
呟いた時だった。
「いやーいいですねぇ」
声がした。
足元から。
イモだった。
テーブルの下に丸まっていたのが、いつの間にか俺の椅子の横に座っていた。
くりくりした大きな目が、UIが消えた空間を見つめている。
「イモ、見てたのか」
「はい。あの人、面白い人ですね」
「面白い?」
「あの人、すごく気持ちいい。理屈でも合理性でもない。ルールかな?ルールがある、ルールを守ることに躊躇がない」
イモが小さな手を膝の上で組んだ。
小さくて丸い体で、腕を組む仕草だけは妙に老成している。
「行き止まりにゴブリンが出るか。自然発生なら行き止まりにゴブリンが出てもおかしくない、出ないのは不自然。でも何もないのにゴブリンが一体だけいるのはもっと不自然」
「……なるほど」
「月に一人死ぬのが安全か?客観的に見たらすごく安全。でも探索者は常に危険と隣り合わせ、犠牲はしょうがないなんて綺麗事言えるのはここの探索者がお花畑だから」
「リオン達の歩き方を見ていたのは」
「ダンジョンに対する慣れ方。このダンジョンが探索者をどう育てているか。探索者側を見れば、ダンジョン側の性質が逆算できるって考え方だね」
ぽんこが横でぽかんとしていた。
「イモちゃん、なんで分かるの?」
「なんでわからないんですか?データを集めて、仮説を組んで、検証する。それが知的生命体としての責務ですよ」
イモが嬉しそうに笑った。
嬉しそうに。
「いやぁ、あの人とは旨い酒が飲めそうですねぇ。マスター、ちょっとあの人紹介してくださいよ」
イモの言葉に悪意はない。
本心から感心しているのだ。
同じ種類の頭を持つ者が、同類を見つけた時の喜び。
それが自分たちを追い詰めている敵であることは、イモにとっては感嘆の邪魔にならないらしい。
「十階層の入口を見て帰ったのは?」
「んーわからないですね」
イモが首を傾げた。
小さくて丸くて、こうしているとただのぬいぐるみにしか見えない。
「んー何が足りないんだろ。ダンジョン経験?……いや強さか。私には戦闘能力がない、戦闘しなければ見えないものは当然ある……よね。でも……」
なにやらぶつぶつと言っている。
だが今、こいつの口から出てきた分析は、ぽんこにも俺にも見えなかったものだ。
「イモ」
「なんです?」
「お前、あの男の何が見えている」
「同じ匂いがする。でも私にはない視点もある。だから、楽しい。語りあってみたい、分析しあってみたい。ふむ、これは恋かもしれませんね」
やっぱり……こいつは一番やばい。
「マスター」
イモが真面目な顔になった。
「あの人はまた来る。仮説の次は検証、あの人はそうする。美しいね」
イモがそこまで言って、また嬉しそうに笑った。
「美しくない。こっちが困る」
「あはは。確かに」
笑っている。
俺は天井を見上げた。
ゼルヴェンが何を見ていたかは、イモの解説でいくつか分かった。
だが全部ではない。
イモですら「十階層の入口を見て帰った理由」は分からなかった。
あの男の頭の中には、まだ俺たちに見えていないものがある。
次はどうくるか……
巡らそうとした考えをチュウタが遮る。
『マスター、リオンから報告』
リオンから。
「なんだ?反省会か?」
『ゼルヴェン。帰ってすぐ討伐隊の編成はじめたって』
「マジか。早すぎるだろ」
「仕事が早い男はモテますよ!」
「お、検証フェーズですか。楽しみですねぇ」
ぽんこがイモに引っ張られて訳のわからないことを言い出した。
こいつら。
「楽しみじゃない。チュウタ、どれくらいかかりそうだ」
『ギルドの感じだとそんなに早くはない、でもそんなに遅くもない』
「全然わからん」
次は討伐隊だ。
今までみたいに殺さない運用はできないだろう。
相手はこちらを殺しにくる。
やられる前にやる、それしか道はない。




