第66話 ギルド本部査定官ゼルヴェン
【side:ギルド本部査定官ゼルヴェン】
イースの街門をくぐった瞬間、ゼルヴェンは眼鏡を押し上げて周囲を一瞥した。
第三大陸の北西地方では中堅規模の交易都市だという報告書の記述は、まあ概ね正確だった。
人口の割に道が狭く、街路の配置に計画性がない。
自然発生的に膨らんだ典型的な地方都市だ。
「ゼルヴェン様、宿の手配は——」
「先にギルドへ行く」
背後で部下が何か言いかけたが、聞かなかった。
宿の質で仕事の精度は変わらない。
本部直轄調査隊は十二名。
ゼルヴェンを含めて、全員が第一大陸のギルド本部から派遣されている。
地元の人間は一人もいない。
必要がないからだ。
地元の事情に引きずられれば、査定が歪む。
街ギルド支部は大通りの突き当たりにあった。
石造りの二階建てで、扉の横に探索者ギルドの紋章が掲げられている。
中に入ると、受付の職員が立ち上がりかけ、ゼルヴェンの胸元に留められた本部直轄の紋章を見て、顔を強張らせた。
「本部査定官のゼルヴェンだ。支部長は」
「は、はい。奥に——すぐお呼びします」
職員が小走りで奥に消えていく。
その背中を見送りながら、ゼルヴェンは受付に積まれた報告書の束を横目で確認した。
分類が雑で、管理も甘い。
地方支部の典型だ。
ゼルヴェンが支部長室に通された後、受付周りの空気が一気に重くなった。
「来たよ、本部の査定官」
「見た?あの眼鏡の」
「見た。噂通りの陰気さだ」
職員たちが声を潜めて囁き合っている。
受付の奥、休憩室に近い廊下で、数人が顔を寄せ合っていた。
「ゼルヴェンって名前、聞いたことあるか」
「本部直属の迷宮査定官。凄腕って噂だ」
「担当した迷宮は全部、正確にランクが出てる。過小評価も過大評価もなし。お利口な頭に、危険な迷宮でも平気で突っ込む胆力。それを支える戦闘力も一級だとさ」
「それだけ聞くと優秀じゃないか」
「優秀だよ。優秀なのが問題なんだ」
古参の職員が腕を組んで壁にもたれた。
「地方のやり方は全否定して、探索者は怒らせる。評価は正しいが、現場の都合は一切聞かない」
「こないだも地域唯一のダンジョンが立入禁止にされて、街が一つ潰れたって話だ」
「つまり……」
「来てほしくない本部の切り札、ってやつだ。来たってことは、本部がここを本気で見始めたってことでもある」
職員たちの表情がさらに曇った。
アウル村の件が本部の目に留まったのは分かっていたが、ゼルヴェンが来るほどの案件だとは思っていなかったのだろう。
支部長室。
壁に地図が貼られ、机の上に報告書が積まれた小さな部屋だった。
支部長は五十代の太った男で、ゼルヴェンが椅子に座るのを待ってから、慎重に口を開いた。
「アウル村の件からご説明しましょうか」
「不要だ。報告書は読んだ。事実関係は把握している」
「では、何を——」
「確認したいのは三点だ」
ゼルヴェンは眼鏡の奥で、支部長を見もせずに指を折った。
「一つ。イース北ダンジョンの現行ランクはEだが、最終査定はいつだ」
「えーと……開設時の初期査定がそのままです。一年以上前ですね」
「一年以上、再査定なし。探索者の死亡報告は」
「事故がこの一年で十数件。Eランクの範囲内です」
「被害の分布は。初心者と中級者の比率、非探索者はいたか」
「……すみません、そこまでの分類は」
「していない、か」
ゼルヴェンの声には怒りも呆れもなかった。
ただ、期待していなかったことがその通りだった、というだけのことだ。
「二つ。アウル村襲撃の被害報告で、ゴブリンの出所は特定されたか」
「されていません。死体も残っておらず、追跡ができませんでした」
「死体がない。始末されたということか」
「いえ、村人の証言では、ダンジョンのモンスターらしきものがゴブリンを退治したと——」
「それは聞いた。退治した側のモンスターについては」
「赤い人型のモンスターと、黒い影のような何か。それ以上の情報はありません」
「赤と黒のモンスター。イース北ダンジョンのモンスターだという噂があるな」
「はい。ただ、確認は取れていません」
「確認を取る手段と意志はあったのか」
支部長が黙った。
「三つ。イース北ダンジョンの内部構造について、直近一年の変化報告は」
「ありません。探索者からの報告では、一年前と変わっていないとのことです」
「変わっていないことを、誰が確認した」
「……探索者の体感です」
「体感か」
ゼルヴェンはそこで初めて、支部長の顔を見た。
眼鏡の奥の目は暗く、表情は読み取りにくい。
だが、声だけは平坦なまま続けた。
「Eランクの迷宮が一年以上再査定されていない。その近隣で村が襲われ、死体が消えている。同じ迷宮のモンスターらしきものが村を守ったという未確認情報がある。そして内部構造の変化を確認した者がいない」
「……はい」
「なぜ?」
「変化もなく、危険も少ないため必要性が少ないかと……」
「それ自体が異常だとは思わなかったのか」
支部長の額に汗が浮いた。
「ゼルヴェン様、イース北は地元探索者にとって重要な稼ぎ場です。初心者向けの迷宮として定着しており、ランクを変更すると——」
「経済的影響の話は聞いていない。危険度の話をしている」
支部長が口を閉じた。
ゼルヴェンは椅子の背にもたれ、一度だけ眼鏡を外して拭いた。
レンズを光にかざし、埃がないことを確認してからかけ直す。
「誤解のないように言っておく。私はイース北を危険だと断定しに来たわけではない。Eランクの査定が妥当かどうかを確認しに来た。妥当ならそのまま帰る。妥当でないなら、修正する。それだけだ」
「……分かりました」
「調査隊を入れる。まずは内部構造の確認だ」
部下の一人が口を開いた。
「ゼルヴェン様も同行されますか」
「不要だ。Eランクの迷宮に査定官が直接入る合理性がない。報告書のデータに不審な偏りがあれば、そこから判断する」
「しかし、アウル村の件もありますし——」
「アウル村の件は、迷宮内部の査定とは別の問題だ。混同するな」
部下が黙った。
ゼルヴェンは立ち上がり、壁の地図に目を向けた。
イースの街を中心に、周辺の地域が示されている。
北に一つ、小さな点。
イース北ダンジョン。
Eランク。
ゴブリン主体。
初心者向け。
地図の上では、どこにでもある小さな迷宮にしか見えない。
それでも、報告書に目を通した時から感じている違和感がある。
被害が少なすぎるのだ。
Eランクとしては自然だが、発覚から一年以上経った迷宮としては妙に安定している。
成長の兆候がない。
変化の報告がない。
まるで、意図的にEランクに見えるように維持されているかのような——
いや、まだ早い。
仮説は、データが揃ってから立てるものだ。
「調査隊は明日の朝、出発させる。報告は一両日中に上げさせろ」
ゼルヴェンは支部長室を出た。
廊下で職員たちが慌てて道を空ける。
第一大陸から、船で二十日。
第三大陸の北西地方、イースの街。
小さな迷宮の査定のために来たにしては遠い。
だが本部が動いたのは、アウル村の件だけが理由ではない。
世界全体で、迷宮の動向が不安定になっている。
新しい迷宮が増え、古い迷宮が消え、被害の分布が変わり始めている。
変革期と呼ばれる周期的な現象ではあるが、今回はその速度が速すぎる。
本部はその原因を追っている。
イース北はその調査対象の一つに過ぎない。
——そのはずだ。
ゼルヴェンは街の大通りを歩きながら、もう一度眼鏡を押し上げた。
まだ仮説は立てない。データが揃ってから考える。
だが、報告書を読んだ時に感じた小さな引っ掛かりだけは、頭の隅に残しておくことにした。




