第142話 降参
コア部屋の壁いっぱいに、地図が表示されていた。
「鳥は、支配域が薄い通路の穴から入ってきた。なら、思い切って支配域が薄い箇所は全て塞いでしまえば、鳥は入ってこられない」
「入口からは短くなるぞ」
「いい。支配域の中では確実に捕捉したい。捕まえることよりコアを守ることが優先だ」
アニが、地図の上の赤い印を指でなぞった。
前の戦いで、外から掘られた場所だ。
「予備のスラスターを運んでくる鳥もいましたよね!」
「あれも落とす。運ぶ鳥さえいなければ、さすがに途中で止まるだろ」
次は、逃げる先まで全部先回りする。
入口も、穴も、鳥の通り道も。
今度こそ。
「マスター、コールです!」
ぽんこが、地図から顔を上げた。
「誰から」
「エスさんからです!」
前室が、しんとなった。
アニが、地図から目だけを上げる。
「出る」
『あ、つながった?』
聞き慣れた、少し高い声だった。
『今からそっち行くから、攻撃しないで』
「は?」
『話したい。入口から普通に入るから、一人で。だから攻撃しないでほしい』
「何を話す」
『それは着いてから言う。で、どう?』
「……わかった」
『絶対?』
「絶対」
『じゃあ行く』
コールが切れた。
「なんだったんだ、今の」
「来るって言ってました!」
「聞こえてた」
しばらくして、蟻の巣の入口の坂の上に、小さな影が一つ現れた。
ぶかぶかの上着に、足首の金属の筒。
バイクも、鳥も、連れていない。
両手を上げて、片方の手に、白い布切れを一枚ぶら下げていた。
入口の広間で待っていた俺とアニの前まで、エスは本当に一人で歩いてきた。
周りを囲むゴブリンを、きょろきょろと見回しながら。
「多いなあ、相変わらず」
「何の用だ」
エスは、白い布切れを俺の方へ突き出した。
「降参」
「……は?」
「降参。もうやめ」
俺は、エスの顔と白い布切れを、交互に見た。
「まだ捕まえてないぞ」
「捕まってから降参してどうすんだよ」
エスは、心底不思議そうに首をかしげた。
「捕まったら終わりじゃん。殴られてから逃げるのじゃ遅いし、負けてから降参するのも遅いでしょ」
「でもこの前は、逃げ切っただろ」
「逃げ切ったよ。でも、次やったら死ぬじゃん」
あっさりと、そう言った。
「あんた、毎回速くなってるし。今回はオイラのやり方見せちゃったし。鳥も、スラスターも、逃げ方も、全部。次は、そこから全部ふさいでくるでしょ」
さっきまで壁に広げていた地図が、頭に浮かんだ。
まさに、それをやろうとしていたところだ。
「だから、次はやらない。次の戦いそのものを、やらない方向で考えたい」
アニが、喉の奥で短く笑った。
「マスター。こいつ、あんたに似てるぞ」
何やら嬉しそうだ。
俺は似てるとは思わないが。
「つまり、コアを差し出すってことでいいか?」
俺がそう言うと、エスはあからさまに嫌そうな顔をした。
「コア渡せってこと?」
「そうなるな」
「それは無理」
「無理って」
「物理的に無理なんだって」
エスは、自分の胸のあたりを、とんとんと叩いた。
「ずっと持ち歩いてたら、なんか出てきたんだよね。コアを身体に埋め込むスキル。だから今、コアはオイラの中にある」
「中に」
「だからコアは渡せない。もうオイラと同化してるから、取り出せない」
俺は、隣のぽんこを見た。
「ぽんこ。本当に取り出せないのか?」
「秘密です!」
ぽんこは、にこにこしたまま、それ以上何も言わなかった。
秘密、か。
エスの方を見る。
エスは、目をそらさなかった。
そらさなかったが、上着の裾を握った指先に、少しだけ力が入っていた。
「分かった。じゃあコアは、そのままでいい」
「……いいの?」
「渡せないなら、仕方ないだろ」
エスが、拍子抜けしたように瞬きをした。
「従属はなしでいい。ここで喧嘩は終わりだ。その代わり、東とやる時はこっちにつけ」
「同盟ってこと?」
「そういうことだ」
「ふーん」
エスは、しばらく天井を見上げていた。
「まあ、いいよ。東のあれと一人でやり合うの、どうせ無理だったし」
数の上では、何も変わらない。
東が十八、うちが十六、エスが一。
ただ、うちとこいつを並べれば、十七になる。
決まってしまえば、話は早かった。
「例えば、東の街に裏から潜って、管理者の部屋まで掘っていく、って話になったら」
「いや、それオイラ行くの?」
「お前が一番向いてるだろ」
「死ぬじゃん。そっちの、でっかいのが行けばよくない?」
エスが、アニを指さした。
アニが、片方の眉を上げる。
「じゃあ、こっちが表で騒いでる間に、手薄になった所を、後ろから刺すだけなら」
「やるやる」
急に、目が輝いた。
「……分かりやすいな、お前」
「何が?」
危ない所には、一歩も入らない。
安全に刺せるなら、いくらでも刺しに行く。
小物みたいに見えたのは、芝居でも何でもなかったらしい。
「それで、だ」
一つだけ、どうしても確かめておきたいことがあった。
「お前、他人の支配域が見えてるだろ」
エスは、あっさり頷いた。
「見えるよ」
「昔からか」
「ううん。東の王様がLv7になった時の、弱者救済ってやつ。あれでもらった。いい能力でしょ」
Lv7の告知と一緒に出ていた、あれか。
あの時、他の奴に配られたのかまでは、こっちには分からなかった。
「あれ、お前にも来たのか」
「来たよ。そっちにも来たでしょ?あんたは何もらったの?」
「レベル7の情報」
「しょっぼ」
うるさい、俺は勝手に決められたんだ。
「じゃあ、それまでは見えてなかったのか」
「見えてないよ。だから、ぶつけて探してた。伸ばして、エラー出て、ずらして、また伸ばして」
エスは、なぜか胸を張った。
「それで三人やったよ。目がなくても」
さらりと言われて、アニの目がわずかに細くなった。
こいつは、目がなくても、同じやり方で三人のダンジョンマスターを殺してきた。
目を手に入れて、うちに来た。
「ちょうどいい。その目で、東を見てくれ」
「ああ……それ。もう確認してあるよ」
エスは露骨に嫌そうな顔をする。
そして、その場で地図を広げ、地図の東半分をのぞき込んだ。
しばらく、何も言わなかった。
「聞いたら嫌になるよ?」
「だろうな。でも聞かない訳にはいかないだろ」
「街の周り、全部埋まってる。でかい街は、街ごと。街と街をつなぐ道沿いも、ずっと。川の渡しとか、峠とか、人が通る所は全部」
エスの指が、地図の上を、ゆっくりとなぞっていく。
「面だよ、ほとんど」
エスが、顔を上げた。
「……これ、正面から行く気?」
「嫌そうだな」
「嫌に決まってんじゃん。オイラなら絶対やらない」
日が暮れる前に、エスは帰っていった。
入口の坂の上で、鳥が一羽、迎えに降りてきた。
今度は、帰り際に一言あった。
「またねー」
坂の上の空が暗くなってから、口を開いた。
「ぽんこ」
「はい!」
「あいつのコア、取り出せるんだろ?」
「はい!」
即答だった。
「だと思った」
同化はしている。
だが、本人がその気になれば、外すこともできる。
あいつは、それを分かったうえで、取り出せないと言った。
問い詰めれば、同盟は無しになっただろう。
あいつは、絶対にコアを渡したくなかった。
その気持ちは、少しだけわかった。
「アニさんの言うとおりですね。マスターとエスさんは似たもの同士です!」
「おい」




