第140話 練度
蟻の巣のいちばん大きな広間が、端から端まで埋まっていた。
ゴブリンと蟻と汎用戦機、それにチュウタを合わせて、ざっと三千。
「本当に、あんたも行くのか」
アニが、最後にもう一度だけ確かめてきた。
「俺がここから出ないと、来ないだろ」
「マスターの出陣なんて、初めてじゃないですか!」
「見せるための出陣だけどな」
コア部屋の前室には、セラだけを残す。
「マスターの不在中、侵入を検知しても、私は前室から動きません」
「それでいい。来ても動くな、万が一に備えて警戒を頼む」
「了解しました」
隣り合った支配域の境目で、蟻たちが一斉に壁を削り始めた。
がりがりと岩を削る音が鳴り響き、やがて壁の向こうに広い空間が見えた。
エスの道路だ。
「行くぞ」
三千の足音が、道路に雪崩れ込む。
「アニとこうやって戦場を歩くのは、俺の初めての遠征以来か」
「おい、気を抜くな」
「はい」
最初の段差に着いたのは、昼前だった。
数段だけの、例の段差だ。
「ここに五十、居座らせろ。蟻は壁と天井に張り付いとけ」
「居座るだけでいいのか」
「居座るだけでいい。動くなよ」
選ばれたゴブリンたちが、道の真ん中にどかっと腰を下ろした。
なぜか、全員やたらと誇らしげな顔をしている。
「中継、もう一体前へ。同期を切らすな」
チュウタが一体、列からぽんと飛び出して、列を見送る。
一つ目の区間を抜けかけた時、前の方で、耳慣れた音が響いた。
エンジンの唸りだ。
右手の脇道から、ライトが四つ、五つと飛び出してくる。
「横!」
アニの声が飛ぶより先に、先頭のバイクが列の脇腹に突っ込んだ。
ゴブリンが二体、まとめて宙に跳ね上げられる。
二台目、三台目が、その隙間をこじ開けるように続いた。
「盾、寄せろ!槍は低く!足を狙え!」
アニの指示で、盾持ちのゴブリンが一斉に横へ詰める。
四台目の前輪が、盾の壁にまともにぶつかった。
乗り手が前へ放り出されたところに、蟻が三匹まとめて覆いかぶさる。
残りのバイクは、くるりと向きを変えて、来た脇道へ逃げ込んでいった。
「一台、取ったな」
「あっちは慣れてる。深追いはしない」
アニは、もう次の隊列を整えにかかっていた。
夕方までに、同じような襲撃があと四回あった。
そして区間を三つ押さえた頃、長い直線の先に、ライトが一つだけ灯った。
列の先頭が、ぴたりと止まる。
後ろから押されたゴブリンが、前のゴブリンの背中にぶつかって、軽い諍いが起きる。
ライトは、近づいても遠ざかってもこない。
アイドリングの低い音だけが、道路の奥から規則正しく響いてくる。
距離は、二百メートルくらい。
弓は届かない。
しかし奴が走れば、走り出した瞬間に消える距離だ。
「うぇー。子供相手にその数って、恥ずかしくないの?」
声だけが通路に響きわたり、ゴブリンたちが、低く唸る。
「本気だからな」
「かっかすんなよ。何体いんの?」
「三千いる。この数ならお前だって振り切れないだろう」
「……頭わる」
ライトがくるりと向きを変え、エンジン音ごと、闇の奥へ吸い込まれていった。
「追え!奴を逃すな!俺がコア位置を捕捉する!俺の指示通り進め!脇道を潰しながら、逃げた方向へ追え!」
俺がそう叫ぶと、ゴブリンたちはエスを追って走りだす。
「あんたのそんな大きな声聞くの、初めてだな」
「奴に聞かせなきゃ意味ないからな」
アニが、喉の奥で笑っていた。
それからいくらも経たないうちに、地図上のエスのコアは反転し、こちらへ向かってくる。
「お、来たぞ。どう来ると思う?」
「正面からは来ないだろ」
「どうかな、おっと」
来た。
曲がり角の奥から、バイクのライトがちらついてくる。
バイクの音、しかしその音は音というよりも衝撃のようで。
そこにいたのは、バイク部隊の大軍だった。
「なるほど、こうくるか」
「止まるな。このままぶつかれ!」
隊列には、何も伝えない。
ここで足を止めたら、あいつは気づく。
バイク部隊と、ゴブリンの大群。
衝撃と爆音。
倒れるゴブリン、倒れるバイク。
それぞれが、それぞれを乗り越えて前に出る。
バイクとゴブリンが積み上がり、静寂が訪れた。
「エスは?」
「後ろだ」
エスのコアは、既に俺たちの位置を通り越し、蟻の巣ダンジョンの方へ向かっていた。
「上か下から抜けたんだろ」
「全軍!反転!蟻の巣が危ない、追うぞ!」
俺が声をかけると同時に、先ほどの爆音がまた聞こえてきた。
今度は、前から。
「挟まれたか」
「いや……」
アニの顔が険しい。
何かに気付いたようだ。
「上と下と左と右もだな」
その言葉と共に、上下左右からドリルが飛び出した。
汎用戦機掘削エディション。
シュリが回収した汎用戦機を分析して出した答え。
奴の掘削用モンスターだ。
「はっ、予想はしてたが、予想以上だな」
「軽口叩いてると死ぬぞ」
俺の言葉に、アニから注意が飛ぶ。
とはいえ、俺は生き残り特化。
まぁ死なないだろ。
アニが、さりげなく隣に並んできた。
「奴はそろそろ蟻の巣か?」
「ああ。奴の狙いは、旧コア部屋の穴だ。あいつが前に伸ばしてきた細い道が、まだ残ってる。箱の中で、あそこだけが奥まで食い込んでるからな」
「あんたはここにいる。帰ってこられない、と思ってるわけか」
「そういうことだ」
地図を見ると、エスはものすごいスピードで蟻の巣ダンジョンへ向かっている。
今までは、まだまだ本気じゃなかったらしい。
ここからは、俺とあいつのスピード勝負だ。
「アニ、左だけ倒せ。そっちの穴に逃げ込む」
「おう」
地図の上で、エスの点が、蟻の巣の北の外れで動きを緩めた。
旧コア部屋の、すぐ外だ。
【侵入者を検知】
「マスター、来たって、ぽんこから」
「知ってる」
近くのチュウタから、ぽんこの報告があがる。
返事をしながら、頭の中で地図を展開する。
ここまでの距離と高さを目算。
支配域を、一本伸ばす。
ここまでのルートを考えて、ぶつからないように。
少し角度を変えて、もう一本。
そこから下に、さらに一本。
「マスター、エス、あと半分で抜けるって、ぽんこから」
間に合わん。
向こうも同時進行だ。
蟻の巣ダンジョンから、エスの通路を囲むように支配域を伸ばす。
同時に伸ばした最後の一本が、ようやく俺のもとにたどり着く。
「マスター、目、ぐるぐる」
「すごく忙しいからな」
全部まとめて、構造変更!
通路が、通った。
「アニ、蟻よこせ」
「はいよ」
この壁の一枚先は俺の支配域だ。
蟻が掘る、俺も掘る。
今日の武器はツルハシだ、掘る気満々で持ってきた。
「開いた!」
「先行け、俺らは徒歩で帰る!」
バイク部隊と殴り合いをしているアニを尻目に、俺の支配域へ入る。
すぐさま転移。
目の前に、ぽんこがいた。
「マスター!もう抜けます!」
「大丈夫だ、抜けられてもコア部屋までは距離がある」
ぽんこに見えるように、UIを展開する。
蟻の巣の北の外れから、外へ向かって、うちの色が広がっている。
その中に、一本だけ細い線が塗り残されている。
旧コア部屋から、ずっと外まで続く、エスの道だ。
その周りだけが、上も下も、右も左も、うちの色だ。
「あ……」
ぽんこが、口を開けた。
「エスの道だけ、細く残ってます!周りが全部、うちの色です!ちくわです!」
確かに、と思う。
全て塗りつぶした。
あいつの支配域は、一マスも拡張できない。
前へ進んでも後ろへ下がっても、あいつが通れるのは、自分で掘ったあの細い筒の中。
もしくは。
「うちのダンジョンだ」
耳を澄ますと、確かに聞こえる。
ずっと遠く、岩の向こうで、がり、がり、と何かが削れている音だ。
あいつは今、自分の掘った細い道の中にいる。
支配域が見えているなら、囲われたことにも、もう気づいているかもしれない。
それでも、もう遅い。
「作戦開始」




