第113話 面子
朝、俺は契約を止めた。
「待ってくれ」
宿の部屋を出ようとしていたレイゼルが、振り返った。
「なんだい」
「引き伸ばす。今日はやめよう」
沈黙があった。
「……理由を聞かせてもらえるかな」
「あっさりしすぎてる」
「それだけ?」
「それだけだ」
レイゼルが扉から手を離した。
部屋に戻ってきて、椅子に座った。
座り方が、いつもより丁寧だった。
「私の読みを疑ってる、ということでいいかい」
「そうなる」
「なら聞かせてくれ。どこが違う」
俺はしゃべり始める。
「目だ」
「目?」
「ああ。レイゼル、グランツって何歳くらいだ?」
「六十過ぎだね。南のマスターから本人がそう言っていたと聞いている」
「六十過ぎで、あの目だぞ」
あの目。
小さく地味な容貌にそぐわぬ、力のある目。
申し訳なさそうな態度も、俺の行動に対する大笑いも、従属たちの行く末を語る慈悲の表情も、俺には本当のものにしか見えなかった。
しかし、あの目。
どんな時でも、あの目から力が失われたことはなかった。
「あの目は名誉職に納まって人生あがり、って目じゃないだろう」
レイゼルが黙る。
「人を見る目には自信はないが、あの目は前の世界で見たことがある」
動画でだけどな。
「前の世界じゃ偉い奴ってのはジジイばっかりだったんだよ。何歳になっても自分の欲望を追い求める、それが優れた商人の証だったんだ」
思い浮かべるのは、前の世界で画面越しに散々見た、起業家、政治家、芸能人。
「あの目は、そういう目だ」
「……名誉だけじゃない、実利も得ている。お互い利益を得る構造だ。我々の庇護下で、労せず今の半分の収入を得る。我々が勝ち進めば相談役としての利権も生まれるだろう。矛盾はない」
「それで満足する男だとは思えない」
「君のは勘だろう。私は理屈を積み上げている、細部を見て、深く読み、結果として奴の行動を予想している」
「だろうな。昨日、俺はあの部屋にいたが、何も分からないまま座ってた。お前とあいつが何の話をしてるのかも、半分は追えてなかった」
「それは仕方ない」
「でも、お前の説明を聞くと、全部分かるんだ」
「私が完璧に奴を読み切ったということだ」
「そんなこと、あり得るか?」
レイゼルの表情が凍る。
怒りや恐怖にも似た表情、それは多分驚愕。
「あの男、そこまでお前の格下か?」
「……読まされた、と?」
「俺はあいつの深いところまではわからない。でもお前のことは知っている。お前は諦めが悪く、逆境には強い、何があっても生き延びるしぶとさがある」
「……なにを」
「でも、チャンスに弱い。上手く行き始めると楽観的になる、すぐ調子にのる、その結果格上にはいいように扱われ、格下に負ける」
「……っ!」
俺に負けた時もそうだ。
今考えると、あの時勇者がいなかったら俺はレイゼルに勝てたかわからない。
俺は窓のほうを向いた。
外はもう明るい。人の声がしている。
「深く読める奴ほど、深く読ませるための材料には引っかかるんじゃないのか」
長い沈黙があった。
「……材料が、作られていると?」
「分からない。分からないから、一日待ってくれと言ってる」
レイゼルは動かなかった。
しばらくして、椅子から立ち上がった。
「わかった。洗い直そう、ただし契約は延期しない。こちらが勘付いたとさとらせたくない」
そう言ったレイゼルの顔は、逆境の顔だった。
契約まで、残り三時間。
レイゼルが判断の材料に集めた情報は多岐に渡る。
証言、噂、本人の発言、様子。
しかしそれらは元から誤情報や偽情報が混ざる前提だ。
「心配なのは彼からの情報だね」
そう言って、レイゼルはチュウタを呼んだ。
『なに?』
「前に聞いたこと、また教えて欲しいんだ」
『ぜんぶ?』
「全部」
チュウタの見たものは、映像として残らない。
もう一度知りたければ、もう一度話してもらうしかない。
「それからユート、イモちゃんを連れて来てくれないか。一緒に洗ってもらう」
「まて、イモはここに来られないだろ。地下を使おうにもここは二階だ」
「UI開いて。【スキル】から【個体スキル管理】を取得して、【個体管理メニュー】のイモちゃんから【スキル】で【偽装】を取って。スキルレベルを5まであげると【人化】が出る。必要DPは今送るよ。急いで」
ちょっと待て、そんなことできたのか。
道理でみんな気軽に人型モンスター用意してるはずだ。
言われた通り操作をして、イモに【人化】を覚えさせる。
チュウタに連絡を取らせると、元から地下にいたとのことですぐにイモは現れた。
子供の姿。
確かに人間だが、雰囲気はゴブリンの頃と変わらない。
「むー、中身はゴブリンですねこれ。人間の構造試してみたかったのに。でもマスターありがとうございます。これで出来ることが広がります。欲しかったんですよ、【人化】。勝手に取ろうかと思ってましたけど正規の手段で取れるならそれに越したことはないので。で、何の用です?」
相変わらずだ。
「やあイモちゃん。君の頭脳を貸して欲しいんだ、チュウタくんの証言を洗う」
「はいはい。じゃあまず三週間前のグランツ陣営の各ダンジョンの人員配置からですね。なんか違和感あったんですよあれ」
「……聞いてたのかい?」
「ああ、UIでダンジョン内の会話は大体聞いてますよ。研究してる最中、耳が暇なんで」
「……確かに私は調子に乗っていたようだね。はじめからあなたに頼るべきだったのかもしれない」
「はいはい。それじゃあチュウタちゃん、よろしくー」
そうして俺たちは、チュウタの証言を聞き始めた。
イモは途中で暇になったらしく、レイゼルにも話をさせ始める。
チュウタとレイゼルの話を同時に聞いている状態だ。
もうイモ以外には、何もわからない。
「むむ……これ、人数おかしいですね」
「何かわかったか?」
「時系列と、確定でわかっている場所、チュウタちゃんの証言で人数に矛盾があります。消去法でメンバーを割り当てると、一人多いタイミングがちらほら。チュウタちゃんの言う『大きくて臭い男』が度々二カ所に出現します」
「チュウタの間違いか?」
『僕は間違えない』
「話に整合性があります、しゃべり方からもうろ覚えらしさはないから。多分チュウタちゃんは見たものを話しています」
『えへん』
「ただし、見たものが正しいとは限らない」
イモはそう言って、こちらを見た。
「幻覚、認識誘導、または知覚改変系のスキルの可能性が高いです」
俺は天井を見た。
心当たりが、一つある。
「……執事か」
「そうでしょうね」
黒い燕尾服。
オトを手の動き一つで床にめり込ませ、セラの全力を受け流し、UIから消えて俺の背後を取った男。
イモは、あれを幻覚だろうと言っていた。瞬間移動でも超速度でもない、と。
同じものが、南で現れた。
「……私の判断材料が」
レイゼルが、確認していた地図から目を離さずに言った。
「最初から、作られていた?」
レイゼルは動かなかった。
混ぜられた情報はささいなものだ。
俺だったら、そもそも気付かずに終わる。
しかし、こいつは気付いてしまった。
深く読めるものだけがかかる罠、なんとも面倒な相手だ。
「東は、なぜ南に手を貸した」
「分からない」
「グランツはリシウスの手駒なのか」
「それも分からない」
だが、一つだけはっきりしたことがある。
レイゼルの上を行く誰かが、どこかにいる。
人を読む男を、外側から読んで、材料を与えて動かせる誰かが。
「王の参謀、ってところかな」
レイゼルが言った。
「そんなものがいるのか」
「知らないよ。でも、いなければこの状況の説明がつかない」
日が高くなってきた。
約束の時間は、もう間近だ。
俺は決めた。
「契約はしない」
「するふりはしよう」
レイゼルが静かに続けた。
「向こうも、きっとするふりだ」
「だろうな」
お互い、騙し討ちだ。




