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第111話 マーレンの街

会談の前に、街の下見を行うことにした。

メンバーは俺と、レイゼルと、ぽんこ。

ぽんこは連れて行かないつもりだったが、本人が行く気満々だった。


「二年前、お約束しました!人間の街を案内すると!」


そう言われて、思い出した。

初めてこのダンジョンから空を見た日、街には行けるのかと訊いた。

ぽんこは、いつかご案内しますと答えた。


「そうだったな」

「はい! ぽんこ、こういうことは忘れません!」


リオンたちからの包みを開け、身を包む。

麻のシャツ。厚手の上着。革の帯。


「似合ってるよ」

「うるさい」

「褒めてるんだけどね」


支配域の中はダンジョン内転移が使える。

コアは移動できないが、モンスターであれば一緒に連れて行ける。

もっとも時間がかかる上に、使用中は動けなくなるので戦闘中には使えないが。


転移を使えば、六百キロメートル先も一瞬だ。

蟻が開けた穴から地上へ出る。


遠目に街が見えた。

石造りの建物がひしめき合うように建っている。

城壁のようなものは見えない。

街に入り、最初に気付いたのは、音だった。

車輪が石を噛む音。

金属を叩く音。

桶が地面に置かれる音。

誰かが値段を言い、誰かが違うと言い、その二人の間を子どもが走り抜けて、走り抜けざまに笑う。


一つずつではなく、全部が同時に聞こえてくる。


俺がこの世界で聞いてきた人間の声は、限られていた。

通路の奥で仲間を呼ぶ声。

逃げろと叫ぶ声。

何かを踏んで転んだ時の声。

息が漏れて、途中で止まる音。

UI の向こうから、何百回も聞いた。


アウル村でも人の声を聞いた。

あれは燃えている村の声だった。

死にそうにない人間の声を、俺はこの世界で一度も聞いたことがなかった気がする。


「マスター」

「……ああ」

「立ち止まっていても何も始まりません」


ぽんこにうながされ、辺りを見回す。

マーレンは坂の街だった。

道が上へ向かって曲がりながら伸びて、その両側に建物が三階まで積み上がっている。

二階の窓から布が垂れて、そこに何か書いてある。

窓が開いている。

窓の内側から外に向かって誰かが何か言って、下の道にいる誰かが返事をする。

用件は分からないが、どうでもいい話らしかった。


「歩こうか。止まってると邪魔だよ」


レイゼルが先に行く。

俺は歩き出して、すぐに人にぶつかりかけた。

避けようとしたら相手も避けて、二人で同じ方向へ動いて、それから相手が舌打ちをして横をすり抜けていった。


舌打ちをされた。

俺は立ち止まって、その男の背中を見ていた。


あの男は俺を知らない。

俺がダンジョンマスターだということも、いま自分の足の下を俺の支配域が通っていることも、俺の指示で何百人の探索者が死んだことも、何も知らない。

知らないまま、通行の邪魔だったから舌打ちをして、もう忘れて歩いている。


「マスター、顔が」

「顔がなんだよ」

「にやけてます」

「にやけてない」

「にやけてます! ぽんこの計測では、口角が三ミリ上がっています!」

「計測すんな」


坂の途中で、パンを焼く匂いがした。

角の店で、女が鉄板にパンを並べている。

焼けたそばから具材を挟み、紙に包んで、金と引き換えに渡していく。

列ができていた。

並んでいる連中は、焼けるのを待っている。

それだけのために、そこに立っている。


「食べるかい?」

「いいのか?」

「いいよ、金は持ってる」

「お前、人間の金を持ってるのか」

「金は便利だよ、人間の社会は金で融通が利く」

「……どこから」

「探索者と一緒さ、魔石を売って」


包みを受け取って、歩きながら食った。

小麦の味がして、肉の味がして、温かい。


「うまい」

「そうだね」

「ダンジョンとは味が違うな」

「そりゃそうだよ」


坂の途中で振り返った。

下に街が広がって、その向こうに畑があって、さらに向こうで地面が持ち上がっている。


リングだ。

上へ弧を描いて、遠くの大地が空の位置まで登っていく。


初めてダンジョンの外に出た日に、俺は同じものを見た。

あの時は担架の上で、動けなくて、大きなダンジョンみたいだと思った。


いま、同じものを立って見ている。

下には街があって、人がいて、パンが焼けている。


今度は大きなダンジョンだ、とは思えなかった。


視界が滲んだ。

拭ったが、すぐにまた滲んだ。理由が分からなかった。

悲しいわけでもないし、嬉しいのとも違う。

考えても出てこないので、俺は考えるのをやめて、道の端に座り込んだ。


レイゼルが何か言いかけて、やめた。

何も言わずに坂を上っていき、見えなくなった。


ぽんこは動かなかった。

隣に立って、俺と同じほうを見ていた。

何も言わなかった。

しばらくして、俺は袖で顔を拭いた。


「行くか」

「はい」


坂を上ると、レイゼルが歩き出した。


「会議室はあっちだ」

「ああ」


会議室の建物は、大通りから一本外れたところにあった。

石造りの三階建て。

一階は表から見て、道に面した窓が三つ。

裏に細い路地がある。


「一階を取らせた」

「よくやった」

「地下室がないのは確認済みだよ。掘って上がるなら、床を抜くことになる」

「上等だ」


その夜、宿の窓を開けたままにして寝た。

人の声が、朝まで消えなかった。


次の日、俺たちは本格的にマーレンの街を回ることにした。

ここに来るまでは、作戦の確認、そして安全の確認のつもりだった。


しかし街を歩いてみるとわかる。

俺はもう、普通の人間には退治できない存在だ。

街を歩く探索者も、街のゴロツキや用心棒も、大して強そうに見えない。

勇者さえ気にしなければ、この街を一人で滅ぼすことすらできるだろう。


そうなると、恐怖心は薄れ、代わりに好奇心がふくらんでくる。


「ぽんこ、人間の街。案内してくれるか」

「待ってました!」


そう言ってぽんこは懐から本を取り出し、めくり始めた。

『リングの歩き方 マーレンの街』

なにやら見たことがあるような表紙の本だが、ぽんこが自分で作ったのだろうか。


「マスター!まずはこっちです!市場を見ましょう!」


「マスター!次はこっちです!裏市場です!」


「マスター!こっちに邪教オークションが……!」


「マスター!……」


この街は、間違いなく商人の街だった。


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