第100話 レイゼルの仕事
レイゼルが南へ発ったのは、三日後だった。
「じゃあ行ってくるよ。なるべく生きて帰ってくる」
「物騒なことを言うな」
「ふふ、まあ大丈夫さ。なにせ……」
レイゼルの肩で、チュウタの分体が、ぷるんと跳ねた。
「君も見てるんだろ?」
「……いいのか」
「監視されるのは織り込み済みだ。訓練の結果を見せてくれ」
訓練はギリギリ間に合った。
いや、正確には間に合わなかった。
休み休みならなんとかなる程度だ。
「なんで知ってるんだよ」
「ぽんこくんが心配していた」
「まったくあいつは」
そういうわけで、俺はコア部屋にいながら、南の交渉現場に立ち会うことになった。
最初の相手は、トトの紹介だった。
南の調停者にはめられて、借金まみれになっていたトト、そいつも同じような状況だそうだ。
トトの紹介で、「とりあえず会って話だけ聞こう」という段階らしい。
その話を聞いた時点で、引っかかった。
「待て。話だけ聞くって、会うのか?直接?」
「はい、レイゼルさんが先方のダンジョンに出向くそうです」
「相手の縄張りのど真ん中でか?罠だったらどうする」
「レイゼルさんは大丈夫だって言ってました!」
「大丈夫って……」
相手はダンジョンマスターだぞ。
会えば殺し合うのが当然の戦争中だ。
紹介状一枚で、敵地に上がり込むってのか。
だが、チュウタの目で見た現場は、そんな俺の常識の外で進んでいった。
「やあやあ。本日はご面会いただきありがとうございます。私、ユートの使いのレイゼルと申します」
怯えた様子の相手。
ただし、その様子に反して護衛もつけていなければ、警戒もしていないように見える。
「……お話は、伺いますが」
相手の声は、最初から守りに入っていた。
「私はグランツ様の条約に入っています。今のままで、その、特に不満は」
「不満がないのは結構。ではひとつ、質問を変えようか」
レイゼルの声は、穏やかだった。
穏やかなまま、遠慮がなかった。
「君、守られている実感はあるかい」
「守られ……ええ、条約がありますから。南で争いは起きません」
「争いは起きない。それはよかった。……ところで、北西で何が起きたかは知っている?」
「北西……」
「ダンジョンが消えた。一つ残らずね」
沈黙。
足の震えが、少し速くなった。
「北西の狂犬。知っているかい?……その狂犬が、今どこに手を伸ばしていると思う?」
「そ、それは……ここは南です。条約が」
「もう一つ。最近、西で山が消えた話は聞いたかな」
「……赤い、鬼の」
「あれは、うちのだ」
「……」
「本当に条約は君を守ってくれるのかな」
俺はコア部屋で頭を抱えた。
ラセツは今、うちの指揮下にいない、それはレイゼルもわかっている。
「グランツ殿は調停者だ。マスター同士の争いは、それは見事に止めてくださるだろう。……だがね」
レイゼルが、半歩だけ近付いた。
「狂犬が条約を読むと思うかい」
「……な、何が、言いたいんですか」
「グランツ殿の庇護は、グランツ殿より強い相手には効かない。それだけの話だよ」
「わ、私に、どうしろと」
「……返事は急がない。三日後にまた来よう」
レイゼルはそこで、すっと引いた。
三日後、そいつは落ちた。
「……なあ、ぽんこ」
「はい?」
「トト達三人もなんだが……なんか、軽くないか?」
「軽い、ですか」
「今うちにあるコアを破壊すれば、あいつらは死ぬんだぞ。それにしては……軽い」
「まぁでも壊す理由もないですから」
「確かにそれはそうなんだが……」
引っかかりは、二人目でさらに深くなった。
「単刀直入に伺いますが、私がそちらに付く利点は」
「ない」
「はい?」
「正確に言おう。君が探しているような利点はない。税は80%。自治は残るが、服従付きだ。安くない買い物だよ」
「では、こちらになんのメリットが?」
「狂犬がいる」
「……はい?」
「うちのマスターの話だよ。北西の狂犬。知っているだろう」
おい。
「脅しですか?」
レイゼルは無視して続ける。
「やってることを考えればわかるだろうが、あれは、実は頭があまり良くない」
急に始まったレイゼルの悪口に、不意打ちをくらう。
確かに俺は頭がいいとは思わないが、お前は俺に負けてるはずだろうが。
しかし、そこから交渉の空気が変わりはじめた。
「交渉は出来ない。計算もできない。細かい支配に興味がない。税と、問題が起きないか。見ているのはそれだけで、あとは気にしない」
「……それは」
「私たちのような人間には、最大のメリットだと思うがね」
一拍。
「賢い主君は、賢い部下を警戒する。君の才覚は、グランツには危険に映るだろう。……うちの狂犬は、賢い部下を警戒しない。そもそも、部下が何をしているか細かく見ていない。私は元敵で、こちらから仕掛けて、負けて、コアを握られた。その私が今、交渉の全権を持って、君とこうして話している」
「……確かに、異常ですね」
「異常だよ。だが事実だ。ああ、心配しないでくれ、戦争という意味では優秀だ。ただし、扱い方の分かっている人間には、これほど便利な御輿もない」
「御輿……わかりました。お話を伺いましょう」
一週間レイゼルと交渉を重ねた後、彼はうちに乗った。
さらに一週間、レイゼルはまた別のマスターを落とす。
今度のマスターは、狂犬と一緒に暴れまわり、南の不戦協定を破壊するのを餌に、勧誘していた。
あいつ、狂犬の噂気に入りすぎだろ。
上手いこと使えているのが逆に腹が立つ。
しかし、大体わかってきた。
レイゼルは本心なんて一言も喋っていない、相手が動く理由を口八丁で作り上げているだけだ。
そして、その夜、レイゼルから報告が入った。
『順調だね』
レイゼルの声は、涼しいものだった。
「ああ、順調……順調なんだが。レイゼル、その前に一つ聞かせろ。ずっと引っかかってることがある」
『狂犬の件かい?確かにあれは私が流した噂だが……』
お前だったのかよ。
いや違う、俺が聞きたいことはそのことじゃない。
「……南の連中、ぬるすぎないか」
『ほう』
レイゼルの声に、面白がる色が乗った。
『なぜそう思う』
「軽い。紹介状一枚で、敵かもしれないダンジョンマスターと同じ部屋に入る。従属も軽すぎる。従属化したらいつ殺されても文句は言えないはずだ。違うか?」
『いや』
即答だった。
『君の感覚が、普通だよ。彼らがおかしいんだ。まあわかってたから仕掛けたんだけどね』
「わかってた?どういうことだ」
『グランツの手口だよ』
レイゼルの声から、面白がる雰囲気が消えた。
『思い出してみるといい。この戦争が始まった頃を。いきなり説明もなく戦争だと言われ、隣に誰がいるかも分からず、疑心暗鬼で手探りだった。その手探りがそのまま殺し合いになった。ところが南では、一人だけ、逆をやった男がいた』
「……グランツか」
『そう。殺し合いが始まる前、誰も真剣に戦争をはじめてなかった段階で、あの男は言って回ったのさ。会いましょう、話しましょう、争いはやめましょう、とね。困っていれば助け、揉めていれば仲裁し、DPがなければ融通した。疑心暗鬼の一番怖い時期に、それをやられたら、皆どうなると思う?』
「……飛びつくだろうな。藁にもすがる思いで」
『そう。そして南のマスターたちは、我々が殺し合っていた一年半を、商談と交渉で過ごした。従属の重さを、借金の重さ程度にしか知らずに済んだ。いや、済まさせられた』
済まさせられた。
グランツに。
『とはいえ、彼らもレベルは上げている。殺し合い自体は経験してるはずだ。しかしそれは、グランツがまとめた仲間達で、協定に従わないものを討伐する「悪者退治」だ。私たちがやったような至近距離で殴り合うケンカのような戦いじゃない』
なるほど。
「あいつら個人がぬるいんじゃない。ぬるくいられる環境を、用意されたってことか」
『そういうことだ。危機感というのはね、ユート。経験からしか芽生えない。グランツは南のマスターたちから、経験の方を先回りして摘んだ。結果、彼らは攻撃の前には交渉があり、交渉はメリットデメリットで進み、組織は自分を守ってくれると、なんとなく、そうなんとなく、思っているんだ』
その言葉に、違和感が腑に落ちる。
あいつらから感じていたのは、自分の命を賭けているとは思えない合理性。
それが全てグランツに作られたものだと言うことだ。
『そういう奴は飼いやすい。それに……』
レイゼルは、一拍置いた。
『口説きやすい』
「……あ」
『気付いたかい。これが私の切り崩しが、この速度で進む理由。……私は今、あの男が撒いた種を、勝手に収穫しているだけだ』
背中が、少し冷えた。
この快進撃は、レイゼルの腕だけじゃなかった。
グランツの成果を横取りしているからだ。
「何が狂犬だ。お前の方がよっぽど怖いもの知らずじゃないか。野菜泥棒」
『ふふ。そもそも君、忘れたのかい?北西を殺し合いの場にしたのが誰だったのか』
北西を殺し合いの場にした奴?
北西は初期から殺し合いだった、話し合いどころか様子見すらできずに、戦争に突入した。
なぜならシャドウのマスターが、って……
「お前か」
『そうだよ。私があそこを殺し合いの場にしたんだ。あの頃は余裕がなかったからね、従属化なんて考えもしなかった』
「そういやそうだ。状況もわからない段階でいきなり攻めこんできて、ヤバい奴だと思ってたんだ。北西の狂犬、お前じゃないか」
『そう、あれは本来私が戴く称号だったんだよ。それを、君は奪ったんだ』
「……欲しかったのか?」
『違う』
レイゼルの声が子供に言い聞かせるように優しくなる。
『北西も場を作ったのは君じゃない。しかし、生き残って名を残したのは君だ。そして、今回も同じだと言うことだ』
「南の調停者……」
『そう、南の調停者の名前を貰いに行こうじゃないか』
通信を切ってから、ぽんこが収支のウィンドウを開いた。
「ご報告です! 新規三名の税収を足すと、月収がまた上がります。概算で、月90万DPです!」
時給1DPの頃に組んだ予算感覚が、音を立てて壊れていく。
やっているのは、交渉だけだ。
交渉だけで、コア占有率もDPも桁違いに上がっていく。
軍は一体も動いていない。
DPも、ほとんど使っていない。
俺が一年半、殺して、壊してきたものを。
あいつは十日ほどで、飲み込み始めている。
「ぽんこ」
「はい」
「俺、今まで何やってたんだろうな」
「生き延びてました!」
「……そうだな」
そうだ。
北西に、紹介状も交渉もなかった。
殺すか殺されるかしかなかったから、殺してきた。
それは間違いじゃない。
環境が違えば、戦い方が違う。
それだけの話だ。
しかし、レイゼルのやっていることを理解したら、自ずと浮かび上がる懸念がある。
「グランツ、復讐にくるよな」
「来るでしょうね。完全にケンカ売ってますから」




