「ヴェルダニア連邦」架空年表 補完・完全版
・200年前 魔王貴族による独裁的政治と、純人間への差別による格差社会が広がっていた。魔王貴族は「血の純粋さ」を名目に人外種を優遇し、人間を労働・納税の道具として扱った。各地で小規模な反乱が起きていたが、いずれも鎮圧されていた。
・180年前 「人間による人間解放」の勇者であるアルセリアが魔王を処刑。民主革命が起きる。そして、新しい国である「ヴェルダニア国」が出来上がる。 民主革命と同時または直後に、純人間による「魔王貴族」に近いルーツを持つ人外(魔族・天使・獣人・竜神…等々)種への「報復的・復讐的差別」が始まる。魔王打倒の英雄として祭り上げられたアルセリアは、この差別の抑制を訴えたとされるが、民衆の熱狂の前に声は届かなかった。アルセリアはその後まもなく病死し、その意志を継ぐ者は現れなかった。
・175年前 アルセリアの死去に際し、国は彼女を「建国の聖母」として神格化。その肖像が通貨や公共建築に刻まれる。しかし、彼女が晩年に訴えた「差別の撤廃」については都合よく無視され、「魔王を倒した英雄」としての側面のみが強調された。
・170年前 内部でバラバラになっていた地域をひとつの国にまとめ、ヴェルダニア国は「ヴェルダニア連邦」になる。連邦化に伴い、各地域の代表による議会制度が導入されたが、議員のほぼ全員が純人間であり、人外種の政治参加は実質的に封じられていた。
・160年前 ヴェルダニア連邦と隣国オルドヴィア共和国の間で初の通商条約が締結される。オルドヴィアはすでに工業化の先進国であり、ヴェルダニアは農業・資源の輸出国として従属的な関係を結ぶことになる。この格差が後の両国関係の伏線となった。
・150年前 新しい首相は、「国の表面がけがれているため国際社会へ入りづらい」ことを裏の理由に、「獣人・人間の身分平等化政策」を行う。しかし、これは戸籍上の身分が変わるだけであり、実際の差別はなくならなかった。 同年、他国との貿易を通じ交流をするうちに、他国の人間が獣人を欲していることを知る。また、それらが高価で取引されるため国に対して利益も出しやすいというメリットもあったので、ヴェルダニア連邦の人間は獣人を取引の材料に貿易をすることを始めた。国は黙視していた。 この「人身売買貿易」は表向きには「労働力の輸出」と呼ばれ、政府の公文書にもそのように記録された。獣人の若者・子どもが特に高値で取引されたという記録が後世に発掘されている。
・130年前 獣人の人身売買貿易が最盛期を迎える。ヴェルダニア連邦の港湾都市には「輸出獣人」の収容施設が複数建設された。この時代に生きた獣人の民間人の手記が後年に発見されており、「夜中に子どもが消える」「家族がまとめて連れ去られる」などの証言が残っている。国際社会の一部ではすでに問題視されていたが、利益を享受する国々が多かったため、公式な非難には至らなかった。
・110年前 世界規模での工業化と軍拡競争が加速。ヴェルダニア連邦も軍の近代化を推進し、化学兵器の研究開発に着手する。研究の多くは獣人を被験体とした非人道的な実験によって進められたが、当時の政府はこれを「軍事機密」として隠蔽した。
・100年前 世界戦争が始まる。ヴェルダニア連邦も参戦する。化学兵器と技術力の高い兵器で一気に勝ち進める。しかし、徴兵される兵士は皆獣人で、大半は若者(高校生や大学生、社会人など)で構成されていた。中には戦うにはまだ若い少年もいた。
・98年前 兵の不足により、獣人男性だけではなく、獣人女性も徴兵され、戦地へと運ばされる。女性兵士の多くは前線ではなく「後方支援」の名目で配備されたが、実態は前線と変わらない危険地帯に置かれることも多かった。また一部の女性兵士は性的な搾取の被害にも遭ったとされるが、戦後も長く公式記録には残らなかった。
・95年前 複数の国と同盟を組んでいたヴェルダニア連邦だったが、戦況の悪化により同盟を破棄して降参する国家が増え、ヴェルダニア連邦は孤立。最後まで戦うも、「セント・アルセリア海の戦い」でオルドヴィア共和国に敗戦。敗戦により、首都ラーヴェンは一時的にオルドヴィア軍の占領下に置かれ、多くの市民が避難民となった。
・93年前 講和条約「ラーヴェン協定」が締結される。ヴェルダニア連邦は戦争賠償金の支払いと、軍備の大幅な縮小を義務付けられる。また、戦時中の徴兵に関する調査委員会の設置が求められたが、ヴェルダニア側の抵抗により骨抜きにされ、獣人への補償は一切行われなかった。
・80年前 世界では世界戦争での反省を生かし、「世界安全保障評議機構(World Security Council Organization。略称:WSCO〈ウィスコ〉または世保)」ができる。 同年、敗戦国であるヴェルダニア連邦はウィスコによる実質的な支配下に置かれる。占領期間中、政府の主要ポストにはウィスコが派遣した監督官が就任し、ヴェルダニア連邦の政策決定は事実上ウィスコの承認なしには進められなかった。
・75年前 ウィスコによる実質的支配が終わり、完全に独立する。独立に際し、ウィスコはヴェルダニア連邦に対して「民主主義的な政治運営」と「人権の尊重」を条件として課した。しかし、その「人権」が獣人を含むものかどうかは明文化されず、曖昧なまま独立が認められた。
・73年前 世界戦争からの非人道的な扱いに激怒した獣人たちは、200年前の魔王の末裔を代表とした「人外解放軍」と称したグループを形成する。代表となった末裔の青年は当時20代であり、流暢な弁舌と強烈なカリスマで多くの獣人・人外種を引きつけた。
・72年前 ヴェルダニア連邦内で、人外解放軍と政府の国民保護部隊による軍事衝突及び内戦(ヴェルの東西戦争)が発生。ヴェルダニア連邦からの独立を目指す人外解放軍(東)と、それを阻止する国民保護部隊(西)が衝突した。内戦の激化により、首都ラーヴェン郊外では民間人を巻き込む戦闘も起き、双方に多数の死傷者が出た。
・70年前 内戦は、首都ラーヴェンを除く中心から東を獣人の実質的支配下に、首都ラーヴェンを含む西を政府及び純人間の実質的領地にする形で終結する。東西を分けるための電気柵(ラーヴェンの電気柵)も西により設置された。東西で種族により居住区域を分ける政策も行われた。人外解放軍のリーダーは東側の最高指導者として実権を握ったが、正式な国家承認はどの国からも得られなかった。
・68年前 再びウィスコによる支配を恐れると同時に、ウィスコ内にある常設安全保障委員会(The Standing Security Commission)の議席を得るためにも、世間からみられる表面の美化を西を筆頭とするヴェルダニア連邦政府が行う。柵は撤去し、自由に行き来できる状態に。表面上は居住制限も解除されたが、暗黙の居住制限のようなものは残り続けた。 同年、ウィスコの常設安全保障委員会への議席申請が受理され、ヴェルダニア連邦は国際社会への復帰を果たす。
・65年前 ヴェルダニア連邦は隣国フランドリカ公国での内戦による武器調達で多額の利益を生み出す。これにより、突如として国家は発展。インフラの整備や公共施設の新設及び補修などの公共事業が急速に行われた他、西側は民間企業の発展や、工業の技術力の向上など、高い利益と国際社会での知名度を得た。しかし、東側では西側のような整備や公共施設の整備はあまり行われず、技術力の発展も起こらなかったため、西と東で深刻な経済格差が生まれてしまう。 この時期に建設された西側の大型商業施設・幹線道路・鉄道網は現在も使われており、「繁栄の60年代」と呼ばれている。一方東側では同時期を「忘れられた60年代」と呼ぶ獣人も多い。
・60年前 東側の経済格差に対し、国際的な支援団体がヴェルダニア連邦政府に東側インフラ整備を求める陳情書を提出。しかし政府はこれを「内政干渉」として退ける。同年、東側では若者を中心とした自助的なコミュニティ形成が活発化し、相互扶助の文化が根付き始める。これが後の獣人組織の土壌となった。
・55年前 ヴェルダニア連邦の工業製品が国際市場で高評価を受け始め、特に精密機械や電気機器の分野で頭角を現す。西側の大手企業が次々と株式公開し、外国資本も流入。経済成長率は年間8〜10%を記録し、当時の先進国メディアでは「ヴェルダニアの奇跡」と報じられた。
・50年前 万国文明博覧会(The Universal Exposition of Civilizations)の会場となったヴェルダニア連邦は、国際的イメージの穢れを恐れてか、ついに東の獣人代表と和解をする。万国文明博覧会は大成功。世界的にもヴェルダニア連邦の西の優れた技術力や科学を示すことで、「発展途上国の世界大戦敗戦国」というイメージを変え、先進国のグループへ仲間入りをすることに成功する。 博覧会のメインパビリオンは西側に建設され、東側の獣人文化・芸術も一部展示されたが、あくまで「珍しい文化」として消費的に扱われたという批判が当時の獣人知識人から上がっていた。
・49年前 和解に伴い、東西の暗黙の居住制限に対して、政府が「居住制限はもう存在しないので自由に好きな場所に住むことはできる」と明言。また、突然西側の民間人に対して東側への移住を進めるようなキャンペーンを開始した。これは、万国文明博覧会に伴う首脳会談でオルドヴィア共和国の大統領が、ヴェルダニア連邦の大統領に対して居住区域が明らかに違い、スラム化していることを指摘されたためである。キャンペーンにより2万人の人間が東側に移住した。 しかし、東側に移住した人間の多くは貧困層や職を失った者であり、経済的には東側の獣人住民と似た立場にあった。これが後の「東側における人間と獣人の複雑な共存関係」の原点ともいえる。
・47年前 ヴェルダニア連邦の自動車メーカーである「トーカイ自動車」が「ルミナス」を発売。当時世界トップ基準であったオルドヴィア共和国の排気ガス基準O-APC(Oldovia Air Purity Code)を世界で初めてクリア。自動車がヴェルダニア連邦の一大産業へとなりあがる。「ルミナス」は国内外で爆発的に売れ、トーカイ自動車はヴェルダニア連邦を代表する企業として国際的な知名度を得る。東側の工場でも一部の部品が生産されており、これにより東側の雇用が一時的に改善された。
・45年前 経済発展の真っ只中、突如フランドリカ公国が経済発展をする。原因はヴェルダニア連邦からの輸出工業製品を、20年前の内戦時に作った武器工場を改装した工場で模倣し、設計コストなどを省いたうえで、色やデザインを少し変えた「廉価版・オリジナル製品」としてヴェルダニア連邦の製品の3倍も安く売ったことにより、フランドリカ公国の製品が世界中で流通。工業国であったヴェルダニア連邦の国益が大きく落ちる。 ヴェルダニア連邦はフランドリカ公国に対して知的財産権の侵害として国際機関への提訴を試みたが、フランドリカ側が「あくまで独自製品」と主張したため裁定は長引き、その間にフランドリカ製品は市場に定着してしまった。
・43年前 国益が大きく落ちたことに伴い、ヴェルダニア連邦の経済は悪化し始める。製造業を中心に企業の倒産や工場の閉鎖が相次ぎ、国中で失業者が急増。トーカイ自動車は販売台数の激減により経営が圧迫され、国内の販売網を縮小。まず採算の合わない東側のディーラー網を順次閉鎖していった。同年、政府は「経済緊急対策法」を制定し、国内産業保護のため輸入品への関税引き上げを行ったが、すでに世界市場に浸透したフランドリカ製品に対する効果は薄く、国内消費者の不満を高めるだけに終わった。
・40年前 経済悪化に伴い、国民同士での対立や差別がより強くなった。民間人内での獣人対人間での差別はさらに悪化。トーカイ自動車は東側のディーラーをすべて閉店することで、結果的に新車販売をやめてしまう。結果、東側の住人は西側から届けられる廃車のような車にしか乗ることができなくなる。 また、この頃から東側では電力・水道といった基本インフラの整備が滞るようになり、停電や断水が日常的に発生するようになった。西側メディアはこれを「東側住人の自治の失敗」として報道し、構造的な問題として取り上げることはなかった。
・38年前 経済危機の長期化により、ヴェルダニア連邦国内では移民・外国人労働者の受け入れ制限を求める声が高まる。政府は「国民労働保護法」を制定し、外国人の就労制限を強化。しかし実際には獣人が「外国人」と同列に扱われるケースも多く、事実上の差別立法として機能した。
・35年前 獣人内では、差別や社会的不利の影響か、複数の同盟や組ができる。その中でも、獣人が差別されず人間と共生できる社会を目指すべく結成された「東ヴェルダニア獣人解放志士会」は、「人外解放軍」のリーダーの息子を会長に置いた。 初代会長は当時20代前半の青年で、父親の思想を受け継ぎながらも、武力よりも政治的な働きかけを優先する路線を掲げた。発足当初の会員数は数十名程度であったが、東側の若い獣人を中心に急速に支持を広げていった。
・32年前 「東ヴェルダニア獣人解放志士会」が初めて公開集会を開催。数百名の獣人が集まり、国内外のメディアが注目する。ヴェルダニア連邦政府はこの集会を「治安上の懸念がある集会」として監視対象に指定するが、ウィスコからの目を意識してか強制的な解散命令は出さなかった。
・30年前 獣人による組織の躍進により、東側での生活を脅かされた人間の若者や保守派の人間たちが西側の人間と手を組み、かつてのラーヴェンの電気柵があった線上にいくつかのギャング・反社会的組織を作って獣人に対抗する。こうした人間側の組織は「柵の守り手」などと自称し、獣人に対する暴力行為を「東側の秩序維持」として正当化した。
・27年前 「東ヴェルダニア獣人解放志士会」が政府に対して「獣人の政治参加権の完全保障」「東側インフラ整備の即時実施」「戦時中の徴兵被害に対する公式謝罪と補償」を求める公開書簡を提出。政府はこれを「受領した」と発表するのみで、実質的な回答を行わなかった。
・25年前 大規模な獣人学生運動が勃発。「東ヴェルダニア獣人解放志士会」も会長が学生になるなど、大規模な学生運動組織の一つとして大きく成り上がり始める。事実上の学生運動組織になり始めてから、「東ヴェルダニア獣人解放志士会」は女性獣人(女学生)の人数も増加する。
・23年前 政府が「学生運動規制法」を制定。大学構内での政治的集会の事前申請を義務化し、無申請の集会は即座に解散させることができるようになった。しかし、これは実質的に獣人学生の集会のみを標的にした運用がなされ、人間学生の集会は「文化的行事」として届出なく行われる例が多かった。
・20年前 獣人学生運動の悪化により獣人と人間との抗争が首都ラーヴェンの大通りで発生、警察が沈静するも、獣人内での死者が30名以上出てしまう。しかし、人間は死者がゼロ人だった。このせいか、獣人内では国(警察)が積極的に人間を助けたことにより助かるはずの者が助からなかったと問題になる。「東ヴェルダニア獣人解放志士会」はこれに黙っておらず、「人間への報復」と称し、反社会的行為などにも手を出すようになる。特に、ラーヴェンの電気柵線上は人間組織との抗争が相次ぎ、治安の悪化が激しくなる。このあたりから、「東ヴェルダニア獣人解放志士会」はヴェルダニア連邦のギャング・反社会的組織のなかでもトップの勢力を持つようになる。
・18年前 度重なる抗争や、警察による会員の逮捕により「東ヴェルダニア獣人解放志士会」は弱体化、資金難にもなる。会長は組織の存続のため、一部の過激派メンバーを切り捨て、再び「政治的組織」としての再建を試みる。しかし、過激派の切り捨てに反発した元メンバーが分裂し、より暴力的な小規模グループがいくつも生まれる結果となった。
・15年前 ヴェルダニア連邦経済が緩やかな回復を見せる。西側では新興IT企業が台頭し、若い起業家が国際的な注目を集めた。しかし東側にはこの恩恵は届かず、IT企業の多くは西側の特定地区に集中。東西の経済格差は数字の上では縮まらないまま、「ヴェルダニア連邦は先進国だ」というイメージだけが国際社会に定着していった。
・10年前 国際都市として、先進国の手本として発展したヴェルダニア連邦政府は、抗争による治安の悪さのせいで移住者が少ないことや、国際イベントの会場予定から外される事件が起きたため、「公共の平和及び国民の生活を保護する」ために「治安維持特殊部隊」を結成。他国の影響もあってか、世間では「公安」と呼ばれるようになる。 創設にあたり、政府は「犯罪組織の壊滅と市民の安全確保」を掲げたが、公安の採用基準や活動規定は非公開とされ、議会による監視も限定的であった。
・8年前 公安による活動が本格化。表向きは麻薬密売や武器の不法所持といった犯罪の摘発を行うが、実際には「東ヴェルダニア獣人解放志士会」をはじめとする獣人組織の構成員をリスト化し、定期的な「予防的拘束」を行うようになる。拘束された者の多くは正式な裁判なしに数日から数週間拘留され、釈放後も監視下に置かれた。
・5年前 治安が劇的に向上する。しかし、その裏では公安が地下鉄や繁華街などで10代〜20代前半の獣人のみ(学生運動組織として加入して活動する獣人が多かったため。)を無差別に虐殺したり、非人道的で残虐な拷問を行って無理やり自白させたりするなどしたため、結果的に治安が向上しただけであった。 公安の行為は一部の内部告発者によりリークされ、国内外の人権団体が調査を求めたが、政府は「虚偽情報」として一切認めなかった。ウィスコも「独立した調査が必要」とする声明を出すにとどまり、具体的な制裁には踏み込まなかった。
・3年前 公安による弾圧の実態が、ある匿名の元公安職員の証言と内部文書の流出によって国内外に広まる。一部の西側市民の間でも「公安の解体・改革」を求める署名活動が始まる。政府はこれを「外国勢力の扇動」と断じ、流出文書の出所を追う捜査を開始。証言した元職員はその後消息不明となった。
・1年前 「東ヴェルダニア獣人解放志士会」の現会長が初めて公安の拷問被害者の実名と写真を伴う告発文を国際メディアに送付。この告発は複数の国際メディアで報じられ、ヴェルダニア連邦政府は初めて国際社会から「人権侵害国家」として名指しで批判される事態となった。政府は「告発内容は捏造であり、志士会は反社会的テロ組織である」と反論したが、ウィスコ内では調査委員会の設置を巡り議論が続いている。




