第19話 ファッ(゜Д゜;)!?
畳の上に倒れ込んだ僕ニャンの全身から、パキパキと乾いた関節の悲鳴が聞こえる。 もう、指先1ミリすら動かしたくないにゃ。
ここ数日間、編集部のオフィスは、文字通り「死体安置所」の一歩手前だった。 先日の猛烈なゲリラ豪雨の最中、不運にも本社の真上に落雷が直撃した。
その凄まじい電圧によって、オフィスのローカルサーバーが停電と同時に完全にクラッシュし、僕が死ぬ気で執筆していた「R35筑波タイムアタック特集」のInDesignデータが跡形もなく吹き飛んでしまったのだ。
「バックアップデータまで全滅するなんて、落雷の嫌がらせにゃ! お巡りのスピード取締りよりタチが低いにゃ!」
それから、地獄のデータ復旧と修正作業が始まった。
12ページに及ぶ細かなセッティングデータや、プロドライバーのインプレッション原稿を、脳のシワを限界まで絞り出して記憶から書き直す作業。
会社の床に段ボールを敷いて仮眠を取り、朝起きたらエナジードリンクを胃袋に流し込むだけの3日間を乗り越え、ようやく掴み取ったのが、今日の休日だった。
だが、僕ニャンの部屋の真ん中には、前回の「小型家電ゴミの日」に102号室の金村さんから回収した、あの不気味にデカい水冷仕様のフルタワーPCと、金属製のラックサーバー機器が鎮座している。
さらに、近所のゴミ捨て場から拾ってきたPS2本体一式と、首に巻きつけていた『ホリパッド3 ターボ』。
「こいつらを、今すぐ現生に変えて、シルビニャの復活費用に充てるにゃ。でも……どうやって運べばいいんだにゃ……」
重さは全部で30キロを軽く超える。
唯一の移動手段であるスケートボード(拾い物)にこの精密機器の山を載せて走れば、最初の段差でスケボーごと粉々に大破し、僕の心もブローするのは目に見えていた。
「こうなったら、またあの『セレナ』を借りるしかないにゃ……」
僕は、会社のデスクでカップ麺を啜っている粕谷編集長の元へ行き、精一杯の愛想笑いを浮かべて頭を下げた。
「粕谷編集長! 僕ニャン、今日もまた社会学的メディア表現のロケに行きたいから、あのセレナを貸してほしいにゃ!」
だが、粕谷編集長は箸をピタリと止め、般若のような恐ろしい形相で僕を睨みつけた。
「二度とお前には貸さん。昨日の朝、俺のセレナのシートを見たぞ。あの黒い染みと、車内に充満したガソリンとカビの臭いは何だ!?
ディーラーで見積もり取ったら、ルームクリーニング代で5万円かかるって言われたぞ! そのキーボックスから手を離せ!」
「にゃ、にゃあ……。ケチ編集長にゃ。ちょっと愛車の血液がシートとスキンシップを図っただけだにゃ……」
セレナのキーの騙し取りに失敗した僕は、舌をチロリと出して駐車場を後にした。 しかし、ここで諦めるわけにはいかない。
僕はスマホを取り出し、大学の自動車部時代に、毎週末ボロ車の下に潜り込んで一緒にオイルまみれになっていた悪友、『にしやん』こと西田明人に、すがるような思いで電話(鬼電)をかけた。
プルルル、プルルル、ガチャ。
「もしもし、にしやんにゃ!? 助けてにゃ! 今すぐ僕に、お前のあの積載能力抜群のセカンドカーを貸してほしいにゃ!」
「……直人かよ。なんだよ朝っぱらから。俺、これからバイトなんだけど」
「お願いにゃ! 1日だけでいいにゃ! 僕のシルビニャが今、肺を壊して瀕死の状態なんだにゃ!
お前の車を貸してくれたら、今度僕の部屋に余ってるスイスポ用の使い古したギアオイルを1リッター分けてあげるにゃ!」
「誰がそんな中古のオイルいるかよ。……はぁ、貸すのはいいけどよ、俺のミニキャブ、ファンベルトがもう限界で、いつ千切れてもおかしくないからな。エアコンかけたらベルトが滑ってすげえ音がするから、絶対にエアコンはつけるなよ。あと、ガソリンは満タンで返せよ」
「にしやん、大好きにゃ!!」
数時間後、僕の部屋の前に、ボコボコに凹んだ白の三菱・ミニキャブ(軽バン)が到着した。
直人はすぐさま、部屋に転がっていたフルタワーPCとサーバー機器、そしてPS2とコントローラーを軽バンの汚い荷台へと放り込んだ。
エンジンをかけ、アクセルを踏み込んだその瞬間。
キュウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!!
エンジンルームから、耳を劈くような、まるで豚の悲鳴のような凄まじい金属摩擦音が鳴り響いた。
「うにゃああああ!! 音量が130デシベルを超えてるにゃ! 僕のシルビニャの直管マフラーより耳障りな音だにゃ!!」
窓を全開にし、エアコンのスイッチに触れたい衝動を必死に抑えながら、直人はミニキャブを激走させて、目的地の『ハードオフ』の駐車場へと滑り込んだ。
ベルトの悲鳴を響かせながら車を停め、重たいフルタワーPCとサーバー、そしてゲーム機一式を抱えて、買取カウンターへと持ち込んだ。
「これ、全部買い取ってほしいにゃ。特にこのフルタワーPCは、中身が最高にハイスペックだから、期待してるにゃ!」
僕はカウンターに肘をつき、査定スタッフの青年に対して、これみよがしにドヤ顔を見せた。
頭の中では、すでに12万円の不足金が完全に相殺され、お釣りがくる計算になっていた。
だが、僕は一つ、重大な事実を見落としていた。
リユースショップという場所は、一部の超人気ガジェットを除き、基本的には売り手の思い入れなど1ミリも考慮せず、冷酷な査定基準で価格を叩き出してくる場所なのだ。
待つこと40分。 番号札を呼ばれ、僕はカウンターへと歩み寄った。
「藤野様、査定が完了しましたので、内容をご確認ください」
スタッフの青年は、淡々とタブレットの画面を提示した。
「まず、お持ち込みいただいたPlayStation 2本体一式ですが……。外装に傷が多く、コントローラーのスティックが摩耗しているため、買取価格は『800円』になります」
「にゃ、にゃにぃっ!? 800円だにゃ!? この機体は、2000年代の日本のオタク文化の技術の結晶にゃぞ!
牛丼2杯分にしかならないなんて、歴史への冒涜だにゃ!」
「続きまして、PS3用の『ホリパッド3
ターボ』ですが、有線の旧世代コントローラーとなりますので、こちらはジャンク扱いで『100円』になります。それと、一緒にお持ちいただいた謎のケーブル類ですが、まとめて『50円』です」
「100円に50円……!? そのホリパッドは、1秒間に20発の連射機能がついてるにゃ!
指先が腱鞘炎になるほどボタンを連打しなくても、シューティングゲームが攻略できる神のデバイスにゃぞ!」
「そして、こちらの業務用ラックサーバーとスイッチングハブですが……。一般のコンシューマー向け製品ではないため、当店では動作確認が取れず、こちらもジャンクパーツ扱いとなります。筐体の鉄屑としての価値を含めて、まとめて『1500円』になります」
直人の額から、どっと冷や汗が吹き出した。 エグみのあるタケノコを食べたときのような、苦い現実が喉の奥に広がっていく。
「だ、大破にゃ……。僕の臨時収入ロードが、ただの小銭拾いになっちゃったにゃ……。お、おっちゃん、その真ん中のデカいフルタワーPCはどうなんだにゃ!?」
スタッフの青年は、眼鏡を指先でクイッと押し上げた。
「あ、こちらのフルタワーPCですが……。サイドパネルを開けて内部を確認したところ、マザーボードや水冷ファンは非常に状態が良く、CPUにはCore
i9、メモリは64GB、そしてグラフィックボードにはなんと『RTX 3080』が搭載されていました。動作も完全に正常であることを確認いたしました」
「そ、それで、いくらになるんだにゃ!?」
「当店での限界価格といたしまして、こちらは『6万5000円』での買い取りとさせていただきます」
「ろ、ろくまんごせんえん……!」
直人は、その金額に一瞬だけ目を輝かせた。 だが、頭の中で素早く足し算を行う。
6万5000円(PC)+1500円+800円(PS2)+100円+50円=合計金額『6万7450円』。
「にゃ、にゃお……? 計算が合わないにゃ……」
昨日の全財産(約43.4万)に、今回の売却益(6万7450円)を足しても、合計で約50.8万円。
安田モータースに支払わなければならない『TO〇EI』タービンと工賃の総額90万円に対して、まだ『約39.2万円』も足りない。
「6万5000円という大金がついたのに……。全体で見ると、まだ全く、シルビニャの心臓に手が届かないにゃ……。ハードオフは、僕ニャンのガラクタの山に対して、あまりにも現実的すぎる査定を下すにゃ……」
直人は、カウンターの上でがっくりと肩を落とし、魂の抜けたような顔で、提示された6万7450円の現生を受け取った。
帰り道。 エアコンを切り、窓から吹き込むぬるい排気ガスの風を浴びながら、直人はミニキャブの細いステアリングを握っていた。
相変わらず、エンジンルームからは「キュウウウウウッ!」とファンベルトが悲鳴を上げ続けている。
「でも、よく考えるにゃ……」
直人のブルーの瞳が、ぐにゃりと歪んだ。
「あのフルタワーPCとサーバーは、元はと言えば、102号室の金村さんがゴミ捨て場にポイしようとしていたものだにゃ。ということは、僕ニャンは仕入れ資金ゼロ、実質タダで6万7450円を手に入れたことになるにゃ!
これ、利益率100%の、最強の錬金術だにゃ!!」
他人のゴミを勝手に回収し、それを換金して「完全なる純利益」と脳内変換する、極めて歪んだ自己中心的ロジック。
直人は、現生が入った封筒をツナギの胸元に押し込み、「にゃっははは!
僕ニャンはやっぱり天才バイヤーだにゃ!」と、車内で嬉しそうに喉を鳴らした。
だが、にしやんのアパートの前にミニキャブを停め、ギアをパーキングに入れたその瞬間。
バチンッ!!!
という激しい破裂音と共に、エンジンルームの下から「ヒラヒラ……」と、完全に引きちぎられたファンベルトの死骸が地面へと滑り落ちていった。
「……にゃ」
「おい、直人ォォォォォ!!! 俺のベルト、千切れてやがるじゃねえか!!」
アパートの窓から飛び出してきたにしやんが、ボンネットの下から垂れ下がるベルトを見て絶叫した。 直人は、持っていたスケートボードを素早く地面に落とすと、
「にしやん! ベルトが自ら身を挺して、僕たちのドライブのフィナーレを飾ってくれたんだにゃ!
ガソリンはちゃんと満タン(レギュラー)にしておいたから、感謝してほしいにゃ!」
と、わけのわからない大嘘を早口でまくし立てながら、スケートボードの上に乗って、秋の夕暮れのバイパスへと、猛烈なプッシュで逃亡し続けるのであった。




