第17話 一筋の光
数日前まで、直人は完全に絶望のズンドコに叩き落とされていた。
愛するシルビアのエンジンは完全にブローし、フレームはクニャクニャ、復活のための見積もりは「160万円」。
自分の部屋で、何もない空っぽの駐車場22番の白線を見つめながら、虚しく口でバックタービン音を響かせるだけの日々。
しかし、直人のカレンダーに、奇跡の数字が舞い降りた。
「にゃ……にゃにぃっ!?
今月は、僕ニャンの手取り給与25万円に加えて、ボーナスの手取り10万円がダブルインジェクション(同時支給)される月だったにゃあああ!!」
今月、直人の手元に入る現生は、合わせて35万円。
これに、トークン捜索によって奇跡の復活を遂げた銀行口座の残り(約37.2万円)と、部屋のガラクタを毟り取って売却したホビー資金(6.2万円)を合わせると、直人の戦闘力(軍資金)は一気に「約78.4万円」へと跳ね上がる。
「い、いけるにゃ……! 160万円にはまだ届かないけど、ここで僕ニャンの天才的コストカット脳が火を吹く時だにゃ!
パーツリストの仕様を少し見直すだけで、予算を大幅に圧縮できるにゃ!」
直人は、すぐさまノートを開いて計算を始めた。
「まず、高価な『NI〇MO』の燃料ポンプはキャンセルにゃ!
代わりに、信頼性と高吐出量を誇りながら驚くほどリーズナブルな海外ブランド『A〇M』の燃料ポンプを指名召喚にゃ! これだけで数万円が浮くにゃ!」
さらに、細かいガスケットやフィッティング類、メーターホルダーなどは、ヤフオクのオークションバトルとアップガレージのジャンクコーナーを駆使して、地道に中古の極上品を漁りまくる。
「一筋の光明が見えたにゃあ! シルビニャ、今すぐ迎えに行くにゃ!」
直人は小脇にスケートボードを抱えると、会社のスーツ姿のまま、アパートの廊下へ飛び出した。
駅へと向かう道中、彼はスケボーを地面に叩きつけ、凄まじいスピードでプッシュ(加速)を開始した。
ガラガラガラガラ!!!
スーツの裾をバタバタと風になびかせ、ビジネスリュックを揺らしながら、白髪ウルフマッシュの白猫獣人がスケボーで住宅街を爆走していく。
通りかかる小学生たちが「マ、マリオカートの実写版だ……」と指を差して怯える中、直人は驚異的なハーフパイプ並みのライディングでコーナーを曲がり、安田モータースへと滑り込んだ。
キィィィィッ! と、スケボーのテールをアスファルトに擦りつけて派手なブレーキをかけ、直人は工場の奥へとスライディング気味に飛び込んだ。
「安田のおっちゃんんんん!! シルビニャは死んでないにゃあああ!! 資金調達に成功したにゃあああん!!」
直人は、涙と鼻水をグシャグシャに流しながら、リフトの横に置かれたシルビアのフロントフェンダーに抱きついた。
一方、安田の親父さんは、工場の特等席であるリフトの横を、このフロントバンパーだけが異様にピカピカで中身がすっからかんのボロいS14に占領され続けていることに、ずっと苛立ちを募らせていた。
「おい、お兄ちゃん。作業着のまま泣きつくんじゃねえ、ボディに涙がシミになるだろ。……で、金が用意できたのか?」
「手取り給与とボーナスのミラクルが起きて、約78万円を自由に動かせるようになったにゃ! これで仕様を一部変更すれば、シルビニャを復活させられるにゃ!」
直人はフンスと鼻息を荒くしてノートを突き出したが、安田の親父さんはそのクレイジーなパーツリストを一瞥し、フッと冷ややかな鼻笑いを漏らした。
「ふん。お兄ちゃん、悪いが追加の出費のおしらせだ」
「にゃ……? 追加の出費だにゃ?」
親父さんは、直人が持ってきた『H〇S』のむき出しエアクリーナー『パ〇ーフロー(※新品)』を指差した。
「お前、エアフロをR35用に流用する計画を立ててるな。だが、お前が買おうとしてる『H〇S』のレーシングサクション(インテークパイプ)は、純正のS14用エアフロメーターの直径に合わせて設計されてる。R35のエアフロは差し込みの径が全く違うから、そのままじゃスカスカで物理的に装着できねえぞ。どうするんだ?」
フハハハ、と安田の親父さんは勝ち誇ったように腕を組んだ。 だが、直人はその程度の攻撃で怯む男ではなかった。直人のブルーの瞳が、不敵なキャットアイへと細められる。
「ふふん、甘いにゃ、おっちゃん! そんな初歩的なトラップ、僕ニャンはとっくに対策済みだにゃ! ここでクイックプレイスペル(対策パーツ)を発動!
『H〇I』製『R35エアフロアダプター Z32タイプ』を追加投入するにゃ!!」
「なにっ!?」
「これを使えば、R35のセンサーをZ32用の頑丈なアルミフランジに変換できるにゃ!
サクションパイプ側の径に完璧に適合し、吸気抵抗を極限まで減らしながらR35エアフロをボルトオンで装着可能にゃ! どうだにゃ!!」
「ぐ、ぐぬぬ……。エアフロ対策は完璧か……」
親父さんは一歩後退りしたが、すぐにベテランの牙を剥いた。
「だが、お前が一番勘違いしているのはタービンだ!
お前はさっき、ノートに『H〇S』の最新タービン『GTIII-SS(GT3)』を載せると書いたな。確かに良いタービンだが、あれは高過給をかけるのが前提のハイパワー仕様だ。お前のシルビアは21万キロ走った完全にヘタりきったノーマルエンジン(腰下ノーマル)。そんな脆弱なピストンにGT3でブーストを掛けたら、一瞬でシリンダーのリングランドが粉々に砕け散って『棚落ち(エンジンブロー)』するぞ!!
エンジン内部をフル強化する予算はあるのか!?」
親父さんの、渾身のダイレクトアタック。 ピストンの棚落ちという言葉に、直人は一瞬だけ頭を抱えた。
「うにゃ……! 棚落ち……!
確かに、ピストンの腰下までピストンを社外の鍛造品に変えてシリンダーをボーリングする余裕は、今の僕ニャンの予算には絶対にないにゃ……」
直人は窮地に立たされた。 が、しかし、そこで直人の口角が、邪悪なほど釣り上がった。
「ふ、ふふふ……。おっちゃん、僕ニャンの『トラップカード』がオープンにゃ!! GT3-SSの召喚をキャンセルし、墓地(計画表)から『TO〇EI』製『Arms
T400M』タービンを特殊召喚するにゃ!!!」
「な、なんだと!? 『T400M』だと!?」
親父さんの顔に、衝撃が走る。
「そうだにゃ! 『TO〇EI』のT400Mは、低・中速域の立ち上がり(レスポンス)を最重視して設計された、ストリート最強のボルトオンタービンにゃ!
これなら、NVCS(可変バルタイ)を撤去したことによってスカスカになるはずの低速トルクの低下を、タービンの圧倒的なピックアップ性能で完璧に補うことができるにゃ!
しかも!
ガスケット類、強化アクチュエーター、ウォーターやオイルのステンメッシュ配管など、取り付けに必要なすべての小物が最初から『オールインワンキット』として同梱されていながら……なんと新品で『18万円台』で手に入る、奇跡のコストパフォーマンスを誇るにゃ!!
これなら腰下ノーマルのエンジンでも、低ブーストからビンビンに楽しく走れるにゃあ!!」
「ば、馬鹿な……! GT3を格下げして、価格を抑えつつNVCS無しのデメリットを打ち消す極上の選択肢を選びやがった……!」
親父さんは電卓を握りしめ、冷や汗を流した。 だが、親父さんは最後のカードを叩きつけた。
「だが、お兄ちゃん!! まだ致命的な欠陥があるぞ!
お前のシルビア、排気マフラーは120φに変えたが、タービン直後の『フロントパイプ』がノーマルの細くて錆びたスチールのままだ!
T400Mを載せて排気効率が上がっても、フロントパイプが純正の極細ストローのままじゃ、排気ガスがフ詰まりを起こしてタービンに超高熱が逆流し、装着したその日にタービンが再び熱で溶けて逝くぞ!!
これをどうする!!」
「はーはははは! おっちゃん、その攻撃も完全に見切っていたにゃ!!」
直人は、小脇に抱えていたスケートボードのテールを「パン!」とコンクリートの床に叩きつけ、ノートを指差した。
「そんなことは百も承知にゃ! ここでリバースカード(追加パーツ)をチェーン(連鎖)発動にゃ!
『D-M〇X』製『デュアルフロントパイプ』を、最初から計画表に追加済みなんだにゃあああ!!!」
「デュ、デュアルフロントパイプだとぉ!?」
「そうだにゃ! 排気効率を極限まで高めるデュアル形状でありながら、シャコタンのシルビニャが地面とフロントパイプを擦らないように、底面を平らにした超薄型設計にゃ!
これで排気抵抗はゼロ、地上高も確保できて、完璧な合法爆音快速マシンの完成だにゃあ!!」
安田の親父さんは、直人のあまりにも完璧(車クズの領域においてのみ)なパーツのシナジーと、ミリ単位で予算内に収めようとする狂気の知識の前に、ぐはっと胸を抑えてよろめいた。
「ま、まいった……。完璧に計算し尽くされてやがる。パーツ代はこれなら約40万円近くまで圧縮できる……」
「やったにゃ! 僕ニャンの完全勝利だにゃ!!」
直人が勝利のポーズを決め、ブルーの瞳をキラキラと輝かせた。 だが、安田の親父さんは、ボロボロの電卓を再び直人の鼻先に突きつけた。
「だがな、お兄ちゃん。よく考えろ。パーツ代が40万に下がったのはいいが……。お前のシルビアのヘタりきったエンジンを降ろして、錆びたフレームを鉄板溶接で繋ぎ直して、この膨大なチューニングパーツを組み付ける『安田モータースの工賃』、これが最低でも『50万円』かかるって言ったのを忘れてねえか?」
「にゃ……?」
「パーツ代40万+工賃50万。合計金額『90万円』。……お前の現在の全財産、確か『78万円』だったな?」
「……にゃ」
「あと12万円、足りねえな」
直人は、笑顔のまま完全に凍りついた。 脳内のデュエル盤が、ガラガラと音を立てて崩壊していく。
どれだけ完璧なトラップカードを決め、パーツ代を限界まで削り落としても、プロの整備士である安田の親父さんの「労働への対価(工賃)」だけは、ヤフオクでもアプガレでもディスカウントすることは不可能だった。
「あと、12万……。今月の給料とボーナスを全部注ぎ込んでも、まだ12万円、足りないにゃ……」
直人は、小脇に抱えていたスケートボードの上にペタンと座り込み、虚空を見つめた。 あと一歩のところで、シルビアの心臓が手に入らない。
安田モータースの隅で、ブルーシートを被せられたシルビアが、秋の静かな風に揺られてパタパタと音を立てていた。
直人は、自分の財布の薄さと、プロの工賃の重い現実の前に、涙目で「うにゃあああああん……!!」と、本日二度目の虚しい負け猫の悲鳴を、工場の天井に向かって響かせ続けるのであった。




