第十一話:シルビア死す
ゴトゴトとサスペンションのきしむ音が響く、積載車の助手席。 直人は、窓ガラスに額をぴったりと押し付け、まるで悲劇のヒロインのように遠い目をしていた。
荷台の上には、自慢の『UR〇S』フルエアロを身に纏いながらも、肺を完全に破壊されて白煙を吐き出し、無残にロープで固定された白いシルビアが載せられている。
「にゃおーん……シルビニャ……。さっきまであんなに元気にお歌を歌っていたのに、急に黙り込んじゃうなんて、おねんねするには早すぎるにゃ……」
「おいおい、お兄ちゃん。さっきから猫みたいな声でぶつぶつ言ってるけどよ。あの車、ありゃもう『寝てる』んじゃなくて、とっくに『ご臨終』のレベルだぞ」
ハンドルを握る積載車の運転手が、哀れみの混じった目で直人を一瞥した。
トラックは、下町の外れにある、お世辞にも綺麗とは言えない個人経営の自動車整備工場『安田モータース』へと滑り込んだ。
そこを営むのは、かつて昭和の時代から数多のドリ車や街道レーサーを再生させてきた、頑固一徹なベテラン整備士の「安田の親父さん」だった。
リフトの上にシルビアが載せられ、親父さんが工具を片手に下回りを点検し始めてから、約二時間が経過した。
直人が事務所のパイプ椅子で「シルビニャ……」とメソメソ泣いていると、油まみれのツナギを着た親父さんが、呆れ果てた顔で戻ってきた。
その手には、文字がびっしりと印字されたA4用紙が一枚握られていた。
「おい、お兄ちゃん。心の準備はいいか。お前の車のカルテ(診断書)だ。とりあえず目についた、今すぐ直さなきゃ走れねえゴミパーツのリストだ。読んでみろ」
直人は、その紙を震える手で受け取った。 そこには、まるで呪いの呪文のように、シルビアを構成するあらゆるパーツの「死因」がずらりと並んでいた。
・タービンガスケット抜け(排気漏れ)
・タービンライン(オイル・ウォーター)のクラック
・NVCSスプロケット内部の油圧保持力の低下による、ディーゼル車のようなガラガラ異音
・オイル下がり(バルブステムシールの劣化)
・メーカー不明の中華タービンの完全なるタービンブロー
・オイルシールの気密漏れによる白煙病
・エキゾーストハウジングのクラック(致命的なヒビ割れ)
・ハブベアリングの重篤なガタつき(特にリア)
・フューエルポンプ(燃料ポンプ)の経年劣化による吐出量低下
・クランク角センサー(クラセン)の進角不良によるエンジン不調
・インマニ(インテークマニホールド)ガスケット抜け
・ラジエーターホース及びヒーターホースの破れによる水漏れ
・エアフロセンサーの経年劣化
・むき出しエアクリーナー(H〇Sのパ〇ーフロー)のフィルターエレメントの劣化による炭化
・ブレーキホースのヒビ割れ及び劣化
・タイヤの完全摩耗(ワイヤー露出寸前)
・クラッチホースの油圧漏れ及び劣化
・ブレーキパッドの完全摩耗
・ドライブシャフトブーツの破れによるグリス飛散
・サビサビの中華製タコ足エキマニ(エキゾーストマニホールド)の無数の排気漏れ
「にゃ、にゃにぃっ!? A4の紙が1枚、まるまるシルビニャの死亡診断書で埋まってるにゃあああ!!」
直人は椅子から転げ落ちそうになりながら絶叫した。 親父さんは、炭化してカッピカピになった緑色のスポンジの塊を、直人の目の前に放り投げた。
「特にひどいのがこれだ。この吸気フィルター、H〇Sのパ〇ーフローだろ。何年交換してねえんだ?
エレメントが劣化して、炭みたいにボロボロになってやがる。今回の中報タービンがブローした直接の原因は、安物パーツの寿命だけじゃねえ。このカピカピになったフィルターの残骸が、エンジンの吸気圧で粉々になって、タービンのコンプレッサーホイールに直接吸い込まれた形跡がある。自分で自分の肺に毒を吸い込ませて自滅したようなもんだ」
「パ、パ〇ーフローの炭化……! 僕ニャン、フィルターの交換なんて、もったいなくて1ミリも考えてなかったにゃ……!」
直人は、自分がヤフオクで落札した時の価格を思い出した。
「50万円」
現在の中古車市場において、シルビア(S14)のターボモデル(K's)の相場は、ボロくても安くて220万円、程度の良いものなら300万円を超えるのが当たり前の時代である。
「50万でターボのシルビアが手に入ったと喜んでいたけど……そういうことだったのかにゃ……」
だが、安田の親父さんの「死刑宣告」は、これで終わりではなかった。 親父さんは直人をリフトの下へと呼び寄せ、強力なワークライトでシルビアの下回りを照らし出した。
「お兄ちゃん、本当の地獄はここからだ。よく見てみろ」
親父さんが指差したフレームの接続部分。そこには、素人が家庭用のアーク溶接機で適当に鉄板をくっつけたかのような、ボコボコで歪な溶接の跡が無数に散らばっていた。
「フレームのあちこちが、グズグズにサビてやがる。それだけじゃねえ、フロントもリアも、フレームメンバーの修復跡が半端じゃねえ。何度もコンクリートの壁に突っ込んじゃあ、素人が叩き伸ばして適当に鉄板貼って直した跡だ。おまけに走行距離は実走行で21万キロ。すべてのゴムブッシュは潰れ、ボルトは固着し、ボディ剛性はクニャクニャのコンニャク並みだ。ドリフトの練習で散々シバき倒された、正真正銘の『ミサイル(練習用の使い捨て車両)』。究極に死んでるボディだよ」
「ボ、ボディまで……死んでるにゃ……」
「いいか、お兄ちゃん。この車はな、『中古車』じゃねえ。たまたま、一時抹消されずに公道を走る権利が残っていた『書類付きの鉄屑』に、奇跡的にまだ息をしていたSR20DETエンジンがくっついてただけの代物だ。普通なら、とっくにスクラップ工場でプレス機にかけられてるべき存在なんだよ」
書類付きの、鉄屑。 その言葉が、直人の脳みそを直撃した。
お洒落な『UR〇S』のフルドレスを身に纏い、中身は新品の『BL〇TZ』の車高調で武装し、排気系も『H〇S』と『SA〇D』で合法化して、完璧なコーナリングマシンへと生まれ変わったはずのシルビア。
だが、そのドレスの下にある骨組み(フレーム)と心臓(エンジン内部)は、すでに限界を遥かに超えて崩壊している、動くゾンビだったのである。
「そんな……そんなの嘘にゃ……! シルビニャは生きているにゃ! ほら、僕ニャンを乗せて、昨日まであんなに元気に走ってくれたにゃ!」
直人はリフトの鉄柱にしがみつき、子供のようにワンワンと泣き叫んだ。 親父さんは、煙草に火をつけ、静かに紫煙を吐き出した。
「直すなら、エンジンもタービンも補器類もフルオーバーホール。錆びたフレームは全部切り取って、鉄板を溶接し直して補強。ハブベアリングも全交換。……安く見積もっても、パーツ代と工賃で軽く150万円以上はかかるぞ。50万で買った車に、その3倍の金をかける覚悟はあるか?」
150万円。
せっかくハードウェアトークンを発掘し、口座の50万円を復活させて喜んでいた直人だったが、その全財産をすべて注ぎ込んでも、修理費用の3分の1にすら満たないという圧倒的な現実。
「うにゃあああああ!! シルビニャアアア!! なんで死んじゃうんだにゃあああ!!」
直人は、安田モータースの油まみれのコンクリート床の上に突っ伏し、炭化してボロボロになったパ〇ーフローのスポンジの残骸を胸に抱きしめながら、夕暮れの工場内に、かつてない悲痛な負け猫の絶叫を響かせ続けるのであった。




