第12話:修復計画
安田モータースのリフトの上に、死体のように吊り上げられた白いシルビア。 安田の親父さんから突きつけられた、A4用紙にずらりと並ぶ「重篤な破損箇所リスト」。
そして、愛車の修理代に「150万円」かかるという圧倒的すぎる現実。
普通の人なら、ここで絶望して車をスクラップにするか、泣きながら中古の軽自動車を探し始めるところだろう。
だが、直人の脳は、一般の人間とは構造が異なっていた。彼の脳のガソリンは、ピンチをチャンス(=さらなる魔改造の機会)としか認識できないようにバグっていたのだ。
「……待つにゃ。よく考えるにゃ。壊れた純正部品や、安物の中華パーツを『修理』して元に戻すなんて、ただの無駄遣いだにゃ。どうせエンジンをバラしてハブベアリングも全交換するなら、これは修理じゃないにゃ。すべてを一流のレーシングパーツに置き換える、最高の『チューニングチャンス』だにゃ!!」
直人は、安田モータースの待合室の片隅で、汚れたノートに狂ったように「夢の仕様変更リスト」を書き殴り始めた。
彼の脳内で、死に体のシルビアが、最高に合法で過激なモンスターマシンへとトランスフォームしていく。
「まず、経年劣化でグズグズのエンジン内部は、信頼の『ナプ〇ック』のオーバーホール用ガスケットキットで完全密封にゃ!
ただしヘッドガスケットだけは、高ブーストに耐えるために『TOM〇I』のメタルヘッドガスケットを指名買いにゃ!」
直人のシャーペンが火を吹く。
「ガラガラうるさいおバカな可変バルブタイミング機能(NVCS)は撤去だにゃ!
代わりに『H〇S』のスライドカムプーリーをINとOUTの両方にセットして、カムは180SX用の『H〇S
STEP1(非NVCS仕様)』を流用して、高回転までビンビンに回るヘッドを作るにゃ!」
さらに、今回のブローの元凶である排気系のカスタムプランが続く。
「ブローした中華カタツムリはゴミ箱ポイにゃ!
新しい肺には、下からビンビンに過給圧が立ち上がる最新の『H〇S』製『GTIII-SS』ボルトオンタービンをぶち込むにゃ!
これに合わせるタコ足は、信頼の『D-M〇X』製ステンレスエキマニに交換だにゃ!」
燃料と吸気、そして制御系統も一切の妥協を許さない。
「燃料ポンプは『NI〇MO』の強化ポンプ、燃圧のコントロールは『TOM〇I』のレギュレーター、そして燃料をドバドバ噴射する『SA〇D』の大容量550ccインジェクターに交換にゃ!
吸気を測るエアフロは、経年劣化の純正から『H〇I』の変換アダプターを使って『R35 GT-R用』を流用!
これらを制御するのは、もちろん『AP〇X'i』の『パワーFC&FCコマンダー』に決まってるにゃ!」
足回りと補器類も、彼の妄想の中で完璧にアップデートされていく。
「破れたブレーキ&クラッチホースは『キノ〇ニ』のステンレスメッシュラインでダイレクト化にゃ!
水漏れするホース類は『オー〇バーン88』の青いフルシリコンホースに全交換して、抜け防止のTボルトクランプでガッチリ締め上げるにゃ!」
「ハブベアリングは新品に打ち替えて、ついでに『NI〇MO』のロングハブボルトを打ち込むにゃ! ブレーキパッドは、僕ニャンお気に入りの『プロ〇ェクトミュー』製『B
SPEC』に交換だにゃ!」
ノートのページが、直人のヨダレと狂気の書き込みでベタベタになっていく。 最後に、直人の目はシルビアの足元に向けられた。
買った時からついていた、ブランド不明の安物アルミホイール。実は前々から、激しいドリフトの衝撃に耐えかねて、若干リムが歪んでいることに気づいていたのだ。
「よし! この際、ホイールも信頼の『EN〇EI』製『PF05』に新調にゃ!
そこに最新のハイグリップスポーツタイヤを4本同時にハメ込んで、無敵のシルビニャの完成だにゃあ!!」
直人は、ノートに書き殴った「究極のシルビニャ・再生計画」を掲げ、満面の笑みを浮かべた。
「完璧だにゃ! これこそ天才的発想にゃ! 安田の親父さん、このパーツリストでシルビニャを生まれ変わらせてほしいにゃ!」
直人は、ノートを安田の親父さんの鼻先に叩きつけた。
親父さんは、老眼鏡をずらしながら、その狂ったパーツリストをじっくりと眺め、電卓を取り出して、パチパチと高速で叩き始めた。
「……お兄ちゃん。これ、パーツ代だけでいくらになるか、わかってて言ってんのか?」
「にゃ? 僕ニャン、口座にまだ『37万円』も残ってる大富豪だにゃ。お釣りがくるにゃ?」
親父さんは、冷ややかな目で直人を見つめ、電卓の画面を突きつけた。
「いいか、現実を教えてやる」
親父さんの無慈悲な見積もりの読み上げが始まった。
「まず、お前が書いた『H〇S』の『GTIII-SS』タービンキット、これだけで定価25万3000円だ」
「にゃ……?」
「制御用の『AP〇X'i』パワーFCとコマンダーのセット、これが約14万円。
歪んでるっていう『EN〇EI』のPF05ホイール4本、これが安く買っても約16万5000円。
そこに合わせるスポーツタイヤ4本が、国産のまともなやつなら最低でも約8万円だ」
「にゃ、にゃお……?」 直人のブルーの瞳から、少しずつ光が失われていく。
「まだまだあるぞ。 『NI〇MO』の燃料ポンプが約3万8500円。 『SA〇D』の550ccインジェクター4本が約5万2800円。
『TOM〇I』のレギュレーターと『H〇I』のR35エアフロ一式で約4万8000円。
『D-M〇X』のステンエキマニが約4万6200円だ。
さらに『H〇S』のSTEP1カムとプーリー、ヘッドガスケットと『ナプ〇ック』のガスケット一式で、合計約12万3000円。
『キノ〇ニ』のラインと『オー〇バーン88』のホース類、ハブベアリングにロングハブボルト、プロミューのパッドと消耗品のシール・ブーツ一式で、ざっと見積もっても約20万8000円だ」
親父さんは、電卓のイコールボタンを強く叩きつけた。
「合計金額……パーツ代だけで、およそ『107万2500円』だ」
「ひゃ、ひゃくまん……!?」
「ああ。しかも、これにお前の腐ったフレームを溶接補強する鉄板代と、この膨大なパーツをエンジン降ろして組み付ける安田モータースの技術料(工賃)が、最低でも50万円はプラスされる。合計で『約160万円』。お前の財布の中身の、およそ4倍以上の金額だ」
シーンと静まり返る工場。 直人の手元のハードウェアトークンが、まるで「お前はただの貧乏人だ」と嘲笑うかのように、静かに液晶のバックライトを消灯させた。
直人は、口座の50万円(残高37万円)を復活させて、世界を牛耳った気になっていた。
だが、現在のハチロクやシルビアといった国産スポーツカーのパーツ価格の高騰は、貧乏な新人編集部員のなけなしの貯金など、一瞬で消し炭にするほどの超インフレを起こしていたのだ。
「い、一銭も足りないにゃ……。足りないどころか、全然、全く、箸にも棒にもかからないにゃ……」
直人は、油まみれの床の上にペタンと座り込み、虚空を見つめた。 パーツ代すら払えない。当然、安田の親父さんに作業を依頼することなどできるはずもなかった。
夕方。 直人は、再びあのピンク色のママチャリ「ピンキーニャン」をガタガタと漕いで、アパートへと帰ってきた。
もちろん、シルビアは安田モータースの隅の土の上に、ボロいブルーシートを被せられた状態で放置されたままである。
部屋に入り、タケノコのエグみで未だにヒリヒリする口の中に、冷え切った水道水を流し込んだ直人は、ふらふらとアパートの裏の、シルビアが「いない」駐車場22番のスペースへと歩いていった。
そして、何もない空っぽの白線の真ん中に腰を下ろすと、
「ウィィィィン……ブォォォォォン!! プシューーーッ!!」
と、自分の口で寂しく鳴らしながら、エアステアリングを握るジェスチャーを繰り返し始めた。
その様子を、アパートの2階のベランダから布団を干していた中島さんが、通報用のスマートフォンを握りしめながら、かつてないほど怯えきった表情で、じっと見つめているのであった。




