第9話:エアロはUR〇S
解凍されたばかりの口座残高「50万円」という超大金を手にした直人は、アパートの部屋で液晶画面を睨みつけながら、かつてない全能感に満ち溢れていた。
「ふはー! お金があるって素晴らしいにゃ! これだけあれば、ヤフオクの中古ボロパーツを血眼で競り合うデジタル格闘技をしなくても、新品のパーツが選び放題だにゃ!」
直人が血眼になって漁っていたのは、楽天市場のカーパーツ専門ページだった。
当初の予定では、お騒がせドリフトパーツの定番である『UR〇S』の定番張り出しタイプ(ハーフタイプ)のフロントバンパーだけを単品で買い直すつもりだった。
しかし、画面をスクロールしていた彼のブルーの瞳が、ある一枚の画像に吸い寄せられた。
「にゃ……にゃにぃっ!? 『UR〇S TYPE2』だにゃ……!」
それは、直人の大好きな「地面を削りそうなデカい張り出し感」を保ちつつ、より未来的でアグレッシブな造形に仕上げられた、最高に男前なフルバンパータイプのエアロだった。
さらに、直人の心臓を跳ね上がらせる驚愕の事実が発覚した。 当初はフロントバンパーだけで数万円が飛ぶことを覚悟していたのだが、画面には『UR〇S TYPE2 フルエアロ3点キット(フロント・サイド・リア)』が、なんとセット価格「12万8000円」で出品されていたのだ。
「3点フルセットで12万8000円……! 安すぎるにゃ!
フロントのお口を直すだけのはずが、サイドもリアも一新して、シルビニャに純白のウェディングドレスを纏わせることができるにゃ!
これはもう、僕ニャンとシルビニャの結婚式を挙げるしかないにゃ!!」
直人は、ためらうことなく購入ボタンを叩きつけた。クレジットカード決済の処理は一瞬で終わり、彼の心は一気に幸福の頂点へとブチ上がった。
一週間後。 アパートの前に、長大な荷物を荷台に載せた軽トラックが到着した。
「藤野さーん! 個人宅配送不可の大型荷物ですけど、今回だけ特別にお届けにきました!」
配送会社のドライバーが、あまりの荷物のデカさに顔を引きつらせながら、3つの巨大なダンボール箱をトラックから下ろした。
直人は狂ったようにガムテープを引き裂き、中から現れた真っ白なゲルコート仕上げのFRP製エアロパーツ3点を取り出した。
「うにゃあああ! 美しいにゃ! これが僕のシルビニャのドレスだにゃ!」
直人はさっそく、自らのゴッドハンドによるDIY取り付け&自家塗装オペレーションを開始することにした。 彼の行動の準備は、無駄なまでに完璧だった。
地元のホームセンターで買い込んできた大容量の「サフェーサー(下地塗料)」と「缶スプレー(関西ペイント製ウレタンホワイト)」。
さらに、某S出版社のレッドゾーン編集部のスタジオから、「次の誌面検証用の備品だにゃ」と勝手に嘘をついて一時的に拝借してきた、プロ仕様の電動エアブラシ。
下駄箱をガラリと開ければ、お気に入りのスニーカーの隣に当たり前のように鎮座している、金属加工用の強力な「ディスクグラインダー」。
そして、ホムセンで大量購入してきた番手の異なる耐水ペーパー(やすり)。
「準備完了だにゃ。そして、僕ニャンの『自家塗装ブース』を展開するにゃ!」
直人は、未だに空きスペースのままである隣の21番と23番の駐車場に、3つの巨大なエアロを綺麗に並べた。
誰も借りていない駐車場は、彼にとって「2面連結型の巨大な露天塗装ブース」に過ぎなかった。
この日の天気は、絵に描いたような雲一つない晴天。風も全くない。 塗装にとって、これ以上ない完璧なコンディションだった。
「よし、まずは仮合わせ(チリ合わせ)だにゃ……」
直人は、まずフロントのバンパーをシルビアの顔面にあてがってみた。 その瞬間、直人の口から感動の吐息が漏れた。
「……ッ! しゅごい……『UR〇S』はチリ(接合部の隙間やズレ)がめちゃくちゃ良いにゃ……!」
直人はカー雑誌の編集部員として、いままで数々の検証企画で海外製の安物コピーエアロに触れてきた。
それらは、幅が5センチもズレていたり、ネジ穴が全く合わなかったりと、取り付ける前にノコギリで切断してパテでイチから作り直すレベルのゴミばかりだった。
だが、この『UR〇S』は違う。まるで仕立て屋が作ったオーダーメイドのスーツのように、シルビアのフェンダーラインにピタリと寄り添っていた。
「ドレスのフィッティングは合格だにゃ! 次は仕上げの研磨だにゃ!」
直人は下駄箱から取り出したグラインダーのスイッチを入れた。
ギィィィィィン!!! と凄まじい高周波の駆動音が響き渡り、FRPの表面のバリが火花のように削り取られていく。
粗削りが終わると、バケツに汲んできた水をバシャバシャとかけながら、耐水ペーパーを使って手作業で表面を滑らかにしていく。
「シュッ、シュッ、シュッ……」
指先の感覚だけで、コンマ数ミリの歪みを感知する。 少しでも巣穴(小さな気泡)やキズがあれば、速やかにポリエステルパテを練り、ヘラで丁寧に埋めていく。
それが乾くのを、太陽の熱を利用してじっと待ち、乾いたらまた水研ぎ。
直人のDIY作業には、普段のいい加減な性格からは想像もつかないほどの「一切の妥協も、油断も、手抜き」もなかった。
なぜなら、ここで少しでも妥協すれば、それは愛するシルビニャのボディを汚すことに繋がるからだ。車クズにとって、車への愛だけは本物だった。
「よし、サフェーサーを吹くにゃ!」
拝借してきたエアブラシが「シューーーッ」と細かなミストを吹き出し、FRPの白い肌が、滑らかなグレーの下地へと染まっていく。
それが乾くと、今度は本塗装のウレタンホワイトを、ムラができないように一定のスピードで均一に吹き付けていく。
「シューーー、シューーー……」
直人のブルーの瞳は、塗装の表面に光が反射する角度を完璧に見極め、ダスト(埃)が1ミリでも乗らないように、息を止めてスプレーを動かし続けた。
塗装が終わり、仕上げのクリアコートを吹くと、まるで新品の陶器のような、濡れたような光沢を放つ美しい純白のエアロ3点が、コーポ・ルミナスの駐車場に出現した。
「完璧だにゃ……! あとは一晩、じっくりと自然乾燥させて、明日シルビニャに装着してあげるにゃ……」
直人は、油と塗料でドロドロになった顔を歪ませ、達成感に満ち溢れた笑みを浮かべた。
翌日の朝。 当然のように、コーポ・ルミナスの駐車場には、激怒した大家のおばあさんの叫び声が響き渡ることとなった。
「藤野さん!!! これは何事ですか!!!」
大家のおばあさんが、怒りで体をガタガタと震わせながら、22番の駐車場へと乗り込んできた。
直人は、乾いたばかりの『UR〇S』のフロントバンパーを誇らしげに抱えながら、「にゃ?」と首を傾げた。
「おばあさん、おはようだにゃ。見てみるにゃ、シルビニャの新しいドレスが――」
「ドレスじゃありません!! 21番と23番の駐車場を見てください!!」
おばあさんが指差した地面は、惨憺たる状況だった。
直人が養生を一切せずに野外スプレー塗装を強行したため、空きスペースである21番と23番の黒いアスファルトの上が、まるで雪が降ったかのように、純白の塗料の霧でうっすらと白く染まっていた。
それだけではない。 グラインダーで削り散らした、ガラス繊維入りの「FRPの細かい粉塵」が、風に乗ってあちこちに飛び散っていた。
大家のおばあさんが大切に育てていた駐車場の隅のプランターのパンジーは、真っ白な粉を被って凍りついたようになっており、さらにはアパート全体のゴミ捨て場の蓋や、外階段の手すりにまで、触ると猛烈に痒くなる極小のガラス繊維のカスがびっしりと付着していた。
「あっちもこっちも、触るとチクチクして痒くて仕方がありません!! 21番と23番の駐車場も、こんなに白く汚して!!
勝手に使わないでって何度も言ったでしょう!?」
大家のおばあさんは腕を真っ赤に腫らし、ポリポリと掻きむしりながら怒鳴り散らした。
だが、直人はそのFRPのチクチクを「進歩の勲章だにゃ」とばかりに完全スルーし、白く染まったアスファルトを愛おしそうに見つめた。
「おばあさん、これは汚れじゃないにゃ。シルビニャが美しく生まれ変わるための、神聖な『天使の粉(ガラス繊維)』だにゃ。アスファルトが白くなったのも、シルビニャのブライダルロードを演出するための、粋なデコレーションだにゃ!」
「誰が天使の粉ですか!! すぐに片付けなさい!!」
おばあさんの悲鳴のような怒号が響く中、直人は「にゃーにゃー」と猫の鳴き真似をしながら、完成したばかりの『UR〇S』のサイドステップをシルビアの側面に仮当てし、その完璧な美しさにうっとりとブルーの瞳を輝かせ続けるのであった。




