第十話「ヤニ切れ狼と精神崩壊アパート」
地獄は、静かに始まった。
メゾン・ブランシェ一階、103号室。
そこから――異様な気配が漏れ出していた。
「……カノ……」
ドアの隙間から、ぬっと伸びてくる灰色の手。
「……タバコ……」
「……ホラーやめろや……」
カノは、コンビニ袋を抱えながら、半眼でそれを見た。
中には、ストロングゼロ二本と、半額惣菜。
タバコは無い。
理由:金欠。
シホ、禁煙三日目。
人間で言うと、覚醒剤切れ寸前。
「……なぁ……一本でええ……一本で……」
「……シホ……」
カノは、ため息を吐く。
「……人にクスリせびるジャンキーみたいやで……」
「……ジャンキーです……」
認めた。
目が、完全にイッている。
「……手、震えてるやん……」
「……体温……おかしい……」
「……狼、ゾンビ化すな……」
部屋の中。
空き箱、吸い殻、灰皿。
全て空。
ライターだけが、虚しく転がっている。
「……なぁ……金……」
「……無い……」
「……じゃあ……」
シホ、壁に額を打ちつけ始める。
ゴン。
ゴン。
ゴン。
「……痛覚、正気か……」
「……ヤニ……ヤニ……」
「……呪文か……」
そこへ、202号室からエイト君が顔を出す。
「……うるさ……って、何してるんすか……」
「……禁煙失敗者の末路……」
「……あー……」
納得するな。
次の瞬間。
ドガァン!!
シホ、突然、モデルガンを床に叩きつける。
「……この世から……タバコを奪った文明を……滅ぼす……」
「……世界規模の逆恨みやめろ……」
目、血走り。
耳、ぴくぴく。
尻尾、ぶんぶん。
完全に発狂状態。
「……コンビニ行こう……」
カノ、観念。
「……マジすか……」
「……このままやと、アパート壊れる……」
三人で深夜のコンビニ。
道中、シホは意味不明な独り言を垂れ流す。
「……ヤニの香り……遠くから……」
「……幻覚見えてる……」
レジ前。
シホ、タバコ棚を見た瞬間――
崩れ落ちる。
「……会いたかった……」
「……再会を感動的にすな……」
メビウス一箱。
シホ、震える手で開封。
火をつけ、一吸い。
「……ッッッはぁぁぁぁぁぁ……」
脳、完全復活。
数秒前のゾンビ、どこ行った。
「……生き返りました……」
「……クスリやん……」
「……人類、よくこれ合法にしましたね……」
エイト君、真顔。
帰宅後。
シホ、ベランダでプカプカ。
「……あぁ……世界が……優しい……」
「……現金やな……」
カノは、ストゼロを開ける。
依存症三人衆、ここに完成。
アルコール。
ニコチン。
スピード狂。
社会不適合者トリオ。
「……ウチら、終わってんな……」
「……はい……」
「……っす……」
夜の神城市に、煙とアルコール臭と排気音が溶けていった。




