第二話「深夜二時、爆音と猫と殺意」
午前一時五十八分。
人類が最も無防備な時間帯。
理性は眠り、道徳は布団に溶け、魂は夢の国へ強制送還されている。
――にもかかわらず。
ブォォォォォォン!!!!
メゾン・ブランシェは、今日も元気に地獄を開店していた。
「……っ゛ぅぅ゛……」
203号室。
布団の中でミイラ化していたカノの脳天に、振動が直撃する。
天井から埃が降り、畳が微妙に揺れ、安物の棚がカタカタ鳴る。
「……地震……?」
半目で天井を見つめた次の瞬間。
バァァァァン!! ヴァァァァァァン!!!
「……あ」
理解した。
「……エイト君や……」
隣の部屋に住む、猫族の走り屋。
深夜になると目を覚まし、RX-8を起動させ、爆音という名のテロ行為を開始するクズ。
しかも今日は、音がいつもより三割増し。
つまり。
「……改造したな、あのクソ猫……」
殺意、覚醒。
カノは、枕元に常備しているストロングゼロを掴み、半分寝たままプシュッと開ける。
ぐびっ。
「……はぁ……」
アルコールで神経を鈍らせながら、布団から這い出す。
時計を見る。
午前二時。
「……人間のやる時間ちゃうやろ……」
カノはそのまま、ジャージ姿、寝癖全開、死にかけの顔で廊下へ飛び出した。
「おいィィィ!! エイト君!!」
202号室のドアを、缶を持ったままガンガン叩く。
「死ぬ気かァァ!!」
数秒後、ドアが開く。
現れたのは、コーヒー臭と油の匂いを纏った、眠そうでテンションだけ高い猫族の青年。
「……あ? なに、カノ」
「なに、やあらへん!!」
カノはそのまま、部屋の奥を指差す。
銀色のRX-8。
ピカピカ。
無駄に艶々。
無駄にゴツいマフラー。
「それ!! その爆音凶器!! 今すぐ止めろや!!」
「えー、今いいとこ」
「知るか!!」
エイト君は、ニヤッと笑った。
「今日さ、新しいマフラー入れたんだよ。直管寄り」
「直管寄りやなくて、ほぼ直管やろそれ!!」
「音、最高じゃね?」
「殺意、最高やわ!!」
カノは、空き缶を握り潰す。
ベコォ。
「このアパート、築何年やと思っとんねん!! 振動で先に崩壊するわ!!」
「大丈夫大丈夫、人間よりアパートの方が頑丈だって」
「比較対象がおかしいんじゃボケェ!!」
その瞬間。
ブォン!!
エイト君が、試しに軽くアクセルを踏んだ。
廊下の電灯が揺れ、壁が悲鳴を上げ、遠くで何かが落ちる音。
「……」
「……」
数秒の沈黙。
カノのこめかみが、ピクピクと痙攣する。
「……エイト君」
「なに?」
「ウチ、今からあんたを社会的に殺す方法、百通りくらい思いついたわ」
「こわ」
「静かにせぇ」
「やだ」
即答。
その瞬間、殺意、爆発。
カノは缶を床に投げ捨て、エイト君の胸ぐらを掴む。
「お前なァ!! ウチが何時に寝たと思っとんねん!!」
「知らね」
「ストゼロ六本!! 肝臓フル稼働!! そこからの覚醒やぞ!!」
「それは自業自得」
「黙れ!!」
廊下で、狐と猫が取っ組み合いを始める。
ガタン、ドン、ゴン。
完全に深夜の騒音公害。
そして――
「お前らァァァァ!!!!!」
地獄の底から響くような怒声。
大家さん、降臨。
ジャージ姿、鬼の形相、スリッパ片手。
「今何時やと思っとるんやァァァ!!」
「……すんません……」
二匹、即座に正座。
「エイト!! 車ァ!!」
「……はい……」
「カノ!! 酒臭い!!」
「……はい……」
「全員、外出ろォォ!!」
五分後。
深夜二時半。
メゾン・ブランシェ前。
獣人二匹、極寒の中、正座。
大家さん、仁王立ち。
「このボロアパートでな!! 深夜に爆音鳴らすとか!! 自殺志願者か!!」
「……」
「近所から苦情来たら、全員まとめて叩き出すから覚悟しとけ!!」
「……はい……」
エイト君は、しょんぼりとうなだれ、カノは半泣きで鼻水をすすっていた。
説教が終わり、それぞれ部屋に戻る。
203号室。
布団に潜り込み、カノは天井を見つめた。
「……人生、ほんまにゴミやな……」
でも、なぜか少し笑ってしまう。
深夜に爆音で叩き起こされ、隣人と殴り合い、大家さんに怒鳴られる。
社会的には終わっているが、妙に賑やかだ。
「……クズ同士、仲良う地獄行きやな……」
壁の向こうから、エイト君が反省ゼロの声で呟く。
「なぁカノ、明日一緒に首都高行かね?」
「行くかボケ!!」
即答。
だが、その口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
こうして今夜も、メゾン・ブランシェには、平和で最低な夜が流れていく。




