表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
138/320

第四話 禁を数える声

狭霧は、境界の奥に立っていた。

霧ヶ崎神社のさらに裏。人が踏み込まぬ場所。

夜気が濃く、言葉よりも気配が先に届く空間。

そこに、**“重さ”**が現れた。

足音はない。

だが、空気が押し下げられる。

九本の尾が、夜を割って現れる。

「……やはり、ここにおったかの」

声は幼く、軽い。

だが、その口調に含まれる圧は、周囲の霊脈を歪ませるほどだった。

水色の振り袖。

華やかな袴。

薄い金髪が月明かりを受け、耳と尾の毛が柔らかく揺れる。

赤紫の瞳が、狭霧を捉える。

「久しいのう、一本尾」

懐かしむような響き。

だが、距離は詰めない。

狭霧は静かに一礼した。

「……瑞穂」

名を呼んだ瞬間、九尾のうち数本がわずかに強張る。

「名を呼ぶなと、何度言わせる気じゃ」

瑞穂は口元を歪め、しかし怒りは見せない。

「もっとも……今となっては、それも数えの一つか」

狭霧は目を伏せた。

否定はしない。

「裁定が下ったのだな」

「下ったとも」

瑞穂は指を折るように、ゆっくりと言葉を重ねる。

「禁其の一。人の名を受け取ったこと」

一本、尾が揺れる。

「禁其の二。人の居場所を得たこと」

二本目。

「禁其の三。役割を引き受け、人界の理に肩入れしたこと」

三本目。

「……お主、いくつ犯せば気が済むのじゃ?」

声音はからかうようでいて、どこか硬い。

遊びの余地を、無理に削っている。

狭霧は、静かに答えた。

「すべて、承知の上だ」

「ほう?」

瑞穂の瞳孔が、わずかに細くなる。

「では聞こう。後悔は?」

「ない」

即答だった。

「人と在った時間は、我にとって価値があった」

その言葉が、瑞穂の胸をかすめる。

ほんの一瞬。だが確かに。

「……相変わらず、綺麗事が過ぎるのじゃ」

瑞穂はふっと息を吐き、肩をすくめた。

「妾はな、綺麗事が嫌いではない。じゃが――」

九本の尾が、一斉に広がる。

「裁定は、裁定じゃ」

次の瞬間、空気が裂けた。

術がぶつかる。

音は遅れて来る。

狭霧の符が舞い、瑞穂の結界がそれを弾く。

銀と金が交錯し、霊脈が震える。

「……っ!」

瑞穂の身体が、わずかに揺れる。

狭霧の一撃が、確かに通っている。

「一本尾のくせに……やりおるのう!」

声は軽口だが、呼吸が一拍だけ乱れた。

「だが、それまでじゃ」

瑞穂の術が、重く、深く落ちる。

九尾分の力が、質量を伴って叩きつけられる。

狭霧は後退する。

踏みとどまるが、距離が削られる。

力の差は、明白だった。

それでも。

「……瑞穂」

狭霧は、名を呼ぶ。

「今一度、問う。お前は、それを“正しい”と思っているのか」

瑞穂の動きが、ほんの刹那、止まる。

「……妾が思うかどうかなど、関係なかろう」

声に、微かな震えが混じる。

「正しさとは、個の感情ではない。理じゃ」

言い聞かせるような口調。

「妾は、その理に従うだけよ」

言葉と同時に、再び攻撃が放たれる。

情を挟めば、刃が鈍る。

だから瑞穂は、躊躇しない。

躊躇しないことこそが、

狭霧に向けられる――最後の情だった。

夜は、さらに深まる。

そしてこの戦いは、

まだ誰も知らない“もう一人”を、確実に巻き込んでいく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
これも読んでクレメンス

埼玉のエセ走り屋に愛をッ!

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ