第七話 発熱、看病、罪悪感
第七話 発熱、看病、罪悪感
朝から、身体が重かった。
目を開けた瞬間から熱気が頭にこもっている。喉は焼けるように痛く、関節が鈍く軋んだ。
玲奈は布団の中で小さく眉を寄せる。
(最悪……)
昨夜から少し寒気はあった。
だが玲奈は、多少の不調なら無理をするタイプだった。仕事でもそうだ。体調管理も自己責任。寝込むなんて効率が悪い。
だからいつも通り起きようとした。
――が。
「っ……」
身体が動かない。
頭がぐらりと揺れた。
そのとき。
「玲奈ちゃーん? 起きてる?」
襖の向こうから澄子の声がした。
「朝ご飯でき……」
襖が開く。
数秒後。
「玲奈ちゃん!?」
澄子の顔色が変わった。
「顔真っ赤じゃない!」
「……大丈夫です」
「大丈夫じゃないわよぉ!」
額に触れられる。
ひやりとした掌。
「熱い! 健一ー!!」
どたどたと廊下を走る音。
「なにー?」
「玲奈ちゃんお熱!!」
「えっ」
数秒後、健一まで飛び込んできた。
「うわほんとだ」
「病院! 体温計! お水!」
「母さん落ち着いて!」
「落ち着いてられないわよ!」
部屋の空気が一気に騒がしくなる。
玲奈は頭痛に耐えながら目を閉じた。
うるさい。
でも。
その騒がしさが妙に遠くて、少しだけ安心する。
「三十八度九分!?」
「ほらぁ!」
「インフルかな」
「病院行かなきゃ!」
「いや、寝れば」
「寝るだけで治る熱じゃない!」
澄子は本気で青ざめていた。
玲奈はぼんやりその顔を見る。
どうしてそんな顔をするのだろう。
まるで自分が倒れたみたいに。
「玲奈ちゃん、立てる?」
「……なんとか」
「だめ! 健一、肩貸して!」
「はいはい」
「私そこまで重病じゃ」
「喋らない!」
有無を言わせない勢いだった。
結局。
玲奈は病院へ連行された。
診察の待合室。
消毒液の匂い。
冷房の冷たい風。
ぼんやりした頭で座っていると、澄子が何度も覗き込んでくる。
「寒くない?」
「水飲む?」
「気持ち悪くない?」
「……お義母様」
「なぁに?」
「落ち着いてください」
「無理よぉ!」
本当に泣きそうだった。
玲奈は少しだけ困る。
診察結果は風邪だった。
疲れと気温差によるものらしい。
「ちゃんと休んでくださいね」
医師に言われ、玲奈は小さく頷く。
すると隣で澄子が真剣な顔をした。
「先生、お粥は何味がいいですか?」
「えっ」
「栄養取らせたくて」
医師が少し笑った。
「消化のいいもので大丈夫ですよ」
「ありがとうございます!」
帰宅後。
玲奈は完全に病人扱いされた。
「はいお水」
「はい冷えピタ」
「はい加湿器」
次から次へと環境が整えられていく。
「……すごいですね」
「病人に快適空間は大事!」
澄子は真剣だった。
しかも妙に手際がいい。
氷枕の交換タイミングも完璧。
薬の時間管理も正確。
水分補給まで徹底している。
「お義母様、慣れてます?」
「健一が小さい頃よく熱出してたからぁ」
「へぇ……」
玲奈はぼんやり天井を見る。
障子越しの光が柔らかい。
どこか遠い昔みたいな空気だった。
「はい、あーん」
「自分で食べられます」
「遠慮しないの」
「してません」
「はい」
結局食べさせられた。
生姜の効いた卵粥は優しい味がした。
熱で鈍った身体に、じんわり染みる。
「……美味しい」
「あら!」
澄子の顔がぱっと明るくなる。
「よかったぁ!」
その顔を見た瞬間、玲奈は妙に胸が詰まった。
夜。
熱は少し下がったが、まだ身体は重かった。
外では雨が降っている。
しとしとと屋根を叩く音が静かに続いていた。
玲奈は喉の渇きで目を覚ます。
部屋は薄暗い。
時計を見ると深夜二時だった。
「……水」
起き上がろうとして、視線が止まる。
部屋の隅。
小さなソファ。
そこに澄子がいた。
座ったまま眠っていた。
毛布を肩にかけ、腕を組んだまま、うとうとしている。
足元には体温計。
机には薬。
水差し。
濡れタオル。
何度も看病した痕跡がそこら中にあった。
玲奈はしばらく動けなかった。
(……え)
まさか。
ずっとここにいたのか。
澄子の髪は少し乱れている。
首も苦しそうに傾いていた。
疲れているはずだ。
なのに。
玲奈が咳をした瞬間。
「玲奈ちゃん!?」
澄子が飛び起きた。
「大丈夫!? 苦しい!?」
「……起きてたんですか」
「寝てた!? 私!?」
本人も驚いている。
「ごめんねぇ、ちゃんと起きてるつもりだったのに」
「……ずっとここに?」
「だって心配でぇ」
当たり前みたいに言う。
玲奈は言葉を失った。
なんで。
どうして。
そこまで。
自分は、そんな価値のある人間じゃない。
最初は財産目当てだった。
計算でここへ来た。
なのに。
「お義母様」
「なぁに?」
「……なんで、ここまで」
声が少し掠れた。
澄子はきょとんとする。
「なんでって……」
そして。
ふわっと笑った。
「家族だもの」
その瞬間。
玲奈の視界が滲んだ。
熱のせいかと思った。
でも違う。
頬が熱い。
胸の奥が苦しい。
「玲奈ちゃん!?」
「……なんでも、ないです」
「えっ、しんどい!?」
「違います」
玲奈は顔を背けた。
涙なんて、いつぶりかわからなかった。
雨音は静かに続いている。
暗い部屋の中で、澄子はまた玲奈の額にそっと触れた。
その手は、驚くほど優しかった。




